ラストオーダー

鍵崎佐吉

ラストオーダー

 重いシャベルを地面に突き刺して俺は喉元を伝う汗を軍手で拭う。一息ついてからライトで足元を照らせば、ここ数時間の労働の成果である深さ一メートルほどの穴が暗闇の中に浮かび上がる。穴の底の少し湿った黒い土は腐葉土というのだろうか、腐臭というほどではないにせよその匂いはあまり愉快なものではない。念のため掘り返した土の方も調べ直したが、虫の死骸くらいしか見つからなかった。俺は徒労感に押しつぶされるように地べたに座り込み、虚空に向かって声を吐き出した。

「おい、何もないぞ」

 それほど大きな声を出したつもりはなかったが、苛立ちのためかやや語気が強まって、夜の山中にこだまのように響き渡る。虫の鳴き声と、木々の揺れる音、そして自らの荒い息づかい。そこに割って入ったのは緊張感のない緩んだ声だった。

「この辺だと思ったんだけどな。どうも似たような景色が多くてよくわからん」

 いつのまにか穴の側に立っていた宮内は悪びれる風もなくそう言った。その不遜な態度に思わず近くに落ちていた石を拾い上げて宮内に投げつける。「うお!」と短く叫んだ宮内は奇妙に体をくねらせて避けようとしたが、その胸の辺りに石は衝突した。数秒経ってから乾いた木材を叩いたような音が遠くから響いてくる。言いようのない虚無感に沈んでいく俺に向かって、宮内は苦笑とにやつきの中間くらいの表情で語りかける。

「そう怒んなって。親友の最後の頼みくらい聞いてくれたっていいだろ?」

 そう言われると先ほどまで感じていた苛立ちや怒りも不思議と霧散してしまう。しかしこれは果たして最後の頼みと呼べるのだろうか。死後の頼み、という言葉が思い浮かんだが、まあどちらにせよ宮内には事あるごとに面倒ごとを押し付けられてきたことには変わりない。さすがに自分の死体を探してくれ、なんて頼まれるとは思ってもいなかったが。




 宮内と初めて会ったのは高校でのことだった。俺の前の席で居眠りをしていた宮内が、俺にノートを見せてくれと頼んできたのが始まりだったと思う。宮内は陽気で人懐っこいやつで誰とでもすぐに仲良くなれたが、どういうわけか俺のことを気に入ったようで、卒業して別々の大学に進学した後もなんだかんだ十年近く交流が続いていた。自分でもあまり人付き合いのいい方だとは思わないのだが、こいつのへらへらしたお気楽そうな顔を見ていると、自分の中の張りつめた何かが少し和らぐような気がしたのだ。

 半年ほど前、宮内から連絡があって久々に一緒に飲んだ時にも、こいつは呆れたような口調で俺に言った。

「お前は真面目過ぎるんだよ。もっと適当に生きてたって誰にも怒られないのに」

「怒られるとかどうとか、そういうことじゃないだろ。ただ自分が正しいと思ったことをやり遂げたいだけだ」

「お前は相変わらずだなぁ。そういうやつほど変な女に騙されやすいんだよ」

「お前に言われたくない」

 知り合った当時から宮内は女癖が悪く、社会人になった今もその姿勢を改める気はないようだった。そういった行いを擁護するつもりもなかったが、俺からすればそれは自分の足元に穴を掘るような愚行にしか見えない。そう考えるとのらりくらりと生きているように見えて、意外とこいつも不器用な方なのかもしれないとふと思ったのだった。

 宮内が知人の女に刺されて死んだのはそれから二週間後のことだった。




 俺は車の中に入り助手席のクーラーボックスからスポーツドリンクを取り出す。冷房の吐き出す風を受けながらそれを飲む俺に、後部座席から宮内が声をかける。

「なんだ、ビールとかじゃないのかよ。風情がねえなぁ」

「ビールじゃ水分補給にならないだろ。まだお前のお仲間になる気はないからな」

 俺はペットボトルをクーラーボックスに戻して一息つく。口の中に残ったほど良い甘さが火照った体を落ち着かせる。フロントガラスの向こう、ヘッドライトが照らす先に茶色い蛾のようなものが舞っている。バックミラーには誰も映っていない。

「本当にこの山なのか?」

 俺の問いかけに宮内は即答する。

「そうだ。被害者本人が言うんだから間違いない」

「……そうかよ」

 別に胸を張るようなことでもないだろ、と思いながら俺は地図を取り出し、先ほど穴を掘ったあたりにバツ印をつける。地図に記されたバツはこれでちょうど十個目、ここまでくるとまるでそれが何かの勲章かのような錯覚すら感じる。それを覗き込んだ宮内が感心したように声をあげた。

