第2話 エルフの姉妹
「銀の花を咲かせる魔法ですか……」
エルフの姉妹──その内、長い髪をした少女の要望に、男性の司書は困り果てた様子で頭を掻いた。
「うーん……申し訳ありませんが、そのような魔法は当館にも存在しているか怪しいです。私も聞いたことがないので……」
「そんな……この図書館には全ての魔法があるんじゃないんですか?」
「いえ、全てというわけでは。ここにあるのはあくまでも、当館の館長である妖精王アリエス=ナイトルージュ様が収集した魔法です」
「「……」」
自分たちの求める魔法がない可能性がある。
示された現実に、姉妹は互いに顔を見合わせ表情を曇らせた。
折角来たのに。
そんな落胆が感じられる。
二人の表情に心を動かされたのか。男性司書は受付の机上にあった魔法書のリストをパラパラとめくった後、それを閉じて言った。
「あくまでも私が知らないというだけなので、存在しないと確定したわけではありません。一先ず、他の部屋を確認してきますので、少しお待ちを──」
「その必要はないよ」
司書が受付から離れる寸前、ラナの肩に乗ったまま、アリエスは彼に声をかけた。
「彼女たちは僕が応対する。君はここで仕事を続けていて」
「──!? よ、妖精お──」
「はい、静かに。それとここでは館長と呼ぶように」
アリエスが口元に人差し指を当てて沈黙を命じると、司書は大慌てで自分の口を両手で塞ぎ、何度も首を縦に振った。
ここで姿を隠してきた努力が無駄にならなくて良かった。
安堵しつつ、アリエスは自分を見つめている姉妹を見やり、彼女たちに声をかけた。
「エルフを見るのは百二十年振りだ。てっきり、先の大戦時に皆いなくなってしまったのかと思ったよ。数年探したけど、痕跡すら見つけることができなかったし」
「……妖精王様ですか?」
長髪の少女は小声でアリエスに尋ねた。
アリエスと司書のやり取りを見て、周りに存在が露見してはならないと判断し、声量を落としたのだろう。素晴らしい観察力。彼女はとても賢い子らしい。
母親とよく似て。
感心と嬉しさを胸に抱きながら、アリエスは二人に言った。
「場所を変えて話そうか。君たちの求める──銀の花を咲かせる魔法。それについて、教えてあげるよ」
◇
エルフの姉妹を連れて本館を後にしたアリエスは、別館へ移動した。
妖精王の許可がなければ立ち入ることができない特別な領域であり、多くの魔法使いが憧れる妖精王の聖域だ。一般には公開されていない秘蔵の書物が、ここには多く保管されている。その中には、歴史の彼方に失われた、危険極まりない魔法も。
ここであれば周囲の目を気にすることなく話をすることができる。
そう判断し、アリエスは二人を別館へ招いたのだ。
「さぁ、どうぞ」
魔法を解き、身体を元の大きさに戻したアリエスは大扉を開け放ち、二人を室内に招き入れた。
そこは、深い森のような図書室だ。
床には丈の短い草花が生い茂り、壁や支柱、本棚には湾曲した木の幹や蔦が這っている。また天井から差し込む陽光がそれらを照らしており、木漏れ日が天使の梯子のように、一筋の光の線となっている。実に神秘的な光景だ。
「綺麗……」
「……」
部屋の入口で立ち尽くし、幻想的な室内に見入っているエルフの姉妹。
アリエスはラナに『お茶の準備を』と頼み、彼女が気配を消して退室した後、手近な倒木に腰を落として二人に声をかけた。
「こっちにおいで。ミラム、メレフ」
「「!」」
アリエスの呼びかけに、二人はとても驚いた様子で目を見開いた。
何故、自分たちの名前を知っているのか。
わかりやすいほどに表情に出ているその疑問に、アリエスは魔法で椅子と机を付近に移動させながら答えた。
「君たちのお母さん──クルサから聞いていたんだよ。姉のミラムは髪を長く伸ばしていて、控えめな性格ながらも広い心と深い優しさを持っている子。そして妹のメレフはショートカットがお気に入りで、勝気な性格と温かな愛情を宿している……ってね」
