第二話 二万ドルの案件
シュウとリンはフィルの話を聞いていた。どうやら異人喫茶で溺愛していた娘が誘拐されたらしい。シュウはフィルに店名を再度確認した。
「異人喫茶ですかぁ。あそこはねぇ……」
異人喫茶は観光客に人気だが、カタギに混ざって反社の人間も出入りしている。しかし、彼等が観光客に手を出すことは少ない。
フィルは顔を青くして事情を話し始めた。
「娘は十二歳だし、トイレには一人で行ける年です。私だってわざわざ同行はしない。トイレの扉は客席からよく見えていたから大丈夫かと……」
「お、おっさん! ここは異人街だよ? 普通人の街と同じ感覚だとヤバイって! ここは日本であって日本じゃないぞ!」
脳天気なフィルの発言にシュウは思わず突っ込みを入れた。この男は本当にガイドブックを読んだのだろうか。
シュウは半ば呆れながら話を聞き、リンはパソコンで調べ物をしながらフィルに先を促す。
「……娘が戻ってこなかったのです。トイレに入ったまま消えてしまいました。店員にトイレの中を確認してもらいましたが、どこを探してもいないのです」
間違いなく誘拐であろう。誘拐犯が異人だったら運が悪い。普通人では対応できない。
異人街で反社会組織と言えば、
規模で言えば中国系の龍尾が大きいが、観光客に手を出すほど
ダークマナ教はDMDと呼ばれる合成麻薬を資金源としている組織だが、その実態は謎が多く目撃証言も少ない。
アルティメット・ディアーナは白人の組織なので、フィルを標的にするとは考えにくい。
消去法で龍王となる。この組織は龍尾から分裂した過激派で、悪いことは何でもやる。誘拐、人身売買、臓器売買等、様々である。
シュウはフィルに問いを投げかけた。
「……おっさん、犯人に狙われる理由とかありますか?」
フィルは首を横に振る。
「分かりません。私に資産はあるが、今日の服装はウニクラのセール品ですし、鞄も持ち歩かなかった。『異人街を歩く時はお金を持っている風に見せるな』とガイドブックで読みましたから」
フィルの服装はアロハシャツで、しかも手ぶらである。育ちが良さそうな雰囲気だけは隠し切れていないが、犯罪のターゲットになるとは思えない。
「フィル様、お嬢様がトイレに入られた後、他に誰か入りましたか?」
今度はリンがフィルに問うた。
「女性の観光客が何人か入りましたけど。皆さん、すぐに出てきました。そう言えば客席で食器を割ったお客さんがいたので一瞬トイレから目を逸らしましたが……」
そう答えるとフィルは腕時計に目を落とし、慌てて席を立った。
「ああ! もう三十分も経ってしまった! 『異人街のトラブルなら警察ではなく金蚊に行け』と言われたから来ましたけど。もういいです! やっぱり警察だ」
ずっとパソコンを見ていたリンが凜とした声でフィルに言った。
「ソフィア=エリソン様は誘拐されました。これは計画的犯行です」
慌てて出て行こうとしたフィルの足が止まった。
「ど、どうして娘の名前を?」
リンは冷静に話を進めた。シュウとは異なり感情を表に出す性格ではないリンは、どのような場面でも論理的に言葉を紡ぎ出す。
「フィル様とソフィア様は三日前から氷川駅近くの五つ星ホテル『水』にご宿泊なさっています。一日目は水没した東京湾岸エリアのクルージング、二日目は新都心市でショッピング。そして本日は異人喫茶でランチをされた後、異能ミュージカルに行かれる予定でした」
フィルは淡々と発せられるリンの言葉に青ざめていく。
「ソフィア様は西洋人形のようにお美しい。本日はウニクラで購入されたライトブルーのワンピースを着ていますね。良くお似合いです」
「な、何故知っているのですか? まさか超能力?」
フィルはリンの発言に動転している。リンはくるっとパソコンの画面をフィルの方へ向けた。
「全てフィル様ご自身がSNSで発言されています」
パソコンの画面にはフィルのSNSアカウントが映し出されている。タイムラインには丁寧に画像を添えて
