第十七話 金蛇警備保障

 東銀より北東に進むと、一宮通りと呼ばれる巨大な異人街がある。


 東京の歌舞伎町を彷彿とさせるこの地域は東銀より治安が悪い。異人同士の縄張り争いが絶えず、複雑な勢力争いが存在する。


 一宮は超高層ビルが建ち並ぶ区域と、旧市街が混在するエキセントリックな街並みであった。


 シュウは店を閉めて一宮通りを歩いていた。その表情は暗い。今日は金蚊の甚平ではなく、ホワイトパーカーと黒デニムを身に付けている。


 シャーロットのヒアリングから一日経っていた。


 彼女の話は、よくあるストーカーの案件に似通っていた。誰かの視線を感じる、妙なメールが届く、花束が届いた……。カリスはSNSでも頻繁に活動しているので、身バレのリスクは常にある。


 昨日話して、シャーロットはかなり「おっとり」しているように見受けられた。ネットストーカーが本気を出せば住所くらいは割り出す可能性がある。


 しかし、シャーロットは自分が「カリス」だと特定されることを、大して気にしていないようにも見えた。彼女が不安に思っているのはメールの内容であった。


――親愛なるカリス様。私はあなたのファンです。あなたに暗闇が迫っています。私があなたを守ります。――


 確かに不安を煽る内容である。意味も分かりづらい。


 特に分からないのは「暗闇」という表現だ。「危険」ではなく「暗闇」。この言い換えにこだわりを感じさせる。仮に犯人が異人だとして、異能に関連するワードなのか……。


 何か深い意味があるように思えてならない。


(まあ、このケースだと、シャーロットさんと恋人の振りをしてデートをしていれば、犯人が俺に襲いかかってきそうな気がする。それを叩きのめして、すぐ終わるかもしれん)





 一宮通りを歩いて行くと、飲み屋や風俗店、様々なテナントが入った雑居ビルが目立つ場所にさしかかった。


「シャーロットさん、ちゃんとホテルで大人しくしているかな。何か心配だよな、あの子」


 シュウは今日何度目かの溜息をついた。十六年の人生で、あれほど可愛らしい女性に会ったことがなかったシュウは、すっかりペースを乱されていた。


 視線を上げると、四階建ての雑居ビルが建っている。


 赤煉瓦で一見お洒落に見えるが、かなり老朽化が進んでいる。二階には[金蛇警備保障かなへびけいびほしょう]と看板が掲げられている。金蛇警備保障はシュウが修行中にお世話になった会社である。


 すなわち、シュウが「お師匠」と呼び慕う異人の女性が経営する会社だ。


 金蛇警備は異人街に特化したセキュリティ会社である。


 施設警備や身辺警護、貴重品の運搬などを請け負う。スタッフのほとんどがストレンジャーであり、敵勢力の異能にも対応できることを売りにしている。


 シュウが階段を上がっていくと、事務所の入り口が見えてくる。その両脇には警備員が立哨していた。


「おや、電拳のお坊ちゃんじゃないですか。お久しぶりですね」


 警備員の一人が笑顔で話しかけてくる。見たところ、三十代半ばで体格の良い日本人である。健康的に日焼けしており、いかにも体育会系の雰囲気を纏っている。


 ちなみに、【電拳スタンガン】とはシュウの通り名だ。


「木村さん、坊ちゃんはやめてって言ってるじゃん! ところで、お師匠はいるかな?」


 木村と呼ばれた警備員は「ははは!」と笑った。歯は真っ白である。隣にいる女性の警備員が口を開いた。


「お坊ちゃん。お元気そうで何よりです。社長はおりますよ。中へお入りくださいませ」


 ネームプレートには高橋と書いてある。彼女は黒髪のショートヘアで、前髪はしっかりとクリップで留めている。バスケ部の女子のような外見だが、金蛇警備に所属している以上、凄腕の異人である。


