第8話「認めてしまえば逃げられない」
このまま静かに去ろう。
背を向けたのも少女の選択だろうと目を伏せて裸足で小石を擦った。
音が鳴ったとたん、月冴が振り返って少女の手首を掴む。
少女がひゅっと喉を鳴らすと月冴はさらに握る手の力を強めた。
「すでに差し出した生贄はいる。そんなもの、送られるだけ迷惑だ」
あぁ、そうだ。
突然少女がやってきて月冴が迷惑しているのは当然だ。
一向に離してくれない手をそのままに月冴が目を細めて椿を一瞥した。
「誰が言い出したかは知らぬが、私は土地神ではない」
瞬間、あたりに火の玉が現れて棺のまわりを囲む。
闇夜に浮く熱に椿は首をかしげて、白無垢の角隠しを外した。
「土地神ではない。 ではあなたは何でしょう?」
「あやかしだ。人間にやさしい生き物ではない」
「あやかし……。そう、あやかしですか」
椿はニコリと口元を隠して笑う。
漏れた息づかいに少女は怖いくせに振り返って椿を見てしまった。
「やさしさがないのであればちょうどよいですわ」
まるで凶器。
あざやかに雪景色のなかで咲く花。
紅混じりの瞳にとらえられれば首を落とされる。
村一番の華やかさは見た目だけではない。
転倒した少女の手を引っ張り、着物に付着した泥を振り払う気の良さを持つ人だ。
その時は柔く微笑んでいたのに今は視線があうだけで全身斬りつけられた鋭さがあった。
「わたくしはあなたがあやかしでも構いません。ここに着いたからにはあなた様に尽くしましょう。……神に嫁ぐ。その覚悟で参りましたから。」
「嫁ぐだと?」
「えぇ。神ではなくとも向かった先にお会いした方の嫁になる」
椿は棺から立ち上がると底の厚い紅の草履でゆっくりと前に進む。
月冴が足で小石を擦るも、椿は月冴の横を通り過ぎて少女に詰め寄った。
流れる目つきで月冴と少女の手を見下ろす。
「短い間ですが、よろしくお願いしますね。名無しの娘さん」
白い大輪の花が結った髪に咲いている。
両手をうしろにまわして花を摘むと石の上に落とす。
ここは雪景色でもないのに波紋する庭石がやけに冷めた色に見えた。
(夢だった。こんな勘違いをしていたなんて)
恥ずかしい。
少しでも月冴に必要とされているのではと錯覚していた。
頭の中がぐるぐるして胸が苦しくなって滲む汗に手を振り払う。
「逃げるな」
月冴は少女の背にまとわりつく影を濃くさせた。
振り返ることも出来ないくせに足を進めることも出来ない。
あいまいな態度に嫌気がさして唇を噛むと、月冴の手が後ろからまわって少女の耳元に息が触れる。
キレイな白い手が少女の唇をなぞると血が付着した。
「だ、だめですっ……!」
身をよじっても月冴の力に敵わない。
(いやだ。こんなのまるで私が汚してるみたい)
誰にも見向きもされない汚い娘だ。
泥で汚れると湧き水で身体を拭う。
それでも荒れた肌は誤魔化せず、湧き水がかわけばザラザラした肌になる。
椿を見るたびに少女は花にもなれないと悟った。
春になると蝶々を追いかけて、そのたびに人に囲まれて笑う椿にたどり着く。
あんな可憐な椿が妖艶に見えたのははじめてだった。
「何をそんなに怯える」
打ちのめされる少女に月冴は容赦なく詰め寄る。
少女にあわせてくれるようになった歩幅も今は隙がない。
「何のためにやさしくしてくださるのですか?」
理由が見えない。
何をしても養父に見向きもされなかった少女は何事にも理由を欲してしまう。
想いに想いを返してもらえない恐怖は少女をより強張らせた。
対価を求めてなにかをするのはいやらしいと卑屈になっていた。
「私は……」
想いを口にするのは認めてしまう気がして言えなかった。
傷つくことを恐れて、傷ついても大丈夫なようにと言い訳の壁を作っていく。
「お前は本当にバカなのだな」
「バカって……!」
肩を押されて距離がうまれるもすぐに埋められる。
ほんの少し、生々しさが過ぎった。
重なった唇は冷たくて誰かと口づけをしているとは実感が伴わない。
粉雪が唇で戯れているようなふわふわと、しっとりさ。
あんなに悲観的になっていたのに口に出来ない言葉を受け入れてもらえた気がした。
「私はずっとこの場で一人だった」
吐息を吐きながら離れていく唇。
それだけ月冴は呟いて、少女の血に濡れた唇を親指で押す。
「ここはもう違う場所だ」
「違う……」
「愛情は限りある。お前はもう少しそれを自覚することだな」
そう言って月冴は口角を引きしめ、少女と距離をとって御屋敷に歩いていく。
夜に浮かぶ銀色に手を伸ばそうとして、伸ばしきれずに宙をさ迷う。
(前向きに……。前向きに考えるとしたら私はどうしたい?)
この不安定さに答えがほしい。
怖くても甘さで上書きしたいと少女は着物を擦り合わせると走り出す。
月冴の手をつかみ、前に出ると裸足で石で滑る足元で背伸びをした。
(月冴さまに気持ちを返してほしいの)
背伸びをしようとすればするほど小さな粒の石は後ろに流れていく。
足をとられて唇を離すと、月冴の蒼い瞳に少女が映った。
いたずらに口角をあげた月冴は少女を抱き上げて、ぴったりと身を寄せて薄紅色の唇に噛みついた。
酔いそうだと少女は月冴の後頭部に手を回し、まどろんで目を閉じた。
口の中にしょっぱい味が広がる。
味を占めたと言わんばかりに月冴は少女の唇で遊びだした。
ようやく唇が離れたときにはすでに力が抜けており、裸足では庭石に埋もれてしまうと月冴の襟元を掴む。
(こんなのは知らない。だけど怖くなかった)
こんなにも激しくて情の熱い口づけがあるとは……。
泣きそうになるも今は笑っていたいと少女は鼻をすすって口角をゆるめていた。
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