第3話 殺されて転生したら亡国真っ最中の王女って何の罰ゲームですか? 前編(逃げ上手の蟲喰い姫)
目覚めたら、見知らぬ天井でした。
頭がものすごく痛いです。まるで何か硬いものをぶつけたみたいな。
──ここは一体どこなのでしょうか。そして何故痛いのが頭なのでしょう。『背中ではなく』。
周囲の様子を知ろうと頭をもたげ、起き上がろうとしますと、
「姫様! まだ動いてはなりません!」
誰かが肩のあたりに手をかけて押し留めました。
「血がまだ完全には止まっておりません。動かれませぬよう」
動きを制し、強い口調で告げたのはメイドとしか見えない女性でした。黒を基調としたワンピースに白いエプロンドレス、頭にはホワイトブリム。動きやすいように、焦げ茶色の長髪を編み込んでから丸めた髪型もメイドらしさを強調しています。その手には、血に染まったハンカチらしきものが握りしめられています。
「ゲラム殿下もひどい事を。わざわざ殺傷力のあるスキルで姫様を攻撃するなんて」
頭の下にクッションらしきものを敷いて寝かしつけながら、テキパキと包帯などを用意する彼女の姿を見ながらも、混乱する頭を必死に整理するのでした。
何しろ、全く異なる人物の記憶が怒涛のように脳内を渦巻いているのですから。
ただ、一つだけ分かることかあります。
「私、転生したんだ」
つぶやきは小さく、しかしメイドの女性は間違いなく聞きつけたと見えて「なんと! 記憶が!?」などと叫んだのでした。
北条亀寿(ほうじょう きじゅ)。それが前世での私の名前。
まだ十四だったと記憶しています。変わった名前以外はごく普通の女子中学生でした。ちょっと走るのが得意で、小さい頃から鬼ごっこで負け知らずだったのが自慢でした。
名前のことでいじられることも多く、友達が第三者に「この子は生まれつき七十七歳でーす」と紹介して、私が「それは喜ぶと書く方の喜寿じゃん!」とツッコむのがお約束。他にも「アキレスから物理的に逃げ切れる亀」なんて呼ばれたり。そんな楽しい友達と毎日のように笑って、ヒーコラ言いながら勉強して、部活に──陸上部で走り回っていました──汗を流して。
そんな、ありふれた毎日は、突然の校内放送を皮切りに崩れ去ったのでした。
「不審者が校内に侵入しました! 凶器を手にしていますので、皆さん何も持たず、急いで避難してください!」
切羽詰まった声で流れた校内放送に、1限目が終わって、教師も教官室に引き上げたことで気を抜いたところだった教室にざわめきが広がりました。不審者が侵入してきたなんて事態は生まれて初めての事ですし、凶器を手にしているなどと言われてもにわかには判断できないのが普通です。
これが海外の紛争地域などのように、日常生活のすぐ隣に危険な事柄が存在するような日々であったならまだ違ったのでしょうが、生憎生まれてこの方日本から一歩も出たことのないような子供たちばかりです。互いに顔を見合わせて、どうすればいいのかまごまごし、右往左往するばかり。その中で私は一拍して音を響かせました。
「みんな、地震とか火事とかがあったときと同じ! まずは外に避難だよ!」
そこでようやく、みんながそれもそうか、と教室から出ようとしたその時です。何かが破裂するような──いわゆる銃声が響いたのは。
あちこちから悲鳴が上がりました。本物の銃と縁のない生活をしてきた彼らにも本能的にわかったのです。本物の、命を奪う凶器が学校に持ち込まれたのだと。
「みんなはこのまま走って!」
叫んで友達を2つある玄関のうち正門から遠い方に通じる階段の方へと押しやり、自分は逆へと走ります。「亀寿!? どこ行くの!」と叫ぶ声が、幼稚園以来の幼馴染だった彼女の声を聞いた最後でした。
銃声の方角に、焦る気持ちが生まれました。断続的に2回、3回と鳴り響いています。──1年生の教室の方角なのです。
無事でいて欲しいと願いながら駆け、角を曲がると、教室の前に見知らぬ男3人の姿がありました。その前には腕を怪我したらしい女子生徒がへたり込んで、いやいやをするように首を振っている姿も見えます。
男たちは私に背を向けていますので、どんな顔をしているかは見えませんでしたが、にやにやと笑っているように思いました。恐怖にひきつった女子生徒の姿を楽しむかのように、3人全員が拳銃を彼女に向けています。
「やめて!」
叫び、跳躍。真ん中の男の背中に飛び蹴りを食らわします。この時ほど、女子生徒の制服がスカートとズボンの選択制だったことに感謝したことはありません。ズボン履きなので走りやすいし、下着を気にせず蹴りを出せますから。
突然のことにたたらを踏む男を尻目に、右の男にも回し蹴りして転ばします。ようやく左の男が反応しましたが、真ん中の男が邪魔で狙いをつけられません。即座に反転し、最初に蹴りを食らわした男に肩から体当りして、左の男を巻き込んで転ばすのに成功しました。
「あなた、逃げて!」
叫ぶと1年生の子は慌てて立ち上がり、走り出しました。起き上がった右の男が「待てや!」と銃を構えましたが、とっさに向こう脛を蹴ってうずくまらせます。
「このアマ!」
「てめえからブッ殺す!」
真ん中の男と左の男が起き上がり、銃を構えます。しかしおとなしく撃たれてやる気はありません。
