第4話 殺されて転生したら亡国真っ最中の王女って何の罰ゲームですか? 後編(逃げ上手の蟲喰い姫)
最初に白旗を掲げた使者をたてて降伏する旨を伝えたあと、身支度を整え、エマやケナンジ執政官たちを伴って第二外郭へと向かいます。
戦闘中止の命令はちゃんと伝えられたようで、喧騒は一つも聞こえません。出迎えてくれたグラスノー執政官(戦闘は終わっているので隊長ではなく執政官と呼びます)に一つ頷くと、彼が手を挙げると同時に巨大な門が轟音とともに開いていきます。
開いた門の先に、だいぶ傾いた日に横顔を照らされて、エルグラッドの軍勢が整列して待っていました。その先頭に、長身の壮年と見える口髭をたくわえた武官を傍らに従えて立つのは、漆黑の鎧を着た少年です。彼がエルグラッドの第二王子、アル・ダテルでしょうか。
前世の日本人を思わせる、漆黒の髪に黒瞳の、整った顔立ちの少年でした。落ち着いた佇まいなので年上かと思いましたが、童顔ですし下手をしたら同い年以下なのかもしれません。背丈も同じくらいですし。
「パハラロアの第二王女、キジュリアナ・ド・パハラロアです。こたびは降伏を受け入れた上、こうしてお目通り叶い感謝の念に堪えません」
カーテシーを決めて、通常より深く頭を下げます。何しろ今回は全面的に我が国が悪いのです。これでも下げたりないくらい──なんなら土下座したいくらいなのですが、この場合の頭の下げ方なども作法として決められていますので、外すわけにはいきません。
ややあって、先方からも挨拶が返ってきました。
「丁寧な口上痛み入る。エルグラッドの第二王子、アル・ダテル・ド・エルグラッドだ。降伏の勧告を受け入れてくれたこと、こちらこそ感謝する」
そうなのです。父たちを始末して戻ったところ、第二外郭門を攻撃していた敵軍が攻撃の手を止め、降伏勧告してきたところだったのです。渡りに船だったので、白旗を掲げ、使者を出したというわけです。
ここからが問題です。何しろ兄たちが盛大にやらかしています。負けてきた上に、今まさに攻撃されているというのに、侵攻当初敵国の村々を焼き、村民を殺戮した様子を自慢たらしく語ってくれやがりました。
奴らは千人単位で殺しまくっています。成人男性、成人女性、少年、少女と別々にはねた首を積み重ねて小山のようにしただの、火狐狩りと称して、油を染み込ませた服を着せた子供を囲いの中に放ち火矢を射掛けて、逃げ惑ったり燃えて苦しみのあまりのたうちまわりながら死んでいくのを酒の肴にしただの、新兵の弓矢の練習のために、妊婦を集めて杭に縛り付け、大きな腹を的にしただのと、胸糞悪い話を戦果と誇ってはばからなかったのです。
しかも、それをよくぞやったみたいに聞いていた父も本当に信じられません。父は分かりませんが、兄たちは転生者。ならばきっと前世は殺人鬼か何かだったに違いありません。前世の私を殺したあいつらのような。
どう考えてもエルグラッドの人々に深く恨まれていることでしょう。下手すれば逆に我が国の民が虐殺されても仕方ないような状況です。だからこそ、自分が空間に穴を開けて行き来できる能力があると気づいたときに、真っ先に民の避難に使ったのです。
あとは交渉次第。まずは「ケナンジ執政官」と呼びかけ、荷物を持ってきてもらいます。さすがに女の細腕では重かったものですから。
「エルグラッドの方々を虐殺した主犯である我が兄たち、ならびに戦を企図し兄たちに命じた我が父の首です。ご確認ください」
包みを解かれ、白日のもとにさらされた生首──うち二つは傷だらけでギリギリ原型をとどめているといった感じでしたが──三つに、エルグラッド側も驚きを隠せないようでした。
さすがに落ち着きのあるアル・ダテル王子が問いかけてきます。
「そなたが命じて討たせたのか?」
「いえ、自ら手を下しました」
それが私の責務ですからと続けますと、王子もさすがに驚きを隠せない様子です。
「家族であろう?」
「いえ。家族なればこそです。ただ殺人を犯しただけであれば、その罪は個人のものでしょうが、事は戦争犯罪です。許すわけにはゆかず、また、私も責を負わねばなりません。自害すべきところをこうして恥を忍び、交渉のために永らえております」
「──もしや、そなたは」
息を呑み、王子が声にするのと同時に、私の覚悟を知ったようで背後のケナンジ、グラスノーの両執政官をはじめとするみんなの間に動揺とざわめきが広がっています。
「はい。残るは私の細首一つ。それで手打ちとしていただきたく。引き換えに、パハラロアの民の安寧を願います」
「姫様!」
私の宣言に、たまりかねたように背後から声が上がりました。
「何故貴女が死なねばならないのです! 貴女は離宮に押し込められて何も知らなかったのに!」
「知らなかったでは済まされないのですよ、グラスノー執政官。誰かが責任を取らねば収まるものも収まらないことでしょう。それに、私はしばしば離宮を脱走して街に出ることもありました。街の様子から異変を悟ることも可能だったはずです」
私たちのやり取りを聞き、王子は「ふむ」と顎に手を当てて頷きました。
「なるほど、キジュリアナ姫は聞いた通りの方だな」
「えっ? 聞いた通りとは?」
「ミリアーナ姫から一通り。正義感が強く、優しく、自分に厳しい強い人だと」
お姉様が、と胸を突かれる思いでした。
「お姉様は今は──」
嫁ぐつもりで出立したのに、戦争が起こってしまったのです。人質にされたか、処刑されたか、激高した人々に殺されたか、ろくでもないことになったに違いないと覚悟を決めて様子を問いますと。
「安心して良い。今は軟禁状態だが、貴賓として扱っている。だが、似たもの姉妹だな。自分が責任を負うから首を取れと兄上に告げて、兄上を慌てさせていたぞ」
「お姉様が……」
祖父の薫陶を受けていたのは姉も同じ。考え方が似るのは至極当然でしょう。お転婆な自分と違い、たおやかで淑女然とした大人の女性ですが、芯の部分は同じなのだと改めて知ることができて嬉しさが込み上げてきます。
「では、私の首はお姉様の隣に晒してくださいませ」
「いやいやいや、何でそうなる。我々にはそなた達姉妹を処断するつもりはない」
慌てたように否定してくるアル・ダテル王子に、私は「しかし」と言い返します。
「示しというものが必要でしょう」
「示しと言うなら、王と王子たちの首でもう充分だ。我々としてもこれ以上を求める意思はない」
しかし、と眉をひそめる私に、王子はしばし考え込んで。
「そうだ、こうしよう」
にっこり微笑んで、提案してきました。
「鬼ごっこで決めよう。そなたも転生者なのだろう? ならルールは理解できるはずだ」
「は、はあ? 鬼ごっこですか?」
「そうだ。鬼ごっこの勝敗で、そなたの処断を含め、国に対する処分を決めよう。なお、逃げるのはそなただ」
「と、いうと」
「そなたが日没まで逃げ切ったら、パハラロアに対する一切の要求を放棄しよう。まあ、その上で俺はそなたに一つお願いしたいことがあるのだが、それは国に対するものではなくそなた個人に対するものだから、鬼ごっこの結果いかんとは別々だ。逆にこちらがそなたを捕らえたなら、そなたの処断も含め全て我らの要求通りとする。いかがかな?」
