第4話 H禁止法と破廉恥ゲーム

『不健全性的行為防止法』


九条が黒板にでかでかと書きつけた。

とても良家のお嬢様とは思えない、乱雑で品のない文字である。

九条は手にしたチョークでコツコツと黒板を叩くと、こちらへと振り返った。


「1年生のお前たちでも名前くらいは聞いたことがあるだろう。通称H禁止法。これは法律に則った正当な行為だ。」


彼女の言うとおり、蓮司もその名を聞いたことがあった。

今から数年前のこと、援助交際やパパ活などが横行し、高校生をはじめとした青少年の風紀が乱れているということから、国が新しく制定した法律だ。

長ったらしいその名前は、H禁止法という身もふたもない名前で略されている。


その内容は、不純異性交遊の可能性が認められた場合は、それを防ぐために学校が"対策"を講じることができるというものだった。


「不純異性交遊なんて、うちのクラスにあるわけないっすよ。」


小田切が半ば笑いながら口を開いた。その言葉にクラス中が頷くのがわかる。

1年B組にはクラス内のカップルはおろか、男女ともに恋人がいる生徒はいないはずだった。

特に男子はそのことをネタにしているため、健全であれ不健全であれ、女子生徒と交遊があるとは思えない。


「いいや、確かに不純異性交遊の兆しを検知した。いつも学校中を見張っているからな、隠し立てはできんぞ。」


いや、別に隠しているわけでもないのだが。

犯人を追い詰める刑事かのごとく凄む生徒会長に、蓮司は心の中で突っ込む。

というか普段から何をしているんだこの人は。授業とか受けていないのか。


「とにかく、私――いや、学校が認めたということは、このクラスには特別な"対策"が必要ということだ。」


"対策"か。

九条の意味深な言い回しに、蓮司はこの法律の悪い噂を思い出す。


H禁止法は大義名分こそ理にかなったような法律だが、問題はその"対策"にあった。

法律の中には明確な"対策"の内容が記されておらず、その内容を学校側の裁量に任せていた。

つまり、学校は風紀を守ると言う名目であれば、どんな施策も実行できてしまう。

たまにニュースで、行き過ぎた対策を講じた学校を断じる様子が流れてるのを見かけたことがあった。


目の前の生徒会長がまともな"対策"を出してくるとは到底思えない。

蓮司はどんな過酷な内容が出てくるのかと身構えたが、次の言葉は予想の斜め上を行くものだった。


「うちの学校では、不純異性交遊に対する"対策"として、特別なゲームを実施することにしている。クラス全員で参加して、正しい異性交遊を理解してもらおう。」


九条が高らかに宣言に、クラス中がざわついた。

ゲームだって? 九条まるで当たり前のことと言わんばかりの調子で言ったが、脈絡がなさ過ぎてみんな混乱している。


「ゲームって、それがどうして不純異性交遊の防止になるんですか。」


葵が首を傾げながら質問する。

彼女の質問はクラスの総意でもあった。


「効果があるかを考えるのは生徒の役割ではない。学校側で有効と判断したから行うまでだ。」


九条は取り付く島もない。事実上、黙って従えと言っているに等しい。


「まさか、ゲームってテレビゲームとかじゃないですよね。」

「もちろん違う。私――、いや学校が考えたオリジナルのゲームだ。ちゃんと健全な男女関係に寄与する内容になっている。」

「…そうだとしても、やっぱりよくわからないです。」


葵はじっとりとした目で生徒会長を睨んだ。

真面目な葵からすれば、授業や期末テストをつぶしてまで、得体の知れないゲームとやらをやる意味がわからないのだろう。


「安心しろ、小鳥遊。ちゃんとやるべき授業は2学期で行うさ。必要ならば教師も増員して指導しよう。」


九条はそう言うと、長い黒髪をかきあげた。

さらりと言っているが、この女は学校の人事権も掌握しているのか。

金の力とは恐ろしいものである。


「そういうわけで、1年B組は夏休みまでは学校が行うゲームに参加して、健全な男女交遊の何たるかを学んでもらおう。」


どういうわけかさっぱりわからないが、九条は強引に話を進めていく。


「内容は簡単だ。お前たちにはこれから男女2人1組に分かれて、3つのゲームに挑戦してもらう。それぞれのゲームでは成績に応じて、ポイントが与えられる。最終的に最もポイントを獲得したペアが優勝だ。」

