第3話 青と黒

 昼休みに来る客はクソ。 

 終業間際に来る客は、もっとクソ。

 週末金曜日の終業間際に来る奴、こいつに至っては、2、3発ぶん殴っても許されるようなルールにしてほしい。

 空雅そらまさ 青射あおいは、苛々しながら窓口に居座るシングルマザーと、頭の悪そうなその子どもを見やった。

 ったく。

 何が太矢だいやだ、道端の石ころみてーなツラしやがって。不細工が不細工なガキ、ぽこぽこ産んでんじゃねーよ。

「青射さんは、どう思う?」

「はい?」

 黄美華きみかに急に話しかけられて、思わず間抜けな返事をしてしまった。

「この広報よ。えらばれました、って、どういう意味だと思う?」

 どうでも良い。

「ただの誤植でしょう。さっき、黄美華さんも仰っていたじゃないですか」

 冷淡だ、と、良く言われる。

 御鬼火舞李村総合支所ごきかぶりむらそうごうししょに異動になって、早半年。皆がすっかり打ち解けているのに、青射だけは態度も表情も言葉遣いも固いままだ。

「でも、スマホが…」

「ここで考えたって無駄でしょう。通信障害なら自然に直るかもしれませんし、そうでなくても待っていればそのうち何が原因かわかりますよ」

 そう。

 時間が存在する以上、永遠に膠着状態というのはあり得ないのだ。

 それが自分達にとってプラスかマイナスかはさておき、いずれ何かは起こるし、何かを知ることはできる。

 どれだけ喚いても物価は上がるし、どんなに気を付けていたって、人が文明を捨てない限り南極の氷は溶け続ける。

 ケ・セラ・セラ。

 なるようにしかならない、というのが青射の持論だし、避けられない何かがあるのなら、その都度対処すればいい。

 そもそも、と、青射はオロオロするだけの職員たちを見て思った。

 電波やら誤植やら以前に、おかしな事ならちょくちょく起こっていただろうが。

 石ころ少年とファッキンシングルマザーに気づかれないよう、窓口カウンターの下でこっそりとスマホを触る。

 相変わらずネット環境には繋がらないが、メモ機能は生きている。

 メモを開いた。

 ここ最近の違和感について、青射はざっくりと文章にまとめていた。


・ここ1週間、転出者が増加中。

 何故か皆一様に怯えた様子。

 遠方の息子、娘に頼み込んで、逃げる    ように出ていく高齢者も。


・役所の窓口で、休みは取れないのか、村を一時的にでも出られないかと執拗に聞いてくる高齢者。

 ラウンジで宿題をやっていた子どもに「出ていけ!」と叫び、守衛につまみ出される。


・↑と似た内容の電話あり。

 暇じゃねーんだから下らないことで掛けてくんな。


・何故か転入者も増加。

 ちょっと目のギラついている人や、ヤ◯ザっぽいの多し。ニヤニヤしながら職員に絡むので注意したら、「今のうちに俺等にコビうっとけよ」だってよ。

 死ねゴミが。


・数日前から守衛さんが挙動不審。

 心配で話しかけたら、泣きそうな顔で「ごめんね」と言われた。


・広報の発行が1週間以上遅れている。理由不明。


・出前をしてくれる食堂の先代が、臨時休業のお知らせを持ってきた。

 別に良いのに、「手前勝手ですいません」と謝罪され、泣き出したので桃代の色ボケババアが色気で宥める。


・副司書長が職員用の廊下にすきくわなんかの農具を山積みにしていた。聞いてみたら、「多分必要だと思うんだよねー」「でも、青射ちゃんは無理かな?」

 何が無理なんだよ理由を言えカス。


・ラウンジの『ご自由にどうぞ』コーナーに置かれた『訪問販売お断り』のシールが、いつもと明らかにデザインが違う。


・『お断り』シールを支所入口の自動ドアにベタベタ貼る婆さん。

 ボケてはいないのか?

 注意すると泣き出す。


・何か諦めたような顔の市民が増えた。

 全員高齢者。

 もう良いから、などと弱音を吐く。

 ボケが進んでご先祖とやらの幻覚でも見たか? でも、全員似たようなこと言ってるぜ?


