エピローグ
第49話 戻らない日常
最後のゲームが終わってから、一週間が経った。
地元の街に戻ってきた1年B組の生徒たちは、それぞれの想いを抱えたまま、いつもの日常へと戻っていく。
ただ一人、立花蓮司を除いて。
「蓮司、入るよ。」
葵は向こう側からそう言うと、蓮司の部屋のドアを開けた。
制服姿の彼女の手には、今日配られたであろう何枚ものプリントが抱えられている。
「まったく、少しくらい掃除しなさいよ。」
葵は蓮司の部屋を見回してため息をついた。
そしてこちらの方、ベッドの上へと視線を向ける。
蓮司はパジャマ姿のまま、布団のなかに横たわっていた。
「うるせーな。別にいいだろ、俺の部屋なんだから。」
蓮司は葵のほうを見ようともしない。
本音を言えば、口を利く事すらしたくなかった。
蓮司はゲームが終わってから、一度も学校には行かず、ずっと部屋に閉じこもっていた。
当然だ。みんなの前で盛大に振られ、この上ない醜態を晒してしまったのだから。
今頃クラス中に笑い者にされてると思うと、胸がキリキリと痛む。
「ねえ、そろそろ学校に来たら? みんな心配しているわよ。」
葵が恐る恐る尋ねるが、蓮司は何も答えない。
心配しているだなんて、嘘に決まっている。
ゲームでは男子たちを蹴落とし、数々の女子の"おっぱい"を丸出しにしたのだから。
恨まれこそするだろうが、心配されるわけがない。
「もういいから、放っておいてくれ。」
蓮司の言葉に、葵がうなだれるのがわかる。
こうして見舞いに来てくれるのも、幼馴染の彼女だけだった。
「そうだ。美咲から、これを預かってきたんだ。」
葵は言うと、鞄の中をゴソゴソと探りはじめた。
美咲――、古川美咲。
「うわああああああ!」
美咲の名を聞いた途端、蓮司は頭を抱えた。
振られたときのことが、鮮明に脳内にフラッシュバックされる。
『ごめんなさい。』
目に涙を溜め、真っ赤な顔で蓮司を振った美咲の顔は生涯忘れないだろう。
そんな様子を横目に、葵は蓮司の机の上に何かを置いた。
それは先々週、ゲームが始める前に貸した、漫画本だった。
「今回もおもしろかったって。また続きを貸してあげたら?」
貸すわけがない。
そもそも、どの面を下げて、彼女に話しかければよいかもわからない。
無言を貫く蓮司に、葵も少しだけ黙り込んだ。
顔を見なくても、何かを迷っているような素振りを感じる。
ようやく口を開いた彼女の声は、いつになく神妙なものだった。
「あのね、蓮司に言わなきゃいけないことがあるの。」
その声色に、蓮司は思わず葵のほうを向いた。
今日初めて目が合った葵は、真剣な顔でこちらを見ている。
「私、小田切くんと付き合うことにしたの。」
予想外の内容に、蓮司はぽかんと口を開ける。
頬を染める葵はどこか遠くを見つめた。
「あのゲームのあと、言われたんだ。ずっと好きだった。今回は守れなかったけど、これからは二度とあんな目に逢わせない、俺が絶対守るからって。」
「だから私、彼を信じてみることにしたんだ。蓮司には、伝えておきたくて。」
蓮司は体を起こすと、葵に声をかけた。
「そうなんだ、おめでとう。何だか俺も、すごく嬉しい。」
この言葉は本心だった。
先日から葵に対して抱いていた複雑な心境は、ゲームの終わりとともに消え去っていた。
今は純粋に、親友と幼馴染の恋路を応援したいと、心から思えた。
「ありがとう。小田切くんも蓮司に会いたがってるから、明日は学校に来てね。」
葵はそう言うと、小さく手を振って蓮司の部屋を後にした。
一人残された蓮司は、再びベッドのうえに横になった。
「なんだかな…。」
蓮司は名状しがたい心境をつぶやく。
結局、優勝した蓮司は振られ、準優勝の小田切が好きな人と結ばれたわけだ。
あのゲームは一体何だったのだろうか。
終わってから振り返っても、意味があったものとは思えない。
そんなことをぼんやり考えていると、コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。
葵だろうか。何か忘れ物でもしたのか。
しかし聞こえてきたのは、最近までよく聞いていた、威勢の良い声だった。
