第二十八話 無価値な世界
シャーロットが目を覚ますと、そこは廃墟のようであった。ひんやりとした空気が頬を撫でる。
「ここは……どこかしら」
手足は縛られ古びたソファーに寝かされている。カビや土、錆びた鉄の臭いが充満している。もう何年も使用されていない物件特有の臭いだ。
「私はシュウさんと喫茶店で……。あ、変な男達に襲われたんだ」
ライターの炎が店内を明るく照らし、赤い特攻服を着たスキンヘッドの男が木刀を振り下ろしたところで記憶が途絶えている。
極度の緊張で意識を失ったのだろう。
シャーロットは横たわりながら辺りを見渡す。コンクリート打ちっぱなしの寒々しい部屋だ。
部屋を区切る壁は無い。天井には裸電球がぶら下がっており、沢山のコードが垂れている。配管はむき出しだ。
どこにも窓は無い。トイレが部屋の隅に二つあるが、使えるかは分からない。壁が無いので、便器は丸見えである。
そこから対角線上の隅には螺旋階段が見える。どうやらここは地下らしかった。
シャーロットは自身の現状を把握する。
「ああ……。私、また誘拐されたのですね」
頭は冴えている。不思議と恐怖は無い。これから何をされるのか、ここで命を落とすのか、特に関心は無い。
「無価値な世界から無価値な女がいなくなるだけ……ですか」
シャーロットは九歳の頃に一度死に、そして十三歳で二度目の死を経験した。そう、十一年前に全てがおかしくなった。
あれからは自分の人生なのに、他人の人生を俯瞰しているような虚無感が心を支配している。
――カリスなんてどうでもいい。シャーロットって誰ですか?
シャーロットはこれから起こることを想像して、思わず笑みを浮かべる。
「まあ……脱がされたとしても、ドン引きされますよね、この傷跡は。犯人さん、ご愁傷さまです」
軽く深呼吸すると目を閉じた。幸せになる人生なんて、とうの昔に諦めている。
さっさと終わればいいと思っていた。遅すぎたくらいだ。
「無価値な人生だと思っていたけど……。ふふ。今はちょっと死にたくない……かも」
シャーロットはシュウの顔を思い出す。ほんの数日間だが、彼女は楽しかったのである。
(会わなければよかったな……。私みたいな女が夢見すぎましたね。
目を開けて周囲を見渡すが、犯人らしい人影は無い。シャーロットは再び目を閉じた。すると――。
「――っ!」
突然、シャーロットを動悸と過呼吸が襲う。手足の震えが止まらない。汗が噴き出す。
「はあ! はあ! ……もう薬が……」
これはトラウマと禁断症状である。過呼吸が治まらず、シャーロットは意識を失った。
◆
――今から十一年前、シャーロットは八歳の頃に誘拐された。犯人は隣町に住む無職の男である。当時、四十五歳だった男はシャーロットを車に押し込むと、そのまま自宅へ連れて行った。
自宅には父親が一人いたが、二人の関係は悪く、男は離れで生活していた。
定職に就かない息子を厳格な父親は許せなかったのである。しかし、資産家だったため、男は不自由なく暮らしていた。
後に父親はこう証言している。部屋に少女がいることを、五年間知らなかった――と。
誘拐されたシャーロットは男の自室に監禁されていた。
最初の一ヶ月は手足を縛られ、動くことができなかった。
唯一許された居場所はダブルサイズのソファーベッドの上だった。許可無く降りると暴力を振るわれる。泣いたり叫んだりすると更に殴られた。
潔癖症だった男はシャーロットが床に降りることを嫌った。勝手にトイレに行くことは許されず、入浴は半年に一回だけ許可された。顔が血で汚れた時は洗面器で洗わされた。
「ここでずっと一緒に暮らすんだ」
男は毎日刃物を突きつけながら、このように脅した。当時八歳だったシャーロットは恐怖で逆らうことができなかったのである。
男の逆鱗に触れると、顔を殴られる、刃物で小さく切られる、タバコを押しつけられる――。
シャーロットは暴力を振るわれても声を出さないテクニックを身に付け、更に次第に痛みを感じないようになったのだ。
