第十七話 金蛇警備保障
東銀より北東に進むと、一宮通りと呼ばれる巨大な異人街がある。
東京の歌舞伎町を彷彿とさせるこの地域は東銀より治安が悪い。異人同士の縄張り争いが絶えず、複雑な勢力争いが存在する。
一宮は超高層ビルが建ち並ぶ区域と、旧市街が混在するエキセントリックな街並みであった。
シュウは店を閉めて一宮通りを歩いていた。その表情は暗い。今日は金蚊の甚平ではなく、ホワイトパーカーと黒デニムを身に付けている。
シャーロットのヒアリングから一日経っていた。
彼女の話は、よくあるストーカーの案件に似通っていた。誰かの視線を感じる、妙なメールが届く、花束が届いた……。カリスはSNSでも頻繁に活動しているので、身バレのリスクは常にある。
昨日話して、シャーロットはかなり「おっとり」しているように見受けられた。ネットストーカーが本気を出せば住所くらいは割り出す可能性がある。
しかし、シャーロットは自分が「カリス」だと特定されることを、大して気にしていないようにも見えた。彼女が不安に思っているのはメールの内容であった。
――親愛なるカリス様。私はあなたのファンです。あなたに暗闇が迫っています。私があなたを守ります。――
確かに不安を煽る内容である。意味も分かりづらい。
特に分からないのは「暗闇」という表現だ。「危険」ではなく「暗闇」。この言い換えにこだわりを感じさせる。仮に犯人が異人だとして、異能に関連するワードなのか……。
何か深い意味があるように思えてならない。
(まあ、このケースだと、シャーロットさんと恋人の振りをしてデートをしていれば、犯人が俺に襲いかかってきそうな気がする。それを叩きのめして、すぐ終わるかもしれん)
◆
一宮通りを歩いて行くと、飲み屋や風俗店、様々なテナントが入った雑居ビルが目立つ場所にさしかかった。
「シャーロットさん、ちゃんとホテルで大人しくしているかな。何か心配だよな、あの子」
シュウは今日何度目かの溜息をついた。十六年の人生で、あれほど可愛らしい女性に会ったことがなかったシュウは、すっかりペースを乱されていた。
視線を上げると、四階建ての雑居ビルが建っている。
赤煉瓦で一見お洒落に見えるが、かなり老朽化が進んでいる。二階には[
すなわち、シュウが「お師匠」と呼び慕う異人の女性が経営する会社だ。
金蛇警備は異人街に特化したセキュリティ会社である。
施設警備や身辺警護、貴重品の運搬などを請け負う。スタッフのほとんどがストレンジャーであり、敵勢力の異能にも対応できることを売りにしている。
シュウが階段を上がっていくと、事務所の入り口が見えてくる。その両脇には警備員が立哨していた。
「おや、電拳のお坊ちゃんじゃないですか。お久しぶりですね」
警備員の一人が笑顔で話しかけてくる。見たところ、三十代半ばで体格の良い日本人である。健康的に日焼けしており、いかにも体育会系の雰囲気を纏っている。
ちなみに、【
「木村さん、坊ちゃんはやめてって言ってるじゃん! ところで、お師匠はいるかな?」
木村と呼ばれた警備員は「ははは!」と笑った。歯は真っ白である。隣にいる女性の警備員が口を開いた。
「お坊ちゃん。お元気そうで何よりです。社長はおりますよ。中へお入りくださいませ」
ネームプレートには高橋と書いてある。彼女は黒髪のショートヘアで、前髪はしっかりとクリップで留めている。バスケ部の女子のような外見だが、金蛇警備に所属している以上、凄腕の異人である。
「高橋さんもさ、俺を子供扱いしないでくれよ……。俺、孤児だし、何かこういうのくすぐったいから」
シュウは頭を掻きながら照れている。笑顔の二人に見送られ、シュウは事務所に入った。
まず目に飛び込んでくる物は社名とロゴが入ったハイパーテンションと受付である。ロゴは金蛇を模した金色のマークだ。
受付にタブレットが設置してあり、そこで出入管理をするのだが、それをスルーして通路を進むと、磨りガラスの入り口が見えてくる。シュウは臆することなく部屋に入った。
「お邪魔します! お師匠、いますか?」
