第十四話 シャーロット=シンクレア

 シャーロット=シンクレアはアメリカ生まれだが、最近は仕事の関係上、日本に滞在している。年齢は十九歳になったが、既に親元を離れ自立していた。


 特殊な家庭環境だったため、親子関係はかなり悪い。四十代の母親が一人いるが、連絡は取っていない。


 ある事件をきっかけに両親が離婚し、決して埋まらない溝ができた。母との同居生活のほとんどは虐待の記憶である。ネグレクトされながら、郊外の小さなマンションの一室で誰かの助けを待つ日々であった。


 決して幸せではない子供時代だったが、今のシャーロットは常に笑顔である。幼少期、不機嫌な顔をしていると母親に怒られたので、常に笑顔でいる習慣がついたのだ。


 この習慣は社会に出てから非常に役に立った。こちらが笑顔だと、相手の好感度が上がり、物事がスムーズに進むのである。


 シャーロットはかなり可愛い。カールがかかったライトブラウンのロングヘアーで、前髪はセンターで分かれている。目頭に外ハネの前髪がかかっており、明るく活発そうに見えるが、性格はかなりおっとりしている。


 瞳は明るいグリーンで、若干の垂れ目が男心をくすぐるかもしれない。シャーロットは男に「守ってあげたい」と思わせる外見をしていた。


 シャーロットは自身の性質を熟知しており、それを最大限に利用してきた。いわゆる同性からは嫌われるが、異性からは好かれる女の子である。この「スキル」は親元を離れてから大いに役立った。


 おっとりしていて、異性に興味がなさそうに見え、実はあざとく計算している……、そのような女であった。


 現在、シャーロットは海上都市のホテルに滞在している。年々激しくなる異常気象が原因で、一部の人間は空中都市、海上都市、地下都市へ移住を開始している。


 勿論、それらの都市は家賃が高く、必然的に富裕層が集まっている。大衆や異人は地上で暮らしているのが現状である。


 十九歳のシャーロットの年収は日本円で五億である。若くして資産を築いたが、本人の口癖はネガティブなものだった。


「本当に……くだらなくて無価値な世界。早く終われば良いのに……」


 彼女は独りになると、愛くるしい笑顔とは正反対の言葉を紡ぐ。


 シャーロットはこの世界に、自分自身に価値を見出してはいなかった。


 鮮やかなグリーンの瞳には何も映っていない。彼女は透明の笑顔を振りまきながら、自分がとてもつまらない女だと自覚していたのである。


 海上都市の人口は約五万人だ。直径が五千メートルの人工島に高さ千百メートルのタワーが建っている。魚の養殖、畑、タワーの中の植物工場により、完全自給自足を目指しているが、まだ百パーセントではない。


 タワーには住宅ゾーン、オフィスゾーン、商業ゾーン、空中庭園等がある。シャーロットは商業ゾーンのホテルに滞在している。窓から大海原が見える良い部屋だ。


 ホテルは商業ゾーンの中でも上層に位置しており、絶景が拝める。海上都市はいくつもの人工島が連結されており、そびえ立つタワーが遠くに霞んで見える。


 一つの人工島に約五万人の人間が居住している。青空には沢山の海鳥が飛んでいて、タワーの遙か下には畑と森が見える。ここは海の上に居ながら自然を堪能できる人工島である。


 海上都市は食糧の自給自足、廃棄物ゼロ、再生可能エネルギー百パーセントを目指す環境未来都市であった。


 約一ヶ月前にはマラソン・エナジー役員のフィル=エリソンが宿泊に来たらしい。


 その時には水門重工みなとじゅうこうの役員と令嬢が同行し、ちょっとしたイベントが開かれたようだ。この海上都市の開発には水門重工が関わっているからだ。


 水門重工の令嬢である高原雨夜たかはらあまよは、まだ小学生だが、メディアへの露出が多く有名人である。トレードマークは黒髪のツインテールと和服だ。


 幼い外見と品のある大人の立ち振る舞いがギャップとなり人気が出た。シャーロットとは異なり、若干のつり目で気が強そうな顔をしている。


 実物を見てみたかったが、残念なことにシャーロットが海上都市に来たのは、そのイベント後であった。


 高原雨夜は自らを異人と公表し、協会と連携して、異人の保護に尽力している。シャーロットは彼女に興味があった。


(まだ子供なのにしっかりと使命を持っていて凄いですよね。私みたいに、無価値な人間には想像もできない……)


 シャーロットが高原雨夜に興味がある理由は、自分が異人だからだ。彼女は八歳で異能に目覚めた。極限状態で相手の顔色を伺っているうちに、他人の「マナの色」が視えるようになった。