そして、いつ如何なる時も笑顔でいることを心掛けた。男が理想とする「人形」を演じ続けるために。
毎日殴られているうちに、シャーロットに変化が現れた。男の周りに「マナ」が
男を怒らせないように、自分が殺されないように、連日緊張して、極限状態が続いた故の覚醒である。この時、シャーロットは「異人」となった。
それから数日後、男のマナに色が付いていることが分かる。
色の濁り具合で男の精神状態まで分かるようになり、怒らせることが減った。それに伴い暴力も減っていった。
それでも男は酒に酔うとライターやスタンガン、刃物で暴力を振るう。シャーロットの生傷は絶えなかった。
監禁されて一年が経過した頃、シャーロットに変化が訪れる。相手のマナに合わせて、自分のマナを変化させる能力に目覚めたのだ。
今日の男は「このマナの色」だから、自分は「このマナの色」にしよう、男は「このマナの色」の時は機嫌が良いから、自分は「このマナの色」をキープしよう……。
シャーロットは<
それからは男の精神状態は安定し、映画やアニメの話をするようになった。
特に彼はアニメソングが大好きで、ひたすらシャーロットと会話することを望んだ。シャーロットはマイチューブでアニメソングを聴くことは許されていた。
男と仲良くなっても、彼が潔癖症なのは変わらず、トイレの数を減らすために食事は一日一回のみであった。シャーロットは次第に体力が落ち、ソファーベッドで寝たきりとなる。
もうろうとした意識の中で、次第にシャーロットはこう思うようになる。
(本当に無価値な世界……早く終われば良いのに。誰か無価値な私を……殺してください)
この時、シャーロットの心は一度死んでいる。
男はシャーロットの栄養失調に気が付き、焦ってサプリメントを飲ませたが、体調は回復しなかった。シャーロットはもう生きて帰れるとは思っていない。
シャーロットが監禁され五年が経過した頃、事態は急展開を迎える。男が精神を病み、自室で自殺したのだ。
息子と連絡が取れないことを不審に思った父親が自室に様子を見に来た時、誘拐事件が発覚したのである。シャーロットは十三歳になっていた。
◆
治療を終え、家に戻ったシャーロットだったが、この誘拐事件が原因で両親は離婚していた。
シャーロットは母親の方に引き取られたが、母は既に新しい男がおり、子供は邪魔だったのである。
シャーロットをマンションの一室に残し、家に戻らない日が増える。
母親は酒を飲むとシャーロットに暴力を振るった。
しかし、彼女は母親を信じていた。そしてなるべく怒らせないように、常に笑顔でいることを心掛けた。それでも母親の外出は続く。
シャーロットは母の気持ちをつなぎ止めるために色々試したが効果は無かった。
ある日、母親の気を引くために、こう言った。
「ママ! 私、マナの色が見えるの! ママって紫色してるのよ」
娘の言葉を聞いて、母親の顔色が変わる。
「化け物! 二度とそんなこと言わないで!」
当時は異人の子供の虐待動画がマイチューブで拡散されており、社会的にも問題になっていた時期である。日本で特殊能力者保護法が施行され、まだ数年であった。
それからは母親の暴力が増え、更に家を空ける時間が長くなったのである。
シャーロットはマンションの一室で一人残された。母親は帰ってこない。そして気が付いた。
――男の部屋もこの部屋も大差ない。ひとりぼっちで無価値な世界。
――そして母親にすら愛されない自分に価値は無い。
この時、シャーロットは二度目の死を経験した。
いつしか彼女は親にも期待しなくなった。最近、母親は半月に一度ほど帰ってくるが、顔を合わせることはない。
テーブルには買い与えられたスマートフォンが置いてある。アプリを開くと自分名義の口座があり、いくらか入っている。これが母の最大限の「愛」なのだろう。
シャーロットは一人で生きていこうと決める。口座があれば何とかなると思ったのだ。