「当たるもんか!」
捨て台詞と同時にダッシュ。銃声が重なるように2つ響き渡りましたが、当たりません。そのまますぐ近くの階段を、上っていくのでした。
階段を上る途中、パトカーのサイレンの音が聞こえました。このまま逃げ切って、犯人が逮捕されればこの鬼ごっこは私の勝ちです。
3階に上ると、すぐ右へとターン。後ろから逆上した男たちが追ってくる足音を聞き、男たちが廊下に出たことを察知するとジグザグに走ります。男たちがわめきながら次々発砲しますが、明らかに素人と見えて一つも当たりません。
それはそうです。銃はきちんと訓練を積まないと離れた目標にそうそう当たることはなく、ましてや動く目標に当たるなんてそれこそ偶然以外の何物でもないのですから。
もう一つの階段に到着すると、更に上り、4階から更に上へ。屋上に向かいます。
もちろん、破れかぶれではありません。校舎に隣接した体育館の屋根が、屋上から十分飛び移れる距離にあるのです。私の足で、というただし書きは付きますが。そうやって男たちを振り切るつもりなのです。
その後はサイレンの音に続いて聞こえてくる警官のものであろう足音の主に任せるつもりです。上りきった突き当りの戸を開け、屋上に飛び出したら体育館へ向かって走って。
最悪な偶然が襲ってきました。
男の一人が屋上に飛び出しざまに撃った弾丸が、本当にたまたま背中に命中したのです。
「あがっ!」
経験したことのない衝撃と共に、身体に力が入らなくなって前のめりに倒れてしまいました。飛び越えるはずだったフェンスに激突し、一瞬気が遠くなります。
しかしすぐに意識を取り戻しました。今、気を失うということは即、死に繋がります。絶体絶命ですが、警官が来るまでの時間さえ稼げればまだ生き延びる目はあります。
何としてでも逃げようと立とうとしますが、背中の痛みもあって身体に力が入りません。フェンスに手をかけ、身体を持ち上げようとしますが、手が震えてうまく掴めません。
足音が聞こえます。あの男たちが近づいてくるのです。
「あ──あう」
言葉にならない声を振り絞りながら、足掻こうと這いずって右へと逃げようとしますが、まともに動けない私の視界に男の足が入りました。右手側にも、足の方にもやって来て包囲されたようだと分かります。
「手間ァかけさせてくれたなァ、このクソアマ」
頭上から声が聞こえます。
「命乞いしろよ。楯突いて申し訳ございませんってなァ」
時間を稼ぐのなら、言われたとおりにするのが利口なのでしょう。しかし、死の淵に立っても私にはそれだけは出来ませんでした。
だって、悪いのは明らかにこの男たちです。そんな奴らに言葉だけでも屈服するなんて出来るはずがありません。
「お断り、よ。この、クソ野郎、ども」
「なんだとコラァ!?」
男たちが殺気立ったのが分かりました。あーあ、こうなると分かってても煽るようなことを口にしてしまうとは、私って度し難いわねと他人事みたいに思いながら、覚悟を決めて目をぎゅっとつむったその時です。
パン、と明らかな銃声がして、続いて
「待て! 警察だ! 次は撃つ。銃を捨てて手を上げろ!」
どうやら警官が来てくれたようです。間に合ったかとふと安堵したその時。
3発、ほぼ同時に銃声が響き、背中に衝撃が走りました。
まさか、という思いが頭を駆け巡る中、警官のものらしい「やめろ!」という叫びが聞こえます。しかしさらに連続して背中に衝撃が走るのでした。
静かになったと気づいたのはどれくらい後だったでしょうか。実際には数秒とかからなかったのかもしれません。
気付いたら3人の男たちが血溜まりの中で倒れていて、私は警官に──私服警官だったようです──抱き起こされ、「しっかりしろ! 気をしっかり持て! 今、救急車まで連れてくからな!」と声をかけられていました。
でも、もう身体の感覚がほとんどないのです。嫌でも分かります。私は死ぬのだと。
改めて見上げると、若い警官の泣き顔が見えました。なかなか整った顔立ちです。イケメンと言ってもいいでしょう。
最後の最後でイケメンの胸の中で死ねるのなら、まだ良かったかもなんて、不意に思いました。もちろんやりたいことはいっぱいあって、もう二度とできないのは残念極まりないのですけれど。
「逝くな! 頼む、死なないでくれ……!」
そんな声を聞いたのを最後に、私の意識は途絶えたのでした。
──そのはずでした。
気付いたら私は、真っ白な部屋の中にいました。
入口も出口もなく、四方に白い壁。床と天井も真っ白です。その中に唯一、色彩を持って存在するのは美しい女性でした。
いかにも仕事ができる女性といった雰囲気の、ギリシャの女神らしい姿をした人です。いえ、無意識のうちに彼女はヒトではないと感じました。そう、見た目通り女神なのだと。
「──ようこそ、転生の間へ。私は転生者と転移者の守護者、イルルシャン。あなたのお名前は?」
「あ、はい、北条亀寿です」
「はい、亀寿さん、承りました。貴女はお亡くなりになりました。その記憶はありますか?」
イルルシャンの問いに「ええ、もちろん」とうなずこうとして、出来ませんでした。あれ、と思いましたがどうやら自分の体の感覚がありません。
「大丈夫、分かりました。貴女は今、いわば魂だけの状態です。これから貴女は私が属する世界へと転生することになります」
