第二十四話 月夜の告白
シュウはベッドの上で伸びをして久々の休日を堪能していた。ストーカー被害に悩むシャーロット=シンクレアが金蚊に来て三日が経過している。
金蚊が入ったビルは三階建てで、二階と三階は賃貸アパートになっている。
シュウとリンはその一室を借りて生活しているが、数日前からシャーロットに一室あてがっている。
最初はシャーロットの社会的地位を考えてうろたえたシュウだったが、師匠であるランに背中を押してもらい、依頼を受けたのだ。
彼は受けるからには全力でシャーロットを守ろうと考え、護衛を兼ねて彼女を呼んだのである。
「――あれから一週間か」
シュウは一週間前の出来事を思い出した。
黄昏時にシャーロットと会い、氷川駅前のベンチで五郎系のチャーハンを一緒に食べた。
昼間に高広屋のレストラン街で食べて美味しかったという理由で、テイクアウトし、シュウに渡すために探し回っていたらしい。お人好しすぎるその行動にシュウは混乱した。
シャーロットの自分の地位や置かれている現状を無視するような言動に、シュウはこう思った。
――俺が守ってあげないと。本当に事件に巻き込まれるかもしれない。
そうと決まれば全力で護衛をしたい。ホテルの帰り道も危険である。シュウには一切の下心はなかった。
シュウは軽く咳払いをして、隣に座ってペットボトルのお茶を飲んでいるシャーロットに声を掛けた。
「シャーロットさん。俺の家に来ませんか?」
突然のシュウの発言に、シャーロットは鮮やかなグリーンの瞳を大きく見開いた。彼女はまじまじとシュウの顔を見る。笑顔ではなく真顔である。
シャーロットは女優のような美人である。そのような女性に見詰められて照れない男性はいない。シュウは慌てて目を離した。
「い、いや! うちのプランに身辺警護があるんですが、クライアント用の客室があるんですよ。そこに寝泊まりしてもらうと一日中守れると思いましてね! 勿論、宿泊費はかかってしまいますが……」
シュウは動揺しているからか、早口でまくし立てる。シャーロットはその様子を見てにっこりと笑顔を見せた。
彼女は「優しい人……だなぁ」と呟いたが、シュウには届いていない。
「ずっとってわけではないですよ! まずは一週間とか半月とか。俺の見立てだとこの案件は長引かないと思っています。ああ、でも急な話ですから! 一度帰って考えてください」
シャーロットはそっとシュウの手を握り、目を見ながら言った。
「シュウさん。ふつつか者ですが、よろしくお願い申し上げます。私を守ってください」
それから数日後、シャーロットは金蚊の敷居を跨いだのであった。
◆
シャーロット受け入れの件で、一番反対しそうだったリンがすんなりと承諾したのは意外であった。
シャーロットと別れた後、家に着くと何故かチェンもその場にいた。リンは「お帰りなさい」と言うと、じっとシュウを見詰めてくる。何かを言いたげな顔をしていた。
(な……なんだ? リンは何を言いたいんだ? いや、言ってほしいんだ? えーと)
シュウはあることに気が付いた。リンがいつもの甚平を着ていない。何やら「ワンピースの短いバージョンの服」を着ている。
(……そう言えばシャーロットさんがリンとチェンと飯を食べたって言っていたな。これは……)
「兄さん。コーヒーでも飲みますか?」
リンは無表情のまま話しかけてくる。いや、いつも彼女は無表情だが……。
シュウはチェンの方へ視線を移した。するとチェンがアイコンタクトを送ってくる。わざとらしくリンの服を眺める仕草を見せる。シュウは確信した。
「おお、リン! 可愛いじゃないか! 見違えたよー! その服」
シュウの発言に、リンは一瞬笑顔になったが、すぐに元の無表情に戻る。
「ありがとうございます。シャーロットさんに選んでいただきました。彼女は良い人です。コーヒーを入れてきますね」
「ああ、そうだ! リン。シャーロットさんの案件受けようと思うんだ。それで上の部屋を貸そうと思うんだけど。一人では危ないから一日警護しようかと思う」
リンはくるりと振り向くと「分かりました。大家さんと相談しましょう」と言い、給湯室へ姿を消したのだった。
