第48話 おっぱいと夏★

「それでは、これよりブラジャー綱引きゲームを開始する。よーい、はじめっ!」


九条のかけ声に合わせ、蓮司はコントローラーのスティックを思い切り手前に押し込んだ。

連動して美咲の乗る浮島が手前に移動する。

裏面に何か動力でもついているのか、その動きは力強く、スムーズなものだった。


反対側の小田切も同じ操作をしたのか、葵の乗る浮島がこちらから離れるように動いていく。

その結果、ふたりを繋ぐ綱に力がかかり、それぞれのブラジャーを引っ張り始めた。


「「き、きゃあああああ!!」」


美咲と葵が同時に悲鳴をあげる。

ふたりのブラジャーは浮き上がり、徐々にその胸の膨らみが露わになっていく。

背中のホックもキリキリと音を立てており、あれが弾けたら最後、おっぱいは晒され、ゲームに敗北するのだろう。


蓮司は意味がないとわかっていながらも、スティックを抑える指に力を込めた。

このゲームには、戦略も何もなかった。

横に動いたり、反対に相手のほうに向かっていっても良いことは何もない。

純粋にブラジャーの強度と、運によって勝負が決するのだ。


「い、いや…。」

「だめ、もうやめて…!」


美咲と葵は羞恥の表情を浮かべながら悲痛な声をあげる。

頭の後ろに手を回すと、自然と胸が突き出され、おっぱいを強調する格好になる。

そんな状態でブラジャー剥ぎ取られたら、おっぱいは丸出しになるだろう。

すでにそれぞれのブラはぷるぷると小刻みに揺れている。

そして、何かが千切れるような乾いた音が響き渡った。


ブチッ。

「…え?」


蓮司は間抜けな声をあげた。

弾け飛んだのは美咲のブラジャーでも、葵のブラジャーでもなかった。

ふたりを繋ぐ綱が、ちょうど真ん中で切れてしまったのだ。

蓮司も小田切もスティックから手を離し、唖然としてその様子を見つめる。


「あー…。」


九条が拡声器を構えたまま、声にならない音を発した。

真っ二つになった綱はプールの水面にフラフラと動いている。


「急いで作ったから、強度が足りなかったか。どうしたものか…。」


九条がつぶやく心の声が、大きな声に変換されてこちらに聞こえてくる。

蓮司たちも、プールを取り囲むクラスメイトも誰も何も言わず、しばらくの間、嫌な沈黙が流れた。


全員の注目を集める中、九条は少しだけ目を閉じる。

――すぐにカッと目を開くと、張りのある声で叫んだ。


「よし、決めたぞ! 立花蓮司、小田切幹太、ふたりともプールへ飛び込め! 自らの手で綱を引き、相手のブラジャーを剥ぎ取るのだ!」

「はあああ!?」


もうめちゃくちゃである。

明らかに今考えたルール変更で、もはやゲームの体を成していない。

しかし、小田切が向こうで靴を脱ぎ捨てるのを見て、蓮司も慌てて準備をする。

こうなったら、やけくそだ。

ふたりはプールサイドの端に立つと、同時に水面に飛び込んだ。


冷たい水がひんやりと体に染み渡って気持ちがいい。

そういえば、今年はまだプールに入っていなかった。

学校以外のプールに入ったのもずいぶん久しぶりだ。

蓮司はばしゃばしゃと水を掻き、中央に浮かぶ綱の端に辿り着く。

ちょうど同じくらいに小田切も到着し、ふたりは少しの間、視線を交差させた。


これで本当に最後だ。

余計な小道具などなく、己の力のみで勝利を掴みとるしかない。

ふたりは頷きあうと、そのままそれぞれの綱を引っ張り始めた。


「「うおおおおおお!!」」


蓮司が綱を引っ張ると、繋がっている葵のブラジャーが持ち上がった。

しかし、水中だとうまく力が入らない。

足で上手く水を蹴り、少しでもブラジャーを剥ぎ取ろうと躍起になる。

小田切もまた、美咲のブラジャーを思い切り引っ張っていた。


周りから見れば滑稽だろうが、蓮司と小田切は己のプライドを賭けて、無我夢中で綱を引っ張る。

その様子に、クラスメイトたちは立ち上がって、声援を送り始めた。


「いけー! 立花! 負けるなよ!!」

「小田切ー! 根性見せろ!!」

「美咲も葵も頑張ってーー!」

「うおおおおお! おっぱいを見せろーー!」


それぞれが思い思いの言葉を叫び、プールサイドは大きな盛り上がりを見せていた。

賑やかな声援の中で、九条が満足そうに頷いている。


「おりゃあああああ!!」

「頑張れー!!」

「やめてえええ!!」


ふたりの雄叫びと、観衆の声と、美咲と葵の悲鳴が反響する。

その中で、蓮司は思った。


プールに水着。

眩しい日差しと水飛沫。

熱い声援。

