第二章 異人の歌姫 <異人の歌姫編①>

第十一話 白石武彦

 白石武彦(しらいしたけひこ)は埼玉県の川成市(かわなりし)に住む三十八歳の男だ。


 中肉中背で、黒縁眼鏡をかけている。服装はいつも白いワイシャツに黒いスラックスだ。茶色のくせ毛で、顔は青白い。右目の下にホクロが一つある。


 いかにも神経質そうな外見をしている。人付き合いは少なく、趣味はガンシューティングゲームである。


「ショット! ショット! ……よし。今日も良いスコアが出ました」


 白石は引き籠もってネットゲームに勤しんでいる。それが一段落するとマイチューブでカリスの音楽を流した。


「……さて、今日もカリスちゃんの情報をチェックしますか」


 彼は大学を卒業してから八回の転職を経験した。


 学校の成績は優秀で、職場でも有能だったが、人間関係でつまずいた。上司や同僚の考えていることが分からない。良かれと思ってやったことが、ことごとく裏目に出る。


 白石自身は優秀だったため、最初は周囲に問題があると思っていたが、六回目の転職の辺りで、「私に問題があるのか……」と気が付いた。それから転落までが早かった。精神病を患い、障害者手帳をもらった。


 その後は入退院を繰り返し、福祉事業所を転々とした。症状が落ち着くと一般企業に戻ったが、しばらくすると人間関係に悩み、退職することになる。


 九社目の職場を退職してから、無職となり自宅に引き籠もった。


(無能な周囲に合わせられない。私の優秀さが、私を引き籠もらせているんですよ。何て皮肉な話だ……)


 白石の歪んだ劣等感は日に日に大きくなっていった。自分が社会不適合者……その可能性が脳裏にちらついている。


「自分は社会に必要ない」と本気で考えていた時に、マイチューブで異人アーティストの歌を聴いたのだ。


 チャンネル登録者数が八千万人を超える「カリス」の旋律は、心を病んでいた白石の生傷を癒やしたのである。


 それからはカリスが白石の生活の中心となった。幸いこれまで働いて得た貯金と障害年金が支給されていたため、生活に困ることはなかった。


 カリスは素性を明かさないアーティストだが、仮想空間ではアバターでコミュニケーションを取っていた。


 カリスのSNS更新頻度は高く、白石は全ての投稿を細かくチェックした。彼女が投稿する煌びやかな夜景、お気に入りのケーキ、読んでいる本――。


 それらを分析してブログに書いた。表面上は一線を越えず、あくまでもファンサイトとして運営し、広告収入を得ていた。


――とにかく彼女の全てを掌握したい。それが彼の生きる意味となった。最初は純粋な「憧れ」だったが、それが歪んだ「執念」に変容するまで、大した時間はかからなかった。


「さてさて、カリスちゃんのSNSは……。ん? 今日の更新はまだ……か。最近、ちょっとペースが落ちていますね」


 白石の部屋は几帳面に掃除が行き届いている。物が少なく生活感のない部屋だが、カリスのグッズは多数あり、それらはしっかりと整頓されていた。


 遮光カーテンを閉め切っているので、今が朝なのか夜なのか分からない。日の光をここ一ヶ月は見ていなかった。


「えーと、今は……。ん? 朝か」


 白石はパソコンで時刻を確認した。


「カリスちゃんは異人(いじん)を公表しているけど、その異能は謎ですね。おそらく精神感応系の能力だと思いますが……。協会(トクノー)に登録していないことが異人だけでなく普通人(ふつうじん)の支持を集めた理由です」


 白石は無表情で独り言を言っている。疲れた顔をしているが、目には暗い炎が宿っていた。


 白石が住む川成市は埼玉県の南部に位置しており、東京が近い立地である。東銀ほどではないが、川成も異人が多い。


 川成はゲリラ豪雨が降ると河が氾濫し頻繁に水没する街でもある。


 白石はネットの天気予報をチェックした。川成では天気予報が必須のツールだ。


「今日の天気は……晴れか。ん? 午後はゲリラ豪雨の可能性あり……か」


 川成の地下と地上を繋ぐ通路には巨大な防水扉があり、それは八十メートルを超える浸水にも耐える代物である。エネルギー問題を解決した地熱発電に続き、水門重工(みなとじゅうこう)が世界に誇る技術だ。


 近い将来に水没すると言われている川成市だが、地上都市はまだ栄えている。


 勿論、人が生活しているのは雨の度に水没する海抜が低い場所ではなく、乱立している中層建物群である。


 しかしそれは海抜が低い部分は役所のガードが甘いと言うことを意味する。この辺りは中国系の組織である龍尾(ドラゴンテイル)が縄張りとしており、治安が悪い。


 白石はカリスのSNSをチェックしながら、無表情だった顔を少し歪め、溜息をついた。


「最近のカリスちゃんはちょっと危ういですね……。私が守ってあげないと」


 彼は既にカリスが日本にいることを知っている。彼女が頻繁に氷川東銀座へ赴いていると情報がある。東銀の活気は創作意欲を高めるとSNSで発信しているのだ。


「さて……と。雨が降る前に出かけますかね」


 そう呟いた白石は一ヶ月ぶりに外へ出た。今日も三十度を超える暑さであった。

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