「失礼するぞ!」
九条が扉を開け、我が物顔で部屋に入ってきた。
予想外の来客に、蓮司はベッドの上に跳ね起きる。
「ふん。随分狭い部屋だな。まあ庶民はこんなものか。」
九条はそう言うと、蓮司の前まで歩いてくる。
「立花蓮司。お前最近ずっと休んでいるようだな。学生は学校に行くのが責務だ。すぐに登校しろ。」
「嫌ですよ。もう二度と行きたくありません。」
仁王立ちする生徒会長に、蓮司ははっきりと言い放つ。
失うものが何もなくなった今となっては、この女も脅威ではなくなっていた。
「せっかく優勝したというのに、部屋に籠っていては何も意味がないではないか。」
「それですよ、原因は。優勝したら好きな人と付き合えるだなんて、嘘だったじゃないですか。」
蓮司の言葉にも、九条は全く動じない。
「嘘ではない。お前は好きな人と付き合える権利を行使した。だが、彼女にも断る権利があった。それだけだ。」
つまり、付き合える権利とは言葉の綾で、実態は何もなかったということだ。
蓮司は脱力し、ベッドの上に尻餅をつく。
そんな様子を見て、九条は部屋の中を闊歩し始めた。
「いいか。お前は、いや誰でも最初から、好きな人と付き合える権利を持っていたのだ。だが、みんなそれを使っていなかった。」
九条は蓮司の顔をじっと見つめる。
「お前はこれまで、勝手に古川美咲と付き合えないと思いこんで、その権利を行使していなかった。違うか?」
蓮司はその言葉に、かつての自分を思い出していた。
"いつか"美咲と仲良くなって、"いつか"付き合えたらいいなと思っていた。
でも"今"はきっと無理だと、どこかで諦めていたのかもしれない。
彼女が自分をどう思っているかも知らずに、確かめようともせずに。
「あのゲームは、そのことを気づかせるためにあったのだ。相手の気持ちがどうなのかなどわからないのに、傷つくことを恐れて一歩を踏み出さない。そんな男たちの背中を押すために、あえて"誰とでも付き合える権利"などという虚構を賞品にしたのだ。大義名分さえあれば、お前のように堂々と想いを伝えられるようになるからな。」
「でも、結局付き合えなかったじゃないですか。」
九条の言うとおり、ゲームを通じて蓮司は美咲への想いを強め、最終的に告白した。
そして振られた。
「…それはまだ、わからんさ。」
九条は意味深な笑みを浮かべる。
首を傾げる蓮司に、彼女は続けた。
「他にもあるぞ。実は想い人とペアになれるように、いつも工夫しているのだ。1年B組の場合はたまたま隣の席の場合が多かったので、そのまま採用したが。ペアになったふたりはゲームを通じて仲を深められるし、吊り橋効果もあって互いを好きになりやすい。」
「じゃあなんで、あんな破廉恥な内容にしたんですか。」
蓮司は素朴な疑問をぶつける。
「それこそ、不純異性交遊を防ぐためだ。異性に慣れていないカップルは、良からぬ方向へ暴走することもある。男子はまだ見ぬ女体を知るために愚行に走り、女子は知識のなさから自分を安売りしたり、逆に固すぎるガードを張ったりする。その結果として悲劇が起きる。」
九条はいつものように手を広げながら、蓮司の部屋をぐるぐると回り始めた。
「不純異性交遊を防ぐには、いたずらに性を禁止するのではなく、男女ともに性への免疫をつけておく必要があったのだ。」
一応言っていることはわからんでもないが、それにしてもやりすぎではないだろうか。
「ちゃんと色々考えていたんですね。」
「当たり前だ。私は恋のキューピッドになりたかっただけさ。」
柄にもないことを言う生徒会長に、蓮司は思わず噴き出した。
九条は九条なりに、生徒を思って行動していたのだと知る。
彼女が間違えてしまったのは、手にしたのがハートの弓矢ではなく、マシンガンだったところだ。
おかげでこちらは焼け野原である。
「さて。少しは学校に来る気にもなったか?」
「ならないですよ。彼女にどんな顔して会えばいいんですか。」
蓮司は不貞腐れたように横を向いた。
美咲は隣の席なのだ。登校すれば嫌でも顔を合わせることになる。
「まったく。お前は本当に人の話を聞かないな。」
「あなたが言えたことですか。」