「ゲームは来週のいずれかの日程で開催する。それまでは、すべての授業を停止し、終日自習をしていてもらう。」

「3つのゲームで不純異性交遊の兆しがなくならない場合は、追加でゲームを行うこともある。そうならないよう頑張ってくれたまえ。」


聞けば聞くほどに意味がわからない。

もはや葵も口をぽかんとあけ、反論することも諦めているようだった。


「会長~! ちなみに、ゲームってどんな感じなんすか?」


ふいに、声をあげる男子生徒がいた。

教室の一番後ろ、授業中はいつも寝ているが、運動神経は抜群の男――、千葉 大樹(ちば だいき)だった。


「どんな感じというと?」

「いや、体を動かす系なのか、頭使う系なのか。体を動かす系だとありがたいっすけど。」


千葉は生徒会長にまるで怯まず、いつものように軽い感じで会話をしている。

普段から余裕ぶった、というかチャラついた男であったが、ここまでとは思わなかった。

いや、単に空気を読めていないだけか。


「どちらも当てはまるな。頭脳と体力を兼ね備えてこそ、健全な異性交遊ができるというものだ。」


九条の返答に、千葉は首を傾げる。

おそらく、難しい言葉が出てきて理解が追いついていないのだろう。

この男は見た目と運動神経は良いが、頭のほうはてんでダメだった。

千葉はサッカー部なので、ヘディングのし過ぎではないかというのが巷での噂である。


「まあ、よくわからないっすけど、おもしろいゲームなんですよね?」


ケラケラと笑う千葉に、九条は少し眉間に皺を寄せる。

怒ったか、と思ったが、彼女はふーっと息を吐いて答えた。


「おもしろいということは保証しよう。」


千葉は満足したようだった。

彼女の言う"おもしろい"が、常人の感覚と同じであることを切に願う。


「あの。」


今度は女子生徒の声が上がった。

声の主は蓮司の左隣――古川美咲のものだった。

彼女が人前で声を発するのは珍しく、蓮司は驚いて美咲の顔を見る。


「すみません、そのゲームって、具体的にはどんな内容なんですか。」


美咲は曇りのない瞳で、まっすぐと九条を見つめていた。

その顔には若干の不安があるが、怯んでいる様子はない。


「悪いが、それは答えられない。楽しみなのはわかるが、やってみるまで秘密にしていたほうが、お前たちもワクワクするだろう。」

「いや、そういうことを言いたいんじゃなくて…。」


九条の返答に、美咲は困ったように首を傾げる。


「色々な人から聞いたんです。その、なんというか、九条先輩はいろんな理由をつけて、学校中で変な内容のゲームをやってるって。だから、私、心配なんです。」

「変なゲームとは人聞きの悪い。ちゃんと意味のあるゲームを用意しているつもりだ。」


胸を張る生徒会長だったが、美咲は続けた。


「聞きましたよ。2年生のクラスで、スカートの丈をどこまで短くできるかを競わせたとか。」

「何事も、限界を見極めるのは大事だからな。」

「隣のクラスでは、女子の下着の色に役をつけて、ポーカーをやったって聞きました。」

「ポーカーも奥が深いぞ。学校の授業なんかよりよほど頭が良くなる。」


ふたりの問答に、クラスメイトは次第にひそひそと話をし始める。

美咲のいうゲームが本当なら、正気の沙汰とは思えない。


「とにかく、九条先輩の考えるゲームは、その、破廉恥だって聞いてるんです!」


美咲は珍しく声を張った。

普段の可憐な印象とは異なり、まっすぐな芯の強さのようなものを感じる。


「だから、できればやりたくない。」


美咲の言葉に、九条はふーっと息を吐くと、諭すように答えた。


「残念だが、H禁止法は全国の学生が対象だ。もちろんこのクラスも例外ではない。全員に、ゲームに参加してもらう。」


無慈悲な回答に、美咲も押し黙ってしまった。

こちら側に拒否権など存在しない。完全に独裁者と民の構図である。


「その代わりと言っては何だが――、優勝者には相応しい、豪華な賞品を用意した。」


九条は不敵な笑みを浮かべると、クラス全体を見回した。


「優勝者には、学校公認の純粋異性交遊権を与える。つまり、誰でも好きな相手と付き合えるってことだ。」


もうだめだ、情報量が多すぎる。

賞品が誰とでも付き合える権利だなんて、支離滅裂という言葉しか出てこない。

早速葵も反応する。


「あの、やっぱりよくわからないです。ゲームもそうですが、誰とでも好きな相手と付き合えるって、そんなことできるわけないでしょう。」

「詳しくはまだ話すことはできないが、優勝者にはその権利を与えることを確約しよう。」


九条が自信満々に答えたその時、教室にチャイムが鳴り響いた。

ホームルームの時間が終わったのだ。


「今日のところはこれくらいにしよう。残りの説明は、当日、ゲームをやる前に補足する。」

「では諸君、今日は一日自習に励んでくれたまえ。」


九条はそう言い残すと、颯爽と教室から去っていく。

残された1年B組の生徒たちは、ただ茫然として、彼女の出ていった扉のほうを眺めているのだった。

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