第10話「前向きになろうと前向きになる」
「きゃっ!?」
縮こまっていた少女の腕を月冴がつかむと、その勢いで少女を縁側に仰向けにした。
頭部に縁側とは違うクッションに目を丸くする。
「膝枕。どうしてこんなことを願った?」
どうしてだろう――と考えて少女は喉に詰まる言葉を無理やり押し出した。
「母親ってこんな感じかなと」
「母親?」
月冴の眉間にぐっとシワが刻まれたので、少女は目を反らす。
わがままにしてはあまりに唐突だったと恥ずかしくなって口元を手で覆い隠した。
「母を知らないのです。すぐに亡くなったそうですから。月冴さまはとても美しいので……その」
口ごもって、伺うような視線を月冴に向けた。
ためらわずに言えと腰をまげて迫ってくる月冴に少女は消え入りそうな弱い声で呟いた。
「男性とは思えないといいますか……」
涼やかな艶のある目元、白磁のような肌、星にきらめく白銀の髪。
骨格や肉付きはたしかに男性のものなのに高身長でスラっとしているため、雄々しさはまったく感じられなかった。
「それはずいぶんと舐められたものだ」
「ふっ……!?」
月冴が少女の前髪を撫でたかと思えば頬をふにっと摘まんでくる。
油断していた少女の口から息が間抜けた音で飛び出ていた。
目をぐるぐるさせて真っ赤にあたふたしていると月冴が「ぷっ」と喉で笑い出し、ニヤニヤしたまま続けて頬で遊んでいた。
抵抗すべきところなのだろうが、少女は恥ずかしくはあっても嫌ではないの目元を赤くしてまっすぐに月冴を見つめる。
月明かりなんて目もくれず、銀色の光の粒の方がずっとずっと見ていたいとうっとりしながら口角をゆるくしていた。
(月冴さまはあたたかい。私はどんな温度をしているのかな)
夢見心地と、ときどき突然目が覚めるような現実。
もう少しで答えにたどり着きそうな。
だけど前が見えないことは足元が見えないのと同義。
月冴が手を引いてくれたから歩けたが、一人で足元を照らすことは底の見えない穴を見ることになりそうで勇気が出なかった。
***
「精が出るな」
燦々とした太陽の下で畑を耕していると寝起きの月冴があくびをしながら歩いてくる。
カラコロと高下駄を鳴らして歩み寄って来たと思えば、畑の前で高下駄では踏み入れないと気づき足を止めた。
少女は腕で汗を拭うと鍬をたててはにかんだ。
「はい。月冴さまに作ったご飯、おいしいと言っていただきたいですから」
何をしたいか考えても出来ることを繰り返しやるしか思いつかなかった。
日銭稼ぎとして田畑を耕し野菜を育てたこと。
山に出て山菜採りをして、足りないものは村で交換してもらった。
養父の背中を見つめ、振り向いて笑ってほしかったと思い出す。
さみしさからくる想いだったが、今は月冴といてさみしさより喜ばせたいという想いが大きい。
おそらく前向きを意識しているが、少女にとって嫌なことをしているわけではないと胸に指を滑らせた。
何がしたい?
今は月冴に笑ってほしいと、頬をほんのり赤くした。
「顔。汚れているぞ」
土のついた頬を示すように月冴が自身の頬を突く。
少女が真っ赤になって頬をこするが、余計に汚れを広げてしまうだけだった。
「向こうに露天風呂がある。ゆっくり入ってきたらどうだ?」
その提案に少女は目を丸くして、月冴のさした指を追いかけた。
***
ドキドキと胸を高鳴らせて露天風呂に足を運ぶ。
「あら」
そこには先に椿がおり、豊満な身体を白い湯につかっていた。
椿は少女に気づくと、手招きをしながらニコリと微笑む。
一瞬、近づくのをためらったが怯える気持ちをぐっとこらえた。
今少女は自分がどうしたいかを考える時期で、そのためには何をどう感じるかから逃げてはダメだと言い聞かせる。
これは”前向きな前向き”だと自分を鼓舞して震える足を一歩踏み出した。
ゆっくりと湯に浸かると、白い湯はとろっとしておりまるでハチミツのようだ。
井戸から水を運び、濡れた布で肌を拭いていた生活と比べればずいぶんと優雅になったと手のひらに湯をすくっては流れていく様を眺めた。
「私が怖いかしら?」
あだっぽい声に少女は顔をあげる。
村で見たときはもう少しおだやかなビードロの声だった気がするも、今はトーンが低くなった。
可憐な鼻から大輪の花になって。
大して少女は道端に生える名前の知られていない雑草扱いの花だ。
か細い声で少女は女性の問いに答えを返す。
「……怖く、ないです」
「あら、そう。わたしはあの方の妻となるのよ?」
「なりません! ……っあの方は受け入れない」
「どうしてそんなことが言えるの?」
その問いに言葉が詰まった。
じくじくと痛む胸と、喉の奥に異物が詰まったような違和感。
お湯なのか汗なのかわからない火照りに膝を抱える。
湯気で顔がはっきりと見えなくてよかったと少女は手のひらで湯をすくって顔にぶつけた。
「月冴さまは誰のものにもならない。誰も愛さない。……それくらいわかってます!」
少しやさしくされたからと勘違いしていた。
月冴にとっては棺から生きて現れた物珍しい存在でしかない。
はじめて見たことで興味を持っただけだろう。
いつか飽きる。
養父だって最初こそ手を引いてくれたが、すぐに背中をむけて寝てばかりの姿しか見なくなった。
少女は都合のよい存在でしかない。
月冴にとってははじめて得た玩具程度でしかないと、どうしようもない自己嫌悪に陥った。
ボロボロと涙が出てきて困惑に湯で濡れた頬を誤魔化す。
だが一度涙腺がゆるくなってしまうと、湯につかったことで血行がよくなったこともあり鼻水が止まらなくなった。
鼻をすすって赤くなった目元を誤魔化そうとすると、椿はぎょっとして視線をさ迷わせる。
その後、いたたまれないといった様子で眉尻をさげ少女の隣まで膝をたてて歩み寄った。
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