第1話 館内視察

 天空図書館は本館と別館、二つの建物から構成されている。

 このうち、来館者が自由に出入りし、所蔵されている書物を自由に閲覧することができるのは本館だ。五十を超えるフロアと、幾千万の書物。知識を求める者たちが毎日大勢訪れており、人の姿が途切れることはない。


 そんな本館、とあるフロアにて。


「みんな真剣に勉強しているね」


 アリエスは室内で真剣な表情をしている来館者たちを見回し、満足げに頷いた。

 今、視界に映っている者たちは老若男女や種族を問わず様々。その誰もが書物を手に取り、紙面に視線を滑らせ、内容を書き写し、学びに励んでいる。


 静かだ。室内には無駄話の声など一切聞こえない。雑談をしている者は一人もおらず、理想的な図書館の光景が広がっている。

 静寂が下り、皆が真剣な面持ちで本と向き合い、学び成長している。

 アリエスは喜びを噛みしめながら、うんうんと何度も頷いた。


「素晴らしいね。知識を求める子たちがこんなに大勢いることを、僕は喜ばしく思うよ」

「あまり羽を動かさないでください、お師匠様。くすぐったいです」

「あぁ、ごめんね」


 アリエスは謝り、パタパタと揺れ動いていた羽を静止させた。

 先ほどまでとは違う姿だ。今現在、アリエスは掌ほどの大きさとなっており、小さな身体でラナの肩に乗っている。体重はリンゴ一つ分にも満たないほど軽く、すぐ隣にはラナの顔があるせいで、羽を動かすと彼女を擽ることになってしまうのだ。


 精身小化バラモーラ

 アリエスは今、対象の肉体を縮小化させる魔法を使用し、自分を小人サイズに変化させているのである。

 この魔法を使っている理由は当然、来館者に自分の存在がバレないようにするためである。また、精身小化以外にも認識阻害の魔法を発動しているので、相当な手練れの魔法使いでもない限り、見つかることはないだろう。


 アリエスは微笑みを浮かべたまま再度フロア内に視線を飛ばした。


「でも、僕は本当に嬉しいんだよ。かつては憎み合い、殺し合っていた種族の者たちがこうして一つの空間に集まって勉強をしているが。聖魔大戦が行われていた百年前では、考えられなかったことだ」


 五百年の間、人間と魔人の間で続いた聖魔大戦が終戦したのは、今から百年前のこと。いがみ合い、憎み合い、殺し合い、大戦では何千万という人々が命を落とした。

 凄惨で残酷な血で血を洗う醜い争いを見てきたアリエスからすると、今目の前に広がる景色は長い間……それこそ、五百年間待ち望んだものなのだ。

 感動するのは、当然のこと。

 既に見慣れた光景ではあるが、それが薄れることはなかった。


「まぁ、そもそもこの図書館内には差別的な思想を持つ者を弾く強力な僕の結界が張られているから、迫害なんて起こらないんだけどね」

「差別的な迫害は起きませんが、知識人も多く訪れるせいで、それ以外のトラブルは起きていますけどね」

「意見の対立か……それはまぁ、人々の進歩のためには仕方ないというか」


 アリエスは頬を掻いた。

 知識人、特に学者というのは我が強い個性的な者が多い。自分の主張を正面から反対されれば、すぐに頭に血が上ってしまう。暴力沙汰になったことはないが、大声で叫び散らすことは、頻繁とは言わないがあることだ。


 無論のこと、他の来館者の迷惑になるので、そういった者たちは別室へと移し、そこで満足いくまで議論させている。

 特に多いのは魔人と人間だ。種族的な意見や考え方の違いがあるのだろう。


「ただ、僕としては種族を超えて意見をぶつけ合うのはいいことだと思う。他の種族の考え方を学ぶ機会にもなるからね。暴力ではない言葉による対話は、歓迎するべきだ。この図書館を創った甲斐があったというものだよ。僕の願いは、より多くの子供たちが知識を学んで、立派に成長していくことだからね」

「……その割には」


 ラナが本棚に収められていた本──『魔法基礎学』と表紙に書かれた本を手に取り、アリエスに言った。


「お師匠様は、あまり多くの弟子を取りませんよね。何故なのですか?」

「僕は一度に一人の弟子しか取らないと決めているからだよ」


 そう言って、アリエスはラナの頬に触れた。


「複数人の弟子を取ると、どうしても一人に割く時間が少なくなってしまう。均等ではなく、誰かに偏ってしまうんだ。それではいけない。だから、一度に取る弟子は一人にして、その子に出来る限りの時間を使ってあげる。そして、その子が一人前になり、僕から巣立っていったら、次の弟子を取るんだ」

「へぇ……」

「それと、僕はそれなりに多くの弟子を取り、育ててきたよ。魔法使いになってから三千五百年が経過するけど、その間に、九十九人の弟子を育ててきた。ラナは丁度、百人目だね」

「記念すべき、ですね」

「そうだね。ちなみにこれまでの弟子で、今も存命しているのは……三人かな。いずれ会わせてあげるよ」

「楽しみにしています。……あの、お師匠様」

「うん?」


 元の位置に本を戻し、ラナは問うた。


「お師匠様は……これまでのお弟子さんを、憶えているのですか?」

「勿論だよ」


 アリエスは頷き、これまでに自分が育ててきた弟子──我が子のように愛おしい者たちの顔を思い浮かべた。


「顔と名前だけじゃない。一人一人の性格も、教えた内容も、食べ物の好き嫌いも、誕生日も……どんな最期だったかも。全て憶えているよ。例え命尽きたとしても、今でも彼らは皆、僕の大切な子供たちだ」

「羨ましいですね、とても」


 ラナは微笑み、続けた。


「私も……お師匠様の記憶に、永遠に残ることができるように、努力します」

「もう残ってるよ」

「いえ、妻として」

「そっちか。それは……うん。この先どうなるかはわからないから、何も言わないでおくよ」


 例え何千年の時を生きようと、どれだけの経験をしようと、賢者と呼ばれようと。

 未来を知ることはできない。この先の生涯で、自分がどうなっていくのかは、全く予想もできないのだ。

 だから、完全には否定しない。

 ラナが自分の伴侶になる可能性を、アリエスは完全には除外しなかった。

 きっと、そうなる可能性は低いけれど。

 胸中でそう呟いて。


「……さ、久しぶりに色々な子たちを見れて、僕は満足だ。別館に戻って、稽古をしようか。今日は他者の魔法制御権を強奪する手段を──」


 と、その時。


「──銀の花を咲かせる魔法を探しているんです」


 フロアの入口付近、司書が常駐している受付から聞こえた声に、アリエスは言葉を止めてそちらへ顔を向けた。

 

 そこにいたのは、エルフの姉妹だった。

 種族特有の長い耳と端正な顔、森を思い浮かばせる緑色の艶やかな髪をしており、とてもよく目立つ。

 彼女たちは真剣な表情で司書に自分たちが探し求めている魔法について問い尋ねており、聞いたことのない魔法に、司書は若干困った様子だった。


 初めて見る子たちだ。

 しかし……あの子たちの顔立ちには、見覚えがある。

 間違いない。彼女たちは──。


 脳裏に浮かんだ一人の弟子の顔。

 アリエスは記憶の中の彼女に『生きていたみたいだよ』と微笑みながら呟き、ラナの姉妹の下へ向かうよう頼んだ。


 弟子との約束を果たすとしようか。

 小さな声で、そう呟いて。

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