16

 レーナ達が出ていき、静かになった家を改めて見渡すと、強盗にでも荒らされたかのような有様である。

 呆然としているアリアと、安らかな寝息を立てるセシルを抱いてソファに寝かせると、アネリは杖を取りだして一振した。散らばっていた薬草や道具が元の位置に戻っていく。何枚か皿が割れてしまったが、それは魔法で直すことは推奨されていない。アネリは食べ物が入っていた布袋を空にして、皿の破片を残らず全て集めて布袋にしまった。


「アリア」

「なあに?」


 一通り片付けが終わり声をかけると、アリアはセシルを抱きしめて微笑んだ。ふわりふわりと不自然な程優しく笑う少女に違和感を覚える。


「熱があるのか?」

「わかんない」

「何も無いなら良いが…」


 そう言いながら寝室につれて行こうと、アネリがセシルを抱きあげようとすると、袖を引っ張られた。


「?」

「『待って、ください』」


 その瞬間、アリアからアリアでは無い者の声が発される。その声は先ほど消えたリウのものだった。


「!?」

「『リウです、先ほどはすみません』」

「……すまないが、アリアの体から出て話すことはできるか?」

「恐らくは可能かと思いますが、姿を見せることは出来ませ…」


 声が途切れたと思うと同時に、糸が切れたようにアリアの体が崩れ落ちた。慌てて駆け寄り、その小さな体を受け止める。


『すみません、アリアに怪我はありませんか?』

「大丈夫だ。少し待っててくれ」


 アネリは改めて二人の子供を抱える。そっとアリアの顔にかかる布をめくると安らかな寝顔が現れた。ほっとしながらも、注意深く階段を上る。


「あの女は?」

『彼女はレーナ様によって一時的に封印されました』


 頭の斜め上から声は聞こえている。初めて言葉を交わしたにもかかわらず、前から存在を認知していたせいか、交わす言葉は気安くなる。

 レーナが使った術の手順を思い出しながらアネリはため息をついた。さっき現れた女は少なからず厄介な敵になりうる存在だった。あの里長が見たこともない術を使わざるを得ないくらいには切羽詰まっていたことがわかる。彼女は滅多なことがない限り、新しく学んだ知識は里の人間全員に共有するくらいはオープンな性格だ。そんな彼女が隠す術は、多かれ少なかれ人に危害を加えうる術の中でも特に危険なものであることを物語っている。

 その術によって正体を現したのは、血まみれの女にアリアの見えない友であったリウだ。様々な推測は立てられるが単純に考えれば、彼女と女が同類であることは簡単に想像がつく。


「聞きたいことは山ほどあるが…」

『まずは最初に私の正体、ですわね?』


 耳元で上品で少しかすれた声が聞こえる。微かに笑ったような吐息と優しい風がアネリの髪をくすぐった。姿は見えないのに、彼女の動きで起きた空気の動きを感じることに少し不思議な感覚を覚える。


『私は過去に取りつかれた亡霊。名はアリスと申しますわ』

「…アリス、この子のそばにいるのはどういう目的があってのことなんだ?別に疑っているわけではないが」

『私はこの子の母です。この子が生まれたとき、家はひどい混乱に陥りました。家人たちの間で醜い争いが起こり、身の危険を感じた私はこの子をとある人物に託しました』

『しかし、私はあの家から逃げ出すことは叶わず、最期は夫に毒を盛られて死にました』

「それは…大変だったな」


 その事実を聞いた時、なんとなく胸に落ちるものがあった。やっぱり、と。

 しかし、咄嗟にかける言葉も見つからず、とってつけたような安易な慰めが口からこぼれた。彼女はふふ、と笑うとアネリのつけている布を少しくすぐった。


『お気遣いありがとうございます。しかし、どんなに苦しい目にあったとしても私の脳裏にはこの愛しい子の顔がいつまでも焼き付いて…死の間際に成長したこの子に一目でも会えたのならと願ってしまったのです。まさかこのような形になるとは想像だにしませんでしたが…』

「それであのような姿になってアリアのそばに今までずっといたんだな」

『恥ずかしながら、一目見れば満足だと思っていたのですが、元気に貴女と遊んでいるあの子を見るとどうにも離れがたく…』


 上ずった声で語るアリスの姿は見えないが、見えていたならば頬は紅潮して、きっと満ち溢れた笑顔をしていることはアネリにも想像できた。

 話を聞きながら慎重に二人を寝台に寝かせる。ずっと起きることがないセシルが少し気にかかったが、脈は安定して呼吸も正常なことは確認して、布団をかけなおした。一息つくと、ベッドの傍に置いてある椅子に腰掛ける。


「これで落ち着いて話せるな」

『私もあなたとはずっとお話ししたかったのですよ』


 本当にうれしそうな声音のアリスに、思わず口元が緩んだ。まるで年の近い友人と話しているかのような親しみやすい雰囲気だった。ふと、セシルの母とハヴィとの間にあった友情もこのようなものであったのだろうかと思った。彼女たちのことは彼女たちにしかわからないことだ。本人の口からきくまで野暮な想像はやめようと想像を振り払う。


「嬉しいな、私もアリアとあなたの会話に混ぜてもらえないのは少し寂しいと思っていたから」

『あら、アネリ様もそのようなことを感じたことがありますのね!』


 楽しそうに弾んだ声がふと潜められた。傍に寝ている子供たちのことを思い出したのだろう。


「あぁ、あの子がいたずらをするときは大体あなたと楽しそうに話していたからな。あと様はつけなくていい、アネリと呼んでくれ」

『…ありがとうございます』


 アリスはしばし沈黙してから、噛み締めるように返した。

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