第4話「寒さは慣れていても」

その翌日も少女は変わらずに部屋にいた。


だが障子扉を開いて庭を眺め、一歩踏み出そうとしては引っ込めるを繰り返す。


(勝手に歩いていいのかわからない)


どうせ歩くのならばもう一度と想像しては首を横に振った。




「……なに?」


縁甲板に触れた指先でわずかな振動に気づく。


だんだんと音が大きくなり、存在を主張しているので意識が音に集中した。


顔をあげた先に銀色のきらめきが空を流れている。


以前はきらびやかなのに氷のように見えたが、今は太陽に照らされて七色を映していた。


期待に満ちたまなざしに目が離せないでいると、月冴の手が伸びて少女の顎をつかむ。



「外へ出るぞ」


「外……ですか?」


「行くぞ」


「きゃっ!?」


短い悲鳴とともに膝が浮いてそのままもたもたしながら立つ。


力強さと歩幅の違いに少女は不安定に足を動かした。


あまりに頼りなく、されど必死についていこうとする様に月冴は息をつくとひょいと軽々に少女を肩に担ぐ。


「あのっ! お、おろして……」


「そんなフラフラでどうやって外に出れるというんだ」


月冴に抗議しても聞く気はないようでさっさと屋敷から出ると高下駄をカラコロ鳴らす。


屋敷の中からは空は晴れ模様だったのに、外に出ると一瞬にして大気が澄み渡るような夜に変化した。


寒さに対応しようと体内の熱があがり、頬が火照ってむずがゆい。


ここは本当にあやかしの世界のようで、カラコロと鳴る足元が暗闇でまったく見えない。


その割には月冴の銀色はきめ細やかに輝いているものだから息をのむ。


「……あの」


少女の声に月冴はピタッと足を止める。


少女は月冴の肩を押すと逸る気持ちのままに蒼の瞳を見下ろした。


「自分の足で歩きたいです」


「見てのとおり足元は隠れてしまう」


「それでも。……お荷物は嫌ですから」


そうでなければ売られて生け贄になることもなかった。


せっせと養父に尽くして許されようとしたが結局何の意味もなかったと喉の奥がジンジン痛んだ。


どこならば居てもいいのか見いだせない少女に月冴はため息を吐く。


月冴が手を雑に横ぶりすると、行列を成して灯り火が一直線に伸びた。


さゆらぎに目を奪われていると月冴が少女を下ろして足元に膝をつく。


裸足の少女の足を浮かせ、滑る手つきで下駄を履かせた。


「その足ではすぐに捕まってしまう。手を離すな」


水仕事で荒れた少女の指先を握り、月冴は火影に銀色をなびかせる。


なんと燦々(さんさん)とした横顔だろう。


見惚れていると最後の火にたどり着いたようで、目の前には鮮やかな赤に染まる鼓門が現れた。


出会ったときはずいぶんとしかめっ面だったが、今はいたずらを思いついた子どものような顔をしている。


大股で荒々しいと思ったが、少女をおろしてからはゆっくりと歩いてくれた。


他人に合わせることに慣れていないのだろう。


時折確かめるような目つきで少女を横目に見ていた。


(ふしぎな人。おじさんは振り返ってくれなかったのに)


比べる対象としてはいささか間違っているような気がしたが少女には比較できる他人がいない。


生け贄として少女をとらえた村人は山のふもとで横暴に暮らす二人をよく思っていなかった。


いつだって見下される側で少女と対等に目を合わせてくれた人はいない。


ぎこちなくも強い足取りを玉遊びをするような音に変えてくれる月冴はまるで金平糖だった。


「この先はあやかしの町だ。その前に」


月冴は着流しした衣の袖から狐の面を取り出して少女の顔に貼り付ける。


視界が一気に狭まり、焦って面を浮かせて月冴の顔を覗き込んだ。


「これはなんですか?」


「この世界で人間はすぐに喰われる。その面は匂い消しさ」


あくまでここはあやかしの世界。


嫌悪を向けられるのは同じでも、食う食わないの差は大きい。


身を守るために面をつけ、少女は白檀の香りにソワソワと身を揺らした。



それを見ていた月冴は鼻息混じりに微笑すると滑らかな手で少女の手を引いた。


再び月冴を見上げ、お面を下げる。


(お面をつけていてよかった。だって熱いくらいだもの)


寒さには慣れていても、人肌には頬が強張ってしまう。


背を向けられるのは何度も胸が起伏してしまうから好きじゃない。


だからといって正面に現実離れした美しさが現れると触れられたくない箇所に触れられた気分だ。


期待した分だけ後から嗚咽がとまらなくなる。


(少し怖い。だけど足を止めてしまうのも怖いから)


柄のない灰桜色の着物の合わせをかきよせて、月冴と同じように下駄を鳴らした。

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