第三話 スーツケースの中

 ソフィアが誘拐されて、まだ三十分である。犯人が身代金を要求してきていることから、乱暴はされていないはずであった。


 フィルがSNSにのめり込んでいたため、当時の異人喫茶店内の様子が詳細に撮影されていたことは不幸中の幸いである。


 店内、店員、客層、メニュー、通りを歩く観光客までハイエンドスマートフォンで鮮明に撮影されていた。


 フィルが先刻言った『トイレの扉から一瞬目を逸らすきっかけとなった客席で食器を割ったお客さん』までが写されていたので呆れたものである。


 その女性客は白いフレアスリーブの付いたブラウスを着用し、二人の知人らしい女性と談笑していた。


 フィルとソフィアは二人席で食事を摂っていた。フィルが下座、ソフィアが上座に座っている。問題のトイレはフィルの背後にある。客席からは若干離れているが、トイレまでの見通しは良い。


 フィルはソフィアがトイレに入っている間は、椅子を横向きに座り、カクテルを傾けながらそれとなく様子をチェックしていたようだ。


 リンはパソコンでその画像や動画を見ていてあることに気が付いた。フィルが座った席の前方、食器を割った女性客のグループに、赤いスーツケースを持った黒いタンクトップの女がいる。


 女性がスーツケースを抱えたまま観光しているその様子に違和感を覚える。治安が悪い異人街では些か軽率な行動だ。


「フィル様、こちらの赤いスーツケースの女性が不自然です。食器を割った女性客と同じグループですね」


 フィルは自分のスマートフォンでその女性客を確認した。


「言われてみれば……。あ、そう言えばソフィアがトイレに入った後、彼女達のグループが数人入ったような気がします。でもソフィアより先に出てきたような……?」


 リンは更に動画をチェックする。フィルがオーダーした肉汁うどんを実況付きで撮影している背後に、ソフィアの後にトイレに入った二人の女性客が映し出されていた。


 一人はスーツケースを持った女、もう一人は黄色いチュニックシャツを着た金髪の女である。


 二人は一緒にトイレへ入ったが、先に出てきたのは金髪の女であった。その女はそのまま店外へ出て行ってしまった。


 その直後、パリーンと言う音が鳴り響き、フィルのスマートフォンカメラは、食器を割った女性客へ向けられ、動画は切れた。


「あー。はいはい。丁度良いサイズのスーツケースだね」


 シュウはフィルに推測を伝えた。


「おっさん。多分、娘さんはスーツケースの中に入れられて誘拐されたんだ。食器が割れて目を逸らしただろ。その隙に女はスーツケースを引いてトイレから出て行った。犯人は三人組の女で決まりだな」


 フィルはみるみる青ざめていく。


「あ、あのスーツケースの中に? ……ソフィアが? くそ! 何と言うことだ!」


「そう言えばおっさん。ここに来た理由は店員から金蚊うちを薦められたって言ったよな? そいつガキじゃなかったか?」


「あ……はい。男の子でした。地元の子だと思います、服装からして。便利屋金蚊の店長が優秀な探偵だから、警察よりはそっちに行けと」


「別に探偵じゃねぇし。まあ、でも大体分かりました。そいつは俺の舎弟です。この事件は解決できますよ」


 先程泣き出しそうだったフィルは一瞬で笑顔になった。今鳴いた烏がもう笑うという表現が四十代の男に当てはまるかは不明だが、シュウはそう思った。


 それにしてもフィルは子供の戯言を鵜呑みにしてやって来たのだ。


 彼の未来が些か心配だが、既に莫大な富を築き、社会で成功している男に対して、異人街の片隅で細々と便利屋を営んでいるシュウが言えることは何もなかった。


 それに理由はどうであれ、結果的に警察ではなく金蚊に来たフィルの決断は正しい。運も実力のうちである。この男はこうやって出世してきたに違いない。


「じゃあ、おっさんはホテルで連絡を待ってくれ。ここは閉めていく。二万ドルは後で払ってくれ。犯人からメッセージが来たら俺のスマホに転送してくれよ」


「は、はい! 娘をよろしくお願いします!」


 フィルは深々と頭を下げて、店を後にした。シュウとリンはメトロの駅に下りていくフィルの背中を見送ったのだった。


 異常気象の昨今、地上よりは地下都市の方が発展している。フィルが宿泊している五つ星ホテル「すい」は水門重工のグループ会社が運営しており、地下からのアクセスが便利であった。