◆
――シャーロットを迎えて数日間、何も問題がないわけではなかった。
彼女と街を歩くと、何者かの視線を感じることがあった。
彼女は美しいので、通行人は足を止めて興味深そうに見てくるが、それとは別の視線が確かにある。しかも一人ではなさそうであった。ただ、襲ってくる様子はない。
そして、もう一つ。シャーロットが夜にうなされて起きることがあった。シュウはその時のことを思い出す。
シュウとリンはシャーロットが寝ている間、交代で警護に就いていた。このような状況では二人体制がありがたい。
シュウの部屋の二つ先がシャーロットの部屋なので警護は楽であった。シュウは自室の扉を開けて固定し、ごろんと通路に横たわっていた。トイレが近くてストレスも少ない。
(夜食でも食うかな)
シュウが自室へ戻ろうとした瞬間、「きゃああ」と悲鳴が上がった。シュウは合鍵を使ってシャーロットの部屋へ踏み込む。《発電》を使い、電気のマナを纏う。臨戦態勢だ。
暗闇に目を懲らすと、シャーロットがベッドの上に座り込んで震えている。
「シャーロットさん! 大丈夫ですか」
シャーロットは真っ青な顔で何か呟いている。その様子は尋常ではない。
「ごめん……なさい。ごめ……さい。許して……くださ……」
いつもの笑顔は消え失せ、蒼白な表情で謝り続けている。シュウは声を掛けるのに躊躇した。彼女はいつものワンピースではなく、五分丈のスパッツを穿いている。
真っ白な肌が見えて、シュウは思わず目を逸らした。
(やべ。いやまあ、パジャマだよな。やましいことはないか)
シュウは電気を点けずに、シャーロットの背中をさすった。
「大丈夫っすよ。誰もいませんから。俺が見張っていますから寝ていてください」
その時、シュウはあることに気が付いた。
(ん? シャーロットさんの足に……火傷の跡? え? 傷跡も? な、なんでこんなに)
いつも丈の長いワンピースだったので気が付かなかったが、よく見るとシャーロットの足には原因不明の傷跡が複数見付かった。
比較的膝に使い箇所だったので、普通は見えない。
シュウはショックを受けた。真っ白な肌が美しいシャーロットに傷がある。シュウは見てはいけないものを見てしまった感覚に陥った。
「……シュウさん。ありがとうございます。もう大丈夫です」
シャーロットは正気に戻っていたが、いつもの笑顔ではなく無表情である。上目遣いにシュウを見ながら、そっと足の火傷を隠す。
「リンさんが羨ましいです。私は……チュニックを着る勇気がありません。傷だらけですから」
シャーロットはシュウの目を見詰めてくる。鮮やかなグリーンの瞳だ。
しかし、いつもの可愛さはない。その瞳が暗闇に沈んでいく月のように見えた。
シュウは魅入られそうになるのを必死で堪える。
窓の外には月が見え、ぼんやりと部屋の中を照らしている。
「あ……、気を遣ってくれてありがとうございます。明かりを点けられるのは嫌でした」
先日のヒアリングで、シャーロットからその外見には似つかわしくない、どす黒い感情が見えた気がしたが、それは正しかったようだ。
今、目の前にいる彼女は可憐な少女ではなく、暗闇そのものである。
――彼女は何か闇を抱えている。シュウはそう思った。
「脱ぐと……もっと見えますよ。背中とか。見たくないですよね」
彼女の言葉を聞いているのが辛い。
「シュウさん……。幻滅したでしょう。私、無価値な女なのです」
そこでようやく彼女は笑顔を浮かべた。しかし、その笑顔は透明である。笑っているだけで、そこに感情は何も無い。まるで人形のように見えた。
シュウは彼女の肩をそっと抱いた。そして故意に明るい声を出す。
「いやいや、シャーロットさん。俺の方がやばいっすね」
「……え?」
シャーロットはきょとんとする。シュウはベッドから離れると上半身裸になった。
「ほら、見てくださいよ。傷だらけですよ。ここはメリケンのシンユーに殴られたアザ。あいつコンクリを砕く威力のパンチ打ってくるんですよ。あー、ここは師匠の電撃で火傷しました」
シュウは傷を一つ一つ解説していく。
