エピローグ
「心よりお礼を申し上げます、妖精王様」
月明かりに照らされた、王城のバルコニー。
寒空の下、冷たい夜風が吹きつけるそこで、一人の初老の男が感謝の言葉を口にしながら、深々と頭を下げた。
黒を基調とした礼服に身を包み、金色の片眼鏡が特徴的な男。
彼は国王イザールに仕える侍従長だ。王城内に数多くいる使用人の長であり、取り纏める重鎮。
部下だけではなく、客人や要人からも一目置かれる彼が謝意を伝えているのは、正面にいる妖精王アリエスだ。汚れ一つない純白の手すりに腰掛けた彼は指先に蒼い蝶を留まらせ、それを愛でながら、心地よさそうに冷えた夜風に当たっている。
何と幻想的な御方か。
侍従長が胸中で呟くと、アリエスは三日月を見上げて言った。
「君の依頼は完了、でいいのかな」
「勿論でございます。この上ないほど、私の望みを叶えてくださいました」
顔を上げ、侍従長は肯定した。
「アトリア様はクルハ様の逝去に一区切りをつけ、再び人生を歩み出すことでしょう。そして……国王陛下もまた、失っていた父親としての自信を取り戻してくださる。これ以上の結果はありません。本当に、何とお礼を申し上げれば良いか……」
「大層な感謝はいらないよ。僕は大したことをしていない。ただ……彼らに適した魔法をプレゼントしただけさ」
何と謙虚で寛大な。侍従長は感服した。
今回、アリエスに協力を要請する手紙を送ったのは侍従長だ。
理由は、憂いていたから。王妃クルハの死後、王女アトリアは心を閉ざし、国王イザールは悲しみから逃れるように仕事に没頭した。
以前は確かにあった、温かい家庭が失われてしまったのだ。
このままではいけない。このままでは、今のまま何も変わらない。笑顔のあった主人の温かい家庭が、永遠に失われたままになってしまう。
そんな最悪な結果になるのが怖かったのだ。
だから、頼った。縋った。妖精王であれば、何とかしてくれるかもしれないと。
そして、その望み通り、期待通り、アリエスは成し遂げた。
心の奥底にしまい込んでいた感情を吐露したアトリアと、涙を流す我が子を愛おしそうに抱きしめるイザールを見た時……震えた。感極まり、涙が零れた。
ずっと止まっていた時間が、動き出したような気がして。
アリエスには感謝してもしきれない。
妖精王に一体どんなお礼をすればいいのかはわからないが、侍従長は、自分のできることならば何でもするつもりだった。何が払えるのかは、わからなかったが──と。
「じゃあ、僕はもう行くよ」
「ぇ」
手すりの上で立ち上がったアリエスに、侍従長は手を伸ばし静止を求めた。
「お、お待ちを!」
「ん? まだ何か?」
「対価を……此度の謝礼をさせていただきたいのです!」
「謝礼……んー、そうだね」
顎に手を当て考える素振りをした後、アリエスは光の灯る廊下、その入口を見やった。
「君は、あの子たちを大切に思っているんだろう? イザールとアトリアを」
「は、はい。それは勿論で──」
「なら、しっかりと支えてあげなさい。もう、あの子たちが悩み塞ぎこむことがないように。それが、今回の謝礼だ」
その言葉を最後にアリエスは手すりから飛び降りた。
侍従長はすぐに眼下を覗き込んだが、何処を見ても、落下する妖精王の姿は見つけられず。恐らく、何らかの魔法を使ったのだろう。彼は生ける伝説。どんな魔法を持っていたとしても、不思議ではない。
「……承知いたしました」
バルコニーに一人残された侍従長は誰にも聞かれることのない言葉を呟いた後、追う場内へと戻り、廊下に敷かれた赤い絨毯の上を歩き進んだ。
既に夜は深くなりつつある。
大切な主人たちに、温かいミルクでも持って行こう。今宵は安らかに、眠って頂けるように。
そんなことを考えながら──。
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