恋する男女。

そして、おっぱい。


これが夏だ。夏なのだ。

喧しい声が飛び交う中で、蓮司は最高に夏を感じていた。

暑いだけの嫌な季節だと思っていたが、こんなにも楽しく、彩りのあるものであったとは。

――悪くない。


「れ、蓮司! お願い、もうやめて!」


葵の声に、蓮司ははっと顔をあげた。

彼女のブラジャーはもう限界だった。

小ぶりなおっぱいはもうほとんどがはみ出しており、その布地は引っ張られてほとんど一本の線のようになっている。

あと少しで、葵のおっぱいは丸出しになる。


「蓮司…!」


涙目で訴える葵に、蓮司の頭には走馬灯のように彼女との思い出が蘇ってきた。

一瞬だけ、蓮司の綱を引く手が止まる。


「ああ…。もう、だめ…。」


逡巡する蓮司の耳に、美咲の声が聞こえてきた。

チラリと確認した彼女の姿はもっと悲惨だった。

ブラジャーが持ち上がり、その豊かな膨らみのほとんどを隠していない。

蓮司の位置からでも、その先端の突起こそ見えないが、その周囲に色づく乳輪が左右ともにはみ出しているのが見えた。

もう一刻の猶予もない。


「ごめん。」


蓮司は綱を握り直すと、最後の力を振り絞って一気に引っ張った。

プツリと何かが壊れるような感覚があり、葵のブラジャーが宙を舞った。



飛び散る水飛沫が、光を反射してキラキラと輝いている。

その向こうに、葵のおっぱいがあった。

細い体にぴったりの、小ぶりな手のひらサイズのおっぱい。

そしてその中心には、薄い茶色をした、儚い乳首がちょこんと乗っていた。


「いやあああああああーーーーーっっっ!」


遅れて葵が絶叫した。

ふるふると首を振り、手を動かそうとするが、無情にもその拘束は解けない。

胸を突き出した格好のまま、陽の光に照らされた葵のおっぱいは、人々の目に晒された。


「おおおおおお!!」


観衆からは地鳴りのような叫び声があがり、誰もが葵のおっぱいを見つめ、その隅々までを観察する。

白い肌も、淡い乳輪も、小さく突き出した乳首も、鮮やかに、克明に、男たちの記憶に刻まれていった。


「ゲーム終了! 勝者、立花、古川ペア!!」


九条が宣言し、ピピーっと笛が鳴り響いた。

蓮司は体の力が抜け、仰向けに水面にぷかぷかと浮かぶ。

やっと終わったのだ。

多くの犠牲を払いながらも、破廉恥ゲームは終了した。


「だーっ! 負けた!!」


小田切も両手を広げると、同じように仰向けで倒れ込んだ。

そして蓮司の近くまで流れてくる。


「あとちょっとだったのにな〜。」


小田切の言うとおり、美咲のブラジャーは本当にギリギリの状態で、その場に留まっていた。

勝負は紙一重だったわけである。


「やっぱり、お前には勝てないのか…。」

「そんなことないだろ。こっちもギリギリだった。勝負は時の運さ。」


ふたりはぷかぷかと浮かびながら笑いあう。


「それにしても、葵ってあんなに良いおっぱいだったんだな。」


小田切の言い草に、蓮司はぷっと吹き出した。

意外にもこの男はあっけらかんとしていて、ちゃっかり顔を上げて葵のおっぱいを堪能していた。


「確かに、いいおっぱいだな。」


蓮司も改めて葵のおっぱいを確認する。

大きさは控えめだし、乳首の色もピンク色とは言い難い。

でも、それが良いのだ。

生々しいというか、リアリティがあるというか、頭の中で思い描くおっぱいのイメージと、葵のおっぱいは合致する。

おっぱいってこういうものだよな、と蓮司は心の中でつぶやいた。


「ねえ…。早く助けて…。」


葵が顔どころか身体中を真っ赤にして、恥ずかしそうにつぶやいた。

そういえば、葵はまだ両手を縛られたままだった。

水着剥ぎ取りゲームでは、女子たちは一瞬だけおっぱいを晒したが、葵の場合はもう数分はおっぱい丸出しの状態である。

そろそろ助けてあげないとかわいそうだ。


ちゃぷちゃぷと水を掻き、小田切が葵の救出へと向かう。

蓮司はその様子をぼんやりと眺めていたが、ふいに美咲の鋭い声が聞こえてきた。


「た、立花くん!」


振り返った蓮司は目を見開いた。

美咲の胸を覆うブラジャーが、じりじりとずり落ちているのだ。

もはやホックが意味を成しておらず、美咲の胸の膨らみに布が引っかかっているだけだった。


「ああ…。胸が、胸が…。」


美咲が羞恥に顔を歪めながら目を瞑る。

彼女もまた、両腕を縛られたままなので、どうすることもできないのだ。


「古川さん!」


蓮司は大急ぎで美咲のほうへと泳いでいった。

早く彼女を助けなければ!

