姫を奏でる

菊豆

姫を奏でる

「君が好きだ。」これは、私が「あなた」に抱く感情だ。

この好意は私の日常生活、いや、人生の生きる糧だ。

これがあるから私は生きて行けるし、休日の後にやって来る、躁状態を脅かすような月曜日だって、「あなた」がいるから乗り越えられる。

「好き」って最高だ。多分、好きな人がいる人には、共感しないという選択肢のない発言だろう。


今日も私は、沢山の教科書が詰まった重い荷物が軽くなるような、そんな甘い重いを背負って学校に行く。

「あなた」は今教室にいるかなぁ。

流石に今教室にいるとか、いないとかまでは分からないけど、「あなた」についてなら全部知っている。ちなみにこれは私の特技だ。「あなた」の住所、電話番号、メールアドレス、SNSアカウント、パスワード、本名、家族構成、将来の夢、年齢、生年月日、好きな食べ物、好きな色、好きな場所…。

「あなた」が知らない「あなた」まで全部知っている。

私は、「生」を知ろうと汚い手を使う、ストーカーとかいう輩とは違うので、『独占!「好きぴ」生配信』だけは絶対にやらないと誓っているし、人間が愛した者の全てを知ろうとすることが本能であるということは理解している。

私は「あなた」に対する全てを知り尽くしているが、その手段として用いたのは「会話」だけなので、犯罪行為ではないし、周りから見ても恐らく「ただの友達同士の会話」で済むだろう。


そんな事を脳内で復唱しながら教室の扉を開いて、私は直ぐに「あなた」の席を直視した。

(今日もやっぱりいないか…。)

非常に辛い。という思い。

そして、瞬時にやって来たのは、「あなた」に対する過多の思いだ。

いつもの事だと分かっていても辛い。辛い辛い辛い。

しかし私も、推しアイドルが結婚して3日寝込んだ姉のように馬鹿ではないので、何も産まれないこの、「思考タイム」を停止して窓越しに澄み切った空に視線を移した。

(やっぱりいつ見ても綺麗だな…空は。)

その時、私の心の中の黒色が少しだけ青色に染まった気がした。

空だけは私の期待を裏切らない。


10分くらいぼーっとした後、少し飽きて来たので、私は微かに見える校門に視線を変えた。その時だった。


「嘘でしょ。」

0.05秒後の私の顔は多分真っ青。

ありえないありえないありえないありえない。どうしてどうしてどうして………。


なんと、私の心中に常にいて、今、会いたいと思っていた「あなた」が「アレ」と手を繋いで、最寄り駅の方向に歩いて行ったのだ。


(追いかけなきゃ捕まえなきゃアレから離さなきゃ話さなきゃ…)

頭がもげそうな程の思いと共に、私は急いで校門へと向かった。


追いついた。


「……っ、円奏!!」

いつも静かでおしとやかな優等生の鶴の一声、そんな感じの声量だっただろうか。

「…。咲姫…。」

あぁ、心地良い。さっきまであった闇の感情は何だったのだろうか、と疑う程に一瞬で心が浄化された。気持ち良い。もっと名前で呼んで。お願い。お願い……!!!!!

ここだけ見れば相当の変態であるが、そんなこと今はどうでもいい。

何か……何か言わなきゃ!…。でもダメだ。分かんない。好きな人を前にすると頭が悪くなっちゃうよ…!

「ねェ、円奏クン、この娘はだァレ?この娘も、地下ドルに興味があるノ?」

語尾がいちいち気持ち悪い若い男が私に向かって言った。まずい、この流れは。

そして、それに続くように円奏が言った。

「ないと思いますよ。この子。だって、ずっと引き篭っているような根暗ですし。そもそも、顔があんまり可愛くないですしね。」

「そうかナ?ボクはカワイイと思うけどネ。まあいいヤ。今日は初ライブあるシ、早く準備しなきゃだしネ。それじゃあバイバイ、風の如く現れた変態サン。」

男はそう言った。円奏は何も発さなかった。

そうして、2人は闇の中へと消えた。一瞬の事である。


そこに居たのは、今さっき失恋したかのような、ただぺたんこ座りをした女子高生の私だけ。そんな私を無視するかのように、青い空は青いままであった。

どうしよう。私のせいだ。私がモタモタしていたから何も発せなかった。何も出来なかった。円奏を助けてやれなかった。ちょっと貶された気もするし。でも何故だろう、そこまで嫌な気はしない。なんでだろうか。


私はこれまでの行動、生活、態度を考えながら自宅に戻った。

(授業がある訳でもないのに外出したのが悪かったのかな…)

私は円奏に言われた通り引き篭もりだし、顔も可愛くないし、何より、ずっと1人で色々な事を妄想している根暗だ。

世間的に言えばこれらは悪口という枠組みに入る言葉だろう。私もそう思う。

でも何故だか、心地が良いのだ。円奏の小さくて薄くて形の整った唇、ふわふわとした柔らかい声からそんな言葉が発せられる。

ゾワゾワした。ワクワクした。興奮した。

もう変態でも構わない。引き篭もりでも構わない。

(今日も私の生きる糧は円奏。円奏、円奏、円奏…、、!)

「わたしのぉ……!じんせぇ…はぁ…!ま・ど・か♡」

私には同居人がいないため、このような発言をしても誰も止めない。何も言わない。傍観者はそこで勝手に哀れんでいれば良い。私は誰のお人形でもないのだから、自由だ。


私は毎日毎日毎日、365日24時間、一切外出もせずに円奏の事を考え続けた。


円奏が週4回、約50日一日3時間、一切の逃亡も許されずに客に媚びを売り続けていることなども知らずに。







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