「高橋さんもさ、俺を子供扱いしないでくれよ……。俺、孤児だし、何かこういうのくすぐったいから」


 シュウは頭を掻きながら照れている。笑顔の二人に見送られ、シュウは事務所に入った。


 まず目に飛び込んでくる物は社名とロゴが入ったハイパーテンションと受付である。ロゴは金蛇を模した金色のマークだ。


 受付にタブレットが設置してあり、そこで出入管理をするのだが、それをスルーして通路を進むと、磨りガラスの入り口が見えてくる。シュウは臆することなく部屋に入った。


「お邪魔します! お師匠、いますか?」


 事務所は散らかっているが広い。大きいテーブルが設置してあり、パソコンが並んで置かれている。事務員が三名ほど座り作業をしている姿が見える。


 彼らは電話の受話器を耳と肩で固定し、キーボードを叩いている。何やら忙しそうだ。しかし、社長の姿は見当たらない。


 壁には大きい液晶スクリーンが設置されており、様々な情報が映し出されている。


 部屋の中心がパーテンションで区切られているのだが、その先には更にスペースがある。社長室は一番奥にある。


 シュウの姿に気が付いたスタッフは、皆笑顔で出迎えてくれた。金蛇警備の従業員はシュウとリンに優しい。シュウにはそれが嬉しくもあり、こそばゆくもあった。


 社長室の扉をノックすると、「どうぞ」と返事があった。シュウは扉を開ける。


「お師匠、お久しぶりです!」


 黒色の社長席が部屋の奥の方に設置されている。後ろは大きな窓で室内は明るい。


 手前には来客用のソファーとテーブルが置かれている。壁側にはワインセラーや冷蔵庫があり、中にはワインやウイスキー、ソフトドリンクが入っているのだ。


 社長席には金髪の女性が座っている。年齢は三十代後半といったところだろうか。


 無造作に肩まで伸びた金色の髪が妙に似合っていた。前髪は斜めに流していて片目が隠れ気味であり、シュウと同じ金色の瞳が印象的である。


 気が強そうな顔をしているが、かなりの美人である。


 服装は警備服でもスーツでもなく、通気性の良さそうなエメラルドグリーンのパーカーを羽織っており、中にブラックのタンクトップを着ているのが透けて見えている。


 スタイルの良さが相まって、若干目のやり場に困るファッションである。社長はシュウに気が付くと笑顔になった。


「おー、よく来たね。しゅうちん!」


 ふわっと髪をかき上げて手招きする。テンションが高い。どうやら酒を飲んでいるようだ。パソコンの横にワイングラスが置かれていた。


「その呼び方はやめてくださいよ! お師匠」


 シュウは照れながら答える。


 目の前にいる女性は金蛇警備保障の社長で、名前をランと言う。星の家施設長と旧知の間柄で、シュウとリンの後見人でもある。


 シュウが便利屋を開業する時も何かと世話になった恩人だ。


 ランはシュウと同じエレキ系のエレメンターであり、その実力は氷川で五本の指に入る。彼女は異人街の派閥の一つを担う程、名が知られているのだ。


 通り名を【雷火の女帝フルゴラ】と言い、強大な電気のマナを纏う。シュウは電気の使い方を彼女から習ったのである。


 雷火の女帝は、協会や龍尾も一目置いている存在であった。……が、目の前の女性にその威厳は無い。


 二人はソファーに座って向き合った。秘書がアイスコーヒーを出してくれる。ランの分もあるが、彼女はワインを飲んでいた。


「さてと、しゅうちん。お姉さんに相談事かな?」


 ランはワイングラスをスワリングしながら聞いてくる。オーストラリアのシャルドネというワインを飲んでいるらしい。


 ソファーに寄りかかり、長い足をひょいっと組んでいる。ショートパンツなので、シュウには刺激が強い。


 彼女の大きな金色の瞳で見詰められると緊張する。表情はにこにこしているが、不思議な威圧感がある。対峙しているだけでマナの強さが伝わってくる。


「いや……、別に。何となく会いたくなったというか」


 難しい案件に悩んでいるとは言い出しにくい。思わず言いよどんでしまった。シュウの微妙な表情にランはにっこりと笑う。


「ははーん。さては、りんりんと喧嘩したな? 美人相手に鼻の下を伸ばしたんだろう? りんりんブラコンだからねぇ」


 ランはきゃははと笑った後に一言付け加えた。


「あの子怒らせると怖いでしょう。……物静かなサイコメトリストだと思っていたら、あんた死ぬよ、本当に」


 ワインをぐいっと飲みながら、急に真顔になって恐ろしいことを言う。


「違いますよ! まあ、怒られましたけど。『客の前で妹扱いしないてください……』って。……って、この話はどうでもいいんですよ。俺の妹事情は!」


 シュウは彼女と話しているとペースを乱される。ランにとってシュウは息子や弟みたいなものである。いや、金蛇警備の人間は、シュウとリンを自分の家族のように思っている節がある。


