第十八話 リンとシャーロット
リンとチェンは東銀を歩いていた。
チェンは異人街の情報屋である。まだ十歳の子供だが、独自のネットワークを持っている。
隣を歩くリンはオフなので私服だ。ホワイトのクロップドシャツにピンク色のパラシュートパンツを穿いている。全体的にゆったりとしたコーデである。
「リン姉ちゃん。どこに行くのかナ? 僕、暇じゃないんだけど……」
チェンにとってリンは姉のような存在だ。慕っていることもあり、何か思うことがあってもあまり強く言えない。
リンはチェンをちらりと見ると一言言った。
「私は今日オフです。服を買いに行きたいのですが、男の人の意見が欲しいのです。報酬はラーメンで良いですか」
リンの目的地は氷川市の百貨店、
百貨店という業態は半世紀以上前から下火であったが、増える外国客や移民、難民の影響、つまりインバウンド需要が高まることにより、滅びることなく、不死鳥のように蘇っていた。
高広屋は東銀側ではなく、氷川SCの方にあるため、駅のコンコースを抜ける必要がある。
平日だというのに凄い人だかりだ。そろそろランチ時なので、飲食店はどこも混んでいる。
高広屋は地上十三階、地下三階のビルである。三階、四階、五階に婦人服のテナントが入っている。九階と十階がレストラン街だが、まずは服を探すつもりだ。
「チェン。私にワンピースは似合うと思いますか?」
唐突なリンの質問にチェンは慌てた。リンの表情からは何も読み取れない。
「えぇ? どうだろウ。いつも甚平のイメージしかないけどナ……」
しどろもどろのチェンの答えにリンは無表情である。チェンにはリンが何を考えているのか分からない。
「そうですね、あの甚平が私の女子力を著しく下げていた……。だから兄さんはいつまでも私を妹扱いするのでしょう」
リンのその発言に、勘の良いチェンは大体の事情を理解した。
(またシュウの兄貴が余計なことを言ったんだナ。リン姉もサ、妹なんだから妹で良いじゃん、普通に)
相変わらずリンは無表情だが、微かに眉間にシワが寄っているように見える。これは付き合いが長くないと分からない変化だ。
チェンはリンにばれないように溜息をついた。リンは大人しそうに見えて強情である。今日は一日付き合わされるかもしれない。チェンは長時間の拘束を覚悟し、自分の予定はリスケすることにした。
婦人服エリアには様々なテナントが入っている。日本や欧米のブランドが多いが、宗教に配慮した商品も置かれている。
異人街には多くの人種が住んでいるので、彼らの生活様式に合わせた商品が売れ筋になっていた。
商店街に置かれている物とは一線を画す品質の宗教服が今の百貨店の主力商品である。
高級感のある階で、明らかにチェンの服装は浮いていた。何せタンクトップと短パンである。居心地の悪さを感じながらリンについて行く。リンの目当てはワンピースらしい。
チェンは熱心に物色するリンの隣で、ただその姿を見ていた。ファッションに疎い彼にできることと言えば、付き添いくらいである。
チェンに見守られながら、リンは次々とワンピースを手に取っていくが、中々決まらない。チェンはたまにアドバイスを求められ、それに答える。
五つの店を回って二時間ほど経過した時、後ろから声を掛けられた。
「あら、リンさん。こんにちは」
二人が振り返ると、そこにはシャーロット=シンクレアが笑顔で立っていた。
彼女はモノトーンの小花柄ワンピースをふわっと着込んでおり、軽やかに揺れる裾が大人の色香を漂わせている。
東銀では見掛けないタイプの可憐な女子を目の前に、チェンは思わず見とれてしまった。チェンの視線に気が付いたシャーロットはにこっと笑い白い歯を見せる。
「私はシャーロット=シンクレアと申します。あなたはリンさんとはどういったご関係ですか?」
突然話を振られてチェンは慌てて自己紹介をする。
「僕はチェンっていいまス。リンさんとシュウさんは取引先というか……、兄弟というか……。仲良くしてもらっていまス」
チェンはリンとシャーロットの顔を交互に見る。二人の関係を知りたいようである。リンはチェンの顔をちらりと見ると、事務的に話し出す。
「シャーロット様は便利屋金蚊のお客様です。昨日お会いしました」
「ああ、そうなんダ。……へー」
チェンは改めてシャーロットを眺める。
(ワンピースが似合う女性だナ~。昨日店に行ったってことはシュウの兄貴も会ったのカ。……ん? ワンピース? ああ、なるほど。この人がリン姉のライバルってことカ)
勘が鋭いチェンは現状をほぼ把握した。しかし、これは相手が悪すぎる。
リンは文句なしに可愛い。それは認めるし、便利屋金蚊の看板娘としての役目は十分に果たしている。