しかもリアルタイムで発言しているので、犯人側にフィル親子の姿形、行動は筒抜けであったに違いない。自分のSNSを見るのは善人だけではない。犯人グループが随時チェックしている。
「SNSのリンクから企業のホームページへアクセスできますね。フィル様はアメリカの大手エネルギー会社[マラソン・エナジー]の役員に名を連ねています。誘拐犯はこれらの情報から計画的にソフィア様をターゲットにされたのでしょう」
そこまで聞くとフィルは脱力したように席に着いた。その表情に生気が無い。
「そう……ですか。私が犯人に情報を与えてしまったのですね。私のせいでソフィアが……」
その時、フィルのスマートフォンが振動した。メッセージが届いたらしい。
『IF YOU WANT TO SEE YOUR DAUGHTER,PREPARE $1 MILLION.(娘に会いたければ百万ドル用意しろ)』
犯人からの要求である。「警察とトクノーに言うな」とも書いてあった。どうやら誘拐犯はソフィアの携帯からメッセージを送っているようだ。
文章と一緒に縛られているソフィアの画像が添付されていた。意識を失っているソフィアの姿が写し出されている。それを見てフィルは絶望に打ちひしがれた。
トクノーとは特殊能力者協会という組織の略称だ。
世界で初めて設立された「特殊能力者の認定」を行う組織である。特殊能力者保護法(特能法)の制定とほぼ同時期に発足した。
活動は多岐にわたるが、異人の保護や仕事の斡旋、異人街の治安維持、異能訓練校の運営もしている。
トクノーに認定された異人は特殊能力者の資格と、能力の性能に応じてS、A、B、Cの等級が与えられる。特に優れた能力を持つ者は「ギフター」と呼ばれ、様々な特権を得る。
また、未認定の異人は「ストレンジャー」と呼ばれ、ギフターとは区別されており、両者の間には溝が存在するのである。
「ソ、ソフィア……」
――フィルは絶望したように顔を伏せた。
「妻に先立たれ……、私には娘しかいないのです。確かに溺愛していました。『娘を愛して』と……、今際の際に妻が言いましたから」
フィルの目には涙が浮かんでいる。そこでシュウが口を開いた。
「おっさん! 何泣いてんだよ。何のためにここへ来たんだ? ソフィアちゃんを助けるためだろ?」
フィルが驚いたように目を見開いた。もう諦めかけていたのだろう。リンが言葉を繋げる。
「身代金を要求してくる犯人は被害者に危害は加えないでしょう。犯人が悪質なら既にソフィア様は売られているか、臓器売買のため殺されています」
「おっさんは警察に行かず俺の所へ来た。それは正しい判断だ。犯人は『警察とトクノーに言うな』と言っているけど、俺等は関係ない」
シュウはにやりと笑った。歯に衣着せぬシュウの発言がかえって場を和ませた。フィルは少し元気を取り戻したようだ。
「は、はい! 私もできることはします! 百万ドルなんて安いものです」
その言葉にリンの眉がぴくりと動いた。
「おいおい。その百万ドルは犯人ではなく、俺達にくれよな! なあ? リン」
シュウの言葉にリンが呆れたように答える。
「兄さん、それは高すぎます。でも危険が伴う案件ですので……、一万ドルはかかるかもしれません」
リンはちらっとフィルを見た。家計を預かるリンは金額にはシビアである。一万ドルは日本円で百万以上に相当する。
勿論、相手の経済力から妥当な料金を割り出したに過ぎない。実際に危険な任務なので高すぎることはないだろう。
「勿論払います! 前金で一万ドル! 救出できたら更に一万ドル払います! キャッシュで!」
報酬二万ドル。その金額に二人の目がきらっと輝いた。
地獄の沙汰も金次第。フィルは眼前に座っている二人の兄妹に一縷の望みを託した。
まだ幼く見えるが、この異人街で便利屋を経営するその手腕には大いに期待できるだろう。
恐らく彼らも異人なのだから――。
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