第6話「いつか必ず。少女の選択肢」
「この人間に手を出してみろ。その時は私が貴様らを食らってやる」
シン、と空気が冷えきって肌がチクチクする。
月冴はかばってくれるが、そもそもここに人間がいることがおかしいのだ。
あやかしが人の世界にまぎれるのは容易、逆はほぼ不可能。
洞窟の棺を経由してはじめてあやかしの世界に来るも、月冴が言うには生きてたどりついたものはいないとか。
生きた少女が異質だと月冴は物珍しく思っているだけだろう。
(いやだな。嫌な方に考えてしまう)
見世物として少女を連れまわしているのかもしれない。
危険とわかっていて屋敷から出しているのだから少女を困らせたい可能性もある。
だから少女の前に出てムスッとした様子で振り返るのはいささか月冴らしくないように見えた。
「はじめてのことに興味がそそられるだけなのか」
「えっ?」
いや、と月冴は首を横に振りため息を吐く。
「決めるのはお前だ。だがいつまでも自分を認識するのを避けるのはやめろ」
ハッとして目を見開き、月冴のまなざしに硬直する。
やけに喉が苦しいと首に指を滑らせると、月冴はあやかしたちに目もくれず少女の手を引いて歩き出した。
威圧されたあやかしたちは遠巻きに手が離れるのを待つ。
下駄がカラコロと鳴り、少女は深くお面で顔を隠してしまった。
(顔が見えなくてよかったなんて)
背中ばかりを見てきた。
振り返ってほしいと願ってせっせと足を走らせた。
今は振り返ってほしくないと背中が見えることに安堵する。
生け贄なのだからいっそ手が離れてしまえばすべてにあきらめがつくのに……。
鼓門から出るとがやがやした街が一瞬にして暗闇に消えた。
再び灯火の道を進もうとしたとき、少女は足をとめて腕を引く。
振り向こうとした月冴と目が合わないように肩をすくめて足元だけを見た。
「……私を死なせてください」
「何? 」
「私は生け贄のはず。本来ならば死んでいたこの身。生きている理由はございません。……どうかキレイな思い出のままで」
「ならぬ」
「え?」
長い銀髪が少女の頬をくすぐる。
乱暴な距離で突き飛ばされても、やさしい近さははじめてだ。
あんなにも少女を不審に見ていた目が。
つまらないと切り捨てる口が。
今は追いかけるように少女に体温を伝えてくる。
指先を掴む大きな白い手も、たわむれに灰桜ごしに背中を撫でられても。
あまりキレイとは言えない艶の足りない黒髪を指が梳く。
人との距離感を詰めたいと夢見ていたわりにいざ近くなると恥ずかしさに潰れそうだ。
髪の毛はごわごわして指ざわりが良くないし、手は荒れてざらついている。
顔は泥がついて笑いもの、村人から馬糞を投げられることもしばしば。
見られたくないと思ったのははじめてだと少女は呼吸の仕方を忘れた。
「少しは思い出したか?」
「思い……?」
肩をおされ月冴の胸から離れると、しっとりした親指で頬を横に撫でた。
(あ……)
「自分の感情ににぶい。いいや、気づきたくなかったんだろう」
「……いいえ。ちゃんと自分の気持ちはわかっています」
「私はお前ではないからはっきりとわからぬ。だから気にな……」
それ以上の言葉は続かない。
少女に背いて手を引いたまま大股に進む。
どうしてだか、唇が濡れてしょっぱい味に口端を結んでしまった。
「お前は生きたくないのか?」
顔の見えない月冴の背を見つめる。
月冴の顔が見えないことも、自分の顔がお面で隠れていることにもホッとした。
灯火で余計に揺らいでいるだろう顔は闇に隠してしまいたかった。
「生きていてはダメでしょう」
「それも仕方ないこと……か」
人間らしい生死の葛藤が希薄だ。
生け贄になった年若い娘の悔しさ悲しさは月冴のもとに行きついて縛ってくる。
積み重なるばかりの怨念に、日増しに嫌悪感が顔を出す。
泥まみれの感情が充満するなかでやってきた真逆の少女。
自分のような人間は他の人の手を煩わせてはならない。
がんじがらめになっていることにさえ気づいていなかった。
「助けを求められないのは皆同じか」
ポツリと呟いた空気が漏れるような小声。
月冴はゆったりと着流す襟元を軽く持ち上げて空を見上げた。
「死ぬことは許さない。これは絶対にだ」
「どうして……」
息と同化するほど弱い声色がお面でさらに壁をつくる。
振り向く気のない月冴を追いかけて足元の見えない道をただ進む。
やがて闇のなかにぼんやり浮かぶ瓦の屋根で出来た平屋構造の御屋敷にたどりつき、門をくぐった。
暗闇から渦巻いて世界が一変し、蒼穹が天に広がってた。
ようやく振り向いた月冴はちっとも笑っていない。
だが怖くもないと少女はわずかに口を開いた。
「戯れよ。めずらしい者に心躍るのも長き生では貴重なものだからな」
口では皮肉な言い方をするくせに。
結局心根のやさしさはわかってしまうものだ。
どうしてこのあやかしは優しくするのだろうか。
少女は男のために何か出来るわけでもない。
長年ともに暮らした養父にさえ、たった数枚の貨幣に代えられてしまった。
尽くそうが、やさしく接そうが、笑っていようが捨てられた事実は変わらない。
それらに何の意味があったかと疑問を投げかけては殻にこもりたくなる。
(きっと今のわたし、嫌な顔してる)
よどんだ顔とはわかりやすいものだから。
「生きてても死んでしまっても同じことなのに?」
「変わる。自分でどちらかを選ぶ日がくる」
「選ぶ……?」
月冴が詰め寄って青さにまぶしく微笑み、少女の頭を撫でる。
しめった吐息に少女は驚き、胸が起伏するたびに呼吸を意識した。
「考えてみます。ちゃんと、どうすべきか考えます」
「あぁ」
目を奪われる。
これを見れるならば生きることにも前向きになれそうな気がした。
つられて少女は小さな可憐な花のように笑う。
庭に咲いた花が風に揺れてさらさらと音をたてていた。
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