第13話

ウォンイに取り残され、チヤは大人しく自室に戻ってきた。

シュリが気を遣ってお茶を淹れてくれる。


「ありがとう。………僕はウォンイの役には立てないのかな」


ウォンイの態度に落ち込んでしまっているチヤは、暗い顔で独り言のように呟いた。


「チヤ様を思ってのことだと思います。悪評を立てられ、白の人のことも抱えているチヤ様に、これ以上の負担をかけたくなかったのでしょう」


シュリは優しくチヤを元気づけようとする。

と思ったら、急に「ですが!」と声を張り上げた。


「あの言い方はありえないでしょう!チヤ様はウォンイ様を心配しておられるのに!全く、臆病で器の小さいところは子供の頃からちっとも変わっておられない!」


ふん!と鼻息荒く言い切るシュリに、チヤは呆気に取られてしまう。


「このまま大人しく引き下がるのもシャクですね。ここは一つ、こちらも仕返ししてやりましょう」


そう言うと、シュリは部屋から出て行こうとする。


「え?シュリ、どこ行くの?」


突然の行動に戸惑うチヤ。


「ご安心ください。私はチヤ様の味方ですよ」


シュリはウインクしてそのまま部屋を出て行った。



数分後、カダを引き連れてシュリが部屋に戻ってきた。


「シュリ。話というのはいったい?」

「単刀直入に言います。ウォンイ様と何を話されていたのですか?」


ズバッと切り込むシュリにカダが慌てる。


「そ……それは。言えるわけが無いだろう」

「チヤ様がこんなに悲しんでおられるのにですか」


悲しみよりも、むしろ驚きのほうが強くなっているチヤに2人の視線が集まる。


「あ。えっと〜。僕も何を話してたか聞きたいな」

「……チヤ様……たとえチヤ様の願いでも、ウォンイ様の許可なく公務のことをお話するわけには……」

「なら、このままチヤ様とウォンイ様の間に距離ができてもよろしいと?お二人が仲睦まじくおられるように尽くすのも、私達の仕事ではないのですか?」


シュリの甘言にカダは頭を抱える。


「しかし……」

「水不足に関することだよね。悪評が広まってから視察に行けなくなったけど、外の状態はそんなに酷いの?僕は王弟の妃だよ。みんなが苦しんでるなら何かしたい」


その言葉にチヤの妃としての心構えを知ったカダは、覚悟を決めて話しだした。


「……田舎のほうでは作物が育たず、苦しい状態が続いています。まだ飢饉には至っていませんが、いつになれば雨が降るのかわからない状態ですので。民の間で不安が広がっているのです」


終わりの見えない困難というのは、人により多くの不安を与える。


「少し前に行われた豊穣を祈願する祭りに、ある村だけ参加できなかったのです。奉納するはずの作物が病気にやられてしまって。その時は仕方ないで済んだのですが、今になって不安の鉾先がその村に向いてしまいまして。雨を降らせるために生贄を差し出せと、他の村が言い出したのです」


人々の心が限界にきているのだ。

このままでは誰かの血が流れてしまう。


「なんとか食い止めていますが、いずれ暴動が起きるか、その村が生贄を差し出してしまう。問題はその地域だけではありません。他の地域でも何が起こるかわからない状態です」

「………わかった。話してくれてありがとう」


今聞いた話をどう考えるべきか。

カダを下がらせ、チヤは黙り込んでしまう。

今は1人にしておいた方がいいだろうと、シュリもそのまま静かに部屋を出た。




その夜。昼間のことで気まずそうにしながらウォンイが寝室にやってきた。

真顔で黙っているチヤを見て「これは相当怒っている」と恐る恐る声をかけようとしたが、チヤのほうから話しかけられた。


「ウォンイ。みんなの不安の1番の原因はなんだと思う?」


思わぬ言葉にウォンイは一瞬なんのことかわからなくなるが、水不足のことだと気づき質問の答えを考える。


「そうだな……食べる物がなくなる不安。生活ができなくなる不安。………いつまでこの状態が続くのかわからない不安」

「いつ雨が降るのかわかれば、対策もたてれてみんなを安心させられるよね」


チヤの言葉に、ウォンイは『まさか』と淡い期待を抱く。


「……わかるのか?」

「……僕の糸で、どこまで先の、どれだけ広い範囲の天気が読めるのかはわからない。でも、やってみたい」


覚悟を決めて強く握りしめた手に、ウォンイが手を重ねる。


「俺にできることはあるか?」


不安そうに覗き込んでくる顔が愛おしくて。

チヤの顔が少し緩んだ。


「……このまま手を握っててほしいな。あと、力を使ったあと倒れるかもしれないけどそのまま寝かせておいて。疲れて眠っちゃうだけだから」


強く頷くウォンイに微笑んで、チヤは目を閉じた。体中からウォンイには見えない糸が出る。

その糸はほどけるようにエネルギーの粒に変わっていく。


「これは………」


城から自宅へ帰ろうとしていたカダが声を上げる。

七色に輝く光の粒が空を流れていったからだ。


「これは……糸?城の方から流れてくる。まさか、チヤ様が?」


光の粒はどんどんと流れていき、国中を覆う。

チヤは不思議な感覚に包まれていた。


『なんだろう。目ではない何かで世界が見れる。雲の流れ。空気の中の水の動き。………雨はどこにいるの?探さないと』


体が世界全てと溶け合ったように、チヤの意識はどこまでも飛んでいった。


『いた。雨の気配。でも遠い……来るまでに1ヶ月はかかる』


雨を見つけたことでチヤは糸をといた。

光の粒が空気の中に消えていく。


「……チヤ?」


ずっと手を握っていたウォンイが、チヤの目が開くのに気づいて声をかける。


「ウォンイ……次に雨が降るのは1ヶ月後だよ」


そのまま倒れ込むチヤをウォンイが抱きしめた。


「ありがとう。チヤ。お疲れさま」


慈しむようにチヤを抱きしめるウォンイに、チヤは笑って呟いた。


「ただいま。ウォンイ。僕、本当に鳥になっちゃったよ」




翌朝。チヤが目覚めるとウォンイのクマだらけの顔が目の前にあった。


「………まさか一晩中起きてたの?」


コクンと頷くウォンイに「寝てれば良かったのに〜」と言うと、恥ずかしそうな顔をされた。


「お前が本当に目覚めるのか心配だったんだ」


照れるウォンイが可愛くて、チヤは思いっきり抱きつく。


「ふふ。シュリはウォンイを置いてっちゃえって言ったけど、こんな可愛い人置いて行けないよ」


なんのことかわからなかったが、チヤが幸せそうなのでウォンイは満足だった。



2人とも布団でゆっくりと過ごしたかったが、急いで次の雨について知らせないととジンイのもとを訪れていた。


「信じられないかもしれませんが、コクヒの天気を読む力は外れたことがありません」


報告を受けたジンイは考え込んでいる。


「コクヒの力を疑ってはいない。しかし、民になんと説明したものか。1ヶ月なら耐えられないこともないが、王弟の妃の予言と言っても民は信じないだろう」


最もな意見だった。ただでさえ限界に達している民に、あと1ヶ月耐えろと言うのは相当説得力がなければ無理だろう。

3人は無言になる。


「あの……」


しばらくの無言のあと、チヤが口を開いた。


「白き魔女の噂を使うのはどうでしょう?」


白き魔女とは、チヤの悪評で使われる名前だった。


「噂を使う?」

「そうです。噂では魔女……私が雨が降らないよう呪いをかけているとなっています。それを本当のことにしてしまうのです。そして、呪いをかけるのにも飽きたから白き魔女は去った。一月もすればまた雨が降るだろうと噂を流す。そうすればみんなの不満は白き魔女へ向いて、あと1ヶ月耐えれば雨が降ると希望を持てるはずです」

「確かにそれなら民の心は持ちそうだが、お前はどうするつもりなのだ?」

「噂を本当にするために城を去ります」


チヤの発言に他の2人が息を呑む。


「しかし、それでは………」

「それが一番いいはずです。私なら城からいなくなっても問題ありません。それで誰の血も流れずに済むなら……ただ、白の人についての調査は続けてもらいたいですが……」

「それはもちろん続けるが、それでいいのか?2度と城には戻ってこれなくなるぞ」

「私はウォンイ様の妃です。国のためになるのなら、それでも構いません」


チヤの妃としての覚悟にジンイが申し出を受けようとした、その時。


「嫌だ!」


ウォンイが子供のような叫びをあげた。


「嫌だ!嫌だ!国のためならと全て諦めてきた!王族として生まれたなら当然だと!でもチヤだけは嫌だ!チヤだけは諦めたくない!」


置き去りにされた子供のような顔で、ウォンイは叫び続ける。


「ウォンイ……でも……」

「………チヤ」


ジンイが優しい声でチヤの名前を呼んだ。コクヒではなく、チヤと。


「ウォンイは、弟は王座に座ることもなく、ただ王の弟として必死に役目を務めてくれてきた。全てを諦め、ウォンイという人間などいないかのように。私もそれを強いてしまっていた。……今更かもしれないが、兄として、ただ一度だけ弟の願いを叶えてやりたい。………ウォンイを連れて行ってはくれないか?」


ウォンイが驚きでジンイを見ると、ジンイは優しく頷いた。

チヤはその想いを受け止める。


「仕方ありませんね。僕は王弟を誑かす悪い魔女ですから」




やることは決まったがチヤを魔女にしたてあげるにしてもどうするのかという話になった。そこで、「僕に案があります」とチヤが言うので、ウォンイとジンイはチヤの自室に来ていた。


「コクヒ。いったい何を」

「イザナ〜。頼みたいことがあるから出てきて〜」

「呼んだ?」


チヤが窓に向かって声をかけると、今日は髪を赤にしているイザナが顔を出した。


「ぅわぁ!」

「イザナ……なぜそこに」


驚きで声を上げるジンイの横で、ウォンイは呆れた顔をしている。


「チヤの悪い噂が流れてたから、クロに頼まれて様子を見にきてた。で、どうしたの?王様までいるし」


よいしょと窓から入ってくるイザナに、まだジンイは驚きから戻ってこれない。


「陛下。この人は白の里の人間でイザナといいます。情報収集とかが得意で、時々私の様子を見にきてくれてました。……えっと、お城に忍び込んでたことはごめんなさい」


チヤが頭を下げると、イザナも無表情なまま「ごめんなさい」と頭を下げた。


「白の人達に協力してもらって、糸の力で私が不思議な術を使うように演出してもらえないかなと思って。そのままどこかに消えてしまえば、みんな噂を信じると思うんです」


イザナが「何の話?」と首を傾げるが、ジンイは少し考えチヤの提案を受け入れた。


「白の里にはいつか恩を返さねばならんな。コクヒ。イザナとやら。全てを白の里に一任する。どうかこの国を救ってくれ」


ウォンイには、「はい!」と返事するチヤの姿にクロが重なって見えた。


とにかく時間が惜しいということで、チヤは事情を説明してすぐにイザナに里へ戻ってもらう。去っていくイザナを見ながら「城の警備を強化したほうがいいだろうか」とジンイは呟いていた。



