第十六話 異人の歌姫
シャーロット=シンクレアが便利屋金蚊へ来店したのは午後二時頃であった。
カールがかかったライトブラウンの髪をなびかせ、ホワイトのシフォンワンピースを着込み、大きな日傘を差していた。小柄でかなり可愛い女性である。メールを見るとどうやら異人らしい。
シャーロットは店内に入ると、深々とお辞儀をした。
「初めまして、シャーロット=シンクレアと申します。本日はよろしくお願いします」
彼女は異人街ではあまり見掛けない清楚な女性であった。東銀ではなく、ビジネス街の氷川SCが似合う女性である。
シャーロットを前にシュウは緊張した。これまで周りには存在しなかったタイプの女性である。シュウの周囲にいたのは、妹のリンや水商売のママ、密入国のおばさん、施設の女の子達である。
師匠は美人だが、清楚ではない。いわゆる「女子力」に欠けた女性ばかりであった。
目の前にいるシャーロットは前述した女性達に欠けていたものを全て兼ね備えていたのである。緊張するのも無理はない。
シャーロットはにこっと天使の笑顔を振りまいた。シュウは慌てて自己紹介をする。
「あ、はい。私は店長のシュウです。で、こっちが妹のリン。助手をしてもらっています。ああ、すいません、座ってください……。そうだ、お茶出しますよ」
リンは明らかに狼狽しているシュウを見るとフォローを入れる。
「兄さ……店長、お茶は私が出します。店長はヒアリングしながら調査依頼シートの作成をお願いします」
いつもは兄と呼ぶリンだが、何を思ったのか店長と言い直した。彼女は軽く会釈をすると給湯室へ姿を消した。
シュウはシャーロットを見て、エアコンを新調しておいて良かったと考えていた。
見るからに可憐な女性が目の前に座っているのだ。彼女には快適な冷風を提供しないと失礼というものだ。
シュウは場を和ますためにマイチューブで「カリス」の歌を流した。取り敢えずカリスを流しておけば問題はないはずである。
「シンクレアさん。メールは拝見しました。ストーカーの調査をご依頼ですね」
シュウは咳払いをするとヒアリングを開始した。冷静を保つために、敢えて相手の顔は見ずにパソコンに集中する。
「シャーロットで良いですよ。親しみを込めてロッティでも」
シャーロットは緊張しているシュウを見透かして笑顔で言った。女優のようなスマイルに、またもや調子を崩される。どこかで聞いたことがある可愛い声だが、思い出せない。
「あ、そうですか……? では、シャーロットさんと呼びますね」
「はい。シュウさん、よろしくお願いします」
リンは給湯室でお茶を入れながら二人の様子を観察していた。兄に美人が近付くことを快く思えないが、相手は顧客である。ただ、女としての面子があり、シャーロットの前では妹扱いはされたくはなかった。
この複雑な心境をどう処理しようと考えながら湯飲みにお茶を入れる。
シャーロットは十九歳らしい。まだ十五歳のリンにはない美しさがあった。胸の中にもやもやしたものを感じる。
お茶をお盆に乗せて給湯室を出ると、あることに気が付いた。それはシャーロットの視線である。
(……? シャーロット様、兄さんの少し上を見ている?)
一見、シャーロットはシュウの顔を見て話しているように見えるが、よくよく見ると、シュウの頭上に視線が向いている。まるで何かを観察しているようである。
その視線の揺らぎは、時折、精神感応系の能力者が見せる習性を彷彿とさせる。同系統のサイコメトリストであるリンでなければ違和感すら覚えないほどの微かな揺らぎであった。
(――兄さんのマナが視られている? ううん。気のせいかも……)
リンは二人にお茶を出し、席に着いた。ちらりとシャーロットを見ると、彼女はにこりと笑った。とても美人だと思う。少し垂れ目で、鮮やかなグリーンの瞳が相手をドキッとさせる。
シャーロットはリンに対して「例の仕草」を見せない。やはり気のせいだったのかもしれないとリンは思った。
「シャーロットさん、どうして警察や協会ではなく金蚊へ? 俺が言うのもなんですが、あちらの方が金も人員も潤沢かと思いますよ。ストーカー相手だったら行政機関の方が抑止力になるでしょう」
シャーロットはシュウの問いに笑顔で答えた。
「こちらはネットで評判が良いのです。先月、マラソン・エナジーのフィルさんがSNSで宣伝していたのを見たものですから」
フィル=エリソンは先日の誘拐事件の当事者である。娘のソフィアが誘拐されて、金蚊へ依頼に来たのだ。SNS依存症の頼りない「パパ」だったが、思わぬところで役に立ったようだ。
シャーロットの答えに、シュウとリンは顔を見合わせ頷いた。
「それともう一つ理由があります。……私の職業の関係上、警察や協会へは行きたくないのです」
どうやら訳ありらしい。異人街の便利屋へ来る顧客は大抵問題を抱えている。それはこのような美少女も例外ではないようである。しかし依頼を受ける以上は聞く必要がある。
リンが口を開いた。
