第4話 妖精竜
時間は流れ、陽と交代して月が天上に昇った夜。
大海に浮かぶ、とある孤島にて。
「お師匠様、ここは?」
「僕が所有する無人島の一つだよ」
丈の短い草が生い茂る草原。
集団の先頭を歩きながら、アリエスはラナの質問に答えた。
「ここは未開の島でね。太古から変わらない自然が残されているんだ。ここのような草原以外にも、原生林や湖が幾つもある」
「こんな島を所有しておられたのですね」
「眷属の妖精たちは、人里が苦手な子たちが多いからね。こういう島は、彼らの憩いの場になるんだ。ここ以外にも……ザッと五十の島を所有しているよ。勿論、その全てに僕の結界が貼ってあるから、上陸は不可能だ。立ち入りも滅多に許さない」
原生の島はいわば、妖精たちにとっての楽園。
王であるアリエスには、眷属たちに平和と安寧を与える義務がある。だからこそ、他の種族の立ち入りは全て禁止しているのだ。
ここに住まう眷属たちが、穏やかに過ごせるように。
「そんな大切な場所に……」
追従しながら話を聞いていたミラムが、アリエスに尋ねた。
恐れ多そうに。
「私たちのような部外者が立ち入っても、大丈夫なのでしょうか?」
「妖精たちには通達してあるから、大丈夫だよ」
ただ。
アリエスはミラムの隣を歩くメレフを見やり、悪戯めいた笑みを浮かべて言った。
「昼間のように、少しでも僕に敵意や害意を向けたら……妖精たちが襲ってくるけどね」
「……っ」
「彼らは感情に敏感だ。そして、僕に対する忠誠心も篤い。冗談ではなく殺されちゃうから、くれぐれも気をつけることね」
「わかってる。お姉ちゃんにも叱られたし……もうしない」
トラウマにでもなっているのか、メレフは横目でミラムを見やった後、やや気まずそうに視線を逸らした。表情には若干の恐怖が見て取れる。
天空図書館での一件。アリエスは不問としたのだが……どうやら、ミラムは看過できなかったらしい。話が終わった後、別室で数時間に及ぶ大説教が行われていた。
ミラムの説教は声を荒げて怒るというものではなく、何処までも冷静に、一定のトーンを保ちつつ、的確に弱みを突くという……最も心に来る叱り方だ。それが相当心に来たらしい。それ以降、メレフがアリエスに敵意を向けることはなくなった。
微笑みながらも圧を発するミラムとそれに怯えるメレフ。
彼女たちを見ていたラナは、フゥ、と息を吐いて言った。
「お師匠様が止めていなければ、私はあの場で氷漬けにしていましたけどね」
「すぐに暴力を振るうのはよくないから、やめなさい」
「愛する人に敵意を向けられて怒らない者はおりません。言うなれば、あれは私の愛です」
「愛だろうとなかろうと、まずは話し合いをしなさい」
「善処いたします。……それと、お師匠様」
「うん?」
「そろそろ。この島に来た目的を……魔杖の素材を教えていただけませんか?」
ラナの問いに、ミラムとメレフもアリエスを見た。
そういえば、まだ話していなかったか。
呟いたアリエスは頭上で輝く満月を見やり、答えた。
「この島の中央にある湖には満月の夜に、妖精竜・クエレブレが訪れるんだ。必要な素材というのは、奴の鱗だ」
「クエレブレって……伝説の竜じゃないですか!」
「妖精竜ということは、アリエスの眷属なの?」
「いや、クエレブレは僕の眷属じゃないよ。眷属なら、天空図書館に呼び出してる」
妖精竜クエレブレ。
出会った者の願いを叶えるという逸話がある、伝説の竜だ。
その肉体はあらゆる攻撃も衝撃も防ぐ硬質な鱗に覆われており、獰猛な牙は岩すらも噛み砕き、大翼は天上の雲すらも吹き飛ばすと言われている。
また炎のブレスを吐くこともあり、並みの魔法使いではクエレブレと敵対して五秒も生きていられない、ともされている。
危険極まりない竜。
これから、その竜の鱗を採取しに行くのだ。
「クエレブレは月光を魔力へと変換する特性がある。だから月光が最も強くなる満月の夜になると、この島にやってきて月光浴をするんだ」
「大丈夫なのですか? クエレブレは凶暴で、気性が荒いと聞いていますが……」
「問題ない。これでも、僕は魔法に長けているからね──いたよ」
足を止め、アリエスは正面を指さした。
平原の中央にポツンとある湖。透明度の高い水は降り注がれる月光を水面で白く反射させており、まるで星が散りばめられているかのように見える。
そこに、奴はいた。
輝かしい銀色の身体。猛々しい爪。脱力し大翼を完全に広げている巨竜は瞼を下ろし、月光浴を堪能していた。
一見すると、とても心地よさそうに見える。
ただ……何故だろう。違和感を覚える。あの竜からは余裕が感じられない。脱力してはいるが、誰にも近付かれないよう警戒しているのだ。
