第九話 二つの事実

 シュウとリンは事務所の応接間にいる。時計の針は午後四時を指している。ゲリラ豪雨の中、走ってきたので疲弊していた。


 目の前のソファーには、誘拐事件の被害者であるソフィア=エリソンが寝ている。


 多量の返り血を浴びていたが、豪雨で洗い流されており、リンがタオルで拭くと一応奇麗になった。


 服だけはどうにもならなかったので廃棄し、今は金蚊かなぶんのユニフォームを着せている。金蚊のロゴが入った青柳色の甚平である。


 血で真っ赤に染まったワンピースを父親のフィルに見せるかどうか迷ったが、二人で話し合った結果、廃棄することにした。


 先程、フィルに連絡をしたので、程なく迎えに来るだろう。フィルは歓喜のあまり、二万ドルに色をつけて三万ドルを払うと約束した。ありがたい話である。


 黒いスツールに座って麦茶を飲みながら、シュウはリンに話しかけた。


「リン、サイコメトリーで読み取れた情報は、憎悪と恐怖だったな? それ以外に何か映像はえなかったか?」


 カエルを模したアニマルスツールに座って麦茶を飲みながら、リンが答えた。


「はい、兄さん。特に憎悪が強くて……。その他の情報は破損していました。申し訳ありません、私は生粋の『サイコメトリスト』ではありませんので……」


 リンは<サイコメトリー>を使えるが、それは複数持つ能力の一つに過ぎない。


 基本的に異人は一つの能力を使う。その場合は「シングル」、二つの能力を秘めた異人は「ダブル」、三つは「トリプル」と呼ばれる。


「気になったんだけどさ、『憎悪』って誘拐犯と被害者のどちらが抱く感情だ? 少なくとも犯人側ではないと思うんだよな。身代金が目的で私怨ではなかったわけだし」


 リンはシュウの言葉に頷きながら答える。


「そうなるとソフィア様が抱いた感情が『憎悪』、犯人側の感情が『恐怖』ということになります。……、でもそれっておかしくないですか」


 シュウは溜息をつきながら答えた。


「そうだなぁ。ただ……、意識を取り戻さないソフィアちゃんの様子を見ていると……ね」


 彼は何かが引っ掛かっていた。そう、せないのだ。何かがおかしい。


 異人は無制限に異能を発動できるわけではない。異能を使うと術者にそれ相応の反動が生じるのである。


 まず、エネルギー源となるマナは有限である。使えば無くなるものだ。それが原因でマナの奪い合いが起こることすらある。


 異能を使うと術の反動が「はいマナ」として排出される。排マナは、所謂マナの絞りかすで、質の悪いものである。これが増えると環境に悪い影響を与える。


 そして排マナは時間が経つと「ダークマナ」に変化すると言われている。ダークマナは生物や自然に有害だ。ダークマナが正常なマナに還元されるまで百年から千年かかると言われているのだ。


 排マナやダークマナが異常気象の原因の一つと唱える研究者が存在するくらいである。


 発動した能力の規模が大きい場合、その反動は排マナだけではカバーできず、術者に返ってくるのだ。端的に言うとキャパオーバーである。


 その上で「排マナ中毒」となると意識を失っても不思議ではない。


 シュウはソフィアが目を覚まさない原因が排マナ中毒であると睨んでいた。


 しかし、その場合、二つの重い事実がのしかかってくる。その事実をフィルが受け止められるとは思えない。


 まず、ソフィア=エリソンは異人であること。何かしらの理由でソフィアは激怒し、激情に駆られたまま異能を発動してしまった可能性がある。


 それは恐らく<サイコキネシス>である。サイコキネシスは<テレキネシス>と似ているが、遠隔で物体を操作するそれとは異なり、対象に直接、物理的作用をもたらす能力だ。


 前者の方がより攻撃的であると言える。


 そして二つ目の事実。ソフィアが三人の命を奪ったこと。


 彼女はだいの大人を吹き飛ばした能力の反動で、今眠りについている。


 未成年であることと、特殊な状況から正当防衛になる可能性があることが、救いかもしれない。


 子供の親殺しの事例は世界に沢山ある。無垢な子供が、無邪気に大人を殺害することはあるのだ。


 約十年前に、虐待された異人の子供が感情のままに能力を発動し、母親を刺傷する事件が日本でも起きた。


 その事件が原因で異人の存在が公認となり、特能法が制定されたのである。ソフィアの件は状況が違うが、似たようなケースだと言えるだろう。


「リン。フィルのおっさんに何て言おうかな」


 シュウと同じ疑念をリンも抱いていた。


「私達の任務はソフィア様を救出することです。それ以外のことは知りません」


「……だな」


 フィルには伝えないことにした。現場を見ていない二人の憶測に過ぎない。軽々と口にしていい言葉ではなかった。ソフィアの人生はこれから始まるのだから。


(俺が何も話さなければ大丈夫だ。警察ごときではこの事実には辿り着けない。ただ気になることがある)


