第二十七話 黒川南

 東銀を黒い服を着た男が歩いている。年は十五歳程である。黒髪で白い肌をしている不健康そうな少年だ。


 容姿は整っており、暗そうな雰囲気を纏っていなければ、女性にもてそうではあった。


 彼の名を黒川南くろかわみなみと言う。特殊能力者協会副会長、黒川亜梨沙の弟である。


 彼は十五歳の若さでギフターの資格を得て、協会内では天才と謳われている。


 実戦経験が乏しいため等級はBBB級だが、近々A級に昇級するともっぱらの噂である。


 さらりとしたナチュラルマッシュヘアで、前髪は長く、眉毛は隠れている。瞳の色は髪と同じブラックだ。目に力はなく無気力な雰囲気を醸し出している。


 強力な日差しが照りつける中、黒いハイネックのカットソーを着ているが、マナで温度調整をしているため、暑さは抑えられているらしい。しかし、やはり暑いのか元気は無い。


「東銀は暑い……」と呟きながら歩いて行く。凄い数の観光客が往来しており、それが最低温度を引き上げているように感じる。


 南の後ろを銀髪の女性が歩いている。


 彼女の名はフィオナ=ラクルテル、A級のギフターである。銀色のエアリーボブで、前髪は軽くカールしている。


 切れ長の大きい目をしており、瞳の色はシルバーだ。南以上に無表情だが、美人である。


 服は南と同じ黒いカットソーで、下は黒いミニスカートである。ブーツで身長が底上げされている。


 目を引くのは腰に携えている細身の片手剣である。ギフターの特権で銃刀法違反の対象にはならない。


 フィオナは協会員だが、[アルテミシア騎士団]から出向しているのだ。


 協会とアルテミシア騎士団は掲げている理念に共通点が多く、互いに人員が行き来している。


 一定の間隔で、とことこと南の後ろをついていくフィオナの姿はネコを彷彿とさせる。フィオナは暑そうな南の背中に声を掛ける。


「……南。暑かったら、どこかに入りましょう。休憩も必要だわ」


 フィオナは南より一つ年上である。南に語りかける口調は、どことなく姉が弟の面倒を見ているようにも聞こえる。


「……別にあんたは僕についてこなくていいよ。僕一人で十分だから」


 南は振り返りもせず、フィオナを突き放す。仲が良いわけでもないらしい。


「フェルディナンからの指示よ。それにあなたは危なっかしいわ。私が守ってあげる」


 その言葉に南は振り返る。フィオナを一瞥すると溜息をついた。


 南は氷川駅に程近い飲食店が入ったビルの前で立ち止まった。


「マーレ氷川」と看板が掲げられている。最上階はカフェになっているようだ。エレベーターに乗り、二十階のボタンを押す。エレベーターの中で二人は隅と隅、対極の位置に立っていた。


 最上階の「カフェ・アルマ」はブレンドコーヒーが一杯千円の高級店である。まるでフレンチレストランのように豪華なレイアウトの店内は多くの観光客で賑わっている。


 南とフィオナは窓際の席へ座った。


 オーダーを済ませると、南は眼下に見える便利屋金蚊べんりやかなぶんに目をやった。そこにはカリスがかくまわれているのだ。


 南が「金蚊……か」と呟く。フィオナは南の向かいに座り、その顔を見詰めている。



 ◆



――約一ヶ月前、黒川南とフィオナ=ラクルテルは密入国者の摘発のため動いていた。


 容疑者は四名。アジア系移民のロウ、メイ、ディアンと東欧系移民のミラである。


 カラーズと名乗るこの四人は東銀に来て日は浅いが、反社の龍尾ドラゴンテイルとコンタクトを取ろうとしていた危険なチームであった。


 メンバーのリーダーはロウと名乗る青髪の男で、サブリーダーがメイ、実行犯が後の二人だ。


 南とフィオナの任務はこの四名の確保であった。チームの拠点は東銀を南東に下った地域に建っているコーポ木崎二〇三号室である。


 フィオナは別行動をしていたロウを尾行していたので、拠点に踏み込んだのは南一人だ。玄関からではなく、粉々になっていた窓から侵入した南は、中の凄惨な光景に一瞬動揺した。


(……血が酷いな。臭いが鼻をつく)


 部屋自体はどこにでもあるアパートの一室であったが、天井、壁、床、カーテン……、あらゆる所に真っ赤な血が飛び散っている。


 はためいているカーテンは赤色だと思っていたが、白いカーテンが血に染まっていたらしい。


 足下を見ると「元人間らしい」肉塊が散乱している。現場は悲惨なものだった。カラーズのメンバーは異人だったはずだが、圧倒的な力の差を前に無残に絶命したのだろう。


 部屋の隅に破損したスマートフォンが落ちていたので、回収する。


 一通り部屋を調べた後、血だまりの中で意識を失っている少女に目をやった。


 少女はブロンドのロングヘアーで青いリボンが付いたカチューシャを着けている。ライトブルーのワンピースを着込んでおり、西洋人形のように整った顔立ちをしている。


「誰だろう、この子……。カラーズのリストには入っていないんだけど……」


――カラーズは薬物犯罪をメインに活動していたはずだ。最近異人街で問題になっているDMDダークマナドラッグの売人として密入国したと考えていたが……。


 肩を叩いても少女は目を覚まさない。どうやらカラーズを虐殺したのは少女で、能力発動の反動で意識を失っていると考えられた。


 自分の身に危険が迫り能力を暴発させる。異人の子が大人を殺害する事件は大抵こうである。


(……どうしようかな。明らかに過剰防衛だけど、未成年だし……。亜梨沙姉さんに相談……、あぁ面倒くさい)


 南は気怠そうに溜息をついた。


「まあ……被疑者死亡で事件にすらならないか。問題は……」


 足下の少女を見る。育ちが良さそうな可愛い女の子だ。


(この子は……放っておくわけにはいかないか。誘拐事件は僕には無関係だけど……)


 南はまたも溜息をついて少女を抱きかかえた。すると玄関の向こうで物音がした。微かにパトカーのサイレンも聞こえる。


(外に気配が……?)