それは輪廻転生というものなのではないでしょうか。近所にお寺があり幼馴染がそこの子だった関係で、小さな頃から仏教と縁のある暮らしでしたから、輪廻転生説も比較的身近に感じていました。
「違う世界への転生ってあるものなんですね」
「ええ。何故か最近増えているんですよ。貴女がたの世界から様々な世界への転移や転生が」
そうなんだ、とどこか他人事みたいに呟いてしまいましたが、すぐに私自身が当事者なのかと思い至ります。
「貴女が転生する世界について説明させていただきますね。まず、謝っておきます」
「え?」
「おそらく、平和な国に生きていた貴女にとっては最悪な世界です。王政の都市国家群が割拠し、戦乱の巷にあるような世界なんです。貴女が知る言葉で一番近いのは戦国時代というところでしょうか」
えー、と思わずもらしてしまいます。戦国時代の渦中にある異世界に転生って何の罰ゲームでしょうか。
「しかも、この世界の王たちは、勇者召喚の術式を悪用して、地球から転移させた人々を兵器に変えるような真似をしています。これは私も関わりある話なので本当に心苦しいのですが」
「関わりある?」
「はい。先程も言いましたように、最近は異世界転移や転生が急激に増加しているんです。なので、突然転移した人が困らないよう、救済措置として私が彼らに強力なスキル──要は生き延びるのに必要な恩恵を与える事になったのです。ところが、私と接触した転移者が強力なスキルを手に入れることに気付いた各国の王達が、異世界召喚を行い、逆らえないよう何らかの術式を施した上で私と接触させてスキルを身につけさせ、手駒として敵国に送り込むといった行為がまかり通っているのです」
「最悪」
「本当に。神の与える恩恵を何だと思ってるのかって話ですよ! まったく!」
いつの間にか女神の傍らに机がありました。なかなか立派な机でしたが、憤懣やる方なしといった風情で彼女はそれをバンバン平手で叩くのでした。
「──失礼、取り乱しました。話を進めますと、貴女が転生する先は既に決まっています。というか、神々ですら干渉できませんでした」
「え」
なんとなく嫌な予感がして思わず聞き返しますと、
「召喚術を入手できなかった国の王が、生まれてくる子供が転生者になるように調整する術式に手を出しているんです。こちらは必ずしも成功する訳では無い術なのですが、成功した場合神々にもその運命を変えることが不可能なほどの拘束力を発揮するのです」
「つまり私はその転生術に捕まったと」
そういうことです、とイルルシャンはうなずきました。
「どうなさいますか? 貴女の来歴や縁からスキルが決定されますので、これは変えようがありませんが、前世の記憶を保つか忘れるか、もしくは当初は忘れた状態で、後から思い出すようにするか選択できますよ」
「うーん、私に与えられるスキルとやらの詳細は、今分かるのですか?」
もちろん、と答えるイルルシャンに、ならスキルの詳細を知ってから決めますと告げたのでした。
そうして生まれるときは記憶を失った状態にし、十四才になって分別がつく頃にきっかけがあれば取り戻すようにしてもらったのでした。
そして今、頭を打った衝撃で前世の記憶はもちろん、女神様と会った時のことも思い出したというわけです。記憶が次第に自分と馴染み、前世も今生も併せて自分事としてとらえられるようになってきました。しかし、何というタイミングでしょう。
「最悪のタイミングじゃない」
今生の情報をまとめますと、彼女はパハラロア王国という、山間部の都市国家の王家に生まれました。
上に三人の兄と一人の姉がいます。そのうち兄たちが転生者で、姉は転生者ではありません。
転生者かどうかは五歳の時に受けるスキル確認の儀式で分かると言われています。もっとも、兄たちは生まれて間もない頃から前世の記憶を取り戻し、はっきりと転生者だと分かっていたそうですが。
転生者であれば強力なスキルを発現し、場合によっては前世の記憶を儀式中に思い出すものとされています。キジュリアナと名付けられた彼女が儀式に際して発現したスキルは、『虫喰穴』というものでした。記憶が戻ることはなく、どんなスキルか実演するにあたって樹の実に小さな穴を開けてみせた彼女は、父王ギルスに「期待外れだ! この親不孝者!」などと罵倒され、姉ともども離宮に住むことになったのでした。
本来転生者でなくともスキルが発現することはまれな事ながらあり、かつてはどんなスキルでも神からの恩寵であるとして言祝がれたというのに、現在の風潮に流されてキジュリアナを軽んじる王の姿に、多くの人々が眉をひそめたということです。
転生者で強力なスキルを持つ兄たちは、父からあらゆる物を与えられたこともあって増長し、父に役立たずと評されたキジュリアナをスキルから『蟲喰姫』などとあだ名して、事あるごとに笑いものにしました。
王国は険しい山の奥にあることもあって、大陸の平原部で起きている戦乱からは遠く、平穏を保っています。同じように平穏な隣国、エルグラッド王国とも関係は良好で、麓から攻め込もうというもの好きな外敵に注意さえすれば、これからも平穏を保てるであろうと言われていました。