ただ、その可愛さは「学生のクラスメート」のようなレベルである。殴られることを覚悟して表現するなら、まだまだ垢抜けていない。
では、目の前にいるシャーロットはどうか。
リンより年上の彼女は、まるで女優のような美しさがある。この完成度の女性は東銀には存在しない。洗練されたビジネス街の氷川SCまで来て、希に見掛けるレベルである。
「リンさんとチェンさんは仲が良いのですね! チェンくん、私とも仲良くしてくださいね」
シャーロットは前に屈んで、まだ子供のチェンと同じ目線にしてから笑顔で言った。
「あ、はい。それはもちろん」
気のせいかもしれないが、良い香りがする。チェンはすっかり照れてしまった。
(美人で性格が良い。おまけに子供に優しい……。これは勝てそうもないナ)
リンは相変わらず無表情である。シャーロットはチェンの頭を撫でた後、リンに視線を移した。相変わらずの笑顔である。
「リンさん。ワンピースをお探しですか?」
「え、ええ……。チェンと一緒に見て回っています。……シャーロットさんは大丈夫ですか? 外を歩いていて、その……」
リンはばつが悪そうに視線を逸らした。立場上、ストーカーのことは口には出さなかった。
変な沈黙が続く。シャーロットに自分の感情を見透かされているようで気まずいのである。
隣にいるチェンはリンをフォローしようと考えるが、気の利いたセリフは出てこない。
数秒の沈黙後、シャーロットが両手をパンッと合わせた。
「リンさんは外ハネボブでスタイリッシュですから、カジュアル寄りのコーデでバランスが取れると思いますよ」
シャーロットはリンの横で服を探し始めた。
「あ、あの……」
普段、冷静なリンがシャーロットの想定外の行動に焦る。チェンは二人の後ろで見守る態勢である。今は様子を見るべきだと判断したのだ。
「それにリンさんは長くて奇麗な足をしていますから、それは見せた方が良いと思います。若いうちですよ! 私は自信ないので無理ですけどね。ワンピースよりチュニックはいかがですか? ちょっと透け感のあるチュールトップスも羽織っちゃいましょう!」
シャーロットはそう言うと、リンに明るいグリーンのチュニックと同系色のチュールを手渡した。クルーネックなので、首回りがすっきりしているボブと合いそうである。
「え? あ……」
面を食らったリンは思わず値札を見るが、予算内の価格であった。いや、むしろ安い。
「リン姉ちゃん。試着しなヨ。僕たち待っているかラ」
「う、うん。分かりました。ま、待っていてください。先に帰らないでくださいね」
シャーロットとチェンは笑顔でリンを見送った。試着室の前で待つこと五分――。
カーテンを開けてリンが出てきた。
いつもは無表情だが、まんざらでもなさそうな顔をしている。クロップドシャツとパラシュートパンツを合わせたゆるいコーデとは違い、リンの髪型やスタイルを活かした組み合わせになっていた。
チュニックの色は、シアーベージュの髪色とも合っている。
「ど、どうでしょうか? ちょっと太もも見えすぎですか……?」
シャーロットは満面の笑顔である。両手を胸の前で組んで、本当に嬉しそうに答えた。
「とっっても! お似合いですー! あーん、可愛い! 足キレイ!」
その言葉に、リンは顔を赤らめた。そしてチェンの方をちらりと見る。
チェンはリンの変わりように驚愕していた。
いつもの甚平とは天と地ほどの差がある。確実に「可愛い中学生」から「イケてる女子高生」に進化していた。
「うん、似合っているヨ。今日、それ着て帰ったラ? シュウの兄貴も驚くと思う」
リンはチェンのその言葉に頬を染めて頷いた。
「そ、そうします。シャーロットさん、このまま買えますかね?」
シャーロットは胸の前で小さくガッツポーズを取って笑顔で答えた。
「大丈夫ですよ! タグは切ってもらいましょう。 店員さーん! お願いしまーす!」
リンとシャーロットは店員とレジに向かった。チェンは二人を見送ると、ほっと溜息をついた。長時間拘束されると思ったが、このままラーメンを食べて帰れそうだ。
チェンはあることに驚いていた。人見知りであるリンが、あっという間にシャーロットと打ち解けたのだ。
(これは凄いネ。彼女は他人から好かれるスキルがあるのかナ。いや、良い人だから誰からも好かれそうだよネ。うん)
会計後、リンとシャーロットはチェンと合流してレストラン街へ向かったが、三人の後をつける黒い人影に気が付いた者はいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます