第7話「無価値の烙印」
それから少女は月冴と暮らしながら生き方を変えようと前向きに考えることを意識した。
「このお庭から食べれる植物、採ってもいいですか?」
唐突な発言に月冴は目を丸くし、少女の考えを読めないままにうなずいた。
それは言葉通りのもので、少女は自ら下駄を履いて庭に飛び出すと隅々まで歩きいくつか草を摘んでいく。
山のようににょきにょきと生い茂っているわけではないが、洗練された庭でこれだけ見つかるのは新鮮だ。
季節を問わない庭はたんぽぽやヨモギ、シソと楽しい場所だった。
整った庭も良いが自然豊かな場所も好きだとたんぽぽの綿毛をつついていると、月冴が歩いてきて隣にしゃがみこむ。
「そんなものも咲いていたのだな」
「これは食べれるんですよ。お餅にしたり、おひたしにしたり」
「そうか」
そのまま少女の指先をじっと眺めているので、少女はしばらく考えをめぐらせて口を開いた。
「食べてみますか?」
月冴は目を見開いたあと、少女の頭頂部をポンポンと撫でてうなずいた。
ーーぐぅぅぅ……。
何日ぶりかもわからない腹の音が鳴った。
それから月冴は少女に料理を任せるようになった。
さらに少女が自由にしていいという土地を渡す。
部屋と庭しか知らなかった少女の行動範囲が広がり、まずは出来ることをやっていこうと今までの経験を真似ることからはじめた。
御屋敷の中を歩けば石を積んで出来た温泉もあり、一人で暮らすには広すぎるものだった。
(気楽なのかも。だけどそれなら私は……)
邪魔なはずではないだろうか。
その先の答えを出せず、少女は土地を畑にするために鍬(くわ)をもって縁側を駆けた。
庭の鯉に餌やりをしたり、花の手入れをしたり。
誰の顔色をうかがうわけでもなく、自分が出来そうだと思ったことに手を伸ばす。
せっせと小銭稼ぎをしていた時とやっていることはそこまで変わらない。
だが養父の顔を想像して駆けまわっていた時より心が軽いと歩調も速くなっていることに気づいていた。
御屋敷で見る光景にも時の流れはあり、月が顔を出すと縁側に座って涼みに出る。
ボーッとしていると月冴がやってきて、青く照らされた髪を背中に流す。
そのままごくごく自然な流れで少女の膝に頭を乗せ、大きく息を吐きだした。
絹糸に光の粒がくっついたみたいだと少女は月冴の前髪を指で梳いてみる。
蒼い瞳にゆるく微笑んだ女性が映り込み、少女はそれが自分なのか確認するために月冴の瞳を凝視した。
まばたきをすれば同じように動く。
月冴にはこう映っているのかと知り、少女は頬を赤らめた。
「貴方様の髪は本当に綺麗ですね」
「私はお前の髪の方が好ましい」
「こんな艶のないもの。指通りも悪くて。村一番に美しいと言われていた女性は漆を塗ったかのように艶めいておりました」
「すぐに艶は戻る。お前の髪は黒檀のようだ」
月冴のつぶやきがわからない。
ポカンとしていると月冴は鼻を鳴らして笑い、肩から流れた少女の髪を指に巻いた。
「黒檀とは長く美しいもの。何も飾らなくても飽きぬものだ」
白檀の香りが少女の鼻をくすぐる。
月冴が縁側に手をつき、首を伸ばして上に向かう。
互いの髪が撫で合って、夜に溶け込みそうになった。
だが影になっていた二人を月が照らす。
風が吹き、背後で雷が強烈な音を鳴らして落下した。
月冴は少女の肩を押し、身体を起こすと髪を大きく横に振る。
白銀の髪が夜の闇に星を散らばせた。
雷の落ちた場所へ大股に駆けると御屋敷の反対側で黒い煙があがっている。
少女は月冴を追いかけ、反対側に出るとそのまま石庭を壊して走り出した。
遠目で月冴の背を見つめる。
頬が火照って、心臓は激しく鼓動を鳴らしているのに先に進めない。
裸足では進めないと言い訳をして、崩れた石庭の先にある棺にめまいがした。
白無垢をまとい、唇を赤く染めさせた美しい女性。
影を作り出すほど長いまつ毛に、艶っぽい大きな目。
軋む髪は風が吹いてもさらさらになびいてはくれない。
艶やかな髪を結いあげた女性に少女はその場で放心した。
女性はあたりを見渡したあと、棺から降りて白無垢の汚れを手で振り払う。
「お前はなんだ」
月冴が問うと女性はすっと頭をたれ、まるで天女のように気品に満ちた微笑みをした。
「お初にお目にかかります。わたくしは椿と申します。土地神様である貴方様への捧げ物としてここへ参りました」
「つい最近も送られてきたと思うが」
「村の凶作は続いております。不良品を送ったせいだと話がまとまり、わたくしめが送られたのです」
少女に会話は聞こえない。
だが椿の冷めたまなざしに心臓を握られて後ずさる。
(私、どうしたらいいのかな)
ちゃんと知りたい。
だけど怖い。
どういう流れだとしてもそこに少女を尊重するものはないだろう。
ああも美しい女性が後から来てしまえば少女の立ち位置はない。
(前向きに。前向きに……)
どうすれば前向きになれるのだろう。
むしろこうして前向きを意識している時点で後ろ向きではないか。
動揺に心臓がうるさくなり、怖いのに怖いものに砕かれようと裸足で小石を踏んでいく。
そのまま嫌な汗を流しながら恐怖に走って突っ込んだ。
「お主、身体に異変はないのか?」
「異変……ですか。少し息苦しさはありますがすぐに慣れましょう。山にもよく登っておりましたから」
「……生の執着か。死の恐怖がないのか」
少女が月冴の背に追いついて、そのままどうすることも出来ずに立ちすくむ。
女性・椿の瞳は感情の欠片もない。
その冷たさはなおさら少女を弱気にさせた。
(私じゃなくてもここにこれる人がいる。こんなにもキレイな人が……)
唾を飲み込んで目を反らす。
名前もない。
親はとっくにいなくなり、養父には売られてしまった。
しまいには生贄の効果もなく、本当にただの厄介払いにしかなっていない。
(月冴さまが私に飽いたらどうなるのだろう)
細い糸一本に少女の命は繋がっている。
つまらないと一声あればプツンと切れてしまう。
少女にしかなかった価値が足元から崩れていく感覚に背を向ける。
無価値の烙印にこの場から逃げたくなってうつむいた。
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