なんだか言いくるめられたような気もしますが、勝った場合の報酬が魅力的過ぎました。国に対する要求放棄ということは、民の安全が確保されるということではありませんか。というか、本来は戦勝国の提案を蹴るなんてどだい無理なのです。受けるほかありませんでした。
それに、鬼ごっこには自信があります。前世から得意でしたから(最後のアレは除外です)。なんなら今生でも小さな頃から──前世の記憶が蘇る前から、護衛という名の監視者たちもぶっちぎって逃げては街に降りていた私ですし。
「鬼は誰が? そちらの兵士たち全員ですか?」
暗にまとめてかかって来いや、受けて立つぞと言ったつもりなのですが、アル・ダテル王子はいいや、と首を振りました。
「俺一人だ。俺もスキル持ちなのでな」
「ああ、貴方も転生者だそうですものね」
ふと気になったので、一つ尋ねてみることにしました。
「そういえば、一番上の愚兄は『剣聖』というスキルを持っていたからかなり強かったはずなのですが、どうやって討ち取ったのでしょうか?」
問われて一瞬面食らった様子のアル・ダテル王子でしたが、すぐに微笑んで答えてくれました。
「剣聖をはじめとする剣に関するスキルは、基本的に自身の能力を大きく高めてくれるというものだからね、俺の基礎が高かったことと、あとは俺のスキルの一つが『剣神』だったから、かな。真正面からの斬り合いで勝てたよ」
「納得です」
最強ムーブかまして、どう見ても鍛えていなかった──有り体に言えば太った豚にしか見えなかった兄が敵わなかったのも当然でした。
「しかし『剣神』ですか。お強いのですね」
「うん、このスキルだけでも大抵の相手には勝てるんじゃないかな。でも、そなたとの鬼ごっこ勝負には使うことはないが」
それはそうでした。もちろん捕まったが最期というデスゲームもありでしょうが、交渉の一環である鬼ごっこで死者を出すのはさすがにまずいでしょう。
となれば、
「私も『虫喰穴』スキルは封印ですね」
あれは父を容易く殺せたことでもわかるように、人体に対して使うのは危険すぎます。故に宣言したのですが、アル・ダテル王子はおや、と目を丸くしました。
「『虫喰穴』スキルで逃げるのではなかったのか?」
どうやら少し誤解があったようです。
「『虫喰穴』は物質に小さな穴を開けるだけのスキルですよ。私が逃げるのに使うのは『空間の虫喰穴(ワーム・ホール)』の方です」
「なるほど。一つのスキルながら、派生する効果が異なるのか。前世の知識あればこそだな」
感心して笑う王子の顔が本当に素敵で、戦勝国と敗戦国の交渉の場だというのにドキッとしてしまったのは秘密です。
ルールの詳細が、ケナンジ執政官やアル・ダテル王子の副官であるクレスト将軍も交えて詰められました。
「一つに、遺恨を残さないため殺し合いとはしないことをはっきりと明記すべきでしょう」
王子の剣の師匠でもあるという将軍が開口一番、口にしたのがそれでした。これにはケナンジ執政官もうむうむとうなずいていました。
「我らは鬼ごっことやらを知らないのですが、どういうものなのですかな?」
ケナンジ執政官の問いに、私が答えます。
「この世界にも似たものはありますよ。オーガゲームとほぼ一緒です」
街の子供たちがよく大きな道や広場で走り回って楽しんでいる遊びです。基本的に鬼ごっこの鬼をオーガと言い換え、タッチするのではなくはっきりと相手を掴んだり抱きしめたりして捕まえたとみなす以外は、前世の鬼ごっことあまり変わりません。
もちろんローカルルールもあったりしますから、一概にこれが全てだとも言い難いのですが。
「はっきり捕まえるというルールだと危険かな? 俺の腕力だと怪我させかねん」
「もう一つ。私のスキルを使うと、捕まえられた状態でもおそらく脱出できてしまうでしょう。そうなると捕まったかどうかの線引きが難しくなるのではないかと」
王子と私が口にすると、誰もが勝敗を判別できて、かつ危険性の少ないやり方はないのかと将軍がうなります。
「なら、しっぽ鬼はどうだ?」
提案して、我ながら名案とニコニコする王子に、なるほどと頷きました。
「この上なくわかりやすいですし、危険性は減らせますね」
「あの、しっぽ鬼とは?」
尋ねるケナンジ執政官に説明します。
「逃げる側は腰に尻尾に見立てた布地をつけます。鬼(オーガ)はそのしっぽを取れれば勝ち、時間内にしっぽを取られなければ逃げる側の勝ちです」
「なるほど、安全かつ分かりやすいですな」
「確かに」
将軍も執政官も理解できたようです。
「あとは勝負の範囲ですな」
「それは城を除くこの街の中全部でいいかな。外に一歩でも出てしまったら出た側の負けだ。それを判別できる魔道具をお互いにつけることにしよう。審判の方も把握できるよう、魔道具の親機を設置する。どうだろうか」
王子の提案は納得のいくものでしたので、同意しました。
「もう一つ加えましょう。私は『時空の虫喰穴』スキルを使って逃げ回りますが、アル・ダテル様を移動させるのには使わないと宣言しましょう。でないと、街の外に放り出して私の勝ちなどというのが成立してしまいかねません。それは公平ではないでしょう。また、虫喰穴と虫喰穴の間の、この世界とは別の空間に姿を隠すというのも無しです。もし数秒でも私が姿を現すのが遅れたら街から出てしまったとみなして構いません」
そんなの別にいいのに、と王子に言われましたが、ここは譲りませんでした。
あとはエマに取りに行ってもらっている、離宮を抜け出して街に行くときに着ていた動きやすい服に着替えたら、勝負開始です。
「では、勝負を開始します。私がコインをこのように弾いたら姫が逃げ始め、コインが地面に落ちたら王子が追い始めてください」
日没まで残り一時間を切ったでしょうか。将軍が宣言し、一枚のコインを取り出して弾いて見せました。
合図に伝統的に使われる、大陸共通通貨の十デューク銅貨です。
この戦乱の時代にあっても永世中立を宣言し、世界最大の銀行を抱える『金融共和国』スイザラントが、高い金属加工技術を裏付けとして発行し続けている、世界中で信頼されている貨幣の一つでした。
合図に伝統的に使われる最大の理由は、表と裏がよく分かることです。金属の表面の色を変化させる特殊な技術──贋金対策のため門外不出の──により、表側に彫刻されたこの世界の神、カレイキャクスライムが青く染められており、裏は赤く染められた数字と文字が彫り込まれているのです。今回は関係ありませんが、表か裏かのコイントスの際によく使われる影響で、コインを弾く時は大抵この硬貨が使われるのでした。
「今、ふと思ったのですけど」
私の言葉に、王子が「何かな」と答えてくれました。
「大陸共通通貨を制定した人はもしかしたら日本からの転生者かもしれませんね?」
「ん? 日本人だったら円じゃないかな?」