事務所は散らかっているが広い。大きいテーブルが設置してあり、パソコンが並んで置かれている。事務員が三名ほど座り作業をしている姿が見える。
彼らは電話の受話器を耳と肩で固定し、キーボードを叩いている。何やら忙しそうだ。しかし、社長の姿は見当たらない。
壁には大きい液晶スクリーンが設置されており、様々な情報が映し出されている。
部屋の中心がパーテンションで区切られているのだが、その先には更にスペースがある。社長室は一番奥にある。
シュウの姿に気が付いたスタッフは、皆笑顔で出迎えてくれた。金蛇警備の従業員はシュウとリンに優しい。シュウにはそれが嬉しくもあり、こそばゆくもあった。
社長室の扉をノックすると、「どうぞ」と返事があった。シュウは扉を開ける。
「お師匠、お久しぶりです!」
黒色の社長席が部屋の奥の方に設置されている。後ろは大きな窓で室内は明るい。
手前には来客用のソファーとテーブルが置かれている。壁側にはワインセラーや冷蔵庫があり、中にはワインやウイスキー、ソフトドリンクが入っているのだ。
社長席には金髪の女性が座っている。年齢は三十代後半といったところだろうか。
無造作に肩まで伸びた金色の髪が妙に似合っていた。前髪は斜めに流していて片目が隠れ気味であり、シュウと同じ金色の瞳が印象的である。
気が強そうな顔をしているが、かなりの美人である。
服装は警備服でもスーツでもなく、通気性の良さそうなエメラルドグリーンのパーカーを羽織っており、中にブラックのタンクトップを着ているのが透けて見えている。
スタイルの良さが相まって、若干目のやり場に困るファッションである。社長はシュウに気が付くと笑顔になった。
「おー、よく来たね。しゅうちん!」
ふわっと髪をかき上げて手招きする。テンションが高い。どうやら酒を飲んでいるようだ。パソコンの横にワイングラスが置かれていた。
「その呼び方はやめてくださいよ! お師匠」
シュウは照れながら答える。
目の前にいる女性は金蛇警備保障の社長で、名前をランと言う。星の家施設長と旧知の間柄で、シュウとリンの後見人でもある。
シュウが便利屋を開業する時も何かと世話になった恩人だ。
ランはシュウと同じエレキ系のエレメンターであり、その実力は氷川で五本の指に入る。彼女は異人街の派閥の一つを担う程、名が知られているのだ。
通り名を【
雷火の女帝は、協会や龍尾も一目置いている存在であった。……が、目の前の女性にその威厳は無い。
二人はソファーに座って向き合った。秘書がアイスコーヒーを出してくれる。ランの分もあるが、彼女はワインを飲んでいた。
「さてと、しゅうちん。お姉さんに相談事かな?」
ランはワイングラスをスワリングしながら聞いてくる。オーストラリアのシャルドネというワインを飲んでいるらしい。
ソファーに寄りかかり、長い足をひょいっと組んでいる。ショートパンツなので、シュウには刺激が強い。
彼女の大きな金色の瞳で見詰められると緊張する。表情はにこにこしているが、不思議な威圧感がある。対峙しているだけでマナの強さが伝わってくる。
「いや……、別に。何となく会いたくなったというか」
難しい案件に悩んでいるとは言い出しにくい。思わず言いよどんでしまった。シュウの微妙な表情にランはにっこりと笑う。
「ははーん。さては、りんりんと喧嘩したな? 美人相手に鼻の下を伸ばしたんだろう? りんりんブラコンだからねぇ」
ランはきゃははと笑った後に一言付け加えた。
「あの子怒らせると怖いでしょう。……物静かなサイコメトリストだと思っていたら、あんた死ぬよ、本当に」
ワインをぐいっと飲みながら、急に真顔になって恐ろしいことを言う。
「違いますよ! まあ、怒られましたけど。『客の前で妹扱いしないてください……』って。……って、この話はどうでもいいんですよ。俺の妹事情は!」
シュウは彼女と話しているとペースを乱される。ランにとってシュウは息子や弟みたいなものである。いや、金蛇警備の人間は、シュウとリンを自分の家族のように思っている節がある。
「ふーん。じゃあどうしたのさ? 仕事の話?」