「ちがう、そういうことじゃない。」
九条は首を振ると、まっすぐこちらを見つめた。
「私が最初に言ったことを思い出せ。パートナーとはよく話せ。パートナーを信じろ。このパートナーはゲームの中だけじゃなく、人生のパートナーでも同じだぞ。」
彼女の言葉に、蓮司もまっすぐ見つめ返す。
「振られたから何なのだ。それで終わる関係だったのか? 彼女とは話をしたのか? 諦めるのはまだ、早いんじゃないのか?」
九条の問いかけに、蓮司は思考を巡らせた。
そういえば、どうして振られたのか、まだ理由を聞いていなかったな。
「私から言えるのは、それだけだ。明日は学校に来るんだぞ。」
九条はそう言うと、くるりとターンして部屋の扉へと向かう。
その後ろ姿に、蓮司は声をかけた。
「それで、不純異性交遊は防げたんですか?」
「それはお前次第だ、立花蓮司。」
九条は振り向かずに続けた。
「お前の古川美咲へのアプローチが、私の監視に引っかかったのだ。お前が道を踏み外さなければ、すべて予定どおりさ。」
彼女はそう言うと、部屋の扉を勢いよく閉めた。
またしても取り残された蓮司は、ベッドの上に横たわる。
「パートナーを信じろ、か。」
頭の中に、ぼんやりと美咲の顔が浮かんだ。
次に会った時、彼女はどんな顔をするだろうか。
色々と想像しているうちに、蓮司はいつしか眠りについていた。
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ジリリリリリリリリリリリ!
けたたましく目覚まし時計が鳴り響き、蓮司は目を覚ました。
いつの間にやら翌日の朝になってしまっているようだ。
でも、おかしい。学校に行く気もない蓮司は、目覚まし時計のスイッチを切っていたはずだ。
部屋を見回すと、目覚まし時計はいつもの場所とは違い、蓮司の机の上に置かれている。
葵の仕業だな。
蓮司は立ち上がると、眠気眼で机まで歩き、アラームを消す。
まったく、こんなことをしても学校には行かないというのに。
蓮司は目をこすりながらベッドに戻ろうとし――、ふと、机の上に置かれた漫画本が目についた。
美咲に貸した日のことが脳裏に浮かぶ。
まだ半月前なのだが、もうずいぶんと昔のように感じられた。
蓮司は思わず漫画本を手に取り、パラパラとページをめくる。
今回は結構ハードな内容だったから、美咲には刺激が強かったかもな。
そんなことを思いながら、蓮司は本棚へ向かうと、漫画本を元に戻そうとする。
その時だった。
一枚の紙が、漫画本からひらりと舞い、床に落ちる。
「ん?」
屈んでみてみると、それは折りたたまれた便箋のようだった。
拾い上げると、そこには可愛らしい文字で、何かが書かれている。
それは、まぎれもなく、古川美咲の字だった。
"立花くんへ"
"今回も貸してくれてありがとう。ちょっと怖いところもあったけど、とっても面白かったよ。はやく感想を話したいです。"
"それから、このあいだ言ってくれたことについて、あれから色々考えました。あのときはびっくりしちゃったけど、今は私からも伝えたいことがあります。"
"嫌なこと言っちゃったのは私なのに、身勝手でごめんね。もし許してくれるなら、明日の朝のホームルームの時間に、少しだけお話させてください。"
"みんなも立花くんに会いたがっています。学校に来てくれること、楽しみにしているね。"
"古川より"
蓮司は手紙の内容を、何度も何度も読み返す。
伝えたいことってなんだろう。
それに今日の朝のホームルームってーー。
蓮司が時計を見ると、既に出発しなければならない時間を大幅に過ぎていた。
「ああ、くそ!」
蓮司は大急ぎでクローゼットから制服を引っ張り出した。
袖を通すのは久しぶりである。そのまま階段を駆け下り、洗面所で顔を洗う。
「蓮司! 学校に行くの? 朝ごはんは?」
「いらない!」
母親の問いかけに返事をすると、玄関の扉を勢いよく開ける。
そこに葵の姿はなかった。
蓮司は目の前の通りへと降りると、学校へ向けて駆け出した。
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