 シュウはアパートの一室で見た黒い人影を思い出していた。あの時、一瞬だが黒髪と黒い服が見えたような気がした。奴は何者だろうか。


「あ、あの……あなたは?」


 どうやらソフィアが目を覚ましたようだ。ソファーからソフィアがシュウを見上げていた。フィルに似て整った顔立ちをしている。可愛らしい西洋人形のようだ。


 若干生意気そうに見えるのは、フィルに甘やかされているからだろう。


 いかにもお嬢様のような風貌だが、大衆的な青柳色の甚平が、その雰囲気をちぐはぐにしている。


「目が覚めたんだ。俺はシュウ。フィルのおっさんから君を助けて欲しいと依頼された便利屋だ。そっちに座っているのが俺の妹。リンだよ」


 リンが軽く会釈をすると、ソフィアは半身を起こした。


「ありがとうございます。無事に帰ってこられたのは、シュウ様のお陰です」


 どうやらソフィアも父同様、日本語が話せるようである。


「いいって。それにリンも君を背負ってくれたし、俺だけの手柄じゃないさ」


 心なしかソフィアの頬がピンク色に染まっている。隣に座っているリンの眉間に一瞬シワが寄ったが、すぐに消えた。


「君はいつ能力に目覚めたんだい? フィルは知っているのか?」


 ソフィアは首を横に振った。


「もうご存じなのですね。そうです、私は九歳の頃に異人になりました。母が亡くなった年です。母との最期の会話が……、原因だと思います」


 異人には二つのタイプがいる。先天的な異人、つまり遺伝による能力の継承。


 そして後天的な異人。「何か」がきっかけとなって能力に目覚めるタイプだ。実は後者の比率の方が高いのである。


 原因は不明だが、大きなストレスがトリガーとなることが多いと言われている。特に思春期の子供に多いらしい。


「君は自分が何をしたか覚えているかい?」


 シュウは今回の事件の核心を突いた。ソフィアはけろっと答えた。


「はい。私は誘拐犯を殺しました。悪い大人だったので。当然じゃないですか?」


 ソフィアは笑顔である。そしてやはり頬をピンクに染めている。能力の反動で熱があるのか、それとも単に照れているのか、シュウには分からない。


 ソフィアの悪びれない態度にシュウとリンは顔を見合わせた。本人が気にしていないのならそれで良いと思った。罪悪感から自害でもされたら、後味が悪いからだ。


 ソフィアはじっとシュウを見詰めている。


「何? フィルならもうここに来ると思うぜ」


 深く溜息をついてソフィアは言った。


「シュウ様。お強いのですね。私、寝ていましたけど、シュウ様の力強いマナは感じておりました」


「あ? あ、ああ。それはどうも」


 美少女に見詰められ、シュウは目を逸らした。横でリンがその様子を見ている。無表情だが、時折、眼光が鋭くなる。


「シュウ様」


「あ、はい。なんでしょう」


 ソフィアはシュウの手を取り、うっとりとした表情で言葉を紡ぐ。


「シュウ様のマナを感じた時、胸の奥がビリッとしました。頭の中を金色の妖精が飛んだような気がしました。これは恋かもしれません」


 そこで我慢していたリンが口を挟んだ。


「兄さんはエレキ系のマナを纏っているので、恋ではなくて単に感電しただけだと思いますが? 妖精云々の話はただの夢かと」


 リンはそう言うと、二人の間に入り、ソフィアの手を軽く払った。


 ソフィアは不機嫌そうにリンを見た。


「さっきから気になってたけど、あなた誰? 何歳?」


 ソフィアは急に敬語をやめた。その変貌振りにシュウは驚いた。いや、世間が抱く金持ちのお嬢様のイメージそのままであった。


 リンはソフィアの本性を見抜いていたのか、驚いた様子はない。


「妹ですけど? 兄の話を聞いていました? 先程、紹介しましたよ。十五歳ですが、ソフィア様には関係ないかと」


 ソフィアは手を口に当て、嘲笑して言った。


「私は初めからシュウ様しか視界に入っていなかったもの。十五歳ってオバサンですね。私より。シュウ様が可哀想……」


 普段感情を表に出さないリンが珍しく不機嫌になっているのをシュウは感じていた。それどころか殺気を感じる。兄としてこの場を収める責任がありそうだ。


「まあまあ。リン、大人気ないぞ? クライアントの娘さんなんだから」


「兄さんは黙っていただけませんか? これは妹の面子めんつに関わる話です」


 こちらを見ようともしない妹の態度に、シュウは背筋が凍った。リンが怒ることは滅多にないからだ。


 その時、応接間の外でガラガラッと音がした。そして大きな声が聞こえる。


「ソフィー! いるか? パパが来たよ!」


 飛んで火に入る夏の虫。いや、九死に一生を得た。フィルがガラス戸を開けて店内に入ってきたようだ。


 シュウは応接間を出て、受付へ向かう。そこには必死な顔をしたフィルが息を切らして待っていた。時計は四時半を過ぎていた。色々あって長い一日であった。

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