「いえ。単位が一、五、十、五十、百、千、五千、万ですよ? しかも十が銅貨で五と五十が合金。さすがに百デュークは銀貨で千デューク以上は割合の異なる金貨ですが、一デュークに至ってはアルミですよ、よく考えたら」
私がいつも使っている硬貨を思い返しながら告げると、言われてみればと王子も目を丸くしていました。
「普段意識してないから気づかなかった。よく考えたら紙幣ではないだけで、ほとんどの硬貨が馴染みのある数字と金属だ。確かに転生者が作り出したのかもね」
でも、何故単位が違うんだろうと続ける王子に、私は肩をすくめて想像を口にしました。
「スイス銀行に報酬を振り込ませる殺し屋のマンガからじゃない?」
「──納得しかない」
そういえば、万デューク硬貨の表に彫刻されているのは、その殺し屋によく似た男性の横顔なのでした。
国の命運をかけた勝負の前だというのに、呑気な話題で私達が吹き出していると、呆れたように将軍が「初めて良いかね」と嘴を挟んできましたので、慌てて背を伸ばし、次いでいつでも駆け出せるように身構えました。
今の私は長い金髪をエマと同じように編み込んでもらってまとめ、服も白いブラウスと乗馬ズボンのような伸縮性の高いズボンという姿になっています。この格好で警備兵との鬼ごっこを制し、街へと繰り出していたものです。
王子もまた、漆黒の鎧を脱いで、刀も預けて身軽になっていました。鎧の下まで黒一色とは、本当に黒が好きなのでしょう。
将軍がゆっくりと硬貨を弾く構えを見せて、私を見て確認するように軽く頷いたので、私も応えて頷き返しました。彼は私の頷きを確認してから改めて見守る誰からも分かるように手を高く掲げ、それからピン、と弾きました。
硬貨が宙に舞ったのを目にした瞬間、私は王子から距離を取るようにダッシュ、次いで、
「開け! 『時空の虫喰穴』っ!」
その勢いのままに空間に穴を開けると飛び込んで行きました。もちろん街の外には出ません。第二外郭を越えて、第一街区の商店通りへと向かったのです。
これは後からエマに聞いた話なのですが、勝負が始まる前に避難民はもちろん、エルグラッドの軍勢も皆、城のやたらと広い庭園に集まり、巨大なスクリーンで観戦していた──パブリックビューイングですね、完全に──のですが、ふと気になってエルグラッドの兵士に尋ねたのだそうです。
「てっきりあなた達も姫様を追うのかと思ったのですが。あるいは姫様を妨害するために街なかに配置されるのかと」
するとその兵士は苦笑して答えたのだとか。
「いやあ、俺らが加わったら、確実に殿下の足手まといになるっすよ」
──その理由を、私は直後に嫌と言うほど痛感することになったのでした。
商店通りに一瞬で移動し、さて彼はと城の方を振り返って、時間経過の感覚から硬貨が地面に落ちたかなと思った次の瞬間。
肌が泡立ち、私はとっさにその場から駆け出しました。直後、まるで砲撃されたかのように、私がいた場所から衝撃波とも思えるような風が吹き付けたのでした。
果たして、そこにいたのはアル・ダテル王子でした。恐ろしいことに、何百メートルも離れていて、しかも間に第二外郭という巨大な壁があったにも関わらず、ほとんど一瞬で私に肉薄したのです。
「それが、貴方のスキルの一つですか!」
王子の脚を見て、私は思わず叫びました。
「そうだ。『神速の極みなるライラプス』という」
「ライラプス──ギリシャ神話の、獲物を必ず仕留める神速の脚を神から与えられた猟犬ですか!」
彼の脚はいかにも俊敏そうな肉食獣の後肢を思わせる姿に変貌していました。これが、ライラプスの脚なのでしょう。そうと確信した頃になって、思い出したかのように彼が踏み込んだであろう外郭の壁や家の屋根、道路のあちこちが弾け飛び、破片が宙に舞いました。
「なるほど、スキルは一つとは限りませんものね。これは距離関係なく一瞬で移動できる私と、同じくどんなに距離があっても一瞬で駆け抜けられる貴方の真剣勝負というわけですか──!」
道理で、私が空間を超えられると分かっているであろうこの人が、わざわざ鬼ごっこを指定したわけです。十分に互角に戦えると踏んだからなのですね。
それだけではありません。
「他にもスキルを使ってますね──具体的にはその瞳」
王子の黒瞳が、今は赤く光っています。明らかに何かを見るスキルを使っているのでしょう。
「然り。『神眼の鑑識』という、看破や鑑定の最上位スキルらしいよ。あの女神様曰くだけどね」
「ああ、イルルシャン様ですね」
そういえば彼女は今、どうしているのでしょうか。今もあの真っ白な部屋で、次の転生者や転移者を労い、スキルを与えたりしているのでしょうか。
ふと考えをめぐらしかけ、すぐに振り払います。今は真剣勝負の最中。あらゆる手段を駆使し、これからおよそ一時間、逃げ切らないといけないのです。
「っ!」
今度はスキル名を告げずに発動。一瞬で距離を詰め、私の背後を取ろうとする王子から逃れるべく、前へと駆け出しざまに穴を開けて即座に閉めます。
今度は第一街区東側の教会の尖塔です。恐らくはすぐに追いつかれるでしょう。ですから、尖塔の真上に出た次の瞬間、もう時空の虫喰穴を今度は足元に開きます。
穴の中へと落下した直後、穴が閉じる瞬間まで見ていたら、やはり王子の手が私のいた辺りを通過したのが見えました。本当にデタラメな速さです。パハラロア軍三千をたった一人で粉砕したというのも、剣神スキルに加えてこの速さや戦場を見通す目があったなら納得というものでした。
今度は第一外郭東側の上です。ここはギリギリ、街の外ではありません。確かに私は『時空の虫喰穴』で彼を街の外に送り込むような真似はしないと宣言しましたが、彼が勢い余って外に飛び出すよう誘導しないとは一言も言っていません。
先ほどの教会からここまでは二百メートル程度。彼の足なら一瞬でしょうが、彼の手が私に届く寸前に移動すれば──
「ッ!?」
思考する間もありません。教会の方から刹那の間もなく迫る弾丸のようなアル・ダテル王子の姿を見たと感じた瞬間、私は更に時空の虫喰穴を展開、移動していました。
作戦通りなら、慣性に従ってあのまま街の外へと飛び出してしまったはずですが、
「そうそう上手くはいきませんか!」
王子は私の狙いを分かっていたのでしょう。最初から私を動かす目的で突進したと見え、虫喰穴から出次第、民家の屋根の上から確認した時には既に外郭の内側の壁を走るという信じられない真似をしていました。
いえ、あの速さと身体能力ならば不思議はないのでしょう。あっという間もなく迫る彼の姿に、私も切り札を使うことにしました。
『時空の虫喰穴』は空間に穴を穿つスキル。では、本来、空間に開けられた穴というのはどのような状態なのでしょうか。
これまで、私は周囲の人が混乱しないよう、壁に開けたような形の穴をあえて形作って開いていました。
しかし、私たちが存在するのは本来三次元空間。壁という平面ではないのです。ならば、三次元空間そのものに開いた穴の本来の形とは?