 マナは二十種類ほどの色があり、人の性格によって変わる。まずベースの色があり、その色の濃淡や濁り具合で精神状態が分かる。


 しかし、身を守るためにはこの能力だけでは足りず、シャーロットは自分のマナの色を変える術を覚えたのだ。


 相手が「このマナの色」を好むから、自分を「このマナの色」に変える。シャーロットは<擬態>をするようになり、性別に関係なく周囲から好感を持たれるようになった。


 ただ、他人の感情を手玉に取り、成功を収め、莫大な富を築いていくうちに、自分自身が消えていくような奇妙な感覚を覚えるようになる。


――本当の私は? どんな性格だったっけ。


 いくら問うても返事はない。くだらない無価値な世界に無価値な自分が存在している。それだけのことである。


 彼女は身支度を始めた。午後には海上都市を出て、陸へ戻る予定だ。行き先は日本最大の異人街、氷川東銀座である。


 フィル=エリソンがSNSで東銀の便利屋を紹介していたのを見たのだ。


(え~と……、確か便利屋金蚊べんりやかなぶんだったよね)


 最近のシャーロットはストーカー被害に悩んでいた。海上都市へは観光ではなく避難に来たのだ。この数ヶ月間、誰かに尾行されたり、変なメールや手紙が届く。花束が届くこともあった。


 滞在先のタワーマンションはセキュリティが高いので、部屋まで侵入されることはないが、徐々にストーカーとの距離が狭まっているように感じる。


 彼女はメールの内容が気になっていた。誰にも知られていないはずの「事実」が書かれているのである。


――親愛なるカリス様。私はあなたのファンです。あなたに暗闇が迫っています。私があなたを守ります。――


 シャーロット=シンクレアの正体は、今大人気の異人アーティスト「カリス」である。年収五億は芸能活動で得ているのだ。マイチューブのチャンネル登録者数は八千万人を超える。


 素性は明かしていないが、異人を公表していること、協会に登録せずにストレンジャーの立ち位置を守っていることで異人、普通人の両人種に人気がある。


 しかし、素顔を明かしていないとは言え、事務所に在籍しているし、企業と契約をする際は先方と顔を合わせる。


 ライブの時は観客から姿が隠れるようにセッティングされているが、一番前の席からは希に見えるようであった。


「カリスの顔バレ!」と題するネットニュースが毎日アップされるが、今のところ自分の画像はない。……が、確かに似ている画像はある。


 ただ、例え本物の画像が出回っても本人が認めなければ仮説の域を出ない。シャーロットはそれで良いと思っていた。


(百歩譲って、顔は良いとしても……、住所は嫌ですよね。花束贈られるのは引くなぁ)


 シャーロットは「あ~あ」と溜息をついた。悩んでいるのだろうが、笑顔が癖になっている彼女は、どこかのほほんとしているように見える。


 シャーロットが日本に滞在している理由はいくつかある。


 まず、日本のアニメが世界で大人気であること。彼女が主題歌を歌うアニメは、どれも大ヒットすると言われている。


 そして、自分が異人であること。日本は世界で初めて異人を公認し、法律で保護した国である。国が総出で異人のイメージアップを図っているので、両人種で人気のあるカリスの需要が高い。


 つまり、日本は稼げる国なのだ。


 また、比較的異人差別が少ないので、異人というだけで来日する者も多い。「異人になったらまずは日本語を覚えろ」という言葉が常識になりつつある。


 これが異人街に住む外国人の日本語習得率が高い理由である。勿論、シャーロットも日本語は堪能だ。


 最近はアプリの同時翻訳機能が優秀で語学習得は必須ではないが、話せるだけで好感度が変わってくるので、日本に長く滞在するなら日本語は話せた方が良い。


 シャーロットは便利屋金蚊のホームページをチェックした。どうやら店長とスタッフは異人らしかった。きちんと公表しているので信頼できそうである。


(シュウさんとリンさんですか。中国系の人かしら。私より若いのにお店をやってるって凄いなぁ)


 店の住所を確認すると、氷川駅東口から徒歩で五分程の位置にあるようだ。シャーロットはその付近のホテルを探した。事件が解決するまでは氷川駅付近に宿泊するつもりだ。


「『すい』ってホテルにしようかな。部屋が奇麗……」


 シャーロットは身支度を調えた。


「さて、ランチしてから行こうっと」


 最後に海上都市の名物であるシーフードレストランに寄ってから陸に戻ることにした。シャーロットはストーカーの存在を忘れたかのように軽い足取りで商業ゾーンの飲食店街へ向かったのだった。

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