第3話 魔法発動に必要なもの

「これが……」


 ゴクリ、と喉を鳴らしたミラムとメレフは互いに一度顔を見合わた後、ゆっくりと紐を解いてそれを広げた。

 ずっと探し求めていた魔法。それがついに、目の前に。

 緊張と興奮を身に宿し、二人は紙面に記されていた魔法式と対面し──直後、困惑した様子で首を傾げた。


「……何が書かれているのか、さっぱりわかりませんね」

「幾何学模様と……古代精霊文字? それに見たことのない図形が幾つも」

「ハハハっ。まぁ、そんな反応をするのも無理ないか」


 感動も達成感もない二人の反応に、アリエスは笑った。


銀鏡乱華アザリアードは発動難易度の高い魔法だ。古代精霊魔法と大陸西方に住む少数民族が扱う希少魔法、そして本人の感情によって出力を増減させる感応魔法を合わせた複合魔法。初見で内容が理解できるほど、簡単ではないさ」

「こんなに難しい魔法、一体誰が作ったのやら……」

「あぁ、僕だよ」

「「え?」」


 何気なく、愚痴のように呟いたメレフの一言。

 それに対するアリエスのシンプルな答えに、二人は目を丸くしたまま固まった。


「……これを、あんたが?」

「そ。いつだったか、クルサに頼まれてね。とても綺麗な、自分だけの魔法が欲しいって。それで、あの子の誕生日プレゼントとして贈ったんだ」

「信じられない……魔法を創るなんて」


 アリエスは魔法創造を成した。

 その事実に驚き、メレフは巻物の紙面に記された魔法式とアリエスを交互に見やった──と。


「お師匠様を低く見積もり過ぎだと思います」


 湯気の立つ熱いお茶と焼き立ての菓子を乗せた銀のトレイを持ってきたラナが机上にそれらを並べながら、何処か誇らしげに、二人に言った。


「この方を一体どなたであると? 神秘の種族たる妖精族の長にして、あの聖魔大戦を終結させた大英雄。あらゆる知識を保存するこの天空図書館の館長であり、三千八百年の時を生きる賢者。正に伝説そのものなのです。魔法の一つや二つ、お師匠様の手にかかれば造作も──」

「過剰に持ち上げない」


 渡されたティーカップに口をつけたアリエスが横目で軽く睨むが、ラナは全く悪びれた様子を見せずに『事実ですので』と宣うだけだった。

 確かに、事実ではあるのだけど……。

 何を言っても無駄か。と、アリエスは溜め息を一つ零してから、二人にラナのことを紹介した。


「紹介が遅れたね。この子はラナ。僕の弟子だよ」

「お見知りおきを。将来的には伴侶になるつもりです」

「……こんな感じで、変なことを口走る子だ。あまり気にしないでいいからね」

「お師匠様はいい加減に私のことを気にしてください」

「ラナ。あとでぶっ倒れるまで飛行魔法の練習ね」

「そんな!?」


 絶望に顔を染めたラナを無視し、アリエスはミラムとメレフに問うた。


「君たちがこの図書館を訪れた目的は、その魔法を見つけるため……で、良かったんだね?」

「はい。これは昔、母が私たちによく見せてくれた思い出の魔法なので……」


 ミラムはとても嬉しそうに、同時に懐かしそうに、魔法式に視線を落とした。

 口元に浮かぶのは微笑。亡き母との思い出の魔法を見つけることが、とても嬉しいのだろう。見ているだけで、それが伝わってくる。


 アリエスはそんな彼女を見つめ、微笑む。


「魔法とは、魔法使いが生きた証だ。銀鏡乱華がクルサの生きた証になったことは、僕も嬉しい。贈った甲斐があったものだよ」


 ただ。

 アリエスは少しの間を空け、彼女たちにとっては残念な事実を告げた。


「残念だけど、その魔法は普通に勉強してだけでは使えないよ」

「! な、なぜですか?」

「それは固有魔法だからです」


 疑問に答えたのはラナだった。

 彼女はミラムが持つ巻物を見つめ、続けた。


「一般的に流布している汎用魔法とは違い、固有魔法は特定の魔法使いにしか扱うことができません。その魔法を使用するためには、適合する魔杖を手に入れなければならないのです」

