第25話 戦略と弱点
美咲は蓮司の腕を掴んだまま、ぐいぐいと廊下を進んでいく。
すでに1年B組の教室からだいぶ離れているが、止まる気配がない。
「古川さん、どこまで行くの?」
蓮司が叫ぶと、美咲はようやく足を止めた。
くるりと振り返ると、こちらの顔を覗き込みながら話し始める。
「ごめんね。あんまり人に聞かれたくない話もあって。」
美咲はそう言いながら、廊下の壁際に置かれた長椅子に腰掛けた。
なりゆきで蓮司も隣に座る。
彼女は足をふらふらと揺らしながら、どこか遠くを見つめていた。
「まずね、立花くん。女の子のおっぱいって、大体BカップかCカップくらいなのよ。」
「そ、そうなの?」
予想外の話の内容に、蓮司は一瞬面食らってしまう。
「そうよ。だからあんまり、人にAAカップだなんて言っちゃだめよ。」
美咲の言葉がグサリと突き刺さる。
きっと、先ほど葵に言ったことを咎めているのだろう。
「もちろん、AAカップの人もいるし、逆にすごく大きい人もいるけどね。きっと葵ちゃんじゃなかったら、もっと怒ってたと思うよ。」
思ったよりも自分の発言は問題があったらしい。
軽率なことを言ってしまったと改めて反省する。
「それは悪いことしたな…。あとでちゃんと謝らないと。」
「まあ、ふたりの仲なら大丈夫だと思うけど。それに、戦略的にもあんまり良くなくて…。」
美咲はじっと自分の足の先を眺めながら、続ける。
「基本は相手の回答から正解を絞り込まなきゃいけないから、最初はできるだけ真ん中あたりを言った方がいいと思う。」
美咲の言っていることを、蓮司はしっかりと考えてみる。
確かに、中央値を言った方が大小によって絞れる範囲が狭くなるので、より有利に推理が進められるわけだ。
「たぶん、小田切くんはそれもわかってたんじゃないかな。いきなり真ん中のカップ数を言われたから、びっくりしちゃった。」
なるほど。あいつもちゃんと考えてゲームに挑んでいたのか。
今さらながら、よく勝てたものである。
「なんだか、古川さんに頼ってばかりだな。」
蓮司は頭をぽりぽりと掻きながらぼやいた。
ほとんど美咲の戦略におんぶに抱っこの状態で、我ながら情けないことである。
「ごめんね、こんなパートナーで。俺、頭悪いし、何も取り柄がないからさ。」
ポツリとそう言うと、美咲は意外な反応を見せる。
パッと顔を上げると、長い髪を靡かせながらこちらにまっすぐ向き直った。
「そんなこと、ないと思うよ。」
美咲は澄んだ瞳でこちらをじっと見つめながら、はっきりと話し出す。
「立花くんって、頭の回転が速いというか、地頭が良いんだなって思う時がよくあるよ。さっきの試合も、少しの情報だけで正解まで辿り着いてるし。」
「スカートめくりゲームのときだって、ちゃんと最後まで、私のことを守ってくれたでしょ。あれって、立花くんがしっかり考えて行動してくれていたからだと思ってるよ。」
一切の穢れもない瞳に見つめられ、蓮司は思わず後ろにのけ反った。
顔が耳まで真っ赤になるのを感じる。
「でもほら、いつもテストは赤点だから。」
「それは勉強ができるかどうかって話で、頭が良いかどうかとは別だと思うよ。」
蓮司はとぼけてみせるが、美咲は大真面目だった。
「それに、立花くんていつも周りに人がいっぱいいるじゃない。あれ、ちょっと羨ましいんだ。きっと立花くんは、人を楽しませる才能があるのよ。だから色んな人に好かれてる。」
真っ直ぐな言葉の一つ一つが、蓮司の心に染み渡る。
こんなに人に褒められたのは、いつぶりだろうか。
「ありがとう。なんだか、そう言ってもらえると照れるな。」
「立花くん、いつも私のこと、たくさん褒めてくれるから。たまには、お返ししないとね。」
いたずらっぽく笑う美咲は、軽くウインクをする。
こんな何もない自分にも良いところを見つけてくれるなんて、どれだけ純真な心を持っているのだろう。
これを天使と言わずに何であるというのか。
「それに、私の戦略も欠点があるしね。」
美咲は髪を耳に掛けながら、再び視線を前に戻す。
「欠点?」
