第2話 こんな謎生物への転生なんて嫌だ(転生したら〇〇でした)

 ある朝、目が覚めたらスライムになっていた。


 何を言っているのかさっぱり分からないだろう。俺にも分からん。だが、そうとしか言いようがないのだからしょうがない。いや、俺は誰に向かって言っているのだろうか? いや、それはいい。独り言でも良いから何か言っていないとおかしくなりそうなのだ。──いや、既に俺はおかしくなっているのだろうか?


 この状況はあれだ。カフカの『変身物語』だっただろうか? 突然蟲になってしまった男の不条理劇。あれに近いだろうか?

 もっとも俺の場合は蟲ではなくてスライムなのだが。

 それにあの話だと自室で変身していたはずだ。だが、周囲はどう見ても俺の部屋ではない。四十路も後半、五十路目前の、未だにオタク趣味をやめられず、雑然とマンガやライトノベルが積み上げられ、家族に何度も片付けろと文句を言われるあの部屋とは、全く様相が異なった。


 ──洞窟だ、どう見ても。


 光の差さない闇の中という状況で何故洞窟だと理解できるのかも分からないが、とにかく俺は半端なく巨大な洞窟のただ中にぽつんと、ドロドロしたものとは違う、コロンと丸くまとまった形のスライムになってたたずんでいるのだ。

 うーん、体全体が目とかそんな感じの周囲の情報を受け取る器官になっているかのようだ。とんでもない量の情報が入ってきているんだが、人間の脳みそではないからかパンクするようなこともない。さすがは人外の身体というところか。


 寝る前はどうだったのか、思い出してみよう。


 確か、三十年近く勤める会社を定時で退社して、いつもの電車に乗り、下車してからはなじみの本屋で新刊のマンガを購入して、家までは自転車に乗った。

 同居している家族のリクエストに応えて食材などの買い物をして、夕飯を食べ、風呂に入り、日課になっているソシャゲのログインボーナスを確認して──ガチャは回したっけ? まあ、それはいいか。その後はそのまま布団にくるまった筈だ。

 うーん、今の状況に至る理由がさっぱり分からん。

 分からんが、何となく思いついたことはある。


 これって、異世界転生ってやつじゃね?


 別にブラック企業に勤めていたわけじゃない。定時退社が普通のホワイトな職場だった。

 誰かに刺されて死んだとかトラックに轢かれたとかいうような心当たりもない。

 明晰夢かとも思ったけどリアルすぎて夢とも思えないから、前述したような『異世界に転生するにあたってのお約束な死因』が無くても異世界転生したのかと思うことはできるのだった。


 いやしかし、ラノベなどでさんざん目にした異世界転生とやらを、まさか俺がしてしまうとはな。前世の家族には突然の葬式やら何やらで迷惑をかけているんだろうが、すまない、いささか興奮している俺がここにいる。


 となればあれだ。異世界転生もののお約束。チート転生を保証するもの。女神に会ってもいないし、天の声とかシステム様とかいった音声が流れたりもしていなかったが、スライムに転生して無双する有名なラノベを愛読していた身としては言わざるを得ないセリフがある。スライムの体でどうやって声を出しているのかさっぱりわからないが。


「ステータスオープン!」


 しかし なにも おこらなかった!


 羞恥のあまり、縮こまってしまったら、表面がプルプルと波打った。

 へえ、スライムって感情で形が色々変わるんだ、などとしばし現実逃避してしまう。もし誰かに聞かれていたらそれこそ穴に入りたくなるほど恥ずかしいが、幸い周囲に誰かのいる様子はない。

 それはそれとして、ステータスとか見られるのが異世界もののお約束じゃなかったのだろうか。うーん、よく考えてみたらそっちのほうがおかしいんだろうな。ステータスとかはゲーム的なシステムだ。そういうシステムのない世界なら、今の状況もおかしくはない。

 むう、ステータスが見られれば、今の俺に何が出来るのか分かると思ったんだけどな。となると自分で行動して検証するしかないんだろう。

 ──そこまで考えて、俺はギクッとした。


 いかん、スライムってどうやって移動するんだ!?