にもかかわらず、ギルス王は平原の国から遠いこともあって召喚の儀式を入手できなかったことから、怪しい商人を通じて手に入れた転生の儀式を使い、次々と転生者を我が子としているのでした。
当然ながらエルグラッドから警戒されるようになってしまい、改めて話し合ったところ両国の王家の子息同士の婚姻をもって両国の結びつきを強くしようという話が持ち上がったのが半年ほど前のこと。それから準備期間を経て、キジュリアナの姉、ミリアーナがエルグラッドの王太子に嫁ぐために出立したのが一週間前のことです。
ところが、ミリアーナが向こうに着くかどうかというタイミングで、王は三人の息子達に兵権を預け、エルグラッド攻略の戦を起こしたのです。──初めから結婚式で油断させるのが狙い。ミリアーナをはなから捨て石とした外道な作戦だったのです。
当初、父に似て驕慢で乱暴な王子たちは、破竹の勢いで村を焼き払い、殺戮を繰り返して死体の山を築きながらエルグラッドへと迫りました。ところがそこでパハラロア軍にとって最大の誤算が起きたのです。
『我こそはエルグラッドが第二王子、アル・ダテル・ド・エルグラッド! 卑怯なるパハラロアの王子たちよ、覚悟せよ!』
なんと、エルグラッドの第二王子が転生者として覚醒したのです。パハラロアの三王子が束になってかかっても、たった一人で圧倒。長男のガラルを一刀のもとに斬り伏せると、他の二人も全く寄せ付けず、負傷して後方に下がった二人が出した突撃命令に従って突貫した三千人の兵士たちをも、たった一人で粉砕したのでした。
文字通りの一騎当千。あるいは万夫不当。そんな怪物を前に、二人の王子はわずか数百人にまで減らされた兵士と共に撤退したのですが、もちろん怒れるエルグラッドが兵を出さないはずがありません。アル・ダテル王子自らが二千の兵を率いて逆に攻め寄せてきたのです。
王子自ら陣頭に立ち、三重の防衛陣地を瞬く間に突破。一気呵成にパハラロアの城塞都市にまでなだれ込んできたのです。
この事態にギルス王がどう対処したかというと。
「役立たずなりに身を尽くせ」
「……えっ?」
恐ろしいことに、離宮にいたキジュリアナが、戦争が始まったことを知らされたのはこの時点だったのでした。
まさに寝耳に水。姉が嫁ぐことになったところまでは知っていましたし、なんなら嫁入りの支度も手伝っていましたが、それが侵攻のための道具にされたことも、兄たちが返り討ちにあって今まさに亡国の危機ということも全く知らされておらず、呆然としても仕方のないことだったでしょう。
しかも、この愚王は重ねて彼女に命じたのです。
──自分たちが逃げる時間稼ぎのために、残って戦って死ねと。
「お父様! 攻めかかったのが我が国であれば、責任も我が国! ここは潔く降伏し、民の安寧を計るべきです!」
理を説いて訴えるも、父王はにべもありませんでした。
「我らが生きておれば、国の再建などどうとでもなる。その為の礎になるのだ。泣いて喜び、身を捧げるのが当然であろう。これまで育ててもらった恩を今こそ返せ」
お前に育てられた覚えは全く無いと叫びたい気分でした。
確かに五歳までは父や今は病で亡くなって久しい母と同居していましたが、スキルが役立たずだと判断した父によって離宮に追いやられてからは、年に数度会うかどうか。しかも離宮にはろくに金も人も回さず、姉やわずかな使用人たちと共に畑を耕して自給自足せねばなりませんでした。
代わりに、隠居所である別荘からしばしば顔を見に来てくれたのは、前王である祖父でした。王族としての心構えなどを丁寧に説いてくれたのは祖父であり、目の前で勝手なことを口にする父ではありません。
そういえば祖父が言っておりました。
『ギルスと違って話を聞こうという姿勢を見せてくれるだけでも嬉しいのう。しかも一を聞いて十を知る賢さもある』
父は祖父の話をろくに聞かないまま成長したのでしょう。
父に兄弟はいません。祖父の健康状態に不安が出たことで譲位する事になった時、親族にも王位を継承できる者がおらず、ギルスが王位を継ぐしかなかったことこそ不幸の始まりだったのでしょうか。
とにもかくにも父は王として民を導く義務を放棄して、城内の隠し通路へと姿を消し、なおも追って直言しようとした私は、一つ上の兄であるゲラムが手のひらから放った衝撃波を浴びて吹き飛ばされ、どこかに頭をぶつけ──前世の記憶が戻ったというわけです。←イマココ
「──ッ! エマ! 私はどれくらい気を失っていたのです!?」
整理したところで、危機的状況が続いている、いえ、もしかしたら悪化している可能性も考えられ、そば付きのメイドに問いかけます。私の頭に包帯を巻きながら、彼女は簡潔に答えてくれました。
「十五分というところです!」
「良かった、そんなに時間は経っていないのですね」
ひとまず胸をなでおろし、次に問うべきことは。
「お父様たちは?」
「陛下たちは──」
今度は言い淀み、ちらりと背後を気にするように視線を泳がせるエマに、私は彼女の肩越しにそれを見ました。──完全に破壊されて塞がれた、脱出用の通路を。
「なるほど、あのまま逃げたと」
「はい」
ふうん、と軽蔑のため息を一つ。ちょうどエマが手当てを終えてくれたので、私は早速スキルを発動します。
