第5話 妖精王からの贈り物

 いつの間に来たのか。

 窓枠に腰掛けている彼は昼間とは違う白いキトンに身を包んでおり、片手には黄金の短杖が握られていた。

 大きな三日月を背に、幻想的な羽を広げた彼は実に神秘的。

 初対面のアトリアは、その美貌に見惚れ固まっていた。


「あ、なたは……?」

「アリエス=ナイトルージュ。妖精王と言えばわかるかな?」

「! は、はい。勿論でございます」


 名前、そして肩書きを聞いた途端、アトリアは緊張した様子で背筋を伸ばした。

 十歳の子供であろうと、妖精王の名を知らない者はいない。世界で最も偉大な魔法使いを前にすれば、緊張に身体を強張らせるのは無理もないことだった。


 チラ、とイザールは壁に掛けられていた時計を見た。

 現在の時刻は午後十時。アリエスが天空図書館で告げた約束の時間、ぴったりだった。


 時間管理も完璧。

 イザールは感心しつつ、アリエスに尋ねた。


「妖精王。この唄は貴方が?」

「そうだよ。君たちのために再現した」

「何故そんなことを?」

「それは勿論……アトリア」


 ベッドの上で正座をしていたアトリアを見たアリエスは、手にしていた黄金の短杖、その先端を彼女に向け──言った。


「君があまりにも──親不孝者だからさ」

「……」


 アトリアは自覚があるらしく、反論することなくアリエスの指摘を受け止めた。

 イザールの胸の内には微かな怒りが湧く。娘は大切な母を亡くし、傷心の最中。細かな気遣いや優しさが必要な時期であり、そんな少女に厳しい言葉を投げかけるなど、幾ら妖精王と言えども看過できない。


 と、イザールは抗議しようと口を開きかけたが──言葉を発する前に、アリエスに視線で制され言葉を発することができなかった。有無を言わせぬ圧を感じる。絶対に逆らってはならないという、ある種の脅迫めいたものまで感じた。


 イザールの沈黙を確認し、アリエスはアトリアに視線を戻した。


「君はお母さんから、毎晩のようにこの唄を聴かされていたんだよね」

「はい。もう、何千回と」

「じゃあ、君のお母さんがこの唄を聴かせた意味はわかってる?」

「ぇ」


 答えることができず、アトリアは沈黙した。

 否、アトリアだけではない。傍で話を聞いていたイザールも、その答えがわからずに黙りこくった。


 よく聴かせてもらっていたことは事実だ。特に夜、眠る前には寝室に家族全員が集まり、クルハの演奏に耳を傾けた。

 だが……唄の名前や演奏の意味は知らない。

 気にしたこともなかった。彼女がハープを演奏することを好んでいたから、趣味の一つなのだろうとしか……。


 口を閉ざしたまま沈黙を続ける二人に、アリエスは小さな溜め息を零した後、告げた。

 長い間不明だった唄の名前と、演奏の意味を。


「唄の名は、ラフェンテラ。王妃の故郷である大陸北東部の地方に伝わる唄だ。その名の意味は──最愛の人たちに幸福」

「「!」」

「この唄は、家族の幸福を祈る唄なんだよ。お母さんは君の……君たちの幸福を祈って、奏でていたんだ」


 アリエスは黄金の短杖をアトリアに手渡し、次いで、彼女の頭に手を置いた。


「いいかい、アトリア。もう悲しむのはやめなさい。君がするべきことは、お母さんの願いを叶えてあげることだ。幸せになって、天国にいるお母さんを喜ばせてあげるんだ」

「……」

「もしもまだ泣き足りないなら……」


 そこで一度言葉を止めたアリエスはイザールを見やり、言った。


「お父さんの胸で、泣きなさい。大丈夫。君のお父さんは、君が泣き止むまで抱きしめてくれるから」


 さぁ、あとは父親である君の番だよ。

 アリエスはイザールの肩を叩いてそう言い──窓から身を躍らせた。

 落下すればとても無事ではいられない高度。しかし、彼の妖精王には羽がある。空を飛べる。怪我をすることすらないだろう。


 父親の番……なら、今更だけど、それらしいことをしよう。

 イザールはベッドの上で呆然と短杖に視線を落としているアトリアの傍に腰を落とし、彼女の小さな身体を優しく抱きしめた。


「パパ?」

「たくさん泣きなさい。パパは、ずっと傍にいるからね」

「……っ」


 アトリアが泣き始めたのは、それからほどなくして。

 彼女は長い時間、泣いた。嗚咽を零し、涙を流し、もう二度と会うことのできない母に対する想いを吐露した。

 もっと一緒にいたかった。

 もっと抱きしめてほしかった。

 もっと頑張ったねと言ってほしかった。

 もっと沢山、話がしたかった。

 これまで胸に蓄積したものを全て吐き出すように、泣いて、泣いて、泣いて。


 イザールはそんな我が子を抱きしめ続けた。

 これでこれまでの分が取り返せるとは思っていない。母であるクルハの代わりになるとは微塵も思っていない。こんなことで、アトリアの悲しみが癒せるとは。


 けど、この瞬間。

 アトリアを優しく抱きしめているこの瞬間。

 イザールは久しぶりに、父親になれた気がした。

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