 あの、転生スライムが無双する話ではごく普通に動き回っていたし、その他のラノベでも移動に苦労する描写は無い。

 だが、現実問題として俺は四十ウン年間人間として生きてきたので、二足歩行する生物としての意識が抜けきらない。なので、どうやって移動するのかサッパリ分からないのだ──と思ったら、あっさりと動き出せた。

 地面に接している所が蠕動して、するりと移動できたのだ。ナメクジと同じだろうか? ヘビと同程度にぬるりと動いた気がしたんだが。どうやら身体の方が本能的に動き方を分かっていたようだ。

 しばらく動き回ってみれば、すぐにも思い通りに移動できるようになっていた。

 意外と楽に動き回れる。というか、慣れると某国民的RPGのメタルなあいつとまでは言わないが、かなりの速度で動き回れる。加えて、足で歩き回るより楽だ。

 楽しくなってきて、洞窟内を爆走していた俺は、すっかり警戒を忘れていた。気づいた時には下から一切の感触が無くなっていた。


「えっ」


 重力に捕まり、自由落下が始まる。

 それはそうだ。ここは自然の洞窟、どこまでもまっ平らな床面じゃないんだ。段差だって普通にあるってことを失念していた俺が悪い。ていうか、スライムみたいな不定形生物って、落下ダメージとかどうなるんだ!? 液体みたいに飛び散って死ぬのか!? それとも、スーパーボールみたいに弾むのか!?

 などと、一瞬のうちに考えが巡っている間にもう地面が迫っていた。スライムの身体での衝撃の逃がし方なんて知らない。身構える方法も分からない。目で見ているわけではないようだから、迫る地面から意識をそらすことも叶わない!

 こりゃ死んだ、と思った瞬間、身体中に衝撃が走り──俺は硬くなっていた。


「──は?」


 ──そう、俺は文字通り硬くなっていた。

 衝撃を感じたと思った瞬間、地面にぶつかったところを中心に、一瞬で全身へと硬化が波及した。おかげで俺はからんころん、と転がっている。

 ややあって重心があるらしい、となんとなく思うところを下に、風鈴を思わせるような軽快な音を立てながら静止した。ようやく動きが止まったことで現状を把握する余裕が生まれる。


「これは──凍っている、のか?」


 何となく分かる。緊張して硬くなったわけではなく、化学反応でそうなった感じ。──で、一番近いのが凍ったというもの。

 周囲はゴツゴツした岩場で何となく低温なのかなと感じはするけれど、温度をまるで感じない。体温すら分からないので本当に凍っているのか判断できないのだが、そうとしか考えようがない。

 マジで意味不明だ。落下したら凍りましたって、なんだその謎生物。生前散々やった数々のゲームにも、読み散らかしたラノベにも、そんなオモシロ生物は登場しなかった。


「ていうか、このまんまじゃ動けないじゃねーか」


 身体を蠕動させて動いていたのに、カチンコチンに凍ってたら……と思いきや、普通に動けた。どうやら凍ったのは内部だけで、表面は厚みと伸縮性のある膜になっていて凍ることはないらしい。


「なるほど、この膜はかなり丈夫なんだな」


 確か液体は凍る時に体積が増すはずだ。昔読んだ本によれば、人工冬眠が実現できないのは、細胞内部が凍った時に膨張して細胞膜を壊してしまい、生命を維持できないからだと書かれていた。なので、細胞内部を凍らせないまま肉体を保存する方法について試行錯誤しているとかなんとか。まあ、それ以前に低体温症でお陀仏なんじゃないかと思ったりもしたものだが。

 しかし、勢いよくすっ飛んで落下した挙げ句に全身が凍ったにも関わらず、どうやら膜が損傷した気配はない。思った以上にこのスライムボディは頑丈らしい。


「あ、自分の意志で元に戻れるのか」


 中心にある核としか言いようがないものを中心に、溶けろーと念じたら簡単に液体のように戻った。いや、正確にはジェル状みたいだが。

 逆に硬くなれーと念じれば、それだけで凍った。試してみるうちに、変形させた体の一部だけを凍らせるなんてこともできるようになった。


「マジか。やってみるもんだなー。これなら、よほどのことがない限り大丈夫かな」


 落ち着いて考える余裕ができたことで、更に現状に思いを巡らせることができるようになった俺は、ようやく襲われる可能性を想像できるようになったのだ。

 スライムが存在する世界だ。何がいるかわかったものではない。

 例えばドラゴン。ドラゴンと言えば洞窟をねぐらにしているのがセオリーではないか。──もちろん、ラノベ情報ですが何か? いやいや、分かっているさ。決めつけはよくない、うん。

 そもそも地球と同じ物理法則が適用されているのかも分からないし。重力はあったが、地球と同じ1Gだという保証はない。加えて比較対象がないから、俺が小さいのか大きいのかすらも分からないときた。よくよく考えてみると分からない事だらけじゃないか。

 これはあれだ、冒険しろってことだ。多少の危険はあるだろうけれど、現状を理解するには動かなきゃ始まらない。


 ──下手に動かないほうが安全なのかもしれんけどな?


