第四話 突入

 シュウとリンは犯人が潜伏しているはずのアパートに着いた。空き部屋が多いらしいが、郵便受けを見ると人が住んでいる痕跡がある。


 敷地内のゴミ捨て場は汚いが、定期的に収集されているようだ。民度は低そうだが住人は確かにここで生活している。


 二〇三号室を外から見てみた。赤色のカーテンは閉じられているが窓が開いている。風に吹かれて不気味に垂れ下がった赤い布が揺れている。……何か妙だ。


 シュウとリンは階下の郵便受けに戻ってきた。リンにここで待機するように言い、シュウは目を瞑り頭の中で戦闘のシミュレーションをした。


 チェンから送られてきたデータには物件や大家の情報も書かれていた。さすがに如才ない。


 取り敢えず呼び鈴を鳴らして管理会社と大家の名前を出すか。


 犯人も部屋の前で騒がれると面倒なので、追い払うために顔を出す可能性はある。通報されることを恐れて対応するだろう。


 一瞬でもドアが開けば、この事件は解決できる。彼は接近戦に絶対の自信を持っていた。


 シュウは深く深呼吸をして覚悟を決めた。目を開け、後ろのリンにアイコンタクトを送る。


――しかし、おかしい。一向にフィルから連絡がない。犯人グループは身代金を要求してきたのだから、受け渡しに関する指示があるはずだ。それがないのはおかしい。仲間内で揉めているのか、突発的なトラブルがあったか。それとも――。


 できれば突入前にフィルからの情報が欲しかったが、これも仕方がない。シュウは階段を上がっていった。


 その時、風に乗って遠くからパトカーのサイレンが聞こえた。


 どうやらこちらに近付いてきているようだ。二階の通路から音の方角を確かめると、用水路の向こうから木々の間をパトカーが見え隠れしている。


(……まさか、ここに向かっているのか? 腑抜けた警察がこんな奥地まで? この界隈の連中が通報するほどのことがあったのか? このアパートに)


 嫌な予感がした。それなりに修羅場をくぐってきたシュウの本能が、状況が想像以上に悪化していることを告げた。


(まずい! 警察に踏み込まれたら二万ドルがふいになってしまう!)


 シュウは二〇三号室の扉を蹴破った。敵に情報を与えず強引に踏み込むのもセオリーの一つだ。相手から思考する時間を奪うのである。


 シュウは神速の踏み込みで部屋に侵入した。


(なん……だ? これは)


 部屋に踏み込むと、むせかえるほどの血の臭いがシュウの脳内を麻痺させた。


 床、壁、天井が真っ赤な血で染まっている。窓ガラスは粉々に吹き飛んでおり、サッシの内側には何も無い。


 窓が開いていたわけではなく、窓ガラスが無くなっていたのだ。外から風が吹き込み赤いカーテンが揺れている。


 否、赤いカーテンではなく白いカーテンが血の色に染まっていたのである。


「早くソフィアちゃんを保護しないと――」


 シュウは異様な光景に目を奪われながらも、目的を忘れなかった。これは場数である。


 しかし、室内に人影は無い。足下に「元人間」の肉塊が複数転がっているが、それが犯人なのかソフィアなのか判別できない。


 シュウの能力は戦闘向きで情報収集に長けていない。


(リンにこの現場は見せたくはないけど、彼女の能力が必要だ)


 そう思い、リンを呼びに行こうとした時、何者かの視線を感じた。


(何だ? 誰かに見られている?)


 シュウはもう一度室内を見渡した。当然そこには誰もいない。


 おびただしい血痕以外は、何の変哲もない1kの部屋である。隠れられるようなスペースは無い。


――いや、いる。氷のように冷たい気配を感じる。シュウは息を殺して、見えない者の存在を探り、マナを練り上げ、いつでも能力を発動させられるように臨戦態勢に入った。


 八メートルの間合にいる相手なら一秒で倒せる。


 ひゅうと室内に風が吹き込み、血に染まったカーテンがはためいている。その先のベランダに、黒い髪と黒い服、その後ろ姿が――、見えた。


 シュウはカーテンをかき分け、ベランダに飛び出した。しかし、そこには誰もいない。気配の残り香すら感じられなかった。


(……気のせいだったかな。まあ、いいや。リンを呼ぼう)


 そう思い振り返ると、既にリンが後ろに立っていた。さすがに有能な妹である。


 遠くで聞こえていたパトカーのサイレンが近付いてくる。時間が無い。


「リン、頼む」


「はい、兄さん」


 リンは大量の血痕の前でも無表情だった。その場にしゃがみ、中指の先で血痕に触れる。


<サイコメトリー〈読取〉>


 一瞬、マナの青白い光が室内を明るく照らした。サイコメトリーは物体に宿るマナの残留思念ざんりゅうしねんを読み取る能力である。


 マナは万物に宿るエネルギーであり、強い転移性、伝染性を併せ持ち、あらゆる情報が記録されているメディアでもあるのだ。


「どうだ? リン」


 リンはかなり強い思念を読み取り、そのマナにあてられたようだ。普段は無表情のリンだが、眉間にシワが寄っている。


「兄さん……、これは……。憎悪と……、恐怖が強すぎて他の情報が破損しています」


 パトカーのサイレンがかなり接近している。もう表からは出られないだろう。


 シュウはまだふらついているリンを担ぐと「舌を噛むなよ」と言い、二階の窓から飛び降りた。


 どうやらこれは二時までに終わる案件ではないかもしれない。


 飛び降りた先は砂利道になっており、眼前に雑草が生い茂った荒れ地がある。その向こうは駐車場、朽ちた空き家が続く。


 遠方に見える賃貸マンションのベランダには洗濯物が干してあるので、全くの無人ではないらしい。


「兄さん、もう歩けます。警察が来る前に東銀へ戻りましょう」


「そうだな、フィルのおっさんに連絡入れないと……。ん? あれは」


 目の前の草むらに一人の少女が仰向けに倒れている。伸びきった雑草のせいで見過ごすところであった。


 少女は金色のロングヘアーで青いリボンが付いたカチューシャを着けている。ライトブルーのワンピースを着込んでおり、西洋人形のように整った顔立ちをしていた。


 ここまでは普通の少女と変わりない。では、何が違ったのか。少女は真っ赤な返り血を浴びていたのである。


 さらさらとした金色の髪に、可愛らしい顔に、ワンピースに、血がべっとりと付着していた。少女自身の血なのか、他者のものなのか、判別できない。


「兄さん、ソフィア様です。意識を失っているだけのようです」


 間違いなく彼女はソフィア=エリソンである。フィルがSNSにアップしていた画像の少女だ。


 虎穴に入らずんば虎児を得ず。シュウは二万ドルの使い道を考えた。エアコンを新調しようと思う。


「ああ……、そうだな。取り敢えず、背負っていくよ」


 シュウは上着を脱いで、ソフィアに着せた。返り血が目立って仕方がないからだ。


 このような時、リンがいてくれて良かったと思う。シュウ一人で少女を背負っていると通報されかねない。


 後ろのアパートから警察の声が聞こえる。どうやらあの部屋へ踏み込んだらしい。あの凄惨な現場は、新人警官がいたら昼に食べたランチを吐き出すだろう。


 その時、急に雨が降ってきた。先程まで晴れ渡っていたが、日本ではよくあることだ。


 温暖化の影響で真夏日とゲリラ豪雨が交互に訪れる。この雨があらゆる痕跡を洗い流してくれるだろう。


 シュウとリンはソフィアを連れて足早にその場を去った。

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