第12話「伝える努力」


そもそも怒りとはどういうものか。


つい先ほど、椿の挑発にのってたしかに腹を立てた。


はっきり言ったことでつっかえが取れた気はするものの、怒りとは決して心地よいものではないと知る。


もう一度怒りをぶつけろと言われれば少女は首を横に振るだろう。


「私は……」


「ストップ。それ以上はわたしに言うことではないわ」


興味はないとお湯を腕にかけて肌に滑らせる。


白無垢を着ていた時は白くなめらかな肌をしているように見えたが、よく見れば腕が小麦色だ。


指先もひっかき傷のような切り傷あとが見て取れた。


心配の種をちらりと見せると椿は鼻で笑って立ち上がった。


「自分の気持ちもわからない子に負けたりしない。ちゃんと伝えてくれた相手に本気で向き合っていないんだもの」


「ちがっ……!」


「わたしはあなたにやさしくしない。自己憐憫に酔っていないで、戦うなら怒りだってコントロールしてみなさいよ。わたしはコントロールをする気もないけれど」


あいつらを許せないからと、瞳に炎が灯す。


まるで地獄の業火のように憎悪に揺れていた。


「それじゃあわたしは上がるわ。あなたはゆっくり湯に浸かってちょうだい」


湯けむりは顔を隠すにはちょうどいいと皮肉をこめて。


椿はタオルで隠すこともなく、堂々とした歩みで母屋に続く畳石を濡らしていった。


湯につかったまま少女は酸素を思いきり吸い込んで湯の中にもぐりこむ。


泡を肌に感じながら苦しさに自分の気持ちと向き合おうとした。


(いいのかな? 月冴さまは受け入れる? こんな醜い感情……)


――ずっと一人だった。


遠い目をして口にした月冴を思い出す。


あれは今まで月冴が口に出来なかったものだとしたらどれだけ勇気がいっただろう。


あの勇気と同じものを少女に出せるか。


受け入れてもらえなければ打ちひしがれて涙がとまらなくなるだろう。


(ううん。傷つくことを恐れて何も言わなかっただけ。見返りばかり求めて、本気で相手と向き合っていなかったんだ)


それで養父に姿勢を示したところで振り返ってくれたわけでもないだろう。


だが養父に期待して伝える努力もしなかった。


一生懸命生活を支えれば「ありがとう」と頭を撫でてくれると夢見ていた。


何も伝えないでわかってくれると押しつけがましいだけだったとようやく気付いて、そこで息をとめる限界がきて少女は水しぶきをあげて湯から飛び出た。


髪を振り乱して一心不乱に湯をかきわけて出口から走り出す。


さきほどまで晴れていたのに空模様はコロコロ変わり、今は雨が降りそうなほどに黒い雲に覆われている。


白い肌着を着ると小袖を肩にかけて廊下を駆けた。


息を切らして部屋の前にたどりつくと、少女にしては荒々しく障子扉を開いた。


中では月冴があぐらをかき、丸い眼鏡をかけて古書を読んでいる。


少女の突進に月冴は眼鏡をはずし、ゆっくりと立ち上がって歩み寄った。

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