小さな虫喰穴を開けるしか能がなく、兄から『虫喰姫』などと揶揄されたスキル。しかし、前世の記憶を取り戻した今、『虫喰穴』スキルは恐るべき力を発揮できます。
「開け、時空の虫喰穴(ワーム・ホール)」
私の声に従い、目の前の空間が突然丸くくり抜かれました。その向こうには全く別の光景が見えています。
「姫様、それは──」
「ええ、コレが私のスキルの本当の姿よ。時空に自在に穴を開け、遥か離れた場所とも一息で行き来できるようになる、時空の虫喰穴を開く力。さて、お父様たちは、と」
知っている場所で、父達が向かいそうなところを手当たり次第に探します。
「ああ、いたわね。ここに繋がっていたんだ」
なんと、祖父母が居住する隠居所です。どうやら隠居所のどこかに出入り口があったようです。
普通に向かったなら半日はかかる距離ですが、兄付きの親衛隊員に、同行する全員の移動速度を上げるスキル持ちがいました。おそらくは彼の力を使ったのでしょう。
父たちは我が物顔でバルコニーでくつろいでおり、祖父母はというと、寝室に軟禁されているようでした。
「なんてことを……! 先王陛下方が!」
エマが口を押さえながらも憤って声にしました。
「今のところは大丈夫でしょう。今はまず、民のことを考えねば」
見回すと、老賢者とはかくあるべしと思えるような風貌の男性が、人々に指示を伝えているのが目に入りました。
「ケナンジ執政官!」
呼ぶと振り返った彼は、疲れが見えましたがそれでも破顔して、
「おお、姫様! 気が付かれましたか!」
「ええ、なんとかね。ついでに前世の記憶まで戻ったけど」
「なんと! それは重畳ですが、頭を打ったのです。安静にせねば」
心配してくれるケナンジ執政官に、私は首を横に振ります。
「いいえ、お気持ちには感謝するけど、今は無理をすべき時。そうでしょう?」
何しろ国が攻められているという非常事態です。本来陣頭指揮を執るべき父達が逃げた以上、責任を負うのは私でしょう。
何で私がと思わないでもないですが、状況が状況です。泣き言を言っても仕方ないでしょう。
「今はどんな状況なの!?」
「はっ。第一外郭の門は破られてしまい、現在は第二外郭の門で攻防戦の最中です。敵の侵攻が思いの外早かったこともあり、第一街との連絡は途絶え、状況が分かりません。教会などに避難するよう指示は出してあったのですが」
街の有力者たちの中から選挙で選ばれるだけあって有能なケナンジ執政官ですが、彼の力をもってしてもそこまでが限界だったようです。
ちなみに話に出た第一、第二外郭とか第一、第二街ですが、これは先王の時代に人口が増加したのを受けて街を拡張した名残です。
元々山を背にしている城を中心に扇状に街を開き、防衛のために巨大な外郭で囲ったのです。しかし先王が善政を行ったことで人口が増加。街が手狭になってしまい、外郭の外側に街を開き、その外側に新たな外郭を建てたのです。
城に近いからどうこうというようなことはなく、単なる行政上の区分でそれぞれの街を第一街、第二街と呼んでいるに過ぎませんが、ギルス王は第二街を富裕層、第一街を貧困層に振り分け直す計画を立てていたようです。そうなったら国民の間に深刻な分断が起きていたところですが、実現前に今回の事態になりましたから白紙に戻ったということでいいでしょうか。
「第二街の避難状況は?」
「急ぎ、城内に避難するよう通達を出し、現在門を開いて収容中です。早ければ三十分後には全員避難できる見込みですが」
「何か問題が出ているのね?」
「はい。第一街に友人や家族のいる者たちの一部が避難を渋っています。安否が分からないと動けないと」
「気持ちは分かるけど、今は動いてもらわないと」
これは私の出番ね、とスキルを使おうとします。その時、伝令が駆け込んできました。
「ケナンジ執政官様! グラスノー隊長が、第一街に取り残された人々の救助のため、部隊を編成する許可を求めています!」
「またか。気持ちは分かるが、今、部隊を分けると門を破られかねん。そうなると避難中の人々を危険にさらすことになる」
駆けてきた伝令とケナンジ執政官のやり取りを聞き、私は横から命令を下します。
「その許可は出せません。守備隊は第二外郭の防衛に専念すべきてす。取り残された人々は私が何とかします」
えっ、とケナンジと伝令が声を上げましたが、構わずにスキルを発動します。
「開け、時空の虫喰穴。まずは守備陣地ね」
空間に穴を開けると、すぐ向こうは以前見学したことのある第二外郭上の守備隊長室でした。
驚くケナンジ執政官たちを尻目に、伝令を「あなたも一緒に来なさい」と手招きして一歩。それだけで守備隊長室へと到着するのでした。
「これは姫様!?」
驚愕して叫ぶ守備隊長──執政官の中でも若手であるグラスノーを手で制し、簡潔に告げます。
「私のスキルによるものです。記憶の補完により、より完璧に使いこなせるようになりました。それより、状況を教えてください。簡潔に、かつ最新の」
「はっ」
グラスノー隊長が、胸に手を当てる略式の敬礼をしてから、テーブルに広げた地図を手にした指揮棒で指し示しました。
「敵はどうやら半数を門の攻略に振り分け、残りを第一街の教会などに派遣しているようです」
「なるほど、手堅いやり方ね」