クエレブレは強い。それこそ、滅多に周囲を警戒などしないほどに。
奴が周りを気にしながら月光浴をしているということはつまり、何か、自分の身に変化が起きているということだ。
少女たちを連れて行くのは得策ではない。
判断したアリエスは振り返り、三人に命じた。
「君たちは全員、ここで待機」
「え、しかし──」
「ラナ。命令」
食い下がったラナに言い、アリエスは彼女の返事を待つことなくその場を後にした。
無理についてくることはないだろう。彼女は賢い子だ。自分を連れていくことのできない理由があるのだと察し、自分の気持ちを抑え込めるはず。
それに、ラナはアリエスの命令に逆らわないから。
「さて」
湖のほとりで一度足を止めたアリエスは虚空から深緑色の魔杖を召喚し、くるり、とそれを一度回転させた後、湖の水面に降り立った。
沈むことなく、波紋を生む水面に直立し、考えた。
圧倒的強者であるクエレブレが警戒しながら月光浴をすることは、基本的にない。それをするということは、何か理由があるということ。
そして、その理由というのは大抵──。
様子がおかしい理由を悟ったアリエスは一歩を踏み出し、巨竜に近付く。
と、その瞬間──下ろしていた瞼を持ち上げ、クエレブレが黄金の瞳でアリエスを見つめた。
牙を剥き出しにし、魔力を放出させ、凄まじい威圧感と殺気をアリエスへとぶつける。その圧倒的な力に、周囲にいるはずの妖精たちは姿を見せることもしなかった。
懸命な判断だ。下手に姿を現せば、放射された魔力だけでやられてしまうから。
常人であればまともに相対することすらできない状況。
だが、アリエスは威嚇を受けても意に返さず。涼しい顔で足を止めることなくクエレブレに近付き続けた。
やがて、威嚇だけでは引かないと理解したのか。
クエレブレは魔力放射と威嚇を止めて首を起こし、獰猛な牙の並ぶ大口を開け──喉奥から、蒼い炎のブレスを放った。大気の震撼する咆哮と共に。
鉄すらも溶かす高温の炎。
まともに受ければ、流石のアリエスも無事では済まない。
「やるね」
迫りくる蒼い炎。久方ぶりに感じる、命の危機。湧き上がる高揚感。
ニヤリと不敵な笑みを浮かべて白い歯を見せたアリエスは片手の魔杖、その先端を正面に突き出し──。
「──
魔法陣が展開された直後──湖の水が巨大な竜の口となり、蒼い炎ごとクエレブレを丸呑みにした。
然水憐竜。
これは周囲の液体を竜の形状に変化させる、大軍殲滅魔法。完全な姿をすれば数千人を戦闘不能に追い込めるが、今回の相手はクエレブレ一体。頭部だけでも、対象の数倍の大きさを誇る。威力としては十分だ。
高温の炎に熱せられた水が幾分か蒸発するが、微々たる量。
放射された蒼い炎、そして標的であるクエレブレを、水の竜はまるごと呑み込んだ。
大量の水に圧し潰され、身動きが取れずにクエレブレは藻掻く。
息の音を止めるのであれば、このまま水中に留めて窒息死させればいい。水を掴むことはできないので、あとは時間が経過すれば終わりだ。
だが、命を取ることが目的ではない。
あくまでもアリエスの目的は、クエレブレの攻撃を止めること。その目標は十分に達成された。
ここから先は、交渉といこう。
「クエレブレ」
操っていた水を全て湖に戻したアリエスは、解放されたクエレブレの鼻先に手を当てた。
「君、翼を怪我しているんだろう?」
クエレブレの左翼をよく見ると、付け根部分から出血が見られた。恐らくは、何ものかの襲撃を受けたのだろう。翼の付け根は鱗に覆われていないため、脆いのだ。
警戒していた理由はそれだろう。負傷している今、自由に飛ぶことのできない今、襲撃を受ければひとたまりもないから。
それが何だ。
そう言わんばかりの唸り声を上げたクエレブレに、アリエスは言った。
「交渉だよ、クエレブレ。君の怪我は僕が魔法で治してあげる。その代わり、君の鱗を二枚くれないかな? 部位は問わない。生え変わりが近いものでいいんだ。どうかな?」
提案している最中に、アリエスはクエレブレの治療を始めた。患部に黄緑色の温かな光が灯り、数秒、また数秒。時間が経過するにつれて、傷は小さく、そして浅くなっていく。ものの数分もすれば、傷は完璧に治癒するだろう。
賢い妖精竜にはそれがわかったらしい。
暫くの間、間近のアリエスをジッと見つめていたクエレブレはやがて再び瞼を下ろし──バキン。
そんな音を立てながら、銀色の鱗を二枚、水面に落とした。
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