第4話 ヒトデナシ

 屍人の倒し方?

 一体何を言っているんだ?

 赤音あかね黒鉄くろがねという老人と、青射あおいの顔を交互に見つめた。

 晩夏の蝉の声が五月蝿い。

 角刈りの白髪に黒ずくめの和装の老爺は、にやりと笑って青射に語りかける。

「頭を潰したり、首を刎ねたりするのは無意味だ。効率が良くない」

 転入届を受け取る日焼けした左手の指が、2本足りないことに赤音は初めて気付く。

「要は、噛みつけないようにすれば良い。首を斬り落とすよりは、梨割りだ。梨割りにしてやれば良い」

 右の手がすらすらと動いて、転入届にやや右肩上がりの文字列を書き込んだ。  

 常世とこよ 黒鉄。

 生年月日で年齢がわかる。

 78歳。

 それにしては、矍鑠かくしゃくとしている。

「屍人っていうのは」

 やや戸惑ったような表情で、みどりが口を挟んだ。

「いわゆる、その…ゾンビとかの、ことですか?」

 黄美華きみかが、横目で緑の丸顔を睨む。余計なことを言うな、と牽制けんせいしたつもりだったが、緑は黃美華に構わず何処かきらきらとした目で老爺を見つめていた。

「ゾンビ? ああ、外国の映画に出てくるやつ?」

 青射が首を傾げる。

「はい! あの、私、好きなんです。最近の映画のゾンビって、走るのが速かったり、生前の記憶があったりで、本当に面白くって」

 緑にそんな趣味があるとは知らなかった。

 黄美華が咳払いしたが、黒鉄はそちらを見ようともしない。ただ、笑って首を振っただけだった。

「あんな活動写真は、ただの偽物だ。何の役にも立ちはしない…いや、間違った情報を植え付けるには、うってつけなのかな」

 黒鉄の言葉に、赤音は戸惑いを隠せない。ゾンビ映画が偽物だって? そんなことは、子どもだって知っている。

「おじちゃん、ゾンビなんか居ないんだよ」

 大人が何も言えないでいる隙に、未就学児の太矢だいやが得意げに口を挟んだ。

「そうかな。今まで生きてきた中で、目に見えるものだけが事実とは限らない。世の中には、大人でも説明の付けられないことがある」

 この老爺は、見た目程健康的ではないのかもしれない。

 赤音は徐々に、そんな疑念を抱き始めていた。

 何しろ、御鬼火舞李村ごきかぶりむらは年寄りが多い。当然、認知症の患者も増加の一途を辿っており、つい先日まではしっかりしていた市民が、いつの間にか会話さえままならなくなっている、なんてことも珍しくはない。

わしを、頭のおかしな老人と思うかね」

 黒鉄は口元に笑みを浮かべたまま、赤音と黄美華、そして太矢を抱き寄せたまま気味悪そうに眉をひそめるシングルマザーを順に見やった。

「だが、事実だ。既に逃げることは叶わん。もうじき、ヒトデナシの夜が来る…」

「あっ!」

 どうにか空気を変えようと、赤音は転入届を持ち上げて大げさに明るい声を出した。

神目無司村かめむしむらのご出身なんですね! いや、遠いところを、わざわざ…」

 御鬼火舞李村が東北にあるのに対し、神目無司村は正反対の遠く離れた土地にある。共通点は同じくらいの寒村というだけで、文化も名物も異なるし、そもそも距離がありすぎて、赤音などは1度も行ったことは無い、のだが。

「母が、神目無司の出身だったんです」

 赤音が、思い出すように言った。

 母は、赤音が18の時に死んだ。

 母の故郷の土を、赤音は未だ踏むことができないでいる。

「そうか、それは奇遇だな」 

 黒鉄が、今初めて赤音に興味を持ったような口調で言った。

「儂の妻も、神目無司の出だ。今は別れてしまったが、ここ御鬼火舞李に居ることがわかってな」

 老爺が俯いて、少しの間黙り込んだ。

「もっと早く来たかったのだが。友人の通夜があったものでな」

 窓の外が、徐々に暗くなる。

 17時30分はとうに過ぎていた。

 おかしい。

 終業時間を知らせるチャイムが、全く鳴らない。鎌銅魔市かまどうまし本庁と連動して、必ず鳴るようになっているのに。

 灰二郎はいじろう支所長は、未だ通じない受話器を握りしめている。

 茶太郎さたろうは苛々した様子で足を踏み鳴らしている。

 桃代ももよが青ざめた顔で瞬きした。

 いつの間にか、青射の姿が窓口から消えていた。トイレだろうか。転入届は彼女の担当では無いので、別に構わないのだが。

 それにしても、場の空気が読めない女だ。

「どういうことだよ」

 しんとした空間を割って、がらがらと耳障りな声が響く。

 赤音達が、一斉に自動ドアの方を見ると。

 白っぽい作業服の若い男が、怒りとも戸惑いとも付かない表情で立ち尽くしていた。

白兎はくと君」

 黄美華が声を上げる。

 雪平ゆきひら 白兎はくとは、赤音たちと同じ、御鬼火舞李総合支所の職員だ。今日は高校時代の仲間と呑みに行くと言って、時間休制度を利用していたはず、だったのだが。

「電車動いていねぇんだよ。意味わかんねぇ…」

 茶太郎に負けないくらい太った腹を揺らして歩く様子は、白い兎と呼ぶには余りに愚鈍だ。

「駅員もやたら少ねぇし、泣いてる市民は居るし…聞いても、運行見合わせ中だって…」

 終業時間を過ぎているとは言え、市民が残っている場での言葉遣いには注意しなければならない。

 だが、赤音は後輩をたしなめることができなかった。

「どういうことよ!」

 自動ドアから、白兎に続くようにして数人の市民が飛び込んで来る。 

「道路が封鎖されてるのよ! 村から出られないの…!」

 電車も駄目、自動車も駄目。

 まさか、いや、そんな。

 赤音は、ずれてもいない眼鏡をそっと押し上げた。

 電話は通じない。

 ネット回線も、メールさえも。

 外部との連絡が取れない。

 残暑が当たり前の昨今、考えられない程の冷気に両腕をさする。

 まさか、いや、そんな、馬鹿な。

 …御鬼火舞李に、閉じ込められた?

「始まるぞ。腹をくくれ」

 黒鉄は呟くと、朱塗りの杖を手に立ち上がった。

 持ち手の握りがT字になっている杖を、黒鉄は刀のように胸の前で構えていた。

「助かりたくば、3度の夜を生き延びろ。噛まれても、死なない限りは仲間にされん。屍人の活動写真は嘘ばかりだ」

 天井の電灯が瞬いた。

 雷のような轟音の後、辺りは暗闇に包まれた。

 次の瞬間、赤音が感じたのは。

 強烈な腐臭と血の匂い、そして空雅 青射の「どらぁっ!」という怒声と、血飛沫の温度だった。

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