おそらくは攻略にかかりきりになった背後を突かれることを警戒してのことなのでしょう。また、外郭全体を攻撃するより、門に戦力の半数を集中させるのは理にかなっています。
しかし、そうなると確かに避難者たちの安全が脅かされます。グラスノー隊長が彼らを救助したいと具申するのも分かりました。
「守備隊の戦力は?」
「第一外郭から撤退してきた兵を含めて800というところです」
「お兄様達が連れて行った兵のうち数百人は帰還したと聞いているのだけど」
「その大半は負傷兵です。また、一日がかりの強行軍で戻ってきましたので戦力にならず、城の救護所に収容されてしまいました。また、数十名負傷のなかった者もいましたが、その」
「ああ、お兄様が連れて行っちゃったのね」
護衛名目で連れて行ってしまったのでしょう。考えてみれば、第二外郭に詰めていた兵だけでも千人はいたはずです。それが第一外郭から引き上げた兵と合わせても800というのは少なすぎます。
「もしかして、守備の兵力も連れて行ったの? あの愚兄は」
思わず口も汚くなろうというものです。グラスノー隊長が目を逸らしながら口を引き結びましたが、その沈黙こそが雄弁に語っていると思えました。
「まあ、過ぎたことを今はあれこれ言っても仕方のないことね。避難所となった教会はどれとどれか分かりますか?」
「それでしたらあらかじめ指定してありましたので問題ありません」
グラスノー隊長が指揮杖で指し示した教会は、時々パンなどを買いに第一街に出た時に通りがかったところにありました。これなら問題なく虫喰穴を通すことができるでしょう。
「よろしい。ケナンジ執政官! 避難民を直接城内に移動させます。収容可能な広い場所はありますか?」
虫喰穴を開きっぱなしにしているので、隣り合った状態になっている謁見室にいるケナンジ執政官に問いかけると、彼は一拍おいてから答えました。
「ダンスホールなら。直ぐに人をやってテーブルなどを片付けさせましょう」
「なるほど、あそこなら十分に広さを確保できるわね。負傷者がいる可能性もあるから、衛生兵も待機させておいて」
「はっ、直ちに!」
ケナンジ執政官の答えを聞くやいなや、私は振り返って「開け、時空の虫喰穴!」と更に穴を開きます。
向こうには突然のことに目を丸くする人たち。中には彼らを守るべく同行したと思われる第一外郭の守備兵らしき人もいて、警戒して剣を構えていました。
「パハラロアが第二王女、キジュリアナです! 救助に来ました! 時間がありません。私を信じて、こちらへ来てください!」
叫んでから通信用の小さな虫喰穴を開き、ケナンジ執政官に確認を取ります。
「今すぐ移動させても大丈夫!?」
「はっ。元気な者を何名か先に送っていただき、こちらの兵とともにテーブルの運び出しに携わってもらえれば、あとは問題ございません」
「よし!」
すぐに見回すと、なじみのパン屋の主人夫婦、そして私と同年代の息子の三人が目に入りました。三人とも怪我もなく元気そうです。
「良かった、無事だったのね。頼みがあるんだけど、動ける人を何人か見繕って集めて。これから移動する先の空間を確保するために手伝って欲しいの」
「姫様!? は、はい!」
いつも美味しいパンを売ってくれる(本人はお代なんて畏れ多いとか言っていたけれど、こういうのはちゃんと支払うべきだと思うのです。王族といえども)ご主人が背をピンと伸ばして応えてくれました。
数分と経たず、私の前に十人ばかりの元気そうな男女が集まってきました。もちろんパン屋一家もいます。
彼らに一つ頷いて、ケナンジ執政官に確認を取ります。
「手助けをこれから送るわ」
「はっ、いつでも」
ダンスホールに通じる虫喰穴を開くと、背後の避難民たちから先ほどの比ではないざわめきが聞こえました。
「では、先ほど説明した通り、あのダンスホールの片付けをお願い。ある程度進んだところで避難を開始するわ。みんなも落ち着いて待ってて頂戴。そうね、グループ分けをして欲しいわ。高齢者や負傷者、彼らを手助けする者のグループ、女子供のグループ、若い男性のグループ、怪我のないグループでいいわ」
「「「はい!」」」
パン屋さんを先頭に、次々と虫喰穴を通って行きます。既に兵士や城の従者たちが片付けを始めていましたが、もちろん人数が増えたことでみるみるうちに空間が広がっていくのでした。
「よし、グループごとに分け終わったわね? 最初は高齢者や負傷者よ。介助担当と一緒に通って頂戴」
いけそうだと判断し、振り返ってそう声をかけると、次々と移動していきます。混乱はなく、列を作って移動していますから、さほど時間を掛けずに避難を完了させることができるでしょう。
ふと気付くと、私の隣に、先ほど抜剣して警戒していた兵士がひざまずいていました。よくよく見れば彼も頭をはじめあちこちに血のにじんだ包帯を巻いているではありませんか。
「貴方も負傷しているではありませんか。先に行って治療を受けなさい」
そう声をかけますと、彼は深々と頭を下げるではありませんか。
「姫様……! 恥ずかしながら、ここで皆を守るのだと息巻いておりましたが、正直、敵兵が来たら終わりだと諦めてもおりました。助けに来てくださり、ありがとうございました……! なのに、姫様に剣を向けました。申し訳なく!」