「加えて、魔杖も魔法使い本人と適合するものでなくてはならない。つまり、銀鏡乱華と君たちに適合する魔杖を作る必要があるんだ」

「魔杖を作るなんて……私たちには到底できません」

「だろうね。魔杖は専門的な知識と技術を持つ職人でなくてはできない。しかも、僕が創った固有魔法に適合する魔杖を作れるとなると、存在するかどうかすら怪しい」

「では、どうすれば……?」

「任せなさい」


 トン、と自分の胸を叩き、アリエスは言った。


「僕が作ってあげるよ。クルサに魔法を贈った時も、専用の魔杖を作ってあげたからね。できない道理はない」

「そ、そこまでしていただいてもよろしいのでしょうか? あの、申し訳ありませんが、私たちには妖精王様に納得いただけるだけの対価を持ち合わせて──」

「そんなものはいらないよ。僕はこれまで、助けた人に対価を貰ったことはない」

「……よろしいのですか?」


 流石に無償というのは申し訳がない。

 そう言うミラムに、アリエスはかつての弟子の姿を重ねた。本当によく似ている、と。


「昔、クルサにも言ったことなんだけどね。善意に対して対価を支払おうとするものじゃない。僕が君たちに求めるのは、お金でも物品でもない。ありがとう。その一言と、笑顔だよ」

「──ぁ」


 何が見えたのか。何を感じたのか。

 ミラムは僅かに口を開いたまま沈黙し、数秒の間、ジッとアリエスのことを見つめ……やがて、穏やかに表情を崩した。


「本当に、お母様の師なのですね。今の言葉は、お母様にそっくりでした」

「どんなところが?」

「ありがとうが貰えればそれで十分だと、お母様はよく言っていたのです」

「そっか。まぁ、百年近く一緒にいたから、僕の性格や口癖が移っても仕方ないね」


 言って、アリエスは再びお茶を啜った。

 遥か昔……それこそ、一番弟子から現在に至るまでずっと、アリエスは自分の弟子に言っていることがある。


 特別な贈り物はいらない。

 けれど、どうしても僕にそういった物を贈りたいのならば、普段は恥ずかしくて言えないようなことを直接伝えてほしい。それだけで、僕は満足できるから、と。


 その言葉を護り、多くの弟子はアリエスの誕生日には『いつもありがとう』と伝えてくれた。まぁ、大半が装飾品や書物などのプレゼントと共に、ではあったけれど。

 感謝の言葉と共に受け取った品物を、アリエスは今でもしっかりと保管している。

 一つも無くすことなく、全て。

 何故ならそれらは、自分の大切な弟子との思い出そのものだから。


 懐かしい、しかし今でも鮮明に憶えている思い出の数々を蘇らせながら感傷に浸っていたアリエスは、何にも代えることのできない宝物であるそれらを再び思い出に仕舞い──。


「やめろ、ラナ」


 声量も声音も変わらない。しかし確かな──圧倒的な迫力と威圧感を孕んだアリエスの声に、空気が完全に凍り付いた。

 少女たちだけではない。部屋に住まう蝶も、花も、木々も、全てが動きを停止させている。

 完全な静寂、完璧な沈黙。

 動きと音の消えた世界。それを破ったのは、右腕に冷気を纏わせているラナだった。


「ですが、お師匠様。彼女は先ほどから……貴方に敵意を向けておりました」


 ラナが見たのは、メレフだ。

 彼女は先ほどから言葉を発することなく、ただジッと、アリエスのことを見つめていた。その視線には明確な敵意と、僅かな殺意が含まれていた。

 アリエスは妖精王。長い人生の中で、幾つもの修羅場を潜り抜けてきた経験を持つ。歴戦の猛者と言ってもよい妖精王にわからないはずもなかった。


 だが、だからと言って攻撃するのは早計に過ぎる。

 まずは話し合うこと。戦いは、それが無駄に終わった時に行うものだ。


「メレフのことはわかっている。だから、まずは冷気を消しなさい」

「しかし──」

「大丈夫。信じなさい」

「…………承知いたしました」


 指示に従い冷気を消滅させたラナは、アリエスの背後に控えた。

 もう勝手に魔法を発動し、相手に危害を加えることはないだろう

 判断したアリエスはメレフを見やり……理解を示した。


「珍しいことじゃないよ」

「え?」


 どういう意味?

 困惑するミラムとメレフに、アリエスは続けた。


「僕が聖魔大戦を終結させた方法は、かなり強引だったからね。そのことを……戦争が終わってしまったせいで、家族の仇を討てなくなった恨みを僕に向ける者は、それなりにいる」

「……」

「実際に行動に移さなければ、僕は咎めない。けど、今はラナがいるからね。彼女を刺激するようなことは控えてほしい」


 メレフに頼むと、彼女は何か言いたそうに口を僅かに開いたが、結局何も言わずに頷いた。

 ミラムは何も言わない。額からは冷や汗が流れており、少しばかり、呼吸が荒くなっている。

 先ほどアリエスが放った威圧感に当てられ、腰が抜けてしまっているらしい。

 申し訳ないことをした。と、アリエスはミラムに『ごめんね』と謝った後、陽光の降り注ぐ天井を見上げた。


「今夜は……満月か。丁度いいね」

「何かする予定で?」


 尋ねたラナに、アリエスは頷いた。


「魔杖製作に必要な材料の一つが、満月の夜にしか手に入らないんだ。だから──今夜、採取に行こうか。勿論、二人も一緒にね」

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