 南がベランダへ飛び出すと同時に、金髪の男が部屋に踏み込んできた。間一髪、姿は見られていない。


 南はカーテン越しに金髪の男を観察する。青柳色の甚平を着ている少年だ。人相は悪い。南は男が犯人かもしれないと思った。


(あいつもカラーズの一員か……?)


 その時、金髪の少年が呟いた。


「早くソフィアちゃんを保護しないと――」


 どうやら彼は、この少女を探しに来たらしい。


(そうか。誘拐事件こっちはあいつの案件か。なら任せよう)


 南はそう判断し、ソフィアを抱えたままベランダを飛び降りた。


 次の瞬間、カーテンをかき分けて金髪の少年が飛び出してきた。またも間一髪である。南はアパートの壁の陰に隠れた。


 パトカーのサイレンが近付いてくる。彼ももう玄関からは出られないだろう。南はソフィアと呼ばれた少女を草むらにそっと寝かせた。


 彼がベランダから飛び降りたら、目に入るはずだ。


 この少女を警察に、そして協会にも渡してはならない。金髪の少年に任せれば丸く収まる。南は直感的にそう思った。


 南が空を見上げると、今にもゲリラ豪雨が降りそうな色をしていた。


 スマートフォンを見るとフィオナからメールが届いていた。リーダーのロウが乗った車が、パトカーのサイレンを聞いてアパートから離れたらしい。


(……とは言え、どこかでこのアパートを監視しているよね。やはりこの子は連れて行けないな)


 アパート正面の気配を探ると、今にも警察が踏み込んできそうであった。このままここにいると、金髪の男と鉢合わせする可能性が高い。


 南はもう一度ソフィアに視線を向け、二〇三号室を一瞥すると、気配を消してアパートを後にしたのである。



 ◆



――その後、南はソフィア=エリソンのことを知り、SNSで旅行を継続していることを確認したのだ。


 異能で人を殺害してしまった場合、大抵は罪悪感から心身を病むのだが、画像のソフィアにその様子は一切無かったのである。


(大した子だよ。将来有望だね)


 南は回想しながら運ばれてきたアイスコーヒーを飲む。これは一杯千五百円である。


「……南。電拳スタンガンのシュウのこと、あのアパートで見たんでしょう? どうだったの? あ、南も食べたい? マンゴー」


 前に座っているフィオナがパフェを食べながら聞いてくる。彼女が食べている広島産マンゴーパフェは四千五百円もする逸品である。


「別に……。ヤンキーっぽいなぁと思ったくらいだよ。ああ。マンゴーは嫌い。いらない」


 南はフィオナに視線を向けた。


「……あんたは芝川の河川敷で実際に見たんだろ? シュウとロウの戦闘を。どうだったの?」


 フィオナはパフェを食べる手を止めて、南をじっと見る。


「遠目で分かりづらかったけど、スパークしていたからエレキ系のエレメンターだと思う。遠距離は苦手で近距離にめっぽう強い……。そんな感じ」


 エレメンターとはマナを元素レベルで操る異人の総称である。アクア系、パイロ系、エアロ系、アース系、エレキ系が存在する。


 中でもエレキ系は発現率が低く滅多にいない。


「エレキ系って遺伝だよね? 見間違いじゃないの? 異人街でその技使うのは金蛇の雷火の女帝フルゴラくらいだ」


「……でも異名も電拳スタンガンでしょう?」


 南はアイスコーヒーを飲み干すと、こう答えた。


「異名と異能が一致しない例は多々あるよ。敢えて逆属性を名乗って、相手の裏をかくとか。エレキ系って世界で十人もいないんじゃなかったっけ……。まあ、どうでもいいけど。面倒くさいし……」


 南は気怠そうに髪をくしゃくしゃとした。フィオナはパフェを食べ終えると、アイスティーに口を付けた。


「最近は異能の種類がどんどん増えていて多様化しているから……」


 そう言い、眼下に見える便利屋金蚊へ視線を移す。


「……でも南の方が強いと思う。彼より。任務で対立すれば倒さないといけない……かもね。その時は私があなたを守ってあげる」


 過保護なフィオナのセリフは、そのまま過保護な姉の姿を彷彿とさせる。南は鬱陶しそうに溜息をついた。


 副会長の黒川亜梨沙の歪んだ愛情表現は協会内で有名である。


 結局、シュウに関してはデータ不足で何も分からなかった。


 故にカリスが何故金蚊にいるのかも分からない。便利屋自体もオープンして一年ほどなので情報は無いに等しい。


 南はフィオナを見た。彼女はストローに付いたルージュをウェットティッシュで拭いている。少々潔癖症のところがあるようだ。


――フィオナはシュウとロウの戦闘終了後、そのまま気絶していたロウを確保したのであった。彼は強制送還され、既に日本にはいない。

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