 かすかに風を感じるので、風上に向かって移動することにした。少なくとも外に出ることができるんじゃないかと期待している。まあ、洞窟だけで完結している世界だって可能性はあるけどな。あれだ、地底世界ってやつ。

 地底世界に風が吹くのかなって一瞬思ったけど、可能性はあるか。マグマ溜まりなどで熱が発生しているなら、温度差で気圧も変わるはずだ。気圧が変わるなら風も吹く。まあ、その法則がここで作用しているかは分からんけどな、例によって。

 移動し始めてからどれだけ経ったのだろうか。何しろ時間を計るものが何も無いからな。ああ、前世で愛用していた腕時計が恋しい。決して高いものでも安物でもない、けれどお気に入りだった。

 周囲の連中は猫も杓子もスマートウォッチに切り替えて、使いこなしているやつもいればほとんど宝の持ち腐れみたいにしているやつもいた。けど、最先端のものを身に着けてるぜと自慢たらしくしているのは共通していた。──俺の周りではな!

 そんな中で、俺は時間さえ分かればいいんだよとうそぶいて、初給料で買った時計をずっと左腕に着けていた。正確にチクタクチクタク、針が回って時を刻むやつだ。確かクォーツ時計ってやつだった。クォーツの非常に正確な振動を利用した時計なんだったか。詳しい仕組みは分からないが。


「ん? クォーツといえば水晶か。そこらに転がってないかねぇ」


 ふと周囲をサーチする。だんだん分かってきた事だが、どうやら俺は何やら分からない周波の何かを発して、それが反射してきたものをキャッチして周囲の様子を把握しているらしい。だから光がない洞窟内でも周囲が見えていたというわけだ。

 この謎の波動は結構便利で、物質の組成の違いも分かる。分かるが、それが何かまでは分からないのが玉に瑕だな。

 けど、水晶は別だ。あれは特徴的な形状の結晶になる。それと組成の違いを勘案すれば、水晶らしいものを見つけ出すことができるかもしれない。この世界に水晶が存在すればの話だが。


「あ、あるじゃねーか」


 しばらく周囲をサーチしながら移動していたら、これぞ水晶、という形のものが見つかった。少し高いところで岩から突き出すように生えている。

 体の一部をにょろん、とタコ足みたいな触手に変えた。もちろん吸盤も再現した。それを水晶に巻き付けて、硬化させてからひねる動きを加えた。それだけでぱきり、と簡単にへし折った。


「水晶って結構硬いはずだよな?」


 これは水晶のそっくりさんなのか? それとも俺が強すぎるのか?

 分からないがって本当に分からないことだらけだなぁ。とりあえず触手を今度はノコギリに変更して、と。俺の身体の硬化って凍っている状態のはずなんだが、結構固くなるな? 水晶らしきものがスパスパ切れてしまうんだが。

 小さめの音叉みたいな形に切り出して、ノコギリを今度はヤスリに変形、硬化させて。──うわあ、簡単に削れてしまう。慎重に当てて動かさないと必要以上に削り落としてしまいそうだ。こんなに集中して工作するのはいつ振り以来だろう。美少女プラモを組み立てた時以来か? あれ、会社に行ってる間に母ちゃんに「四十過ぎてるのにくだらない物を飾るな」と捨てられちゃったんだよなぁ、どちくしょう。自分の金で買ったものを組み立てて飾って何が悪いんだよぅ。

 いかん、回想している間に削り過ぎそうになった。うん、完成でよいのではないだろうか。ピン、と弾いて振動させて。さて、体内に取り込んでと。内部の液体というか流体をうぞうぞと動かして、音叉を核に軽く押し当て、少し突き刺す。

 おお、何となく出来るんじゃないかと思ってはいたが本当に出来た。今が朝なのか夜なのかも分からないが、少なくとも何回振動したかは把握できる。何なんだこのスペック。某ゲームでは最弱のザコ・オブ・ザコモンスターなのに、記憶力と情報収集力、処理能力がバケモンすぎるだろう。

 ──どこの世界に、秒間百万回以上の振動をほぼ正確に計測して、仮の時計代わりにできてしまえる生き物がいるというんだ。

 まあ、お陰である程度時間を計ることができるようになった。だからといって今すぐ役に立つわけではないが、情報はいつどんな形で有意義になるか分からないしな。とりあえず、ここからゴールがあるものとしてそこまでどれだけ時間がかかったかぐらいは計測しておこう。


 結局、洞窟の出口まで、1時間と28分かかった。もちろん何回の振動で1秒かなんて知識はないから、百万回で1秒と仮定しての時間だが。

 そんなことより、外だ。俺の身体が明らかな光を捉え、色彩として認識している。どうやら光学的な認知能力もあるらしい。洞窟内では光がまったくなかったから、こんな能力があるなんて分かりようがなかったし、なくても不便は感じなかったが。