「私達には守秘義務があります。その理由を教えていただけますでしょうか」
少しの沈黙の後、シャーロットは細い人差し指で、天井に設置されているスピーカを指差した。
「実は私……、今流れている歌を歌っている者です」
シュウとリンはぽかんと口を開けた。
「は? ……と言うと?」
シャーロットは口に手を当て、くすくすと笑った。二人の反応が面白くて仕方がないらしい。
「私は異人アイドルのカリスです。『
十秒の沈黙の後、二人は声をあげた。
「え~~!?」
どこかで聞いたことがある声だと思ったら、毎日マイチューブで聴いていた声だったのだ。いや、それは大した問題ではない。
それより全世界から熱狂されているアイドルが目の前にいることが大問題だ。ある意味、米国の大統領より知名度があると言っていい。
もし任務が失敗したことを考えると背筋が凍る。報酬は高そうだが、リスクも高すぎる。
ダイバーシティのシンボルであるカリスに何かがあれば金蚊は世論から潰される。
いや、異人街の存続そのものが怪しくなる。下手をすれば普通人と異人の内戦に発展するだろう。
「店長……」
リンがシュウの袖を引っ張る。その視線の言わんとすることは理解できる。
「あ、ああ。そうだな。……シンクレアさん。申し訳ない、受けられないっす」
「あら? どうして?」
シャーロットは人差し指を口元に添えて笑顔を傾ける。その表情からは感情を読み取れない。透明感のある笑顔だ。
「報酬なら言い値で構いませんよ。私をストーカーから守ってくださらないかしら……」
「いや、報酬の問題ではないです。リスクが高すぎます。警察か協会に行った方が良いですよ」
シュウは頭を掻きながら、気まずそうに目を逸らす。
「ですから、私は警察にも協会にも行きたくありません。まず、カリスだと知られたくはないのです。大事にすると仕事に支障が出てしまいます」
確かに芸能活動はイメージを売る仕事である。スキャンダルを避ける必要があるだろう。
ストーカー被害がどのように拡大するか分からない今は、異人街の便利屋に依頼する方が良いのかもしれない。
「協会もよくありません。協会に保護を求めるということは、能力を明かし登録して、『特殊能力者』の資格を得ることになります。そうなると色々と都合が悪いのです」
協会から特殊能力者と認定されることのメリットは大きいが、自身の能力を開示するリスクを負うことになる。創作活動を糧としている異人にとっては生命線に関わる問題だろう。
――情報漏洩。このリスクは常に付きまとう。
「店長、シャーロット様の仰っていることは一応筋が通っていると思いますが」
リンがシュウの袖を引っ張る。
リンの言うとおりかもしれないが、おいそれと応じるわけにはいかない。彼女は事を荒立てたくないから、しがない便利屋に依頼しているのだ。
そして気になっていることがある。シャーロットの表情だ。常に「お人形」のような笑顔を浮かべている。何か余裕を感じさせるのだ。
シャーロットはシュウの考えを見透かしたように言う。
「シュウさんやリンさんにリスクはありませんよ。私は世間に素顔を明かしておりません。もしシャーロット=シンクレアが被害に遭っても、『カリス』は関係ないではありませんか。例え、私が死んでも、どこにでもいるつまらない無価値な女が死んだということになるだけですよ」
「……?」
常に笑顔だったシャーロットの口調が若干変化したように感じた。華やかな雰囲気の中に、どす黒い何かが見えたような気がしたが、当の本人はにこにことした笑顔をこちらに向けている。気のせいだったのかもしれない。
話を聞いていたリンが口を挟んだ。
「そうかもしれませんが、カリスさんの事務所やスポンサーが騒ぎ出すのではないでしょうか。先方は身元を知っているはずです」
シャーロットは笑顔で答えた。
「その辺りは大丈夫です。情報は絶対漏らさないと契約しています。それを破るとあちらもそれ相応のリスクを負います。それよりは事務所としても第二のカリスを据えて利権をむさぼる方が得でしょう。だってカリスの正体は不明ですから」
シュウは戸惑いながら答える。
「ま、まあ。確かに」
やはり先程から違和感を覚える。他人が羨むような人生を送っている「カリス」にしては、自分を軽んじる言動が見え隠れする。殿上人にしか分からない苦悩があるのだろうか。
(天使のような笑顔で、結構きついことを言うな……。いや、気のせいかな。何か放っておけない女の子なんだけど、どうしようかな)
「分かりました。一応お話は聞きますが、その上で受けるかどうかを決めます。ご期待に添えない可能性はありますが、よろしいですか?」
シュウの返答にシャーロットは無垢な笑顔で頷いた。
「はい。私の話を聞いていただけますか」
シュウはヒアリングを再開した。バックにはカリスの歌が流れているが、昨日までとは全く違うように聞こえたのであった。
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