第五話 電拳のシュウ

 激しい雨がアスファルトを打ち付けてくる。水しぶきで前方の視界が不鮮明だ。警察の包囲網にかかりたくないので、少々遠回りして帰路を急ぐ。


 背中のソフィアはまだ目を覚まさない。単なる疲労ではなさそうだ。


 空に青白い稲光が走り、すぐ右側を流れる芝川しばかわはごうごうと激しい音を立てている。


 左側は空き地と工事現場が続く。その間に背が低い樹木が並んでおり、それらは避雷針代わりになりそうもない。視界を遮るような高い建物はなく、平地が続く。


「リン、速度上げよう。マナを使うぞ」


「はい、兄さん」


 腕力が強い人間は腕に沢山のマナを纏い、足が速い人間は足にマナを纏うと言われる。


 異人が普通人より身体能力が高い理由は、マナを操る技術の差である。本来ならリンは中学生の年齢だが、成人男性を圧倒するほどの力を秘めている。


 速度を上げて走ると、五十メートルほど先に人影が見えた。向こうはこちらを見ているようだ。視界は悪いが一目で分かった。


(――異人どうるいだ!)


 刹那、シュウをめがけて「何か」が一直線に飛んできた。


 首を捻って「それ」をかわすと、すぱっと頬が裂ける。明らかに狙いはシュウの眼球であり、反応が遅れたら失明するところであった。


 シュウとリンの前に男が立ち塞がった。サングラスをかけていて年齢は分かりづらいが、四十代半ばだろうか。


 真っ青な色の髪を後ろに束ねており、頬がこけ、無精ヒゲが生えている。まるで世の中の不幸を背負ったような表情をしており、雨の中で不気味な様相を呈している。


 黒い上下のジャージを身に付け、手には何も持っていない。


 シュウは裂けた右頬をさすった。手に血が付くが、豪雨ですぐに流されていく。


(手ぶらか……。なら俺は何を食らったのかな)


 シュウは男から目を離さずに、ゆっくりとソフィアをリンに預けた。


「分かりました。兄さん。ご武運を」


 リンはソフィアを背負うと、二人から距離を取った。青髪の男はちらりとリンを見るとシュウに言った。


「お前か? メイ達を殺したのは。ゴホッ……」


 青髪の男は咳き込みながらシュウを睨み付ける。


「あ?」


「百万ドルを横取りかよ。ゴホッ……。おまけに警察まで呼びやがって。あれじゃ部屋にも入れねぇ……」


 目の前の男はあの誘拐グループの仲間らしい。成る程、もしかしたらこの男がリーダーかもしれない。


 チェンのメールにこの男の情報は無かった。シュウは「三人組の女」と聞いたので、チェンはそれ以上のデータを出さなかったのだろう。


「電話に出ねぇんだよなぁ……。ガキを拉致ってこれからって時だってのに。ゴホッゴホッ。あいつらが裏切るとは思えねぇ。お前が殺したんだよな?」


 シュウは静かに苛ついていた。思えば全てが不可解な事件だった。


 女達の正体。血に染まった部屋。散乱する肉塊。一瞬感じた冷たい気配。意識を取り戻さない少女。そして目の前の男――。


 とても理不尽だ。二万ドルでは足りない。


「まあ、メイ達を誰が殺したか興味はない。おい、そのガキをこっちに渡せ。……ゴホッ」


 シュウは嘲笑しながら、青髪の男に言った。


「ヒゲのおっさん。異人街に来てまだ日が浅いだろ」


「あ?」


 首をこきこきと鳴らしながら、更に続ける。


「結構いるんだよ。異人街で成り上がろうとして即刻死ぬ奴。ちょっと異能いのう使えるくらいで調子に乗るなよ」


「……ゴホッ」


「ほら。メイとか言う人とか? お前もそうだな」


 実際には死体の素性は不明である。しかし、ソフィアが生還した以上、消去法で死体は犯人である可能性が極めて高い。


「異人街をなめるなよ。おっさん!」


 シュウの挑発に呼応して青髪の男が臨戦態勢に入る。シュウとの距離は約八メートルだ。


 益々強くなった雨が二人を打ち付ける。視界はすこぶる悪いが、男の周りの雨が一瞬停止したように見え――、キラッと青く光り、シュウに向かって「何か」が射出された。


(飛ばしているのは『雨』か!)