「まあ……、そうですね。ストーカー撃退を命じられたのですが、クライアントが……、その。大物過ぎるというか」
シュウは目を逸らしながら煮え切らない態度を取る。
「誰? 女の子なんでしょう」
ランはワインを飲み干すと、目の前にあるアイスコーヒーに手を伸ばした。ワインとコーヒーを組み合わせる彼女の味覚が心配になりながら、シュウは答える。
「いや……、守秘義務がありまして。言えないのですが」
「はぁ? しゅうちん。それじゃアドバイスのしようがないよ」
「あ、そうですよね。すいません」
しばしの沈黙の後、シュウが口を開いた。
「今人気の……、異人のアイドルなんですよ」
シュウの話を聞き、ランは大きい目をぱちくりさせている。事情を察したようだ。
「……ほう? なるほどねぇ」
二人して、ズズゥ……とアイスコーヒーを飲み干す。窓に目をやると今日も快晴であった。ランはタンッとグラスを置くとシュウに問うた。
「ん? 守ってあげればいいだろ。何を悩んでるのさ。単細胞のあんたらしくもない」
「だって、カリスですよ? やべ、言っちゃった。……とにかく、失敗した時のリスクがでかすぎます。異人と普通人の確執になり得ます!
その時、ランにバシッと頭を叩かれた。女帝の手刀は速すぎて回避する余裕も無い。
「いって! 何するんですか? お師匠!」
シュウは頭をさすりながら非難の声をあげた。本当に痛かったが、逆らうことは許されない。
「あんたさぁ! ガキが守りに入ってんじゃないわよ! ばかでかい案件クリアして、富と名声を得ようとは考えないの? 挑戦しなさいよ! 挑戦!」
「だって、リンもいるし! 仕事を失うわけにはいきませんよ」
「りんりんを言い訳に使うんじゃないよ、情けない! あの子はね、あんたに守ってもらおうなんて、これっぽっちも考えてないわよ! あんたを支えたくて施設を出たんだろ!」
もう一度パシッと頭を叩かれた。しかし、今度は手加減してくれたようだ。叩かれたのか撫でられたのか、曖昧な感触であった。
「しゅーちん。悩んでいる時点でもう答えは出ているのよ。そもそも挑戦する気が無い人間は悩まないんだから」
ランはシュウの額を指差した。
「あ……」
「今日、その子のことを十回以上考えた?」
十回どころではない。朝から考えてばかりである。情けないことにすっかりペースを乱されてしまっている。
「例えば、あんたが依頼を断って、その子が事件に巻き込まれたら、あんたは誰を憎むの? 無関係の通行人? それとも警察?」
ランの言うとおりである。
――もし、シャーロットに何かあった時、自分は誰を許せず、誰かを恨むのだろうか。
答えは分かりきっている。恐らくシュウは依頼を断った自分自身を許さないだろう。彼女を見捨てる覚悟があるなら、最初から悩んだりはしないのだ――。
シュウはもやもやしていた気持ちが、晴れていくのを感じていた。
「彼女に何かがあった時、責めるなら自分にしなさい。他人の責任にするんじゃないよ。なぁに、その時はお姉さんも一緒に背負ってやるからさ」
「……お師匠」
ランはシュウの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「直感に従って選択しなさい。しゅーちん」
「分かったよ、ありがとう」
シュウは席を立った。もう迷うことはない。全力で依頼を受けよう。
「今日はありがとうございました。失礼します」
部屋を出ようとするシュウに、ランは一声掛けた。
「もし人手が足りなかったら、木村と高橋を出向させよう。これはお姉さんのサービスだ。タダでいいよ」
シュウはウイスキーを一気飲みするランの姿に呆れながら事務所を出た。出入り口で立哨している木村と高橋に手を振って別れる。
シュウは何かに悩んだらランに相談をしに行くのだ。兄離れをしないリンと大差ない自分に、思わず「くくっ」と笑ってしまう。
便利屋に戻ってシャーロットに連絡しよう。シュウの足取りは軽かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます