第4話 ナボレス伯爵領

翌朝、ジークは家族に別れを告げ、ナボレス伯領へと向かった。家を出る際にはシンシアも玄関まで見送りに来て、ジークの左右の手に自身の手を重ね、聞き取れない小さな声で何かを呟いていた。握手ではないし、見たことも聞いたこともない所作だったが、ジークはベントリー式での別れの挨拶とか儀式なのだろうと勝手に解釈し、深くは考えなかった。


ナボレス伯領はアルムヘイグ王国の東部にあり、アルムンドから南方向へ下って徒歩で6日ほど掛かるが、馬車なら2日、馬を走らせれば1日で着く。今回は騎馬兵から奪った馬を使ったので、ナボレス領都への到着前に先行して囚人輸送していた騎士団員達に追いつく事が出来た。通常であれば領都へ入るには審査があり、長い審査待ちの行列に並ぶのだが、事前に衛兵へ通達されていた様で、騎士団員達と共に行列に並ばずに入る事が出来た。


ナボレス伯は商業で富を築き、それで得た莫大な富を背景に、街を発展させてきた。街は高く頑丈な外壁に囲まれ、その中心地区に領主の居城や役所や富裕層の住宅街があり、その周囲に商業区や一般民の住宅街が広がる。外壁とは別に中心地区にも周囲を取り囲む壁があり、役所からの許可証がないと中には入れない。中心地区は豪邸が建ち並び、道幅も広く、緑も豊か。その他の地区は建物が密集し、初見では雑多な印象を受けるが、上下水道が完備され、また通路や広場などは定期的に清掃されるので、不衛生という事はない。ジーク達は領主居城に併設された騎士団の詰め所へと向かい、団長へ到着を報告し、翌日の昼過ぎからの伯爵への報告に同席せよとの命令をその場で受けた。


翌日の伯爵への報告では、先ずはアルムンドで起こった件をジークから説明したが、既に父からの報告書が提出されているので、幾つか質問を受ける程度だった。驚いたのはジークの後に騎士団長から別の報告がなされた事だ。ベントリー周辺での盗賊団による被害状況、奴隷商人の取引先や取引件数、ベントリー男爵家に出入りする人物についてなど、若干の憶測を含んだ不完全なものだが、報告内容は多岐にわたった。これらはナボレス伯爵の私設の諜報部隊が探ってきた情報を整理した結果だという事だった。


「さて、どこから攻めようか?」


ナボレス伯は報告を受けた後にそう発言したが、誰かの意見を聴こうとしている訳ではないと思えた。思考を巡らす伯爵の表情はまるでイタズラ好きの少年の様だが、実年齢は父ジャンバルクと同年代だった筈だ。


何度かの休憩を挟みながら今後の対応が協議された結果は、同時に全てへ対応する、であった。つまり、盗賊団の討伐、奴隷商人の拘束、奴隷として取引された元領民の保護、ベントリー家に出入りする人物の身柄の確保、それぞれに担当する部隊を配置して、同時に作戦行動を開始するという。武勇に優れ、現地の地理に詳しいジークには盗賊団討伐隊の指揮が命じられた。若年のジークに指揮を任せるというのは異例中の異例で、これも伯爵のイタズラ好きが影響したのかも知れなかった。


大まかな作戦立案を終えた後、ジークはナボレスの役所で働く次兄ジランを訪ねた。次兄は、本来であれば長兄と共に領地経営を学ぶべき立場だが、辺境の小さな領では学ぶにも限界があると言ってアルムンドを飛び出し、ジークと同時期にナボレスへ来ていた。父や長兄とは異なり文官肌で、役所の業務を卒なくこなし、市井にも詳しかった。


「ちい兄さん。休暇から戻りましたが、また直ぐにアルムンドへ向かいます。」


「話は聞いてるよ。ベントリーで暴れている盗賊団の討伐を任されたんだろ。大抜擢じゃないか。やれそうなのか?」


「正直言うと難しいです。確実に殲滅する為には手数が足りません。」


「それをどうにかするのも指揮官の役割だよ。まあ父さんや兄さんも助けてくれるだろうさ。俺も手伝うから必要なものは知らせてくれ。」


「ありがとうございます。では早速...」


各隊の人選が済んだ翌々日の午後、ジークと、彼に預けられた10名の騎士団員の姿が練兵場の一角にあった。1名は騎士団の訓練でよく見かける壮年の教官で、その他の8名の男性団員達と1名の女性団員も普段からよく顔を合わせる気心が知れた者達だった。男性団員1名と女性団員は救護班なので非戦闘員、ジークを含む残り9名が実際の戦闘を担う。


100名近くいると思われる盗賊団を相手にするには不安があったので、次兄を通じて戦闘担当5名と探索担当3名の上級冒険者を雇い入れ、討伐隊の拡充を図った。冒険者とは都市周辺での素材採集や魔獣狩りを請け負う者達で、どの領にも属さない自由民であるが、上級ともなればその戦闘力は侮れず、特に森林や洞窟内などで大きな力を発揮する。どこに拠点があるか分からない盗賊団を相手にするには冒険者の協力が必要だった。


「よぉ〜、あんたが今回の討伐戦を指揮するジークさんかい? ずいぶんと若いけど大丈夫なんだろうな? 俺達に子守りはできねえぜ。」


「やぁ、君達がジラン兄さんの依頼を受けてくれた冒険者か。今回の作戦は子守よりも大変だろうけど、上級冒険者という看板通りの活躍を期待してるよ。」


「結構な人数を相手にするんだろ。まさか俺達を盾にして自分達は安全な所で命令するだけってんじゃないだろうな。」


「君達と騎士団員とで扱いを変えるつもりはない。それに剣術では君達にも負けないつもりだ。数日前に父と兄と俺とで20名の盗賊を倒している。今回の作戦でも戦闘になったら俺が先頭に立つ。」


「3人で20を相手にしたのか。言葉通りなら凄いけどな。」


「じゃあ試してみるか?」


冒険者の様な危険な仕事をしている者は言葉だけで信頼させるのは難しい。ジークは冒険者達を騎士団の修練場へ連れて行き、冒険者5名とジークとの模擬戦を行った。冒険者達は様々な武器を使いこなし、また相互に連携してジークを翻弄しようと試みたが、ジークに一撃も与える事はできず、全員がジークに打ち倒された。それ以降、冒険者達はジークに従う様になった。


更に2日後、準備を整え、ジーク達はベントリー領へと向かった。

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