その答えが、これです。
「開け──『真なる時空の虫喰穴』ッ!」
球状の穴という、見た瞬間に脳がその存在を認識し難い代物が出現し、私の姿を覆い隠します。案の定、目と鼻の先まで迫ったアル・ダテル王子も目を丸くして動きを止めてしまっていました。
これまで私は虫喰穴を通る際には『穴に入る』ステップを一つ踏むことで、周囲の人にも分かりやすく行動していました。しかし、このやり方ならば一歩踏み込む動作無しで虫喰穴に入り、指定の場所から出ることができるようになるのです。
わずか一歩、されど一歩。その差がきっと、彼との勝負にも大きく影響することでしょう。
数百メートル離れた路地裏に一瞬で移動した私は、しかしそこで止まりません。すぐに新しい虫喰穴を発動。更に数百メートル先の果物屋さんの屋根の上に移動します。が、敵もさるもの。ほとんど遅れることなく迫ってくるではないですか。
「疲れ知らずですか! 普通は瞬間移動できる方が有利なんですけど!」
チートにもほどがあると叫びながら更に『虫喰穴』で移動を繰り返します。そんな移動の仕方ですから途切れ途切れにしか聞こえませんでしたが、
「そなたこそ! まさかそのスキルがそこまで連続して使えるとは思わなかったぞ!」
と彼が答えたのは分かりました。
そこからは互いにギアを何段も上げました。私の足はもはや地面を踏んでいません。『虫喰穴』の超連続発動。あっという間に何百、何千回と移動を繰り返します。もちろんフェイントをかけて、離れるのではなく敢えて近づくように移動し、屋根の上を行く王子に対して地面すれすれに出たり、王子の背後を取ったりと工夫することも忘れてはいません。
しかし王子の方も凄まじいものでした。
常人には不可能な速度で駆け抜けながら、その速度を全く落とさずに方向転換するのです。時には逆方向へと慣性を全く無視して疾走するのですから本当にデタラメです。
加えて私を見つけ出すのに使っていた『神眼の鑑識』のギアまで上げたようです。私の行動を先読みし始めたのか、私がフェイントをかけて別の場所に移動しても、そっちへと真っ直ぐに駆けてくるようになったのです。その精度と速度も飛躍的に増してきて、未来予知かと突っ込みたくなるほど正確に先読みすることもしばしばです。
私達の勝負は更にヒートアップしてゆき、街は虫喰穴に巻き込まれたり、王子が移動する時の衝撃波などにさらされたりしたことで、どんどんぼろぼろになっていきます。
そのさまは大軍同士が市街戦を戦うかのようでした。
──鬼ごっこって、こういうものでしたっけ?
パブリックビューイングで観戦していた民も兵士たちも呆然としていたらしいです。画面に表示されていたのは、私たちが左腕に巻いた魔道具による位置情報を街の地図に重ねたものだったのですけれど。
「何が起きているのかさっぱりです」
エマがぼそっと呟いたのを聞いて、彼女といつしか隣同士で座って見ていた兵士も呆れたように言ったそうです。
「安心するっす。俺にもわけが分からないっす。多分ここにいるやつみんな、お二人がどう行動しているか把握できてないんじゃないっすか」
「心外だなー。俺様は把握できてるぜ」
不意に割り込んだ言葉に、エマが振り返れどもそこには誰もいませんでした。しかし兵士は驚いた風でも無く「旦那にはわかるんすか」などと答えていました。
「おうよ。片っぽは俺様のご主人サマだからな? 精神が繋がってるから分かるぜー」
声の出どころを探して、エマはそれこそ声が出ないほど驚いたそうです。何故ならそこに置かれていたのは、刀掛けに安置されていた一振りの刀──そう、アル・ダテル王子の差料だったのですから。
「姫さんはどうかは知らねーがな、少なくともご主人サマは今すっげー楽しんでる。あれだ、恋人と浜辺でキャッキャウフフしながらおっかけっこしている、あの心理だ」
「なるほど!」
刀が喋っているという異常事態に目を白黒させるエマをよそに、刀と兵士は分かり合ってる風で語り合うのでした。
「ふと思ったのですが」
気にしたほうが負けかと諦めて、エマは一人と一振りに向かって声をかけました。
「アル・ダテル殿下一人だけで、パハラロアを落とせたのでは?」
「それなー」
刀が同意して、兵士は苦笑しました。
「正直、できたと思うっすよ。マジで殿下一人で良いんじゃないかなってくらいだったっす。でも、それじゃいけないんすよ。今回のことは国全体の問題っす。なのに、殿下一人に何もかもやってもらって、結果だけを享受するのは違うだろうと、俺たちは思ったんすよ」
だから、と兵士は続けました。
「ここにいる連中は皆、志願して来ているっす。殿下は当初先頭に立って戦っておられたっすが、一人でどんどん敵を粉砕して先行っちまうんで、兵士たちの仕事を奪うなと将軍に叱られてしまったっす」
だから、と兵士は更に続けました。
「今度は軍勢の指揮を取り始めたっすが、今度は何もかもを見通せてしまうスキルのお陰で伏兵は全部お見通し、壁を隔てた先の敵まで見つけて作戦も丸裸。あとはそれに合わせた作戦を立案して実行に移すだけだったっす。お陰で破竹の勢いでここまで来れたっす。でもやはり将軍に叱られてたっす。軍の指揮を執る者の仕事を奪うなと。なので、その後はスキルを使わずに軍勢の最奥に控えてたっす。だから多分、その分のフラストレーションもついでに発散してるんじゃないっすかね」
そんな風に見物者達も盛り上がっていたようですが、第一外壁の向こうをちらりと見た私は心底びっくりしていました。
『嘘! もう、ほとんど日が沈んでる!?』
超高速での勝負を繰り広げていたので時間の経過が分からなくなってしまっていましたが、思った以上に時が過ぎていたようです。
そう自覚した途端、急に身体全体に強い疲労感を覚えました。どうやら思った以上に乳酸が溜まっていたようです。スキルのお陰で身体を動かすことなく移動している私ですが、疲労しないわけではないのです。むしろ、変なところへ飛ばされないよう虫喰穴をコントロールし、姿勢を保つためにエネルギーを使っているのです。
