第9話
翌朝、篠崎さんとのミッションは、寝坊したと言って謝って謝ってなんとか回避した。
事実、昨日のせいで遅刻寸前だった。
だけど気分と足取りは軽かった。
足早に教室に向かうと、坂東さんに後ろから呼び止められた。
どうやら追い抜いていたらしい。
「なん、随分と楽しそーじゃん」
「そうかな? そんな事ないよ」
「さては後輩ちゃんと何かあったな〜?」
坂東さんはたまに部活のことを聞いてきたりしていた。だからこれは普通のことなんだけど、昨日のこともあって、ぼくはビクリとしてしまった。
「ななな、何にもないよっ」
「いやあるじゃん。絶対なんかあるやつじゃん。聞いたげるよ、言ってみ」
「い、いや、何にもないから…」
「ふーん。これでも?」
「へっ?」
坂東さんのスマホには、全裸の男が真剣な表情の女の子のスカートの下に手を突っ込んでいるところが余すところなく映っていた。
完全に、昨日のぼくと新井田さんだった。
デッサン中ならまだしも、まずい、まずいぞと咄嗟に網走を回避するために、頭をフル回転させようとしたけど、その中身はスカスカで真っ白だった。
パクパクする口元に手を当てることも出来ずに、絞り出すかのようにして、ようやく出たのは、半ば認める発言だった。
だってどう見たってぼくにしか見えないんだもの。
「なな、な、なんでっ…!」
「昨日急にデート決まってさ〜佐伯探してたんよ? まあ呼び出すのも悪いしさぁ」
そこは気軽に呼び出して欲しかった。何のためのスマホなんだと思う。
いや、スマホの音は切ってたし、あんなにわけのわからない状態だったんだ。無理だ。
しかも女子の前で全裸でカチくなっているんだし、よく見なくても強姦手前に見えてくる。実際は違うけど、アートなんて言ってもわかってもらえないと思うし、ぼくもアートなんてわかってない。
どうしよう…。
でも、坂東さんは、ニマニマとしているのに、ぼくを檻にぶち込もうとする感じじゃない…気がするのは希望的観測って奴だろうか。
「したらこんな面白いことになってるしぃ…」
「ば、坂東さん…」
「放課後空き教室ね。そこで話そ。遅刻したくないし。ほら行こ」
「ッ、はい…」
◆
当たり前だけど、その日の授業は頭に入って来なかった。チラチラと坂東さんを見るも、無視されてしまうし、休み時間の彼女の手には爆弾があって、それをいじっているだけで、恐怖と焦燥に駆られた。
坂東さんのギャル友達に送ってないだろうか。
ネットに公開してはないだろうか。
いや、それもあるけど、いつも彼女が与えてくれていた青春が、音を立てて崩れていくのが悲しかった。
何気ない日常が、簡単に壊れるんだってぼくは知っていたはずなのに。
◆
ぼくは廊下から見えないようにと空き教室の中、少し奥まった位置で正座していた。そして坂東さんが来るなり土下座モードに切り替えた。
「ばっ、坂東さん、こ、こ、この事はどうか内緒にしてくれないかなっ! …してくださいっ!」
「…え〜どうしよっかな〜」
「ぼ、ぼくがって言うより、どちらかと言うと彼女の方が可哀想というか…」
この写真が撮られる前は「ダビデ像と全然違って格好良いですね」なんて褒めてきて、そんな言葉にますますカチくして、後輩のアート魂に火を着けたことを思い出す。
その後ぶっかけたことも。
だめだ。現実逃避なのか、すごくリフレインしてしまう。
「ふ〜ん、まあ、そだよね。こんなにびんびんだと犯される前って言ってもいいくらい無表情だもんね」
「や、やめてっ!」
彼女はぼくに写真をずぃぃと見せつけてくる。これは普通は恐怖なんだろうけど、実際は彼女が手を掴んで太ももで挟んでいて、シャッター押すまで離してくれなくて、それはめちゃくちゃ柔らかくてってそこまで言わなくてもいいだろうけど、違うって言いたいけど、言えない。
「ふーん、なかなか反省してんじゃん」
「そ、それはもう…」
しかし…この落ち着きから何となく思うのは、やはり彼女は経験者なのだろうか。知らない他校の男子と、いつもイチャイチャしてるのだろうか。もう経験済み、なんだろうか。
だってぼくのギターなんて、普通目を背けたりするじゃないか。なのにまるで品定めしてるみたいにスマホとぼくを交互に見てる。
坂東さんには体験話とか聞いてみたい。
駄目だ。またカチくなる。
何かないのか。
「そ、そうだ! メ、メイク! メイクしようか!」
「うーん? それっていっつも見せてあげてるからドローっしょ? ブラチラとかさ。だから却下」
バレてた…!?
「そ、それはありがとう! でも、ほ、他に何かして欲しいことあるかなっ!!」
「あはは、必死過ぎぃ。だいじょぶだって、ばら撒かないから」
それが信用出来ないんだけど…いや、何かまた要求されるんだろうか。
「だから顔上げなって、佐伯」
「う、うん…」
すると坂東さんは足を組み替えた。
机に座って足を組んでいるから、当然ぼくには丸見えで、でもそこは頑張って見ないようにしてたのに、今ので見えてしまった。
ワイン色だ。なんか大人だ。
「…ふふ、あ〜そういえば佐伯ってさ、前言ってたじゃん、恋愛わかんないって」
「へ? あ、う、うん…それが?」
「それって今も? この後輩ちゃんと何かある? 何とも思ってない?」
「それはそうだけど…」
「へぇ〜なのにこんなに大きく──」
「や、それは、その、自然現象っていうか、環境がそうさせたっていうか、美術室の…あ、アート、そうアートを思えばこそであってそもそもアートにはヌードって神秘と神とエロスって宗絵画にも昔からあって、割と必要不可欠って感じでデッサンはデザインの語源なんだけどそれは関係なくてたしかに学校でするものじゃないけど芸術が爆破したって言うか解放と爆発が情熱って言うかそもそも新井田さんの熱意に押されたっていうのもあるけど確かに盗撮はダメだと思うし浮かれてしでかしてしまいましたいかにアートの為とはいえ彼女は被害者ですすみませんでした」
「めっちゃ早口じゃん。落ち着けし」
「そ、そうだね…は、ははは…」
「じゃあ、そーだなぁ…ちょっちたのもっかな。いい?」
「い、いいよっ! 手伝うよ! な、何をすればいいのかなっ?」
「ちっとしたライブのお手伝い。にししっ」
そして坂東さんは、アニメの猫みたいに意地悪く楽しそうに笑った。
ライブって何だろうか。
多分音楽だろうけど、ガールズバンドかな。
結構意外な趣味してるんだな…。
この後、全然違う目に合うなんて知らずに、ぼくはそんなことでいいのかと、呑気にホッとした。
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