第6話 守るべきもの

再びチャイムが鳴り響き、今度は昼休みの終わりを告げた。


九条によれば午後も自習なわけだが、1年B組の男子たちは律儀に教室へ戻っていく。

蓮司は下階へ降りる階段の途中で、幼馴染に話しかけた。


「おい、さっきのはどういうつもりなんだ。」


小田切は立ち止まり、ばつが悪そうにこちらを向く。

先ほど古川美咲の名前を出したことは、本人も悪いと思っているようだ。

しかし、返ってきた言葉はその態度とは真逆のものだった。


「まわりが気づいていないと思ったのか、バレバレだぞ。」


蓮司は唇をかんだ。

自分のささやかな挑戦は、そんなに目立ってしまっていたのだろうか。


「だからって、みんなの前でばらすことないじゃないか。」


蓮司の追及に、小田切はふいっと目を逸らした。

口が開きかけ、何も言わずに閉じられる。


付き合いが長いからわかる。

こういうときの小田切は、何かひっかかることがあって迷っているはずだ。

小田切は昔から、軽口は叩くが、本当に言いたいことは飲み込んでしまうタイプだった。


「別にいいだろ。みんなも自分の好きな人、言ってたんだし。」


反抗的な返答もおそらく本心ではないだろう。

でも、何か譲れないことがあって、素直に話せなくなっているのだ。

蓮司にはその何かについて心当たりがなかったため、これ以上問い詰めても仕方ないと判断した。


「まあいいさ。よくわからないけど、ゲームとやらも始まるし、頑張ろうぜ。」

「そうだな。」


素っ気なく答える小田切と蓮司は、ふたり並んで教室に向かって廊下を進んだ。

特に会話はない。間が持たないので、蓮司は小田切が気になっていることについて考えを巡らせた。


ここ最近は放課後に互いの家でトレーディングカードをしたり、葵と一緒にカラオケに行ったりして、特別なことがあったわけではない。

小田切の家族もよく知っているが、仲睦まじい両親と妹が悩みの種になっているとは考えにくい。


となると、やはりゲームに関することだろうか。

小田切は先ほどもそこまで動揺している様子はなかったが、意外にも不安になっているのかもしれない。

そこまで考えたところで、蓮司はふいに気になって聞いてみる。


「そういえば、小田切は誰と付き合いたいんだ?」


蓮司の問いかけに、小田切は少しの間反応しなかった。

聞こえなかったのか、と思ったそのとき、小さな声で返答があった。


「――誰でもいいさ。」


小田切はそう言うと、教室の扉を開けて自席へと向かっていった。

蓮司はやれやれと首を振り、自分の席にどさっと座る。

本当に午後も授業はないらしく、誰も先生が入ってこないまま、5時間目の時間が始まった。


自習、と言われてちゃんと勉強するほど、蓮司は真面目な生徒ではない。

元より学校に関する事はあまり好きではなく、授業も基本は聞き流し、部活動にも入らず、文化祭みたいなイベント事にも消極的だった。


そのせいか、どこに行っても特徴のない、平凡な男というのが周囲からの評価だった。

特技の一つでもあれば違ったのだろうが、無論そんなものもなく、凡庸という言葉が服を着て歩いていると揶揄されるほど、当たり障りのない人物として扱われている。


そんな自分が特別嫌いというわけでもないが、たまにテニス部で汗を流す葵の姿を見たりすると、何だか寂しい気持ちにもなったりする。


手持ち無沙汰になった蓮司は、チラリと自分の左隣を見た。

美咲は問題集を開き、真面目な顔をして自習に励んでいる。

彼女がいなかったら、蓮司は学校に来なくなっていたかもしれない。

今の蓮司にとって、美咲の存在こそが学校へ来る一番の理由だった。


ふと、蓮司は先ほどまで話していたゲームのことを思い出した。

自分が優勝したら――当然、美咲を指名するだろう。

そのとき、美咲はどんな顔をするだろうか。本当に、交際を受け入れてくれるのだろうか。


「どうしたの?」


ぼーっと美咲を眺めていると、急に彼女が顔をあげ、パチリと目が合った。

不意を突かれた蓮司は急激に顔が熱くなる。


「い、いや。なんでもないよ。」

「本当に? なんかすごく真剣な顔、してたよ。」


美咲が心配そうにこちらを覗き込む。

澄んだ瞳が、こちらの心の奥底まで見透かすような錯覚を覚えた。


「えーと、問題集忘れちゃったな、と思って。」


本当は持ってくる気もないのだが、咄嗟に適当なことを返す。

美咲と付き合えるかどうか考えていた、と言えるはずもない。


「そうなんだ。国語の問題集ならあるけど、良かったら使う?」


美咲はそう言うと、鞄の中をゴソゴソと探し始めた。

俯く彼女の美しいうなじがチラリと見え、蓮司は少しドキリとしてしまう。

美咲は分厚い問題集を取り出すと、こちらへ差し出した。


「はい。ちょっと書き込んじゃったりしているけど、たぶん大丈夫だと思う。」


こちらを見る美咲の目は真っすぐで、一点の曇りもなかった。

なんて優しい子だろうか。美咲の魅力は見た目だけではない。

この清らかな心こそが、彼女が天使たる所以であるのだ。


「ありがとう。綺麗に使うね。」


蓮司は問題集を受け取ると、ほとんど使ったことのないノートを引っ張り出す。

借りた以上は勉強しなければ彼女に悪い。

再び美咲のほうを見ると、既に自習を再開しているようだった。


再び蓮司はゲームのことを考える。

優勝した暁には、蓮司は美咲を指名するとして、美咲は誰を指名するのだろう。

ふたりが違う人を指名したら、一体どうなるのだろうか。

だいぶ明らかになってきたゲームだが、やはり肝心なところは謎に包まれている。


それに――。

蓮司は根田が言っていたことも思い出す。

ゲームでは女子の下着、そして"おっぱい"まで拝めるかもしれないと。


自分は美咲の"おっぱい"を見たいのだろうか。

そんなことは考えたことがなかった。

もちろん蓮司にも性欲はあるのだが、彼女は性の対象以上の高貴な存在で、邪な妄想もしたことがない。

"おっぱい"はおろか、パンツですら見たいと思ったことがなかった。


しかし、1つだけはっきりしていることがある。

蓮司はぐるりとクラスの中を見渡す。20人の女子と相対するようにいる、自分も含めた20人の男子。

彼らはゲームを通じ、意中の相手との交際、そして女子のエッチな姿を期待しているはずだった。


奴らに、美咲の"おっぱい"を見せるわけにはいかない。

蓮司にとってはそちらのほうが、自分が優勝することよりも大事なことだった。


どんなゲームかはまだわからない。

でも、ゲームがどんな内容であれ、俺は、美咲の裸を守るために、ゲームで戦う。

静まり返った教室の中で、蓮司は一人、決意するのだった。

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