ジンイは仕事に戻り、チヤとウォンイはイザナを待つ間にシュリとカダを呼び出した。今回の作戦と、2人が城を去ることを伝える。


「2人とも、俺たちが去っても困ることのないようにするつもりだ。安心してほしい」

「それなら心配はいりません」


シュリがいつもの様子で淡々と返事をする。


「私は結婚を考えている相手がおります。ちょうどいいので、お二人にあわせて私も城を去ろうと思います」

「そうか………へ?」


唐突な結婚宣言に、一拍遅れてウォンイが間抜けな声をだす。


「シュリ、結婚するの⁉︎誰と⁉︎」

「近くの店に果物を売りに来ていた方なのですが、オススメを聞いているうちに仲良くなりまして。この間、求婚されました」

「いや、聞いてない!聞いてないよ!」

「言えばチヤ様は結婚しろと仰るでしょう。城にチヤ様1人残して結婚なんてできませんよ」


とても結婚するとは思えないあっさりした様子に、チヤは脱力する。


「まあ、シュリが幸せになるならいいか。おめでとう。旦那さんと仲良くね」

「はい。お二人のような夫婦を目指して頑張ります」


ふわっと笑うシュリに少しの寂しさを感じながらも、チヤは幸せな気持ちだった。


「お前はどうする?兄上に頼めばどこにでも配属してもらえると思うが」


シュリの結婚に気を取られていたウォンイが、カダの今後も聞いてみる。


「……私はお二人について行きたいです」

「え?でも、もう王弟でも妃でもないよ」


カダの発言の真意が読めず、チヤは不思議そうに聞き返す。


「構いません。ウォンイ様付きの兵になったのは命令でしたが、今は自分の意思でお二人について行きたいのです」


ウォンイが恥ずかしそうに、でも嬉しそうな顔をする。

その顔を横目に見ながら、チヤはカダの同行に同意した。


「お城を出たら白の里に行くことになると思うけど、カダなら問題ないもんね。みんなと仲良しだし。ツギハも喜ぶよ」

「そうでした!ツギハは兵になるのを望んでいます。ウォンイ様付きはもう叶いませんが、せめて城の兵になる願いだけは叶えてやってもらえないでしょうか」


ツギハの本心も知らず、カダは心底願いを叶えてやろうという思いだけでチヤに頼んでくる。


「いや、それは、えっと、本人に意思確認してからかな」

「わかりました。今すぐ里に行って確認してきます」


嵐のように走り去ろうとするカダを、チヤが必死に止める。

ウォンイは何のことだ?という顔をし、シュリは事情を察して笑いを噛み殺していた。




どうやったのかと思うほどの早さでイザナは里に帰り、事情を聞いたシロが立てた作戦を持って城に戻ってきた。


「うん。これならみんなを騙せると思う。さすがシロだね」

「里同士の決闘を発案した人だから。シロは意外とこういうの得意」

「そうなのだな。人は見かけによらないな」


普段はぽやんとしてクロの尻に敷かれている姿しか見ていないので、シロの意外な才能にウォンイは感心する。


「カダはウォンイを守ろうとして亡くなることになっちゃうけど、いいのかな?家族の人達が悲しむよね」

「私の家は代々兵士の家系ですので。主を守って死んだとなれば、納得してくれるでしょう。どのみちお二人について行けば都には戻れないのですから」

「家族へは手厚い支援をしてもらえるように、兄上にお願いしておく」

「ありがとうございます」


少し寂しそうにしながらも、どこかスッキリした様子でカダは礼を言った。


「でもカダも一緒に行くことがよく分かったね。何も言ってないのに」

「?一緒に行かない可能性もあったの?」


イザナの反応に、カダが周りからどう見られているかがよく分かった。


「さて。作戦も決まったことだし、善は急げだ。兄上に報告してすぐ準備にかかるぞ」



民の限界が近いこともあり、作戦は2日後に決行することに決まった。

体のことを考えて話をしていなかったリョクヒに、別れの挨拶をするためチヤは自室を訪れた。


「そう。民のために。仕方ないとはいえ、あなたに全てを背負わせてしまうことになるのね」


自分で望んだことだと言おうとするチヤの動きが止まる。

リョクヒが手をついて頭を下げたからだ。


「コクヒ様。民のために全てを捧げていただくこと、王妃として心から感謝いたします」

「リョ、リョクヒ様!頭を上げてください!お体にも触ります!」


慌てるチヤの手を、頭を上げたリョクヒが握りしめる。


「私の本当の名はサジェと言うの」


リョクヒは王妃としてではない、1人の女性としての顔を初めてチヤに見せた。


「……僕はチヤです」

「……チヤ。私、あなたのことが大好きよ。強くて明るくて可愛くて。あなたが城に来てくれて本当に嬉しい」

「私こそ。サジェ様がいてくれたから、このお城もこの国も大好きになれたのです」

「サジェでいいわよ。ねぇ、城を去っても文のやりとりくらいはできないかしら。このままさよならなんて、寂しすぎるわ」


手を握る力が弱くなる。チヤはその手を解いて握り返し、満面の笑顔を見せた。


「そういうことなら適任の人がいるので大丈夫です。必ず文を届けますので待っていてください」




作戦決行の夜。

城門を守っていた警備兵が、門の上に白い影を見つける。


「なんだ?あれは………人?」


腰まで届く白髪を風になびかせ、赤い眼をした女が門の上に座って兵士を見下ろしていた。


「ねえ、あなた。ここから見える街並みは綺麗ねぇ。私、この灯りを全部消したらどうなるのか見てみたくて雨を止めてみたのだけど、なかなかうまくはいかないものね」


女はふうっと息を吐きながら街を眺めている。その姿は妖艶で、とても人とは思えなかった。


「き……きさま!そこで何をしている!降りろ!」


呆気に取られていた兵が正気を取り戻し、女に槍を向ける。


「あら。王弟の妃に槍を向けるなんて。躾のなっていない兵だこと。まあいいわ。もうお妃ごっこも飽きたし、家に帰ることにするわ」


女の後ろに男が現れる。

意識がないのか、上から糸で釣られているかのように棒立ちになっている。


「ウォンイ様!」


城のほうから1人の兵が走ってきた。


「カダ様!」

「お前達、何をしている!あれはウォンイ様だぞ!」


カダの言葉に兵達は慌てて女の方を見る。


「この人は気に入ったから連れていくわ。雨を止めるのはやめたから、あと1ヶ月もすればまた降るようになるわよ。良かったわね。じゃあね」


女はウォンイを横抱きにすると、空高く飛んで消えて行った。


「ウォンイ様!私はウォンイ様を追う!お前達は陛下にこのことをお伝えしろ!」


腰を抜かす兵達を叱咤し、カダは2人を追って街の方へ姿を消した。

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