「ふーん。じゃあどうしたのさ? 仕事の話?」


「まあ……、そうですね。ストーカー撃退を命じられたのですが、クライアントが……、その。大物過ぎるというか」


 シュウは目を逸らしながら煮え切らない態度を取る。


「誰? 女の子なんでしょう」


 ランはワインを飲み干すと、目の前にあるアイスコーヒーに手を伸ばした。ワインとコーヒーを組み合わせる彼女の味覚が心配になりながら、シュウは答える。


「いや……、守秘義務がありまして。言えないのですが」


「はぁ? しゅうちん。それじゃアドバイスのしようがないよ」


「あ、そうですよね。すいません」


 しばしの沈黙の後、シュウが口を開いた。


「今人気の……、異人のアイドルなんですよ」


 シュウの話を聞き、ランは大きい目をぱちくりさせている。事情を察したようだ。


「……ほう? なるほどねぇ」


 二人して、ズズゥ……とアイスコーヒーを飲み干す。窓に目をやると今日も快晴であった。ランはタンッとグラスを置くとシュウに問うた。


「ん? 守ってあげればいいだろ。何を悩んでるのさ。単細胞のあんたらしくもない」


「だって、カリスですよ? やべ、言っちゃった。……とにかく、失敗した時のリスクがでかすぎます。異人と普通人の確執になり得ます! 金蚊かなぶんもようやく軌道に乗ってきたのに危ない橋を渡るのもどうかと思いまして」


 その時、ランにバシッと頭を叩かれた。女帝の手刀は速すぎて回避する余裕も無い。


「いって! 何するんですか? お師匠!」


 シュウは頭をさすりながら非難の声をあげた。本当に痛かったが、逆らうことは許されない。


「あんたさぁ! ガキが守りに入ってんじゃないわよ! ばかでかい案件クリアして、富と名声を得ようとは考えないの? 挑戦しなさいよ! 挑戦!」


「だって、リンもいるし! 仕事を失うわけにはいきませんよ」


「りんりんを言い訳に使うんじゃないよ、情けない! あの子はね、あんたに守ってもらおうなんて、これっぽっちも考えてないわよ! あんたを支えたくて施設を出たんだろ!」


 もう一度パシッと頭を叩かれた。しかし、今度は手加減してくれたようだ。叩かれたのか撫でられたのか、曖昧な感触であった。


「しゅーちん。悩んでいる時点でもう答えは出ているのよ。そもそも挑戦する気が無い人間は悩まないんだから」


 ランはシュウの額を指差した。


「あ……」


「今日、その子のことを十回以上考えた?」


 十回どころではない。朝から考えてばかりである。情けないことにすっかりペースを乱されてしまっている。


「例えば、あんたが依頼を断って、その子が事件に巻き込まれたら、あんたは誰を憎むの? 無関係の通行人? それとも警察?」


 ランの言うとおりである。


――もし、シャーロットに何かあった時、自分は誰を許せず、誰かを恨むのだろうか。


 答えは分かりきっている。恐らくシュウは依頼を断った自分自身を許さないだろう。彼女を見捨てる覚悟があるなら、最初から悩んだりはしないのだ――。


 シュウはもやもやしていた気持ちが、晴れていくのを感じていた。


「彼女に何かがあった時、責めるなら自分にしなさい。他人の責任にするんじゃないよ。なぁに、その時はお姉さんも一緒に背負ってやるからさ」


「……お師匠」


 ランはシュウの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「直感に従って選択しなさい。しゅーちん」


「分かったよ、ありがとう」


 シュウは席を立った。もう迷うことはない。全力で依頼を受けよう。


「今日はありがとうございました。失礼します」


 部屋を出ようとするシュウに、ランは一声掛けた。


「もし人手が足りなかったら、木村と高橋を出向させよう。これはお姉さんのサービスだ。タダでいいよ」


 シュウはウイスキーを一気飲みするランの姿に呆れながら事務所を出た。出入り口で立哨している木村と高橋に手を振って別れる。


 シュウは何かに悩んだらランに相談をしに行くのだ。兄離れをしないリンと大差ない自分に、思わず「くくっ」と笑ってしまう。


 便利屋に戻ってシャーロットに連絡しよう。シュウの足取りは軽かった。

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