「おお、もうこんなに掘ったのか」

「物覚えの悪い誰かさんのせいでな」

「そこまで正確な場所がわかるわけないだろ、死んでたんだから」

 そう言われてしまうとこちらは反論のしようもない。そもそも自分がこんな霊媒師のまねごとをやっているという事実に、未だにどこか理性が取り残されてしまっているような感覚がある。今まで霊感なんてなかったはずだし、それに目覚めるようなきっかけもなかった。ただ宮内が俺の前に現れた時、妙な納得感があったのは事実だった。




 そもそも事件が発覚した時点では宮内はまだ行方不明という扱いだった。宮内の自宅に残された血痕と指紋、それから周辺の聞き込みやもろもろの状況証拠によって宮内の元カノだったあの女が逮捕されたが、著しく精神の均衡を欠いていてとても取り調べができるような状態ではなかったそうだ。共犯者としてその女の兄が指名手配されたが、そいつは行方をくらましてしまって未だに見つかっていない。おそらくこいつが宮内の死体を運んでどこかに捨ててしまったのだろうが、警察の捜査は現状行き詰っているようだった。

 ではなぜただの一般市民に過ぎない俺が宮内の死体の場所を知っているかといえば、突如として出現した宮内の亡霊が教えてくれたからである。

「このままじゃ葬式も開いて貰えない。だから俺の死体を見つけてほしいんだ。こんなこと、お前にしか頼めないんだよ」

 全くもって信じ難いことではあったが、それでも宮内の頼みを無視することはできなかった。そして言われるがままに俺は休みのたびにこの山にやって来て、あちこちの地面を掘り返して友人の死体を探している。傍から見れば常軌を逸しているとしか思えないだろうが、俺と宮内との関係はそういうものなのだった。




 目を覚ました時にはすでに空がかすかな彩りを帯び始めていた。三時間ほどの仮眠では重労働による気だるさを完全には拭いきれなかったが、これ以上ここに居座ると今日のスケジュールに支障が出かねない。俺は一度車外に出て、外の空気を思い切り吸い込みながら伸びをする。

「良い朝だな。あとはコーヒーとトーストでもあれば完璧なんだが」

 いつのまにかボンネットの上に座り込んでいた宮内がそう告げる。こいつはどんな状況でもマイペースで時にはそれに苛つくこともあったが、死後も変わらないままでいてくれるのは少し嬉しかった。

「……なあ、お前が殺された時の話、もう一回聞かせてくれ」

「え、なんで?」

「ただの興味本位だよ。誰からでも聞ける話じゃないし」

 宮内はすぐには答えず、視線を逸らし空を見上げた。トラウマになっているのか、それとも当時を思い出そうとしているのか、もしくは俺には想像もつかない死者ゆえの複雑な心理があるのか。そのいずれかはわからないが、やがて宮内は淡々とその日のことを語り始めた。

「あいつとはもう別れたし、俺はそれで全部片付いたんだと思ってた。確かに執着の強い女ではあったけど、お互いの気持ちが冷めてしまった以上もうどうにもならないって。だけどあいつはそういう風には考えなかったみたいだ。うちに充電器を忘れてきたっていうから家に上げたら、後ろから刺されて殺された。その後の事はよく覚えていないけど、気づいたら山の中に突っ立ってて、知らない男が俺の体を埋めてるところだった。それで自分が死んだって自覚して、どうしようかと思ったんだけど、なんかその時お前の顔が思い浮かんだんだよ。そしたら急に会いたくなっちゃってさ、もう後先考えずに走り出してた。まあ厳密には走るって感覚とはちょっと違うんだけど」

 俺はもう一度深く息を吸い込んで、肉体を失った友を見つめる。こいつの話に何か決定的な矛盾があれば、俺は自分の五感を裏切って今までと変わらない生活に戻れるのだが、どうやらまだ死者のためのボランティアは続きそうだった。あるいは俺自身がそう信じたがっているだけなのかもしれないが。

「相変わらずだな、お前も」

「どういう意味だよ?」

「わからないならいい」

 俺は車内に戻ってエンジンを入れた。ボンネットに座っていたはずの宮内はすでに姿を消している。少なくとも俺が死体を掘り当てるまでは、俺と宮内は繋がっていられるはずだ。ひとまずはそれを喜んでおくことにしよう。それ以外のことはこの山の土を全部掘りつくしてから考えればいい。多分こういうのが宮内の言っていた適当に生きるってことなんじゃないかと思う。

「……まだ暗いから気を付けろよ」

 友の声を聞き流しつつ、俺はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。

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