第2話 美しい妖精王

 明日の午前十時、王城に馬車を向かわせます

 イザール=アングテラ陛下のみ、ご乗車くださいますようお願い申し上げます


 梟によって昨晩届けられた手紙に記されていた通りの時刻に、王城の玄関前には馬車がやってきた。

 ただの馬車ではない。

 豪奢な装飾の施された白いキャビンを牽引しているのは普通の馬ではなく、天馬ペガサスだ。背に美しい大翼を携えた伝説上の幻獣が二頭、馬車馬の役目を担っている。


 本当にこれから、自分は妖精王に会いに行くのだな。

 二頭の天馬を前にしたイザールは胸中で呟いた後、見送りに来た従者たちへ『いってくる』と出発の挨拶をし、キャビン内へと乗り込んだ。


 本来、一国の君主であるイザールを一人で外出させることは許されない。付き人や護衛は最低でも十名は必要だ。君主の身に何かあれば、それは国全体を揺るがすことになるから。通常ならば、絶対に認められない。


 だが今回は、他でもない妖精王からの招待。

 世界で最も偉大とされる大魔法使いからの指示。

 これには誰も反対意見を唱えることができず、あっさりと認められることになった。


 口うるさい侍従長が何も言わなかったことが、少し気になるが。

 古くから王家に仕える、自分が最も信頼する男に違和感を覚えながらも、イザールはそれ以上深く考えることはせずに窓の外を眺め、滅多に経験することのできない空の旅を楽しんだ。


 目的地である天空図書館に到着したのは、およそ二時間後。

 全ての知識を欲する者、そして魔法師が憧れる聖地。

 大聖堂や宮殿と見紛う豪奢な建造物の前に降り立った馬車。同時に自動で開いたキャビンの扉。

 到着を確認したイザールは久方ぶりに宿る緊張に身体を微かに強張らせながら、妖精王の領域に足を踏み入れ──息を飲んだ。


 御伽噺の世界がそこにあった。

 人間の何倍もの背丈を持つたんぽぽの綿毛。よく実り首を垂れるそれの撓んだ茎に、美しい妖精の少年が座っている。

 一房だけ青が混じった純白の髪に、ピジョンブラッドの赤い双眸。細身ながらも程よく筋肉のついた彫刻のような肉体は黒いキトンに包まれており、背中には蒼い蝶の羽を携えている。