「ここは銃で撃たれましたね。腹。あの時は死ぬかと思いました。あとここ、ラーメン茹でていたら蒸気で火傷しました。あー、ここはスズメバチに刺されました! 駆除の依頼があったんだけど防護服の中に入ってきたんすよ。異人街で買うと不良品にあたっちまう可能性が高くて。リンは安全地帯でのんびり見てましたよ、痛がっている俺を」
シャーロットは真顔でシュウの顔を見ている。
「師匠言っていましたよ。傷は勲章だから誇れと。いや、火傷を負わせた張本人が言うなって話ですがね」
一通りの傷を見せると、シュウは服を着た。そしてシャーロットの肩に手を置く。
「幻滅なんてするわけないですよ。傷を誇れとも言いませんし、過去に何があったかも聞きません。そのままのシャーロットさんで良いんじゃないですかね」
これはシュウの本心だった。異人のアイドルにも色々あるのだろう。人間なのだから当然である。
シャーロットはシュウの顔をまじまじと見て言った。その目には涙が浮かんでいる。
「奇麗なマナ……。え? 本心……です……か? うそ」
小さい声だったのであまり聞き取れなかったが、シャーロットに笑顔が戻ってきた。そして頬を染めて言う。
「あ、ありがとうございます」
「ん? 何がっすか?」
シャーロットは両手を頬にあてて顔を赤くしている。そして小さな声でこう言った。
「あの……。このシチュエーションはリンさんが誤解すると思うのですが……」
シュウの背後に視線を送るシャーロットの仕草に嫌な予感がした。シュウは恐る恐る振り返り、ドアの方を見た。そこにはリンが腰に手をあてて立っている。
「……兄さん。何をやっているんですか。不潔! 不潔です! シャーロットさんも!」
どうやらシャーロットの悲鳴で起きたらしい。どこから見ていたのか不明である。シュウの弁解むなしくこの後、一晩怒られ続けたのであった。
◆
――これがこの数日間の出来事である。
シュウは伸びをして窓の外を見た。昨日は大雨だったが、今は快晴である。
今日は店を閉める予定だ。シャーロットの警護は続けるが、その他の仕事は休みである。
シュウは顔を洗うといつもの白いパーカーと黒いデニムに着替えた。
その時、控え目に扉がノックされる。
「シュウさん。朝ですよ。起きていますか?」
扉を開けるとシャーロットが立っていた。どうやら起こしに来てくれたらしい。服装はグリーンのワンピースである。
シャーロットの服が被ったことは一度もない。一体、何着持ってきているのだろう。
彼女はスウェーデン系のアメリカ人らしく、瞳は鮮やかなグリーンである。ふわっとしたライトブラウンのロングヘアーは内巻きだ。今日も相変わらず美人である。
シャーロットの後ろにはリンが立っている。最近のリンはお洒落に目覚めたらしい。毎日違う服を着ている。今朝はスポーツブランドのブラックのカットソーとホワイトのミニスカートを穿いている。
こうして見ると、姉妹のように見える。仲良くやっているようで、兄としては嬉しく思う。
「兄さん。今日はシャーロットさんと疑似デートですよね。羽目を外さないようにしてください。あくまでも疑似ですからね」
リンは無表情だが、若干むくれているように見える。
この数日間は犯人側の様子を見ていたが、今日から「攻め」に入るつもりだ。
シャーロットと恋人の振りをして街を歩くのである。この挑発にストーカーが反応すれば、もしかしたら今日事件は解決するかもしれない。
「シュウさん。事務所の方に朝ご飯を用意していますので、一緒に食べましょう」
シャーロットはきらきらとした笑顔で、シュウの手を取った。
「シャーロットさん、家の中では恋人の振りはしなくていいですよ」
リンはさり気なくシュウとシャーロットの間に入る。二人の仲は良いが、これはこれ、それはそれらしい。楽天的な二人にシュウは溜息をついた。
(何事もなく終わるかな……今日のデートは)
シュウはデートを楽しみにしながらも、心のどこかで不安を感じていたのである。
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