王子の追跡がだんだん激しくなってきて、彼の手が私の腰に結わえられた『しっぽ』に触れることも既に数度。時間を自覚したことで体力も限界近くなっていると気付いてしまいました。このままでは日が沈み切る前に負けそうです。
こうなれば、本当の本当に最後の切り札を使う時。
「『真なる時空の虫喰穴』ッ!」
最後の力を振り絞った超長距離移動。下手をしたらそのまま地面に叩きつけられて死にかねない危険な場所へのワーム・ホールを発動します。
はるか、数千メートルの上空へ。
一瞬で移動したので、突然の気圧差と低酸素状態にさらされてめまいすら覚えますが、無理矢理抑え込みます。自由落下が始まりますが、あと数秒で完全に日が沈み切るはず。それを待って地上に戻れば私の勝ちです。
さすがにライラプスの脚でも空中までは来れないでしょう。そう思い、勝利を確信したその時。
「──『鼓翼一撃九万里』ッ!」
私の背中を、爆風が吹き抜けました。え、と振り返った私の視界に入ったのは、しっぽ代わりに腰のベルトに結わえていたスカーフを手にしてドヤ顔しているアル・ダテル王子の姿でした。その背中には光り輝く翼が広がっています。
「ええええぇっ?!」
低酸素で気分が悪くなってきたのも忘れ、思わず叫んでしまいます。
言ってしまえば簡単なことでした。私が超高空へと移動できることを切り札にしていたように、彼は秘匿したスキルで空をも飛べることを切り札にしていた、というだけのこと。
そして。
「確かに街の範囲からは出ていないな。ルール通りだ! だが、詰めが甘かったな。地上ならそろそろ日が沈み切るところだが、高くなった分ここはまだ日が沈んでいないぞ?」
私が負けたのだということ。
その事実に全身から力が抜けました。もう、虫喰穴を発動する気力も起きません。
重力に囚われ、墜ちていきます。この世界でも地球とほぼ同じ重力が働いているようで、落ちている自身は重さというものを感じませんが、周囲は加速度的に疾く流れ、地面がたちまち近づいてきました。
「だから、待てというに! 死を簡単に受け入れすぎだろう!」
叫びと共に誰かに抱きかかえられ、落下が止まりました。
「え?」
「え? ではない! 忘れたのか? 俺からそなたに頼みがあると言ったことを!」
抱きかかえたのは誰あろう、アル・ダテル王子その人でした。その時になって私は、自分がいわゆるお姫様抱っこされている状態だと気付いたのでした。
「おっと、逃げるなよ。もう鬼ごっこは終わったのだからな?」
とっさに虫喰穴を発動しようとして、機先を制して言われてしまいました。まあ、発動したところで、今のクタクタな私が移動できるだけの大きさの穴を開けられたかは疑問ですが。
王子は私を抱えたまま、翼を巧みに操って、旋回しながら地上へと降りていきます。少々時間を掛けて降り立ったのは城の中庭でした。残照に照らされてまだ明るくはありましたが、既に城の使用人が中心になって中庭の魔導照明を点灯していて、街なかより安全に降りられたのでした。
「お帰りなさいませ、アル・ダテル殿下」
クレスト将軍が直立不動で待っていました。どうやら彼が陣頭指揮をとって私たちを迎える準備を整えたようです。使用人たちだけでなく、エルグラッドの兵士たちも照明の点灯や机の設置などに追われているのが分かりました。
「ああ、ただいま。早速だが、準備が出来次第、戦後処理を再開しよう」
王子の言葉が聞こえたのかどうか、兵士たちの動きが速くなりました。なら私も降ろして欲しいところなのですが。
声に出して要求するのはいささか恥ずかしく、じっと彼の顔を見上げたのですが、
「うん、もうしばらくこのままだ」
「えー?」
みんなの視線が突き刺さって恥ずかしいことこの上ないのですが。同い年くらいの少年相手とはいえ、イケメンにお姫様抱っこされるのがこんなに恥ずかしく感じられるなんて。
「えー? じゃない。そなた、さっきは肝を冷やしたんだぞ。とっさに抱きとめたから良かったが、そなたこのまま落ちてもいいかとでも思っていただろう? 罰だ、罰」
「そうなのですか!? 姫様!」
ちょうど通りがかったエマが、運んでいたフルーツを盛った籠を取り落として、私に詰め寄ってきます。
「おやめくださいまし。姫様にもしも何かあれば、誰もが悲しみます。姫様が命を諦めると仰せなら、私は姫様を追ってこの首を掻き切りますからね!」
「やめて! エマが死ぬことなんて」
「姫様とて、死ぬことなんて無いです! 生きてください。生きて、私たちと一緒に笑ってくださいませ」
ふと、前世のことを思い出しました。
あの、私が助けた後輩の女の子。クラスの友人たち。大切な家族。そして、ずっと腐れ縁だった幼馴染。私が殺されたことで、そのみんなが悲しんだのでしょうか。
悲しんでいて欲しいと思う一方で、悲しまないで欲しいとも思ってしまいます。
誰かが失われるということは、その分だけ世界が淋しくなるということだとそんな事を言った人がいました。前世のことはもうどうしようもないことですが、今生は精一杯生きなくてはならないのも事実でしょう。少なくとも、こうして悲しんでくれる人がいる限りは。
「ごめんなさいね。もう二度と、死ぬなんて言わないわ」
「姫様……」
本当に反省せねば。というわけで、と王子へと振り返ります。
「もう大丈夫ですので、下ろしてくださりますと」
「却下。俺は勝者でそなたは敗者。勝者の権利としてこのままだ」
「なんですかその論理は!」
なんて理不尽な。顔が熱いです。きっと私の顔は真っ赤になっていることでしょう。
ああもう、心臓の鼓動がうるさいです。イケメンに抱かれているというだけでも心臓に悪いというのに、それがお姫様抱っこだなんて、この人は私を恥ずか死させる気なのでしょうか。
涼し気な表情で作業を見守りながら、お姫様抱っこを続ける王子様。実に絵になります。絵になりすぎて小憎らしいくらいです。
よくよく考えてみれば、この人はスキルの恩恵があるとはいえ、一時間くらい全力疾走していたはずなのです。最後には光の翼を出して飛翔するという真似までしてのけました。常人ならぶっ倒れていてもおかしくないほどなのに、涼しい顔で私を抱きかかえ続けるなんて、どれだけ鍛えているのでしょうか。
