第6話 次元と位相
今夏、入道雲の如く心に湧き出た50年前の思い出は、私にとって一つの大きな原体験(人の思想形成に大きな影響を及ぼす幼少時の体験)となりました。
ですから、これから永久に夏が来れば思い出すでしょう。
偉大なアメリカン・インディアンは言いました。「(私たち在来種にとって)『死』というものはない。位相を変えるだけなのだ。」
「インディアンの言葉」紀伊國屋書店 1996年
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気の遠くなるような長い年月をかけて、現在のインド方面よりユーラシア大陸を通り、ベーリング海峡を渡り北米大陸にたどり着いた彼ら。
そこからさらに1万年、アメリカ大陸で純血種として生きてきた「アメリカン・インディアン」たちは、現代の難民だの移民といった人為的に作り出された事件や歴史とは違う運命の人でした。
彼らは、毎日の生活の中で自分が自分であり続けてきた。外来種の好む「スター」という作りものの偶像ではなく、自分のうちに真の自分を見つめ、その自分を包む天地大地大自然との接点をこそ「自我の確立」とした。一つの普遍的な魂が連綿と連なる1万年を生き続けてきたのです。
まさに「死」ではなく「位相を変えて」生きてきた。「サヨナラは別れの言葉ではない。それぞれの夢(生命)へと心をつなぐYELL」なのです。
北米でアングロサクソン人に、南米ではスペイン人という、パリサイ派ユダヤ人に操られた人や(人工地震や台風のような)事象によって、地上から消され歴史から抹殺されたかのような彼ら(の魂)は、映画の実写版の如く・霊魂ではなく・現実の存在として再び甦る流れにある。
嘘や暴力、(人工的な)銃や法律で消し去ることのできない「運命」という宇宙の記憶とは、その法則の通りに、何億・何兆という宇宙の時間の中で歴史を刻んでいく。宇宙の流れに乗る者は、何億の何兆倍かかっても「一瞬で」戻ってくるのです。
暫去還來此(しばらく去りてまたここに來たる)
幽期不負言(幽期げんにそむかず)
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<引用開始>
「この老人は人生を全うした
善人か悪人であったかは問題ではない生きとし生けるもの皆神聖なり、という詩もある私は死せる者のために祈りはしない生きて迷える者のために祈りたい爺さまにはもう迷いも苦しみもない行く道も定まっている土を掛けてあげよう」
スタインベック「怒りの葡萄」で、老人の死に際して元牧師が唱えた文句。
(外来種白人を嫌うアメリカン・インディアンの多くが、しかし、キリスト教(聖書)には耳を傾けたという事実には、そこになにか「共通するもの」があったからなのかもしれません。)
「私のものの見方は時にはナイーブだが、グロリオソ通りの子供のまっすぐな目は失わない。」
My way of thinking is sometimes naive but with the sincerity of the kids from the Viale Gloriose steps.
イタリア人セルジオ・レオーネ製作映画「Once Upon a Time in America」DVDの付録から。
<引用終わり>
2024年8月20日
V.2.1
平栗雅人
夏になれば思い出す Part2 私が私になった日 V.4.1 @MasatoHiraguri
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