 ホテルはセキュリティが高いので、フィルの身の安全は守られるだろう。





 シュウとリンは観光客でごった返す異人街を進んでいく。シュウはうんざりした表情で呟いた。


「……相変わらず凄い人だな、東銀は」


 道の脇にはカラフルなパラソルが立ち並び、新鮮な野菜や見たことのないフルーツ、外来種の川魚や肉類等の食品、生きた家畜、古着、家電製品、どこかで拾ってきたようなガラクタが並んでいる。


 人混みをかき分けながら、シュウは例の舎弟に電話をした。


「おい、チェン! お前だろ? 金髪のおっさんをうちに寄越したのは! 分かってるんだぞ、俺は。誰が探偵だ!」


『やあ、シュウの兄貴。リン姉ちゃんも元気かナ? いやいや、あいつ金持ってそうだったから、喜ばれると思ったんだけどナ? 上客でしょう』


 電話口でやんちゃそうな子供の声が返ってくる。チェンはシュウの弟のような存在である。独自のネットワークを持っており、異人街の情勢に詳しい。今回の誘拐事件も何か掴んでいるに違いない。


「お前、知っているだろ? おっさんの娘を誘拐した女三人のグループを。教えろよ」


『別に良いけど、タダじゃ嫌だネ。報酬は?』


 異人街の子供は金に執着し、抜け目がない。


「日本円で十万やる。それと、さいたま地下街の五郎系ラーメン奢ってやるよ。肉は増し増しだ!」


『いいネ! 取引成立。じゃあ情報はデータで送るヨ』


 子供にはラーメンを食べさせておけば問題ない。これはシュウの経験論だ。ラーメンは中国料理ではなく、日本が世界に誇るソウルフードである。


 電話を切ると間髪入れずにメールが送られてきた。これは前もってシュウの連絡を予測していないとあり得ない速さである。


(……やれやれ。まさかチェンが主犯じゃないよな? 手際が良すぎるぜ)


 メールには誘拐犯の現在位置と素性が書かれていた。カラーズと名乗るチームらしい。


 大胆なことに誘拐犯はまだ異人喫茶の付近に潜んでいる。徒歩で十分ほどのアパートだ。どうやら空き部屋に侵入しているようだ。


 最近は異常気象を回避するため、地下に居住空間が移り始めているので、地上のアパートはガードが甘い。


 居住者も移民や訳ありの人間が多いため、余程のことがない限り通報はされない。それが異人街なら尚更だ。


 犯人グループの主犯格はやはり白いフレアスリーブの女だった。


 名前はメイといい、アジア系の移民である。赤いスーツケースの女も同じくアジア系で名をディアンという。金髪の女はミラという名の東欧系移民である。


 どうやら異人街に来て日が浅いようだ。


 異人がどうかは不明、つまり異能を秘めているかも分からない。単独で動いているのか、バックに組織がいるかも不明だ。


 少々雑なデータだが、短時間でまとめたにしては及第点である。シュウは五郎系ラーメンを大盛りにしてやろうと思った。


(俺の能力は接近戦に強いけど遠距離は弱い。一瞬で間を詰めて決めたいところだ)


 シュウはそう判断した。逆にリンの能力は接近戦と相性が悪い。できればリンは外で待機させて、部屋の中には一人で踏み込みたい。


 シュウはそう考えて、後ろに控えているリンを見た。彼は妹に対して過保護なところがあった。


 件のアパートが近付いてくると、二人は緊張した表情になった。誘拐犯はコーポ木崎の二〇三号室にいるらしい。都合良く隣室は空き部屋である。


 アパートの西側には用水路が流れており、雑草が生い茂っている。生活用水が流れ込んでいるのか、水面に泡が立っている。


 おまけに温暖化による気温上昇で水質は著しく悪化している。草むらには不法投棄されたゴミが散乱しており、お世辞にも奇麗とは言えない。


 完全にスラムと化している。


 周囲は住宅街になっているが、空き家が多そうだ。窓ガラスが割られ、部屋の中に木の枝が侵入している。


 この辺りの地域に住んでいるとしたら、それは世捨て人だろう。


 おかしなことに、このような場所にも郵便ポストがあり、定期的に集荷に来ているようだ。日本のネットワークも捨てたものではないらしい。


 ソフィアが誘拐され、一時間が経過していた。時間は午後一時半である。スムーズに事が進めば二時には解決して二万ドルを得られるはずだ。


 この時、シュウは単純にそう思っていた。

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