「……妖精王様は、お母様とどのような関係だったのですか?」
アリエスの用意した椅子へ歩み寄りながら質問したのは、姉のミラムだった。
母親にそっくりだな。
彼女の姿にそんなことを思いつつ、アリエスは言った。
「クルサは僕の弟子だったんだ。あの子がまだ小さかった頃に、森で獣に襲われているところを助けて、それからね。とても熱心な子だったよ。特に魔法に対する執着と探求心は人一倍強くて、わからないことがあれば寝ている僕を叩き起こして質問したくらいに」
「……私の知っている母からは、想像ができませんね」
「君たちの前では、どんなお母さんだったんだい?」
「えっと……」
少し悩み、ミラムは答えた。
「とても優しくて、時に厳しくて……特に人の嫌がることはやってはいけないと、強く教えられてきました」
「素晴らしいお母さんだったんだね。わかるよ。今の立派に成長した君たちをみれば、彼女が見事な母親だったと。だからこそ……」
亡くなった時は、本当に悲しかった。
その言葉は言わず、アリエスは口を閉ざした。
脳裏に浮かぶのは、可愛い弟子との最後の記憶。
ボロボロに傷つき、悲しみに涙を流し、想いを吐露し……微笑みと共に最期を迎えた愛弟子の姿。
君もまた先に逝ってしまうのか。
そんな想いを胸に、師として弟子を救うことのできなかった無力感に打ちのめされ、責任に押し潰されそうになりながら、冷たくなった亡骸を抱いた時の記憶。
今でも忘れることはない。
あの時の悲しみ、絶望、そして感触。
自然と溜め息が零れた。瞼が重くなり、ゆっくりと視界を閉ざした。
眼前の少女たちに、弟子の忘れ形見たちには、いずれ伝えるべきだろう。
けれどそれは今ではない。彼女の全てを伝えるのは、然るべき時が来てからだ。
瞼を持ち上げたアリエスは暗い気持ちを切り替え、二人に問うた。
「ところで、僕はエルフ族が生き残っていたことに驚いているよ。聖魔大戦の時に起きたエルフ狩りで、種族は絶滅してしまったと思っていたからね。眷属の妖精や聖獣たちに捜索もさせたが、見つからなかった。これまで何処に?」
「未開拓の、絶海の孤島だよ」
答えたのはメレフだった。
彼女は首から下げた翠玉のネックレスを片手で握りしめながら、アリエスに言った。
「人間のエルフ狩りから逃れるために、私たちは故郷を捨てて海に出た。そこで大戦が終わるまでの二十年間を過ごしたんだ」
「こら、メレフ。精霊王様になんて口の利き方を──」
「構わないよ、ミラム。僕は言葉遣いは気にしない。それに、君たちは弟子の子供だ。気楽に接してくれたほうが、ありがたいよ」
二人に言い、それにしても、とアリエスは天井を見上げた。
失踪したエルフ族の捜索に、アリエスは幾万の眷属を動員して捜索した。けれど結局痕跡すら見つけることができず、最終的にエルフ族は絶滅してしまったと結論付けたのだ。
だが、なるほど。見つからないわけだ。
絶海の孤島というのは、誰にも発見すらされていなかった島なのだろう。流石にそんなところまでは捜索できていない。
エルフ族は命を守るため、そして種族を存続させるために、本気で行方を眩ませたというわけだ。
良かった。
こうして生き延びて、姿を見せてくれて。
アリエスは心の底からそう思い、彼女たちの存命を喜び──パチン、と指を鳴らした。
室内に響き渡る大きな音。
直後、本棚の隙間からやってきた一頭の蝶がアリエスの腕に留まり、頭部に乗せて運んできた
「あの、妖精王様。これは?」
不思議そうに巻物を手に尋ねたミラムに、アリエスは蝶の頭を指先で撫でながら告げた。
「それが君たちの求めている魔法──銀の花を咲かせる魔法。その魔法式だよ」
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