第7話

「…」


「…」



 何とかミッションをこなした日の放課後、ぼくは美術室で久しぶりに真剣に絵を描いていた。


 いつもなら少し雑談しながら描いたりするんだけど、昨日の「ぱやぱやヌードモデル依頼」もあって、あまり口を開けない。


 新井田さんはいつもの無表情さでどうかわからないけど、何も言わずカンバスに向かっていた。


 彼女の絵は抽象画で、木星の表面みたいな青と茶のドロドロとしたマーブリング模様をした不思議な色味と複雑な構図の絵だった。


 ようやく集中が切れて、ぼくは身体を起こした。そしてチラリと新井田さんを見ると、彼女も筆が止まっていた。


 何やら悩んでいるようで、絵は最初見た時から変わってなかった。


 ぼくは昨日の件と朝の一件もあってか、逆に集中出来てしまった。やり遂げたいという欲求や充実感が欲しいのではなくて、現実からの逃避行動だった。



「先輩は、ああいうのが趣味なんですか?」



 また一人もくもくと描いていたら、新井田さんがそんなことをボソリと言った。


 それは真後ろからで、いつの間にか近くに立っていて、ぼくはビクリと肩を跳ねさせた。



「い、いきなり、こ、怖いじゃないか」


「すみません」



 でも「ああいう」とはどういう意味だろうか。ぼくの趣味と言えば絵を除けばメイクだ。でもそれは父の仕事で、中学の時の文化祭の為に一時期懸命に習ったくらいで、頼まれないと出来ないことだし、趣味とは言えないような気がする。


 それでも新しい化粧品はチェックしてしまうし、女の子のメイクは気にはなる。そのおかげで坂東さんとも仲良くなってしまったけど、じゃあ趣味とも言えるような…。


 でもいつその話を知ったのだろうか。


 今は隣の席の坂東さんに頼ってもらってるくらいだけど、もっぱら空き教室で行っていた。


 坂東さんは意外と…は失礼かも知れないけど、恥ずかしがり屋だからメイクするのはいつも誰もいない空き教室だった。


 でも今日は頼まれてないし、昨日の放課後、もしかして見られたのだろうか。



「ああいうのって?」


「脱いでください」


「と、突然何? それにそんなことはやっぱり出来ないよっ」


「これでもですか?」



 新井田さんは無表情なまま、徐に取り出したスマホをぼくに見せてきた。


 それは一人の男子生徒が、女子生徒のスカートの下にスマホを忍ばせている、立派で決定的な証拠写真だった。


 よく見なくとも、ぼくが篠崎さんを紛れもなく盗撮してる写真だった。


 これは終わった。


 人生の終了だ。



「あ、あ、ああああ……」



 ぼくのヒザはガタガタと震えてきた。


 治ったはずの、過呼吸も始まりそうになる。


 「バレたらわかってるよね」という篠崎さんのセリフと、犯人を追い詰める探偵みたいな新井田さんと、犯罪者で変態確定というぼくの未来に震えが止まらなかった。


 牢屋とか入らされるんだろうか。


 網走は寒いだろうか。


 いや、そんなとこ絶対に嫌だし、ぼくは中学の時とは違う。



「ち、違う! そ、それは違うんだよっ!」


「そこじゃありません」



 言い訳しようと焦るぼくを見ながら彼女は無表情にピシャリと言って黙らせた。ほんとにこの子は三ヶ月前まで中学生だったのだろうかってくらい言葉が硬い。


 

「…? そこじゃないって…?」


「見てください」



 そう言って、彼女は膝丈のスカートをたくし上げ出した。


 それから大事な部分が、見えるか見えないかでピタリと止めた。



「…」


「ふふ」



 それは想像を掻き立てる位置で、細いし白いけど意外とむっちりしてる太ももで、昨日の篠崎さんの下着が補完してレイヤーみたいに重なって脳内で勝手に白い逆三角形の絵を作っていた。



「な、何を…」


「言ってくれれば、協力しますよ?」


「きょ、協力…?」



 それはよくわからないけど、篠崎さんとの約束で内情は言えない。もしバレたら「ぼくのさいきょうのえむじ」が広く拡散披露されてしまう。写真には間抜けなぼくの顔もきっちり入っていたんだ。


 いったいどうしたらいいんだ。


 でも、反面というか、ぼくにとっては当たり前だけど、冬眠してるノミみたいな冷えた心臓とは真逆に、人前で脱げないくらいにインフレ率はぐんぐんと成長曲線を描いて上がっていた。



「ああ、そんなに心配しないでください。私は理解者です」


「り、理解者…?」


「赤」



 新井田さんは僕の絵を指差してそう言った。確かに今日は赤色をよく使っていた。



「アートに偏った性的趣向は付きものですし、責めません。むしろ満月と月のモノを掛けるなんてやるじゃん先輩とすら思いました」


「な、何を言ってるかわからないよっ」



 そしてばさりとスカートを降ろした彼女は、ぼくに指を突きつけた。



「脅すのは趣味ではありませんが、このチャンスは逃しません。さあ、特殊性癖を武器に二人でアートの扉を開けましょう、先輩」



 そう言って無表情がデフォルトの彼女は笑った。とても可憐で素敵な天使みたいな微笑みだった。


 今この笑顔?


 篠崎さんもだけど、この子も何かおかしくない?


 ぼくが言えた話ではないけど、ただ一つだけ言いたいのは、ぼくは性欲に偏って全振りしているだけで、一般的な性的趣向しか持ってないと思うんだ。


 どうしよう。


 ぼくにそんなアートな力はないし、失望されるのは構わないけど、その時、この痴漢盗撮写真はどうなるのだろうか。


 それに朝の恐怖と興奮を思い出してギターが痛くインフレイトしている。



「…? ああ、この写真ですか? ヌードモデルしてくれたら消しますよ?」



 そして彼女は、頭おかしいチャラ男みたいなことを無表情で言ってきた。


 でも不思議とその物言いは、ぼくを脅してるようには見えなかった。


 ただ、それは理解者じゃなくて、脅迫者だと思う。

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