いいえ、と私は首を振ります。
「王族としての務めを果たしているだけよ。貴方も皆を守る兵としての務めを果たしただけのこと。気にすることはありません。さあ、行って。私に務めを果たさせて頂戴」
再度頭を下げてから、彼も虫喰穴を通って行きました。続いて、女子供、比較的元気な人達です。私に頭を下げたり、感謝の声を上げたり、手を合わせたりしながら通っていく人たち。最後に残ったのはドンドン、と外から攻撃を受けて破られそうな扉を押さえていた若手の兵士たちでした。
「貴方達も!」
声をかけますと、彼らはニカッと笑って首を振ります。
「今、ここを離れたら敵兵がなだれ込んできます。そうなればせっかく避難できたのに無駄になりかねません」
「我らに構わず、穴を閉じて行ってください!」
しかし私は彼らをむざむざ失うつもりはありませんでした。
「いいえ、いいえ! 貴方達も生き延びるべきです!」
虫喰穴を手早く発動。兵士たちのすぐ隣に出現させます。もちろん行く先はダンスホールです。
「飛び込んで!」
叫び、彼らが弾かれたように穴に飛び込んだのを確認するや全ての穴を閉じました。完全に閉じる寸前、扉を破ってなだれ込んてきたエルグラッドの兵士たちが、目を丸くしているのを目の当たりにしながら。
同じような具合に、残り三箇所の避難所の民を収容し、聞き取りを行なって避難所まで来れなかった人々も回収して。あとは王族の面々の問題です。
「さて、お父様やお兄様達にも責任を取らせないとね」
私がそう決意していたころ、エルグラッド軍の司令部の方では、かなりの混乱があったようです。後になってから聞いた話なのですが、こんな具合だったとか。
****************
エルグラッド軍司令部は、混乱の巷にありました。
「──では、教会をはじめとする避難所は、踏み込んだ時にはもぬけの殻だったのだな?」
報告のために戻った兵士を前に、漆黒の鎧に身を包んだ少年は落ち着いた声音で問い直しました。対する兵士はまだ訳が分からないといった具合で「は、はい」となんとか答えます。
「そうか。どこかに抜け穴でもあったのかな」
「穴といえば」
兵士が声を上げます。
「うん?」
「こ、これはご無礼をば──」
「気にしないで良い。思い当たることがあるのなら、何でも言ってくれ」
王族に対して許可もなく声をかけるのは普段であれば不敬であるとして処断されてもおかしくはありませんが、ここは戦場です。情報は命なのですから、何でも言葉にすべきなのです。
「教会に踏み込んだ時、穴が閉じるのを見たように思いました。すぐに何も無くなったので見間違いかと思ったのですが」
「ほう?」
「若いドレス姿の女性が、穴の向こうにいたと思いました」
ふむ、と少年は顎に手をかけて考え込みました。ややあって彼はやおら顔を上げると、
「それは王族の人間がスキルを使ったのかもしれないな。あの卑怯な王子共と血縁とは、にわかには信じがたいがそういうこともあるだろう」
第二外郭ごしにパハラロアの城を見上げながら、エルグラッドの第二王子、アル・ダテルは独りごちるのでした。
****************
私は第二外郭の守備隊にもう少し粘ってくれるよう改めて依頼すると、今度は祖父母の別荘の方へと意識を向けました。
祖父母の別荘はパハラロアの街を見下ろすような山の上にあります。あの父たちがそこに逃げ込んだ──しかもバルコニーで優雅に過ごしているということは、城塞が陥落するのを高みの見物するつもりなのでしょう。実に悪趣味です。
「開け、時空の虫喰穴」
まずは軟禁されている祖父母のところです。突然開いた空間の穴、加えてその向こうでカーテシーする私の姿に驚く祖父母に、顔を上げてニッコリと笑いかけます。
さて、まず何から説明しようかと口を開きかけたその時。
「なんてことなの! 女の子の顔に傷をつけるなんて!」
「どこの誰だ! いや、いい、言わずとももう分かった。愚息共だな、そうなんだな!?」
あ、そっち? と肩から力が抜けてしまいますが、駆け寄って私の頭の包帯を確認するお祖母様、その傍らで怒りに顔を赤くするお祖父様の姿に、ああ、愛されてるなぁと心が温かくなるのを感じました。父や兄たちにはついぞ感じなかった想いです。
「そのことでお話があります」
私が佇まいを正して改めて告げると、祖父母も感ずるものがあったのか顔を引き締め、背筋を伸ばして聞いてくれるのでした。
しばらくして。
私は祖父母を伴ってバルコニーに姿を現しました。
「なっ!? 何故お前がここに?」
「時間を稼げと言われていただろう! いや、それ以前にどうやってここに気付いた! じいさんたちだって! 兵士たちは何をしてたんだ!」
一つ上の兄であるゲラム、そしてその上の兄であるゴランが叫びます。
「何故って、私も前世の記憶を取り戻したことで、スキルの正しい使い方が分かったというだけですわ。──お父様、お兄様方。改めて申し上げます。此度の戦争の責任。王家の人間としてとるべきです」
「貴様ッ! 虫喰姫の分際で兄に意見するかッ!」
激昂して手の平を向けてきたのはゲラム。今度は本気の、殺すつもりで放つ衝撃波です。ですが、殺すつもりでくるのなら──自分が殺されることも覚悟の上ですよね?
