第3話
放課後、文化部の集まる部活棟でぼくは絵を描いていた。
奥まったところにあるこの美術室は、周りが廃部だらけの部室のせいか、まるで廃校舎といった雰囲気で、夜は絶対に怖いと思うような静けさに満ちていた。
そんな場所で、二人だけの音が響いていた。会話は少なく、ただただ筆の撫でる音と時折水をかき混ぜる、何とも言えない濡れたカシュカシュとした音が微かに響いていた。
「あれだけ遅れていた割に、随分と進みましたね」
ぼくの後ろからそう話かけてきたのは後輩の
おしゃれに無頓着そうにまっすぐ切りそろえたショートボブが、顔の小ささを目立たせていてすごく似合っていた。
少し日本人離れして見える目の大きさやすっきり通った鼻筋は、メイクなんてしなくてもお人形さんみたいな美少女で、背は低く体も細く、まだ一年生だからか、体型はスレンダーだ。
けど、それが彼女の魅力をいっそう際立たせていた。別にロリータ趣味はないけど、彼女の折れそうなほどの「危うさ」は同じ空間に居るだけで股間にくる。
最初はずっとドキドキしてしまっていたけど、彼女が入学してからもう三ヶ月くらい経つ。だから罪悪感さえ無ければ、坂東さんのように、キャドらずに会話くらいは出来るようになった。
「ま、まあね」
つまり今日はキョドってしまう日だった。
彼女の言う「遅れていた」というのは林間学校後が締切の絵画コンクールのことで、その行事が近づくにつれ、筆の進みが遅くなっていた。
一頻りぼくの描いた絵を眺めてから彼女は腕を組み顎に片手を添えた。
「でも満月ってなんだかやらしいですよね」
「や、やらしくなんかないよっ」
嘘だ。「満月」はかなりくる。だけど、なんだよいきなり。
「そうですか? でもこの赤みの挿した乳白色と全体的に淡いぼかし方にクレーターの位置と大きさ…これメタファーですよね」
「メ、メタファー?」
「離れて見るとおっぱいに見えてきます」
おっぱい!? そんな、ぼくはそんなこと思って描いてない!
「みみ、見えないから!」
たまに彼女はそんなことを唐突に言ってぼくの下半身を揺さぶってくることがある。
それに、こっちがびっくりするくらい近くに寄ってくることもあって、シャンプーなのか、ボディソープなのか、制汗剤の香りなのか、とにかく良い匂いで、そんな時はもっと緊張して会話が思いつかなくなる。
キョドるぼくを気にするわけでもなく、彼女は淡々と批評してくるのが常で、それが悲しいほどぼくを男として意識してない証左だった。
「そうですか? でもこのクレーターって、陥没した乳首みたいで──」
乳首!?
「あ、新井田さん! お、女の子が異性の前でそんなこと言っちゃダメだよ!」
嘘だ。その続きは聞きたい。もっと言って欲しいしもっと聞きたいけど、その空気に耐えられる自信はないし、多分いたたまれなくなる。事実すでに恥ずかしいし、顔が見れない。二人きりの部活が気まずくなるのは嫌だ。
「だってこの辺りなんてほら」
「ぐぇっ!?」
「あ、すみません」
突然、無遠慮に僕の膝に座ってきたから変な声が出た。そんな風に彼女は夢中になると子供みたいに周りが見えなくなることがある。
中学出たてだから仕方ないのかもしれないけど、いくら体重が軽そうでもやっぱり重いものは重い。
でも細いのになんて柔らかいお尻なんだ。
それと彼女の、ぼくと違う良い香りが一気に鼻腔に突き抜けてきてやばい。彼女の感触と併せて物凄く硬くなる。
これがここ最近筆が遅い原因で、林間学校に行きたくない理由で、今日のはとびきりのオカズだった。この感触は絶対一生忘れない。
「ここなんてエッジの効いたラインで多分硬質な筆で描いてま…え? 先輩これって…」
「ご、ごめんっ!」
そりゃそうなるよ。当たり前だよ。だって童貞だもの。この子絶対この無防備な距離感でぼくみたいな勘違い野郎を量産しているはずだ。ぼくがイケメンチャラ男だったらこの後なし崩し的に…いや、ぼくは何を考えているんだ。
「先輩って性欲あったんですね」
「そ、そりゃあるよっ」
嘘だ。それしかない。ぼくにはそれだけが猛り狂うようにある。恋はもうわからないけど、性欲だけは無茶苦茶ある。普段は出さないように頑張ってるんだ。誰も褒めてはくれないけど褒めて欲しい。
それが大部分をTシャツやジャージで過ごすことになる林間学校に行きたくない大きな理由だった。
「じゃあ先生にも言っておかないと。ちゃんと勃起してましたって」
「ぼっ…!? な、なんで先生に?!」
オカズは置いておいて、もしかして停学とかだろうか…。電車内なら間違いなく痴漢と認定されるだろうし…。そんな怖いことを想像してもまったくおさまらないのはどうなんだろうか。
「だって先輩、距離とるじゃないですか。だから男の子が好きなのかと」
「そんなわけないからっ! その、不快にさせたのは謝るから…」
何でもするから停学だけは勘弁して欲しい。
「謝らなくていいですよ」
「え…?」
「でも代わりに先輩。わたし先輩にお願いがあるんです」
「な、なに…?」
少し振り向いた彼女の表情は恐ろしいほど変わってないけど、この格好でのお願いなんて、もうそういうことなんじゃないだろうか。見下ろす制服の隙間の鎖骨の先に、ごくりと喉が鳴る。
「ヌードモデル、してくれませんか?」
そんなことを、彼女は平然と言ってきた。
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