第三章 闇へ誘う女 <異人の歌姫編②>

第二十一話 がんばれ落合さん!

 異人の友社の新入社員、落合茉里咲おちあいまりさは先輩の上川多賀子かみかわたかことランチをしていた。場所は東銀で人気の異人喫茶である。


 落合は四月に入社したての新入社員だ。トレードマークはポニーテール。真面目な性格だが、まだ学生気分が抜けていない。


 上川は生真面目な性格で感情を表に出さないクールな女性である。メンソールのタバコを愛しているヘビースモーカーだ。


 落合はグリーンカレーを食べながら、上川に聞いた。


「先輩! 次の取材へ行く前にダークマナドラッグについて教えてください! 勉強はしたのですが、理解できなくて……」


 上川はガイガパオを食べている。口元をウェットティッシュで拭きながら答えた。


「……落合さん。午後の取材先は薬物犯罪の専門家ですよ? 昨日あれだけ予習をしなさいと言いましたのに……」


 上川の眼鏡がキラリと光った。落合は慌てて言い訳をする。


「し、しました! でもネットサーフィンしても情報があまり出てこなくて……」


「まあ、良いでしょう。異人街でもタブーになっているネタですから検索でヒットしづらいでしょうし」


「で、ですよね~。あはは」


 落合はオレンジジュースを飲み干した。上川は落合に疑いの目を向けつつ、後輩の質問に答える。


「異人街に批判的な意見が出ている理由に、税金問題と薬物汚染が挙げられます。特に後者……ダークマナドラッグ、通称DMDは深刻です」


「はい! そこまでは調べました! えへへ~」


 落合はぺろっと舌を出した。落合の態度を見て、上川は呆れた表情を浮かべるが、律儀に説明を続ける。


「現在、移民や難民の密入国が問題になっていますが、彼等の中にドラッグの密売人が混ざっていると言われています。その行き着く先が異人街の最深部……」


「なるほどですー」


「しかも最近は街の外にも薬物汚染が広がっているのです」


 日本の薬物事犯の内訳は大麻が多かったが、日本人口の十五パーセントを外国人が占めることにより、状況が変わってきている。


 現在の主流は化学薬品から作られる合成麻薬である。


 人種が変われば流行も変わる。これはファッションだけでなくドラッグにも当てはまるのだ。


「最近の流行は幻覚剤に『ダークマナ』を纏った粉末や液体を混合させたドラッグ。DMDと呼ばれる合成麻薬よ」


「へー」


「ダークマナは有害だけど、薬物と混ざると、服用した時のトリップ効果を増幅させるの。視覚、聴覚等、本来なら異なる脳領域を結合させ、幻覚を見せるのね」


「先輩! トリップって何ですか?」


「まあ、薬を飲んで得られる非現実的な体験ね。幻覚とか幻聴もそう。快感を伴うこともあるわ。逆にバッドトリップは不快な体験よ。死にたくなったりね。……実際に自殺する人もいるの」


「え? 薬を飲んだだけで? ……こっわーい。(でもちょっと興味あるかも)」


 上川はランチを食べ終えると、アイスコーヒーに口を付ける。


「あとは……そうね、共感覚を伴うこともあるわ」


「先輩! 共感覚って何ですか!」


 学生のような受け答えに溜息が出るが、上川は説明を続行した。


「文字や数字に色が付いているように見える、音楽に色彩を感じる、香りに形がある、味覚に触感がある……、一つの感覚から複数の感覚を呼び起こさせることを共感覚というの」


 落合は真面目な表情で頷いているが、恐らく理解をしていなかった。上川はお見通しだが、話を続けた。


「これらの感覚は異人が能力を発動させる際に視るイメージと似通っている。故にDMDは、普通人以上に異人の依存性が強いとされているのよ。だから異人街の薬物汚染は深刻なの」


「なるほどです! さすが先輩! すごーい!」


 落合は手をヒラヒラさせて上川を褒めている。呆れた上川は溜息すら出ない。


「午後の取材先はサイケデリック療養の専門家です。彼は必ずしもドラッグを否定していないわ。サイケデリックは分かるかしら?」


「え! えーと。あはは」


 落合は目を逸らして笑う。どうやら知らないらしい。


「……簡単に言うとDMD等の幻覚剤が様々な精神疾患に効果を示すって考え方よ」


「な、なるほど! 悪いことばかりではないんですね?」


「ええ、専門家はトリップ中に見たイメージや、「死」の疑似体験で、精神病が改善することもあると唱えているのよ」


「そうですか。そのDMDを飲むと、普通人でも異人の気持ちが分かるかもしれませんね。だって、超能力を使う時の感覚と似ているんだもの」


 上川は感心したように落合を見た。彼女の言うことは正しい。DMDは異人犯罪の構造を知る上で欠かせないものでもあるのだ。今回の取材の核心はそこにある。


 感心しながらも上川は楽天的な落合に釘を打つ。


「勿論、DMDには強い依存性があって使用は禁止されているわ。でも薬事法の網をすり抜け、毎年新しいDMDが出回り、イタチごっこになっているのが現状ね」


 落合は元気よく手を挙げて答える。


「はい! 先輩! ノーDMD! ですね~。でも、先輩。DMDの原材料になっているダークマナパウダーってどこで売っているんですかね?」


 ダークマナパウダー、通称DMPは、ダークマナを塗した粉末である。結局のところ、DMPを根絶させないと、ダークマナドラッグによる薬物犯罪は無くならないのだ。


 上川は親指に細い顎を乗せて言いよどむ。


「……DMPはダークマナに耐性のある異人で構成されたダークマナ教が関わっているとされているけど真相は分からないのよ」


 上川が呟いた懸念は無視できない。DMPを麻薬組織に卸しているダークマナ教は多大な利益を得ていることになる。


 これは異人街の治安維持を担っている協会トクノーの解決すべき最重要事項であり、特能法を推進しているマナ国党が抱えている火薬庫でもある。


「さて……。そろそろ行きましょうか。あ、ちゃんと取材前に歯を磨きましょうね」


「先輩~! 子供扱いしないでください! 当然のエチケットですよね」


 落合は子供のように頬を膨らませている。その様子を見て上川は妹を見るような目で微笑んだ。


「そうね。じゃあ私待ってるから、先にトイレで済ませてきてください」


 落合は元気よく返事をし、敬礼のポーズをとった。


「はい! 行ってきます! 先輩」


 上川は落合の後ろ姿を見送った後、スマートフォンで取材の段取りを整理した。


 落合が先方に失礼なことを言わないか不安になりながら苦笑いをしたのであった。

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