その時、男の部屋で聴いたアニメソングを思い出す。それはこの数年で唯一得られた貴重な情報だった。薄暗い男の部屋でマイチューブの歌手はきらめいて見えたのだ。
(私も……ああなりたい。きらきらした世界で生きていきたい)
それからシャーロットは無我夢中で動画を配信する。
ひたすら詩を書き、作曲し、歌う。一週間の睡眠時間はわずか二時間。何かに取り憑かれたかのように創作活動に熱中した。
この時、既に母親は家に帰っていなかった。孤独がシャーロットの創作に狂気を宿したと言っていい。
母親にばれないように素性は隠し、プロフィールの画像は自分で描いたイラストにした。
――配信して間もなく反響があった。瞬く間に登録者数と再生回数が増えた。ネットメディアにも取り上げられ、「カリス」は一躍時の人となった。
自分が異人だと公表したことも成功した理由の一つだろう。
再生回数が伸びる度に、自分が必要とされていると実感できた。ようやくシャーロットは生きる意味を見付けられたのである。
マイチューブの収益で自立が可能となったシャーロットは十六歳で家を出て、活動拠点を日本に移す。
母親は最後までカリスの正体に気が付くことはなかった。口座に収益が振り込まれているが、それに関しても何も言ってこない。どこまでも無関心である。
親子の関係は完全に破綻していた。
誘拐事件の経験、親の虐待……。これらで覚醒したシャーロットの異能は家を出てからも大いに役立った。いつからか<擬態>の能力は必須になっていた。
◆
音楽活動が軌道に乗り、充実した毎日を過ごしていたが、あることに気が付いた。
音楽に色が
(旋律に色が乗っているわ。音楽にもマナって宿るのね)
そこである法則に気が付いた。音楽の「色」を同系色でまとめると、ニッチな層に受け入れられ、様々な色を混ぜると、幅広く人気が出る。
反対色を混ぜるといまいち再生数が伸びない。
どうやら音楽はマナの彩色次第だと気が付いた。その法則に気が付いてしまえば、後は簡単だった。
彼女はクライアントの意向を聞き、音楽の色を決める。時には自分のマナの色も変化させて歌う。
音楽の色と自分の色を揃えるとメガヒットとなる。あっという間に彼女はマイチューブを支配した。
しかし、十七歳の頃、あることに気が付く。
(あれ……私本来の色ってなんでしたっけ?)
他者に合わせて擬態しているうちに、自分自身が消えていく感覚を覚える。
自分の歌が認められ居場所を確保したと思っていたが、これは自分の異能のお陰であり、自分自身が評価されているわけではない。
(――だって、私……。私の中に私がいない!)
シャーロットは突然冷めた。自分の魅力ではなく、単純に超能力で人気を博していた現実は、彼女に大きなショックを与えたのだ。
彼女はそのまま鬱病になり、半年間音楽活動から離れたのである。そして――。
◆
――シャーロットは意識を回復した。
ここは地下室である。冷たい風が頬を撫で、錆びた鉄の臭いを運んでくる。過呼吸は治まっているが、汗はまだ引いていない。ソファーが湿ってしまった。
「はぁ……。嫌なことを思い出しちゃった。どのくらい寝ていたのかな」
シャーロットが溜息をつくと、螺旋階段から誰かが降りてくる気配がした。
思わず身体が強張るが、既に覚悟は決めていた。どうせ自分は価値のない傷物の女だと思っていた。
「おや、目が覚めましたか? カリスちゃん」
目の前に顔色の悪い男が現れた。
茶色のくせ毛で、黒縁眼鏡をかけている。右目の下にホクロが一つある。服装は白いワイシャツに黒いスラックスだ。いかにも神経質そうな男である。
「……あなたがストーカーですか?」
シャーロットは笑顔で男に問うた。男はその問いに笑顔で答える。
「初めまして。私は
白石は仰々しく頭を下げて、こう付け加えた。
「――あなたのファンです」
芝居がかった男の声が地下室にこだました。
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