女性的とも言えるくらい整った顔立ちと、私とそう背丈も変わらない体格なのに、そこんじょらの男など問題にもならないほど強い男。その事実に思い至り、ますます心臓が早鐘を打ったようになります。ああもう、爆発しそう。──そう思ったその時、ふと気付きました。鼓動音が自分のと重なってもう一つ聞こえるということに。
よくよく見れば、王子の耳が赤くなっています。──何のことはありません。私を抱きかかえることで、王子自身がドキドキしてるじゃありませんか。
「貴方自身が恥ずかしがってるじゃないですか。降ろして下さい」
「これは恥ずかしいんじゃない。そなたのような素敵な女の子をこうして抱きかかえられる幸運にときめいているだけだよ」
ああ言えばこう言う。まったく、この方に口でも勝てる気がしません。
「──それに」
彼が顔を近づけてきます。それこそキスしてしまいそうなほどに。
「ようやく、君をこうして捕まえられたんだからね」
「えっ……?」
今の言葉は、先ほどまでと意味が違って聞こえました。そなた、ではなく君と私を呼んだということだけでなく、声音も全てそう感じられたのでした。
どういう意味なのかと問おうとしたその時、将軍が戻ってきて「準備が終わりました」と告げましたので、口にできずじまいでした。
いつの間にかパーティー会場のように机が並べられた中庭に、パハラロアの民や兵士たち、それにエルグラッドの兵士たちがずらりと並んで、王子の言葉を待っています。
「姫との勝負の勝利をもって、エルグラッドはパハラロアに要求する」
何を言われるのだろう。ごくり、と固唾をのんで待ちますと。
「まず、全員のエルグラッドへの移住を命ずる。農業経験者は今回の戦で壊滅した農村の立て直しをしてもらう。それ以外の者は、どのような仕事に就くかは応相談とする!」
つまり、パハラロアの街は滅びますが、人々が殺されたりするわけではないということです。しかも、エルグラッドへの移住は強制的ではあっても奴隷になることはないと宣言されたも同然でした。
「それぞれの資産の所有は保証される。どうしてもパハラロアに残りたいという者についても相談は受け付けよう。また、先王陛下夫妻については、一旦エルグラッドに来てもらい、その後の身の振り方を我が父上達と話し合っていただきたい」
その言葉にはっと顔を上げますと、お祖父様達も城から出て中庭におられました。お二人共うなずいて同意しておられます。
「この街はこのまま放棄する。将来的には再興することもあるかもしれないが、今のところは白紙だ。また、王族の財産に関しては戦の損害賠償のためにエルグラッドが調査の上で接収する量を決めるものとする。以上、パハラロアに対するエルグラッドの全権を任されたアル・ダテル・ド・エルグラッドの名において戦後処理の全てとする!」
考えうるうちでも破格の条件でした。民の命は保障され、しかも奴隷扱いは無し。街を放棄するのは仕方のないことですが、賠償も王族の財産で賄われればそれでよいというのも、侵攻して敗れた側に課せられる負担としては軽い部類ではないでしょうか。
「いやいや、そなたが一番の責任者の首を差し出したからこそ、この条件で手を打つということなんだからな?」
王子はそんな事を言いますが。
──そういえば。
「結局、私への何かはまだ分からないのですが」
鬼ごっこの勝敗とは別に、何かお願いがあると言ってはいませんでしたか。そう指摘すると、王子は少し顔を赤らめて、私をようやく地面に降ろしました。
私を立たせて、自分は片膝を立てて低い姿勢になって、私の左手を優しく取っています。──待ってください、この体勢ってまさか。
「キジュリアナ・ド・パハラロア王女殿下。このエルグラッドのアル・ダテルと結婚してください」
やっぱりです! 勘違いではありませんでした! 前世ならここで婚約指輪が出るところですが、王子は私の手の甲にキスしました。
「あ、あのっ! 私はまだ十四ですし!」
「知っている。俺もだ。そしてこの世界では一ケタでも婚約自体は普通に結ばれるし、十代前半でも結婚することは珍しくもない」
「知ってますけど!」
そういうのは政略結婚の場合が多いのです。
「私たちは知り合ってまだ一日と経ってませんよ!?」
「そうだな。だが、この気持ちは抑えがたい」
「一目惚れだとでもいうのですか?」
すると王子は少し考え込んだ様子でしたがすぐに顔を上げました。
「いや、正確に言うと二目惚れだ」
「え?」
「俺は前世で、前世の君に会っている。その時に一度目の一目惚れをした。しかし君は既に息を引き取るところだった」
言われて、私は彼の無駄に整った顔をまじまじと見てしまいました。
似ているとは思っていました。でも、黒い髪に黒い瞳のせいで思い返しただけだろうと、勘違い扱いしました。
似ていて当然だったのです。私同様に転生者である彼が、あの時に私と関わりあった人だという確率は、いったいどれほどのものなのでしょうか。
「貴方は──あの時の、イケメン警官!?」
「君は、今にも死ぬという時にそんなことを考えてたの!?」
確定でした。アル・ダテル王子の前世は、前世の私が殺されたその時、駆けつけていた警官だったのは間違いありません。
だって、と私は思わず唇を尖らせます。
「悔しいじゃない。やりたいことだっていっぱいあったし、友達とも遊び足りなかったし、大事な家族もいたし。せめて、イケメンの腕の中で死ぬくらいの役得があってもいいじゃない」
「そ、そうか。そう思ってくれたのならまだ良かった、のかな?」
王子が照れています。まあ、今生でもかなりのイケメンなのですが。
「それで、返事は?」
民が、兵士たちが、固唾をのんで見守っています。ていうか、こんな大勢の前で返事をしろとは鬼ですか!? ああいえ、鬼ごっこの鬼でしたね、そういえば!
「え……ええと、その、逃げてもよろしいでしょうか?」
「そしたらまた追いかけるよ?」
はい、勝てる気がしません。なんと言いますか、実のところ私も彼なら悪くはないなと感じているのも事実でして。
でも、こんな状況で! 衆人環視のもとで、しかもこんな、ちゃんとしたドレスでもない格好で! なんていう辱めでしょうか!