<雨の針>が三本、滑るように向かってくる。シュウは素早い身のこなしで回避し、男との距離を詰めるが、更に男は距離を取る。どうやら遠距離からなぶるつもりらしい。


 シュウの前後左右から針が襲いかかる。その一撃は重くはないが、これ以上の出血は望ましくない。シュウは流血した右の頬を撫でた。


 リンが少し離れた所で状況を見守っているが、その表情に焦りはない。リンはシュウの実力をよく知っていた。


(あの男……雨を操る? アクア系寄りのテレキネシスですね。雨に何か思い入れでもあるのかもしれません)


<テレキネシス>とは、物体に宿るマナを操作し、遠距離から対象物を動かす超能力である。ポピュラーな異能だが、それを極めた異人は無類の強さを発揮する。


 シュウと青髪の男は再び距離を取った。その距離、八メートル。


「俺はアクア系のエレメンターだ。雨の日でお前に勝ち目はない……ゲホッ」


 青髪の男は咳き込みながらも余裕の笑みを見せた。


「エレメンター」とは元素を纏う異人を指す。正確には元素に宿るマナを操るのだが、この異能を持つ者は少ない。


 大抵は先天的な能力だが、希に後天的に発現するケースもある。


「火」はパイロ系、「水」はアクア系、「風」はエアロ系、「土」はアース系と呼ばれ、それらの系統から派生する能力も存在する。


 シュウは余裕を見せる男に動じることなく言い放った。


「雨の日だけの能力でエレメンター名乗るなよ、おっさん。本物のアクア系はこんなもんじゃない」


「はあ?」


「あんたはせいぜい降ってくる雨を操作するだけだろう。すぐ傍の川の濁流を操るわけでもない。アクア系のエレメンターってのは水のマナを纏っているんだ。俺は本当にヤバイ奴を知っている。そいつなら半径百メートルに降っている全ての雨を一瞬で槍にするぜ」


「いい加減なこと言うな……! ゴホッ。そんな異能なんて聞いたことねぇぞ、ガキィ!」


 シュウは目を瞑りマナを練り始めた。その身体が微かに放電している。


「驚くなよ、おっさん! そいつはリンちゃんより年下の水門重工みなとじゅうこうのお姫様だよ」


 シュウの身体がバチッと青白く光った。


「ふざけっ……」


 青髪の男が雨の針を射出しようと念を込めた瞬間――、青く<発電>したシュウが八メートルの距離を一瞬で潰し、男の眼前にダンッと踏み込んだ。


「うぉ!」


 男は一瞬、シュウを見失い、すぐに眼前に迫る拳に気が付いたが――、もう遅かった。


 天空を走る稲妻のような右ストレートが男の顔面を捉えた。バリバリッと光る青白い電気を握り混み、渾身の一撃<電拳>を叩き込む。


 青髪の男は十メートル程吹き飛び、そのまま意識を失った。


 ぴくりとも動かないが、恐らく死んではいないだろう。頭蓋骨を骨折しているだろうが、異人はマナの恩恵がありタフなので放っておくことにする。


 踏み込んでから一撃を打ち込むまでのスピードは、正に電光石火であった。勝敗は一瞬で決まったのである。


 シュウは五つ目の元素、エレキ系のマナを纏うエレメンターである。前述した四大元素より更に少ない確率で発現する電気を操る異能で、認知度が低い。


 特筆すべきは<発電>することにより向上する身体能力である。相手が中途半端な実力なら文字取り秒殺できるポテンシャルを秘めている。


 彼は金色の短髪と金色の瞳をしている。その特徴が稲妻や東洋の雷神を彷彿とさせた。


電拳スタンガン】のシュウ……。それが彼の通り名である。


 シュウは特殊能力者協会に登録していないため、ギフターではなく、ストレンジャーだが、その実力は前者に後れを取らない。


 距離を取って様子を見守っていたリンは、安堵の表情と誇らしげな表情が混ざった複雑な顔をしていた。リンはシュウに全幅の信頼を寄せているのである。


 彼女はほっと溜息をつき、シュウに近付いた。


「兄さん、お疲れ様です。怪我は大丈夫ですか」


 シュウは大きく背伸びをして答えた。


「問題ない。さっさと帰って二万ドルを頂こう」


 空を見上げると、いつの間にかゲリラ豪雨が止み、遠くを見ると青空が顔を覗かせている。また暑くなりそうだった。


 時計を見ると時間は午後三時を回っていた。


(早くフィルのおっさんに連絡しないと)


 シュウは未だに目を覚まさないソフィアを背負い、リンと共に家路に就いた。

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