「──開け、時空の虫喰穴」
「──え?」
それがゲラムの最期の言葉になりました。私が開いた虫喰穴の先に見えたもの。それは、ゲラム本人を横から見たものだったのですから、それはもう驚いたことでしょう。
彼が放った衝撃波は、私まで到達することはなく、彼本人を文字通り木っ端微塵にしたのでした。
「貴様あぁぁッ!」
激昂して腕を振ったのはゴラン。彼のスキルは自身の腕ほどもあるツタを自在に手のひらから生やし、操るというもの。私を捕らえたツタを引っ張ってブンブン振り回し、上空へと放り投げます。
「理想を夢見て墜死しろッ!」
しかし私は慌てません。ツタから解放され、上昇する力と重力とが拮抗して速度がゼロになった瞬間に「開け、時空の虫喰穴」とワーム・ホールを開いて地上に戻りました。速度ゼロですから怪我だってすることもありません。ゴランが私を本当に殺すなら、放り投げるのではなくツタを絡ませたまま地面なり壁なりに叩きつけるべきでした。──まあ、叩きつけられる前に脱出するつもりでしたから同じことですが。
「なっ」
驚愕して振り返るゴランの足元に。
「開け、時空の虫喰穴」
墜とします。なお、出口は先ほど私が到達した上空の空間座標と同一に設定してあります。
「うぎゃあぁぁぁっ!?」
悲鳴とともに落下。彼は慌てて別荘の屋根にツタを伸ばしましたが、ツタそのものには物を持ち上げる力などありません。ただ、落下地点をわずかにずらすことしかできないまま、地面に叩きつけられて潰れたトマトみたいになってしまいました。
「素晴らしい!」
息子二人が惨死した結果を見て、父が発した言葉がそれでした。
「素晴らしい? 何がですか?」
訊きますと、父は拍手しながら興奮した面持ちで、やや早口になり、喜色満面で私へとにじり寄ってきます。
「それだけの力があれば、アル・ダテル王子も敵ではあるまい! 今こそ国を取り戻し、今度こそエルグラッドを打倒してパハラロアの版図を拡げるときぞ!」
なんという世迷言。私への扱いも忘れ、先ほどから私が説いた事も忘却し、未だに領土拡張の妄言を口にするのですか。我が父ながらなんと愚かなこと。
振り返って祖父母の顔をうかがいますと、揃って首を振りました。
「すまぬ。儂の教育が足らなかったようだ。わしも責任を負おう」
うなずいて、再び父へと顔を向けます。
「お父様。かつて貴方が役立たずと評した虫喰穴の力、とくと味わってくださいな」
樹の実に小さな穴を開けてみせた力。それを人体に対して使えばどうなるか。
「開け、虫喰穴」
父に手の平を向けてスキルを発動します。
直後。
「……はえ?」
父の胸に穴が空きました。樹の実の虫喰穴のような、ごく小さな穴です。一瞬何が起きたのか分からなかったのでしょう。父が間の抜けた声を上げたのも無理もありません。
ですが、目の前で起きていることこそ雄弁です。服にじわりと赤い点が現れたかと思うと、みるみるうちに丸く大きくなった中心から、風船から空気が抜ける時のような──この世界にも風船はあるようです──シュー、という音とともに真っ赤な血液が勢いよく飛び出してきました。
穴はほんの数ミリ程度ですが、出血は止まりません。シュシュー、と無情にも命が流れ出すのを如実に物語りつつ噴き出していきます。
「な、何だこれは……」
この期に及んでも何か起きているのか理解できないのか、あるいは理解することを拒んでいるのか、父は呆然と呟きながら噴き出す血を見下ろしています。
「何って、貴方が役立たずと切り捨てた力ですよ」
どうですか、役立たずの力はと続ける私に、ようやく恐怖を顔に貼り付けて叫びました。
「衛兵! 何をしている! この痴れ者を捕らえよ……いや、殺せ!」
しかし、誰も動き出しません。何故命令を聞かん、と振り返ったギルス王は、彼らの顔に明らかな怯えを見て取りました。
「駄目です。勝てませんよ」
かすれた声でなんとか答えたのは、共に来ていた親衛隊の隊長です。
「我が国でも最強の一角であらせられたゴラン殿下、ゲラム殿下を一蹴したようなつわものですよ!? スキルを持たない我らが太刀打ちできる相手じゃありません」
それに、とそこで隊長は安心したような顔つきになって続けました。
「これであなたの無茶苦茶な命令を聞かなくて済むかと思うと、清々しく感じられるくらいですよ」
最後の最後で自身の親衛隊にすら背かれ、父親は顔を絶望の色に染めて膝をつき、そのまま前に倒れて動かなくなりました。
私の視線を受け、親衛隊長が王の傍らに駆け寄り、首筋に手を当ててから首を振ります。
「崩御にございます」
私は一つ溜め息をつくと、命じます。
「首を持ってきて。お兄様達のも、バラバラにしちゃったけどなるたけ顔が分かるものを持って行かないと」
「持って行く、とは?」
親衛隊長の疑問に、私は微笑んで答えました。
「降伏と戦後処理の交渉よ、決まってるでしょう」
────────
書いているうちにかなり長くなってきましたので、前後編とします。
後編は近日、早めに公開予定ですのでお待ちくださいませ。
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