・急に休みを取る職員。若手。

 婆さんから、この日は絶対に休んで家族旅行に参加するよう言われたらしい。

 お土産にちんすこうを要求。


・広報、ようやく発行。


・副司書長と守衛さんが休んだ。

 総合窓口係のハゲ係長と、他も何人か。

 今日支所に居るのは、

 色ボケ桃代、どブス黄美華、ゴマスリ赤音、緑ちゃん、ハゲデブ茶太郎、お飾り上司の灰二郎、あとはクソデブの…誰だっけ? まあいいや、あの豚野郎だけ。


 青射はメモを全て読み返すと、長い睫毛を伏せてハーッと溜息をついた。

 広報の発行は、昨日。

 最後の分は、今朝書いたものだ。

 違和感は、その更に前からもずっとあった。青射はその度に指摘して来たはずだ。

 だが。

 廊下に積み重なった農具を、茶太郎は「農業委員会か何かに頼まれたんだろ」の一言で放置した。

 デザインの変わった『お断り』シールを、桃代は「梵字みたいなデザイン、格好良いじゃない」と笑った。

 高齢者の異動についても、「そういう時期なんだろ」と軽視し、不可解な言動を指摘すれば、「青射さんも、お年寄りの心配とかするんだね」、少し強く訴えると、「お、生理か?」

 吐き気がする。

 それが、今になって電波が繋がらないだと? 馬鹿も休み休み言え。

 とにかく、このメモから導き出される結論として。

 青射は、5時25分になっても窓口に居座っている、下手くそなタトゥーに赤く傷んだ髪のファッキン・腐れマ◯◯・マザーと太矢ことサノバビッチ君を眺めた。

 挙動不審が目立つのは、圧倒的に高齢者。守衛さんは60代、クソ副司書長と総合窓口のハゲ係長は50代。

 年寄りは、「何か」を知っているが、若者は知らない。


【結論その1】

 高齢者のみを狙った新興宗教、または悪徳業者が隠れていて、この村の年寄りは「今日が何かやばい日」であると洗脳されている。


【結論その2】

 この過疎村は日本から見捨てられており、今日から明日にかけて海外の招かれざる方々が大挙して押し寄せて来る。

 年寄りは病院やデイサービスの年寄りネットワークで事実を知り、怯えている。


 多分【1】だろうが、万が一【2】だと困る。

 『お断りシール』の梵字のような模様も、青射に読めないだけで「帰れ◯◯人」と書かれているのかもしれない。

 だから青射は、ここ数日は早めに職場に来て、駐車場の裏ですきを素振りし、大きめの鞄に軽食や応急セットを忍ばせ、きたる日に向けて準備していたのだ。

 一度緑ちゃんに素振りを見つかってしまったが、彼女は笑うどころか、青射に賛同して付き合ってくれた。

 本当に良い子なのに、他の奴らときたら…。

 自動ドアの開く音で、青射の思考は中断された。

 時計を見ると、5時29分。

 終業時間ぎりぎりになって自動ドアをくぐって来たのは、浅黒い肌をした、白髪の老爺だった。 

常世とこよ 黒鉄くろがね

 低い、だが良く通る声がラウンジに響く。真っ黒な着流しに揃いの黒羽織を合わせ、朱塗りの杖を握った老爺の姿は、田舎の牧歌的な空気には似合わない程の迫力があった。

 窓口のファッキン・マザーが息を飲む音がした。同僚の赤音あかねも黄美華も、顔を見合わせた後で身を硬くする。

「本日付けで、御鬼火舞李村の住民となった」

 黒い着流しの裾を払って、老人は窓口に近付いた。

「さて。お嬢さんは、知っておられるかな」

 他市町村への『転出』や、その逆である『転入』ならば赤音の担当だ。

 慌てて窓口に付いた赤音を無視して、クロガネと名乗った老爺は青射の目をひたと見据える。

「ヒトデナシと呼ばれる、生ける屍人の倒し方だ」

 屍人。

 確かにそう聞こえた。

 赤音がぎょっとしたように目を見開く。

 青射は老爺と目を合わせたまま、ゆっくりと首を振った。


 

 

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