──いえ、分かってはいます。お転婆娘の私には本当にふさわしいシチュエーションなのだと。でもですね、なんと言いましょうか、乙女心が涙しているといいますか。
「こういう形でないと、そなたは逃げ続けて話を聞こうともしない気がしたのでな?」
見透かされています。もう、負けです。いえ、勝ち負けではないというのは百も承知なのですが。
「──ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
恥ずかしさをこらえて、なんとか絞り出しました。とたんに、立ち上がった王子に抱きしめられてしまいます。
「ありがとう! 何が起こるか分からない世界だけど、共により良い未来を目指して行こう!」
──気に入りました。
幸せにするなどと言われたら興醒めだったところです。幸せにするという言葉は美しくはありますが、相手に何もさせないという意味を含めていますから。
しかし王子は共にと言いました。ならば私の答えは決まっています。
「ええ、死が二人を分かつまで、轡を並べて征きますとも!」
わあ、と大歓声が起こりました。
パハラロアの民も、エルグラッドの兵士も、みんな互いに抱きしめ合い、我が事のように喜んで、言祝いでくれています。
エマが「姫様……ようございました!」と涙を浮かべながら私を抱きしめ、兵士が「おめでとうございますっす、殿下!」と王子の刀を差し出していました。その刀から「おー、おめっとーさん」などと声がしたのにはびっくりしましたが。
中庭には次々料理が運び込まれ、宴会が始まってしまいました。誰もが笑顔で、いつしかこの地方に伝わる歌を唱和しています。
2つの山それぞれに暮らす羊の群れが、山々の間の水飲み場でバッタリ出会って、若いカップルが生まれたのをきっかけに一つの群れになりました、という内容の牧歌的な、そして結婚式の定番になっている歌なのでした。
私も次第に楽しい気分になって、みんなと和気あいあいと食べたり歌ったり。気付いたら殿下とデュエットしてたりもしました。いえ、前世の話で盛り上がって、同じアーティストのファンだったことが発覚し、好きだった歌を歌おうということになってしまったのです。
変ですねー!? 私、まだお子様ですからアルコールは入ってないはずなのですが! なんだか浮かれ気分です。いつの間にかアル・ダテル殿下と声を合わせて歌うのが楽しくなってきてますし。
これからどんな未来が待っているのかは分かりませんが、これだけはきっと確実です。
私と殿下は、何があったって互いに支え合えるような、そんな夫婦になっていくのだろうな、ということは。
────────────────
ここからはちょっとした蛇足です。
二人が転生するちょっと前。あの事件のあったその日のこと。
機動捜査隊に所属する伊達彰久警部補は、覆面パトカーを走らせながら相棒でベテランの片倉警部と雑談をしていました。
「イダテン、聞いたぞ。学生時代は陸上部だったんだってな?」
「ええ。インターハイにも出ましたよ」
「出たっつうか優勝したんだろ。もう少しでオリンピック代表にも選ばれるところだったそうじゃないか」
「断りましたけどね」
もったいねえことするなぁなどと片倉警部が笑います。
「走ってたのは体力づくりのためで、はじめから警官になるための一歩でしたから」
「何かあったら真っ先に駆けつけられるようにか。本当にあだ名通りの奴だな」
伊達という名字ですが、実は読みが古式の『イダテ』なのです。そこをもじったものでもあるのですが、足の速さもあって彼はイダテンと呼ばれていました。
「役に立つ場面には未だに巡り合ってませんけどね。でも、役に立つ場面が無いのが一番ですよ」
「違いない」
二人して笑ったその時でした。
──銃声が聞こえたのは。
「銃声ですかッ!?」
「間違いない! どっちだ!?」
「おそらくこっちです!」
伊達警部補がハンドルを切るのと、片倉警部がパトランプを出すのがほとんど同時でした。その間にも何度か銃声が響いています。
続いて片倉警部は無線を引き出し、
「機捜213! 銃声を認識、現場らしきところへ向かう! 情報はあるか!」
「こちら本部! 丸閥中学に凶器を持った男三人が守衛を射殺して侵入したとたった今通報あり! 急行されたし!」
やり取りに緊張が高まります。
「了解! すぐ目の前だ!」
門の脇で、守衛が血まみれになって倒れているのが見えます。
そのままパトカーを校庭へと滑り込ませると、多数の生徒たちが玄関から駆けてくるところでした。
パトカーから出て校舎に向かおうとしたところで、逃げてきた少女が一人、伊達警部補に向かって叫びました。
「友達が一人、残ってます! 後輩を助けに行ったみたいで……!」
聞くや否や、伊達警部補は分かった! と一言だけ残し、相棒に「片倉さん!」と声をかけます。
「おう、先行け! 俺も後から行く!」
守衛の容態を見に駆けて行きながら答える相棒に頷いて見せ、一気にトップスピードまで上げて走る伊達警部補。校舎に入ると、また銃声が聞こえました。
焦る気持ちを抑えながら、どうやら上の階だと当たりをつけて階段へと向かいますと、階段の途中に肩か腕を怪我したらしい少女がいました。彼女は伊達警部補に気付くと、
「先輩が! 先輩が、私を逃がして……!」
「分かった、君はこのまま降りて! 玄関から出るんだ!」
寒がる彼女に機捜隊員に支給される自分のジャケットを着せてやり、早く降りていくよう急き立て、インカムで片倉警部に報告します。
「女生徒一人、そちらに行きます! 怪我してますので手当てを!」
『了解!』
そのやり取りの間にも階段を駆け上がりますが、断続的に銃声が聞こえます。さらに上の階を移動しながら撃っているようです。
間に合え、間に合えと祈りながらホルスターから拳銃を抜き、引き金に嵌められているゴム製のストッパーを外し、伊達警部補は屋上へと飛び出していきました。
三人の男が、倒れた女生徒を取り囲んで銃口を向けています。
「お断り、よ。この、クソ野郎、ども」
血まみれになり倒れながらも、少女が男たちに啖呵を切って見せていました。男たちは激高し、口々に罵りながら少女を撃とうとしています。──伊達警部補は咄嗟に銃を空に向けて空砲を一発。これは注目を自分に集め、少女から意識を逸らさせるため。
「待て! 警察だ! 次は撃つ。銃を捨てて手を上げろ!」
間に合った。急いで手当てを受ければ、あの少女は助かるかも──いや、助かる。見たところ、出血は多いけれど急所にあたってはいない。そう伊達警部補が判断しているところへ振り返った男たちは。
にやり、とぞっとするような笑顏を浮かべて。
まさか、と思いながら思わず「やめろ!」と叫んだその時には、既に男たちが引き金を引いた後で。
自分が何を叫んでいるのかも分からないほど声を枯らしながら、伊達警部補は撃ちました。一人、また一人。警部補の放った銃弾は男たちに次々命中し、三人が倒れるのに数秒とかかりませんでした。しかし、倒れるまで男たちは少女に向かって撃つのをやめませんでした。
男たちが倒れ、動かなくなって。しかし先ほどより無残な姿にされた少女もまた、動かなくて。
「あ……ああ、嘘だ……嘘だ! 死ぬな! 死んじゃダメだ!」
駆け寄り、彼女を抱き起こします。
「しっかりしろ! 気をしっかり持て! 今、救急車まで連れてくからな!」
少女が顔を上げました。薄く目を開けて、
どう、私はちゃんと頑張ったでしょう?