その想いが裏目に出たのか、蓮司は浮島に登る時に失敗する。


「うわぁ!」


水上を浮かぶだけの足場は、不安定だったのだ。

蓮司が勢いよく登ろうとした結果、浮島はバランスを崩してひっくり返りそうになる。

その反動で、美咲の体が前へと飛び出した。


「きゃあ!」


美咲は悲鳴を上げながらプールに落水する。

そして、その場でバタバタともがき始めた。

手が縛られているので、当然泳げないのだ。


「古川さん!!」


蓮司は美咲を抱きしめるように掴むと、その場で静止する。

美咲が呼吸を整えるのを見て、ほっと安堵の息をつく。

そして、あることに気がついた。


『ん? あれは…?』


蓮司の目は、数m先に浮かぶ謎の物体を捉えた。

それは、美咲のブラジャーだった。

ホックが完全に壊れたのか、今やただの布切れとなって漂っている。

と、いうことは…。

蓮司は顔を下げて美咲の体を確認する。

水面が揺らぎ、太陽の光が歪んで反射していた。


「…! 立花くん、早く縄を解いて。」


美咲もそれに気づいたのか、真っ赤な顔で懇願する。

蓮司は目を白黒させながら、震える手で美咲を縛る紐を解いた。

彼女はすぐに胸を隠すと、恥ずかしそうに上目遣いする。


「み、見えてないよね?」


美咲の問いかけに、蓮司は少し迷ったあとに、頷いた。


「立花古川ペア、小田切小鳥遊ペア。ゲームは終わった。そろそろプールから出てきたまえ。表彰式を行う。」


九条が拡声器で呼びかけた。

彼女の言葉に、黒服たちが慌てて表彰台のようなものを運んでくる。

こんなものまであるとは、本当に無駄に用意が良すぎる。


蓮司は美咲を庇いながら、プールの端の梯子から陸へと上がった。

すぐに小田切たちも後に続く。

ふたりの少女はブラジャーが壊れてしまったので、恥ずかしそうに手で胸を隠していた。


「さあ、優勝、準優勝、そして3位のペアはこちらへ。」

「え? ここに登るの? その前に――。」


九条の指示に、美咲が何か言いかけたが、黒服たちに押されて渋々表彰台の真ん中に乗った。

蓮司もその隣に立ち、小田切たちと千葉たちが横に並んだ。

他のクラスメイトもぞろぞろと目の前に集まってくる。


「では、表彰式を開始する。不純異性交遊禁止法に基づくゲームの優勝者は、立花蓮司と古川美咲ペアだ! みんな拍手!」


わっと拍手が沸き起こり、蓮司は思わず頭を掻いた。

こんなふうに表彰されることもあまりないので、なんだか照れてしまう。


「さて、優勝者の賞品だが、約束どおり誰でも好きな人と付き合える権利を与えよう!」


九条の言葉に蓮司ははっとする。

そうだった。

優勝者に与えられる賞品――誰でも好きな人と付き合うことができる権利。

それを行使する相手は、もちろん決まっていた。


蓮司はひょいと表彰台から飛び降りると、美咲のほうへと向き直る。

目を丸くする彼女のことをまっすぐ見つめると、その場に跪いて手を差し出した。


「古川さん! 俺は、世界で一番君のことが好きだ! 俺と付き合ってください!」


想いを乗せた言葉が、プールサイドに響きわたった。

周りのクラスメイトもニヤニヤしたり、ヒュヒューと囃し立てたりしている。

ゲームでの蓮司の姿や言動から、美咲への想いはすでにクラス全員が知るところとなっていた。


しーんとその場が静まりかえり、誰もが美咲の返答を固唾を飲んで見守る。

しかし、その答えは予想を裏切るものだった。


「ええ!? え、えーと、あの、その…。」


美咲は顔を真っ赤にすると、キョロキョロと周囲を見回した。

その場の全員が自分に注目しているのを確認し、うっすらと目に涙が浮かんでくる。


「ごめんなさい!!」


美咲は大きな声でそう言うと、ぱっと表彰台から飛び降りた。

そのまま脇目も降らずにプールサイドを駆け抜け、建物の中へと消えていく。


蓮司は目の前の出来事が理解できずに、ただぽかんと口を開けながら、美咲が消えた先を見つめていた。

静寂を破るように、九条がこほんと咳払いする。


「あー…。」


彼女は少しだけ、目を伏せる。

そして、にやりと笑うと、信じられないくらい元気な声で、言い放った。


「どうやら、振られたようだな!」


それが致命傷になった。

蓮司は目からボロボロと涙が溢れてくる。

目の前が何も見えなくなり、足の力が抜けてへなへなとその場に座り込んだ。

喉元に熱い嫌な液体が込み上げ、吐きそうになるのを必死に堪える。


「は、話が違うううううう!!!!!」


頭を抱えて叫ぶ蓮司の声が、夏の空へと溶けていった。

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