 尋常ではない。あらゆる宝石が霞むほどの、美貌の妖精。同性であるはずなのに、彼を見つめているとイザールは心臓が高鳴った。


 間違いない。

 彼が妖精王──アリエス=ナイトルージュに違いない。


 イザールが確信した時、妖精の少年は開いていた分厚い本をパタンと閉じ、魅力的な微笑を浮かべて片手を上げた。


「やあ。待っていたよ」


 外見通り少年の声音で呼びかけた彼は本を小脇に抱えると、茎の上から飛び降り……背中の羽を大きく広げ、イザールの下まで滑空した。

 あまりにも神秘的で魅力的な少年に見惚れていたイザールだったは少年が地に降り立つ前に我に返り、その場に片膝をついた──が。


「やめなさい、イザール。一国の君主が簡単に膝をつくものじゃない。自然体で構わないよ」

「いや、しかし貴方は──」

「その代わり僕も君に敬語を使わない。悪いね。僕からすると、人間は皆子供みたいなものだから……敬語は苦手なんだ」

「……わかりました」


 嫌がることをするわけにはいかない。

 イザールは立ち上がり、アリエスに言った。


「確かに数千年の時を生きるアリエス様にとっては、人間など子供も同然。特に私など、赤子にも等しい年齢でしょう」

「正確な年齢は、三千八百歳だけどね」


 人間の時間からすると途方もない、悠久のようにも思える年月。

 眼前の、どうみても十代後半頃にしか見えないアリエスがそれだけの時間を生きているという、冗談のような事実。

 それに思わず、イザールは笑ってしまった。

 出鱈目な、と。


「よかった」


 不意に、アリエスが安心したように言った。


「思ったよりも元気そうで。失意の底に沈んだ状態でこられたら、どう接しようかと悩んでいたところだよ」

「ハハハ、妖精王様の前でそんなみっともない姿を晒すわけには──」

「大分無理をしているようだけどね」


 心の内は全てお見通しだと言わんばかりに告げ、アリエスは全てを見透かすような瞳でイザールを見つめた。

 イザールは息を飲み、片足を後退させる。


 彼の瞳には自分がどう映っているのか。彼にはどこまで見透かされているのか。まさか、思考も感情も、全て知られてしまっているのか。

 宝石のように美しい瞳に恐怖を抱く。

 自分が顕微鏡で観察されている微生物のような気分になった。

 

 このまま見られ続けるのは嫌だ。

 視線から逃れようと、イザールは顔を逸らした。

 すると、アリエスは突然興味を失ったかのように視線を逸らし、建物のほうへと歩き始めた。


「部屋へ案内する。ついてきて」


 断ることなどできるはずもなく。

 このまま自分は観察され続けるのではないかという不安を抱きながらも、イザールはアリエスに追従。自動で開かれた大扉を潜り、図書館内へと足を踏み入れた。


「君と娘さんのことは聞いているよ」


 甲冑や絵画などの美術、装飾品が一つもない廊下を歩き進みながら、アリエスは言った。


「王妃が亡くなってから、心を閉ざしてしまったそうだね。特に娘さんは重症で、部屋から一歩も出てこないと」

「その話は誰から?」

「ん? 君のところの侍従長からだけど」


 なるほど、アリエス様に手紙を出したのは彼か。

 これで単独の外出に待ったをかけずに送り出した理由がわかった。


 小さな違和感、疑問が解消されたことにスッキリとしつつ、イザールはアトリアのことを話した。


「娘は妻にとてもよく懐いておりました。何処に行く時も、何をするにも、ずっと一緒で。特に夜、眠る前に妻が演奏する唄が好きで……」

「ママっ子か。可愛いじゃないか」

「えぇ。そんな仲睦まじい二人が、私は大好きでした。心の底から、愛しておりました」


 しかし。

 イザールは下唇を噛んだ。


「もう一年以上、娘の笑顔を見ることができていない。私は無力です。呼びかけても、あの子は全く耳を傾けてくれない。いや、あの子が耳を傾けてくれる言葉を、私は見つけることができていない」

「ふむ……」

「後悔は尽きません。もっと長い時間寄り添ってあげていれば、王としてではなく父親として振舞っていれば、支えてあげていれば……そんなことを考える日々です。私は──父親失格だ」


 胸の内を吐き出す度に、自責の念がのしかかる。

 何が父親だ。娘が辛い時に傍に寄り添ってやらずに、王としての責任を優先して。たった一人の娘を支えてやれなくて、父親として合格なわけないだろう。

 この惨状を、現状を、クルハが見たら怒るだろうか。

 もっとちゃんとしなさいと、頬を膨らませて注意するだろうか。

 ひとしきり私を叱った後、二人でアトリアの部屋へ赴いたのだろうか。


「すまない、クルハ。すまない、アトリア」


 妻子に対する謝罪。

 今にも消え入りそうなほどの声量でそれを零した──と。


「自分を責めるな、若者」


 廊下の果てにあった大扉。

 魔法だろう。右手翳してそれを開きながら、アリエスはイザールに微笑みかけた。


「娘のことでそこまで悩むことができているんだ。その時点で、君は立派な父親だ」

「……そうでしょうか」

「そうだとも。娘思いの、誇り高い父親さ」


 ……まさか、妖精王様にこんな優しい言葉をかけてもらえるなんて。人生は本当に、何が起こるかわからない。


 心に浸透する温かい言葉。

 胸に広がる痛みが微かに和らぐのを感じながら、イザールは部屋へ入り──言葉を失った。


 何故なら──そこは魚が遊泳する、水で満たされた図書室だったから。

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