そう言ったように感じられました。
その顔は理不尽に抗い、誇りを持って生きている人間そのもので。けれども急速に目から光が失われていくのも確かで。
「逝くな! 頼む、死なないでくれ……!」
声をかけたのも虚しく、彼女の呼吸が止まったのでした。
「まだだ! 救急車、そうだ、救急車まで連れていけば……!」
彼女を抱きかかえたまま立ち上がり、走ります。階段は二段飛ばしどころか三段飛ばし。減速するのも惜しく、壁を蹴って踊り場をターンし、一階まで。
止まることなく玄関から飛び出すと、丁度校庭に停まった救急車から救急隊員が降りてきたところでした。
「頼む! 診てやってくれ! 蘇生を! 早く!」
叫びながら駆けていくと、隊員の一人がストレッチャーを引き出しました。そこへ横たえると隊員が脈を取り、目を開けさせてライトを当てて。
──首を横に振りました。
「残念ですが……」
伊達警部補は、足の下の地面が不意になくなったかのような感覚にとらわれ、その場にへたり込んでしまいました。代わって駆け寄ったのは、先ほど友達が残っていると伊達警部に訴えた少女でした。
「亀寿……? 何を寝てるのよ?」
少女は信じられない様子で友達の亡骸を見下ろしています。しばらく震えながらうつむいていましたが、不意に顔を上げて伊達警部補や救急隊員達に無理やり作ったと分かる笑顔を向けました。
「この子はですね、生まれつき七十七歳なんですよ!」
え、何を言い出したんだろうと伊達警部補たちがいぶかしげな顔をしましたが、少女はそのまま何かを待つように動きませんでした。
ややあって、彼女は振り返って声を振り絞るように叫びます。
「何やってるのよ。起きて、いつもみたいにつっこまないと。ねえ、起きてよ! 今なら冗談で済ませてあげるから! 起きて、いつもみたいに喜ぶ方の喜寿じゃないってつっこんでよ!」
泣きながら叫ぶ彼女の姿に、伊達警部補は失われたものの大きさを改めて突きつけられるような思いだったのでした。
『ええ、屋上に着いた時、まだ被害者は生きていたわけです。すぐに犯人を射殺していれば、救えたのでは……』
『いえいえ、それより犯人が死んだことで動機などを供述させる機会が永遠に失われたことが問題ですよ』
『やはり、殺すのではなく無力化する方向で……』
コメンテーターが次々と口にする言葉が、伊達警部補の心に刃になって血を流していきます。
「何を見ている」
片倉警部がテレビを消し、ため息をつきました。
「お前の行動は何一つ間違っていなかった。俺たちが持っているニューナンブは初弾が必ず空砲になっている。威嚇射撃や警告射撃のためだ。お前は自分に注目を向けようと威嚇射撃し、犯人に対峙した。まさかその状態で平気で人を殺す奴らだったなんて、誰にも分かりようがなかった」
犯人の家は、すぐに特定されて家宅捜査の対象になっていました。そこで分かったのは、三人ともいわゆる『無敵の人』だったということでした。
会社で問題を起こし、首になったのをきっかけに家庭崩壊して孤立した者。就職浪人三年で家族から見放され、以来引きこもりだった者。大学受験に数度失敗し、医者である父親から期待外れだとして無視されるようになって家出し、行く所の無くなった者。
ネットカフェなどからインターネット上の孤立者の掲示板で知り合った彼らは、次第に世の中が悪いと責任を転嫁した論調になって過熱し、やがて人をたくさん殺して世間の注目を浴びて死んでやろうなどという過激極まりない計画を立てるに至ったのでした。
最年長の会社を首になった男が闇サイトを通じて拳銃を購入し、三人が顔を合わせたのはなんと事件当日の朝。受験失敗者の母校であった丸閥中学校が選ばれ、いきなり守衛を射殺して押し入り、生徒たちを襲ったというわけです。
しかし防ぎようがなかったと言われても『間に合わなかった』という意識は拭えないのでした。伊達警部補の脳内では、犠牲になった彼女の最後の顔がずっと焼き付いているのです。
一目惚れでした。彼女の命の火を最後に燃やしたあの瞳に。出会った途端に永遠に失われた愛しい人。まさかずっと年下の少女にここまで心を奪われるなんて思わず、同時に何故助けられなかったのかという問いばかりがリフレインするのです。
「デカは不条理も飲み込んでやってかなきゃなんねえんだ。──少し休め。休暇をとってカウンセリングでも受けたらどうだ」
死者二人、負傷者二十三人。しかし、事件関連死が数日後に二人も出るという悲惨な事件として長く記憶されることになりました。
一人は、被害者の一人北条亀寿の友人、南条絵麻。友達を急に失って失意の彼女に、父親が朝食時に『いつまでも引きずるな。早く忘れて新しい友達を作れ』などと無神経なことを発言したことをきっかけに親子喧嘩に発展。その後、登校したはずの彼女は教室に現れず、一限目終了後の休み時間に校舎と体育館の間で死亡しているのが発見されました。
状況から、校舎の屋上から身を投げたのは明らかで、ちょうど亀寿が殺害されたところから落ちたようでした。現場に残されていた学生手帳には『亀寿のところに行く』とだけ走り書きされていました。
南条絵麻の死から数日後。丸閥警察署の署内で、発砲音が響きました。
悪い予感がした片倉警部が音のした小会議室の戸を開くと、椅子に腰掛けて拳銃を手にした伊達警部補が、頭から血を流してぐったりとしていました。明らかに即死でした。
遺書とみられるメモ帳には『何がイダテンだ間に合わなかった間に合わなかった間に合わなかった』といった言葉が、紙がほとんど黒く見えるくらいびっしりと書き込まれており、非常に強いノイローゼの末に発作的に拳銃自殺を図ったものと結論付けられ、処理されました。
その後、片倉警部は退職届を提出。若い伊達警部補を助けてやれなかった悔恨からか、一気に老け込んで寂しそうに余生を過ごすことになったのでした。
────────────────
私は一通り歌い終わって、気分良く伸びをしました。
ふと前を見ると、メイドのエマが本当に嬉しそうな顔をしてジュースを飲んでいます。その顔が誰かの顔と重なって見えた私は、アル・ダテル殿下に問うような視線を向けました。
それだけで私の疑問を悟ったのでしょう。王子はそうだ、というようにうなずきます。
そういうことなのね、と私はエマを手招きしました。
「いかがなされましたか、姫様?」
「ねえ、エマ。私は前世の記憶が戻ったわ。北条亀寿としての。なら、何か言うことがあるんじゃない?」
一瞬目を丸くした彼女でしたが、ややあって目を潤ませながら口を開きました。
「──こちらの世界でも、生まれつき七十七歳の名前になったね?」
「残念だけど、そのネタは転生者じゃないと分からないのが難点ね?」
言葉はもはや不要です。私たちは互いに抱きしめ合い、相手の体温を確かめ合いました。
これから私はパハラロアを離れ、エルグラッドに向かうことになりますが、エマも絶対に一緒だと誓うのでした。
────────────────
かなり長くなったので前後編としたのですが、それでも長かったようですね。
次回はごく短いお話になる予定です。それとは別に、SFの長編とかもそろそろ挑戦したいですね。
次回、「誰か俺を抜いてくれ!(転生したら〇〇でした その2)」
お楽しみに!
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