第12話

 一頻り笑った坂東さんは、へっぴり腰のぼくの前に立ち、マスクを装着してきた。



「化けたじゃん。それなら佐伯って全然わかんないよ。あはは、ちょっと間抜けだけど」



 それはそうだろう。マスクを足したところで、この白ブリーフの間抜けさは消えないと思う。



「んー、いつもながらいい感じ。ありがと。じゃあ、名前つけよ。えっと、スグルでしょ。んー」



 手鏡を見てメイクを確認した坂東さんは、マスク、Tシャツ、ブリーフ、へっぴり腰姿のぼくを真剣に見てくる。


 あだ名なんて緊張する。


 でも考えるポーズのせいか、胸の谷間がぎゅっとなっていて、そんな風に寄せないで欲しい。



「きた。閃き。スグヤル男。どう?」


「なしだよっ!」


「うおっ、あははは、冗談じゃん。じゃあただのヤル男ね。で、何も出来ないってオチでとりまよろしく」


「う、うん…? でもヤル男……」


「なん?」


「い、いや…何でもないです…」



 ヤル男じゃなくて、スグタツ男なんだけど…冗談抜きで…。


 そんなくだらないことを考えてしまうくらい頭がついていかない。


 自室での覗きにしろ、電車での痴漢にしろ、美術室での校則違反にしろ、すぐヤル男で間違いはないんだけど、ぼくは童貞なんだ。


 その名前は何の実績も無いのにイキってるみたいで辛い。



「えっと、坂東さんは何て呼べば…」



 そう尋ねると、坂東さんはPC画面の左上を指差した。



「…sumire_shinozaki_xoxo…?? これって…」



 画面には坂東さんのマイページが映っていて、どうやらユーザー名がそんなことになっていた。


 ぼくの沈黙を見た坂東さんは、ぽつりとつぶやいた。



「あの篠崎がこんなの見ないって。いい子ちゃんだし」


「いい子ちゃん…?」



 いや、それはどうだろうか。


 あの人はいい子の仮面を被っていた。


 過去の経験から、人間誰しも裏の顔を持っているとは思っているから驚きはしないけど、もしこんな事を知った篠崎さんはどう動くのだろうか。


 また巻き込まれるのが恐ろし過ぎて怖い。


 盗撮はまだまだ続きそうだし…いつか捕まってしまう気がする。


 でも、そんな名前より、音楽配信なら坂東でララなんてすごく素敵な響きだと思うんだけど。



「ま、名前決めたの姉さんだし別にいいっしょ。ヤル男、さ、呼んでみ。下の名前ね」


「あ、うん…ララさん」


「ち、違うしっ! スミレって呼ぶんでしょ! 当たり前じゃん! ほら、スミレ」


「すすす、すみれ…さん」


「…声ちっさい。あと呼び捨てで」


「す、すすみれっ!」


「うーん…ちょっと深呼吸しよっか。そうそう、んで様つけてみて。どもらず。おっきな声で」


「…すッ、すみれ様っ!」

 

「お、いい。いいよ。もっかい」


「す、すみれ様っ!」


「んーどもるかぁ…。初めてだし仕方ないか。練習しといてね。よっし、とりま今日はガムテで口ふさご。笑いとろっか」


「…う、うん…」



 それは果たして面白いのだろうか。


 でもそれから次々と段取りを組みセッティングする坂東さんは何だか大人で、頼もしかった。


 水やペットボトルによくわからないシートを持って、彼女はテキパキと準備を進める。ライブ配信なんて初めてだけど、舞台裏は結構下準備がいるのだと知った。


 取り返しのつかない事態になってる気もするけど、彼女のその堂々とした態度が、不安をかき消してくる。


 そしてぼくは呼ばれるまで画面に映らない場所で待機することになった。


 それにしても、何をするんだろうか。


 まだ具体的な説明は何ももらってない。聞いても「まだ内緒」としか言わないし、ずっと放置されている。


 とりあえずパタパタと動く坂東さんの水着姿が目にギターに強烈で、トイレ行って遮二無二、掻き鳴らしておきたい。


 けど人様の家でなんて道徳的にも出来ないし、臭いでバレたら変態って呼ばれてしまう可能性が高い。


 それにこのブリーフパンツがまずい。


 普段のぼくは穴なんて空いてないタイプのボクサーパンツだ。


 ブリーフタイプなんて子供の時以来履いてない。


 久しぶりに履くと思い出したのは、なんで穴が開いてるのか長年疑問だったな、ということだった。


 ズボンのファスナーをずらして、次のアクションでここからギターで発射なんて、割とズボンを下げないとおしっこ出来ない。


 だからそもそも論として、この穴を使う人なんて居るのだろうか。


 でも問題はそこじゃなくて、この穴のせいでうっかり猛るギターが突き破りそうで怖い。


 幸い布が重なる部分が多いからそんな事はないだろうけど。


 それにしても、彼女はおおらかというか、性に無頓着というわけでもないのに、へっぴり腰のぼくを馬鹿にしたり罵ってきたりはしなかった。


 やはり経験者は違うのだろうか。


 そんな事を考えていたら、彼女は見たことのない制服を着だした。丈の長さやボタンなんかは校則に則った長さっぽくて、逆再生のように露出は減っていくのに、ぼくの動悸は逆に上がった。


 女の子が服を着るのも結構ギターにくるんだと知った。


 そして時刻が夜のちょうど六時を回って、坂東さんの配信が始まった。



『今日も皆さん、お仕事お疲れ様でした。スーちゃんの放課後ハイスクールエロライブに来てくれてありがとうございます』



 そして坂東さんは、開口一番、聞き捨てならないセリフを、画面の向こう側へ丁寧に言った。


 ハイスクールエロライブ…?


 何だそれは。


 ぼくはガムテープの下で、声にならない声を出した。

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