「そう。相手も同じことを考えて行動した場合、結局勝敗は運で決まるってところよ。」
美咲の言っていることはわかる。
互いに最適化された行動をとれば、理論上は同じ確率で正解に辿り着くことになる。
あとは、たまたま狙った方に正解があるとか、運要素で勝負が決するわけだ。
「何か決め手になることがあればいいんだけどね。」
「…いや、あるさ。"おっぱい"だ。」
ふいに蓮司がつぶやいた言葉に、美咲は驚いた顔をする。
「あの生徒会長も言っていただろ? "おっぱい"は現実に存在するって。ただの数字を当たるゲームなら運かもしれないけど、目測である程度の目安は立てられる。」
先ほど葵の"おっぱい"を大外ししたことは、一旦棚に上げておく。
「それに、ゲームを勝ち進めれば"おっぱい"の大きさについての知見も蓄えられる。戦術カードも、"おっぱい"の大きさを測るのに使えるしね。」
あんまり真剣に"おっぱい"の話をするのは少々気が引けたが、ゲームに勝つためには仕方がない。
「できればあのカードは、あんまり使ってほしくないなぁ。」
美咲は微妙な表情を浮かべて呟く。
優しい彼女からしたら、自分だけでなく、友人たちがエッチな目に会うのも嫌なのだろう。
「なるべく、ね。でも古川さんを守るためなら仕方ないよ。」
蓮司はそう言うと、すっと立ち上がる。
「さ、これで作戦会議は終わりかな。」
「あっ! ちょっと待って! もうひとつだけ話があって。」
美咲も慌てて立ち上がる。
拍子にぽよんと"おっぱい"が揺れるのを、蓮司の目は見逃さない。
「あの、知っておいてほしいというか、気にしてほしいというか。」
美咲は珍しく、もじもじしながら視線を泳がせる。
そう言えば、先ほどから何か言いかけていたのを思い出した。
「今日の私の下着、フロントホックなの。」
「ふろんとほっく?」
聞き馴染みのない言葉に、蓮司はきょとんとする。
美咲はますます恥ずかしそうにしながら、小声で解説を始めた。
「ほら、あの、前で留めるやつってこと。」
前で留める、という言葉にもピンとこない。
しかし、先ほど九条の行ったブラジャー外しの実演を思い出し、ホックが前にあるということを理解する。
「だから、その、タグを見せたりするのは、ちょっと無理なの。」
顔を真っ赤にして言う美咲の顔を見て、蓮司はようやく合点がいった。
九条が見せたとおり、ブラジャーのタグはその内側についている。
通常は背中にホックがあるから、タグを見せるには背中を見せるだけ(だけ、ということもないだろうが)で済む。
しかし、美咲の場合はホックが前についている。
タグを見せるには必然的にその"おっぱい"も――。
「ちょっと! 想像しないでよ!」
美咲の鋭い声で我に帰る。
そうだ、今はそんな事態に陥らない方法を考えないといけない。
美咲がみんなの前で"おっぱい"を晒すなんて、言語道断、絶対に受け入れられなかった。
たしか、脱衣カードとノーブラカードの組み合わせで、タグを見せるという特殊効果が生まれたはずだった。
本来は上半身裸になるのを防ぐための方便だろうが、美咲にとっては致命傷である。
しかし、10枚の中からその2枚を引き当てるのは、それなりに確率が低い気もする。
「…そうなると、やっぱり早く試合を終わらせるしかないな。」
戦術カードは1ターンにつき1枚配布される。
ターンが長引けば長引くほど、2つのカードが揃う確率は上がるのだ。
もちろん、それ以外にも二プレスカードだとか、気をつけないといけないカードもある。
「…うん。大丈夫だと思うけど、念のため、ね。」
美咲は不安そうに胸に手を当てた。
「大丈夫さ。今までも何とかなってきたし、今回のゲームも乗り越えられるよ。」
蓮司は励ますように美咲に言う。
そう、これまでどおりやれば、何とかなるはずだ。
蓮司は半ば自分に言い聞かせるように、心の中で同じ言葉を繰り返す。
しかし、彼女の不安は的中することになる。
そんなことも知らないふたりは、仲良く並んで教室へと戻っていった。
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