第32話 思い出と約束
甲板のうえには、船が波を切って進む音が絶え間なく響いている。
蓮司は月夜に照らされ、ぼんやりと浮かび上がる葵の姿を見つめた。
彼女にいつもの真面目そうな雰囲気はなく、服装もラフなTシャツと短パン姿である。
そのTシャツに描かれた掠れたキャラクターを見て、蓮司はそれが彼女が昔よく着ていたものだと思い出した。
「蓮司も、眠れないの?」
葵はゆっくりとこちらに歩いてやってくる。
「うん、まあ、そんなところ。」
「そうなんだ。蓮司にしては、珍しいわね。」
葵は蓮司の近くまで来ると、横を向いて海の向こうを眺めはじめた。
「おいおい、どう意味だよ?」
「だっていつも寝てるじゃない。何か悩み事でもあるわけ?」
顔はこちらに向けないまま、葵は何の気なしに聞いてくる。
悩み事――。
もちろん、ある。美咲のことだ。
しかしそれを葵に相談するというのも、なんだか、変な感じがする。
「…。」
「ほんとに悩んでるみたいね。何かあったの?」
黙りこくる蓮司のほうを、葵はチラリと一瞥する。
「いや、別に、何もねーよ。」
「ふーん? 相変わらず嘘つくの下手ね。」
葵は手すりに肘を乗せ、上体を倒して頬杖をついた。
なんだか心の中を見透かされているようで、蓮司は慌てて質問する。
「あ、葵はどうなんだ? 明日からのゲームとか、やるの嫌じゃないの?」
「嫌に決まってるでしょ。何でビキニなんか着て、しかもそれを剥ぎ取られなきゃならないのよ。」
葵がはぁ、とため息をつく音が海に消えていく。
「あの生徒会長には、恥ずかしいとかいう感覚がないのかしら。おっぱいもパンツも、好きな人にしか見せちゃだめなのに。」
なんだがどこかで聞いた台詞である。
美咲だ。
美咲も最初のゲームの時にそう言っていた。
男の自分にはよくわからないが、やっぱり女の子は自分の体を見られるのは恥ずかしいものなのだろう。
「ゲームといえば、蓮司に聞きたいことがあるの。」
改まった前置きに、蓮司は彼女の横顔をじっと見つめる。
「蓮司は、もしゲームで優勝したら、誰と付き合いたいの?」
予想外の質問に、蓮司は言葉に詰まった。
沈黙を、波の音がかき消していく。
「な、なんで急にそんなこと…。」
「ほら、前に私に同じことを聞いてきたじゃない。蓮司はどうなのかなと思って。」
答えはもちろん決まっている、はずなのだが、なんだか自分でも釈然としない。
思い浮かぶ美咲の顔は、蓮司への嫌悪感に溢れたものだった。
なんと答えてよいのかわからず、蓮司はそのままの想いを口にする。
「…わからない。」
「わからない、ねえ。でもあれだけ必死に戦ってるってことは、付き合いたい人がいるのよね。」
葵の言葉に、これまでのゲームを振り返ってみる。
確かに、美咲のパンツを、おっぱいを守るため、ずっと全力で戦ってきていた。
それは間違いのないことだった。
「そんなに必死だったかな。」
「そうよ。あんなに守ってもらえて、美咲は幸せ者ね。
…私も、蓮司とペアが良かったな。」
付け足すように、葵がポツリとつぶやく。
蓮司も、彼女の視線を追うように、海の向こうへと目を向けた。
美咲は自分とペアであることを、良かったと思っているだろうか。
「悩んでいるのは、美咲のことね?」
ふいに、葵は鋭く核心を突いてくる。
「あの子、結構頑固なところあるから。謝るなら、ちゃんと謝りなさいよ。」
「お、おう。」
思わず葵の顔を見ると、彼女もこちらに顔を向ける。
顔は笑っているが、その目はなんだか寂しそうに見えた。
「…なんか、こうやって船に乗ってると、昔を思い出すわね。」
再び目線を海のほうに向け、葵は物憂げに話し始める。
「昔?」
「えー! 忘れちゃったの? みんなで旅行に行ったじゃない。」
葵の言葉に、蓮司は記憶の奥底を辿ってみる。
彼女とは家族ぐるみで仲が良かったので、旅行に行ったこともあったかもしれない。
「そうだったっけな…。」
「まあ、あれって小学校入ったばっかりとかだもんね。覚えてないか。」
葵はがっかりしたように肩を落とす。
「楽しかったのにな〜。みんなで海で泳いだり、水族館に行ったりして。あ、蓮司がアイス落としちゃって、大泣きしたのも覚えてない?」
「…よく覚えてるな、そんなこと。」
楽しそうに思い出を語る葵に、蓮司は小さく返事をした。
思えば、彼女とは物心ついたころからずっと一緒だった。
今は出てこないものも含めて、葵との思い出はたくさんあるのだ。
「…じゃあ、あの約束も、覚えてないのね。」
「約束?」
蓮司が首を傾げると、葵はふるふると首を振る。
「なんでもない。忘れて。」
歯切れ悪く答えた葵は、パッと手すりから手を離した。
「さ、私はもう戻るね。これ以上起きてたら、明日寝不足になっちゃう。」
微笑む彼女の顔は、僅かな月明かりによって少しだけ照らされている。
蓮司は、すぐに返事をすることができなかった。
何かを言わなきゃいけないような、そんな不思議な感覚が湧き上がってくるのだ。
しかし、結局適当な言葉が見つからず、小さく口を開いた。
「…ああ、そうだな。また明日。」
「うん、また明日。おやすみ。」
葵は小さく手を振ると、来た道を辿るように船室へと戻っていった。
残された蓮司は、困ったように天を仰いでみる。
満天の星空を背景に、美咲と葵の顔が、交互に浮かび上がってきた。
「はっ…。」
自嘲気味に笑った蓮司は、自分の船室へと足を向けた。
我ながら、軽いというか軟派なものである。
葵はずっと傍にいた。
近くにいると、案外その大切さに気がつかないものである。
それでも、今は他に守るべき人がいるのだ。
自室に戻った蓮司はベットにどさりと倒れ込んだ。
しばらくの間、ふたりの顔がぐるぐると頭の中に浮かんでいたが、いつしか眠りに落ちていたのだった。
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『あー、1年B組の諸君。朝だ。起床時間だ。目覚めたまえ。』
頭上のスピーカーから、九条のアナウンスが響き渡った。
いきなり叩き起こされたことに顔をしかめながらも、蓮司は少しだけ目を開ける。
閉め切られたカーテンからはうっすらと光が差し込んできており、もうすっかり夜が明けているらしい。
『窓の外をご覧ください。ぜひとも見ていただきたいものがございます。』
ガイド口調の九条の指示に従い、蓮司は体を起こしてカーテンを開けた。
一瞬だけ朝陽に目が眩み、その後に見えてきた光景に驚愕する。
『あちらが日本最大のテーマパークにして第三のゲームの会場、夢の国でございます。』
彼女の言うとおり、そこにはメルヘンなお城を中心とした、巨大な遊園地が広がっていた。
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