 ──相変わらず360度あらゆる方面から情報が入ってくるトンデモ仕様だがな。

 それはそれとして、外をひと目見た俺は思わず呟いてしまった。


「なんだこりゃ」


 真っ白だ。いや、比喩で無しにな? 雪や氷で覆われているんだ。見渡す限り全てが。

 ここは極地なのか? あるいは氷河期? 日が出ていないようなのでまるで分からない。加えて生命の痕跡すら見当たらない。

 動くものの影がない。足跡すら少なくとも認識できる範囲内に一つもない。俺が認識できる範囲は、半径が俺の身体の二百倍程の半球状だ。かなり広い範囲をカバーできるのだがなぁ。

 思い返してみれば洞窟内も生きて動いていたのは俺だけだった。死骸すら見当たらなかったが。


「まさか、この星の生き物は既に俺を残して絶滅した……?」


 怖い想像をしてしまう。

 いやいや、そうとは限ったものでもないだろう。少なくとも俺という例があるのだ。同じような生態を持つスライムなら、生きている個体が他にもいるはずだ。

 俺は、とりあえず洞窟から出て氷の荒野を進み始めることにした。


 ここは間違いなく地球ではないようだ。根拠の一つは、頭上に輝く二つの月だ。今は夜らしく、満天の星が漆黒の空に輝き、その中でも二つの月が大きな存在感を示している。

 地球に月は一つしかなかった。対してここには小振りながら二つ、まんまるな月がある。場合によっては星の裏側にもっとあるかもしれん。

 加えて、おそらくはリングがある。東と西と思われる方角に、斜めに光る線が走っている。また、光学的には見えないが、謎の波動を通じて東西の線とつながるようにまっすぐ、空を横切るように線が走っているのがわかるのだ。

 二つ以上の衛星とリングを持つ星。太陽系にあっただろうか。

 木星は一応二つ以上の衛星とリングという条件に合致するが、あれはいわゆるガス・ジャイアントだ。そのほとんどを大気が占めている、ほとんどガスでできた惑星だ。

 同様の理由で土星もない。となると、天王星とか海王星。あれは氷の惑星とも言われるから近いかもしれん。もっとも、太陽から恐ろしく遠いからもっと暗いところなんじゃないかと思うが。

 しばらくそんなことを考えながら移動していたが、不意に見えたもののおかげで太陽系ですらないと結論つけざるを得なくなった。


「ドラゴンかな、これ」


 小山のような氷の塊の中で動かない巨体を見て、そう呟く。

 爬虫類と思われる姿形ながら、四肢があるのに翼まであるという、地球の脊椎動物だとありえない構造。黒い鱗は鎧を着ているかのようで、頭部に生えた立派な角も相まってドラゴン以外の何物にも見えない。

 氷漬けになったドラゴンの死骸を前に、ふと気づけば俺の中に衝動が溢れてきた。


「食いたい」


 まさかの食欲だ。つい今しがたまで空腹も覚えず、食欲もわかなかったというのに。

 胃袋が存在しないのだから、腹が減るという感覚自体無いのだということは分かる。しかし、食欲自体が無いというのは不思議だった。生命である以上、何かを摂取するのは必須だと思っていたのだが。

 それが今、ドラゴンの死骸を前にして食いたいと思うとは。

 だが、どうやって食えばいいのだ? スライムに口はない。先程取り込んだ水晶の音叉は溶けている様子はないが、肉なら取り込めば溶けて摂取できるのか? それ以前に、氷の中にあるものをどうやって取り出せば良いのだ?

 そこでふと思い出したのは、自分の身体を自在に凍らせたり溶かしたりできることだった。


「まさか、自分の身体以外の固体や液体にまで干渉できたりはしないよなー」


 呟きながら触手を作ってぺと、と氷に触れた。


 ──できちゃった。


 改めてびっくりだ。触れて溶けろーと念じた途端、例の謎波動が触手を通じて氷へと流れ込み、放射状に全体へと行きわたった。次の瞬間、熱せられたわけでもないのに全て水になって、バシャリ、と流れ落ちて大きな水溜まりを作ったのだ。

 まさか、これ、魔法みたいなやつ? 謎波動は魔力とかそんな感じのもの? 超能力という可能性もあるか? 魔法と超能力の違いとは何ぞや!?

 答えの出そうにない自問自答を始めそうになったが、今はそれよりごはんの時間だ。残念ながら料理の知識も無いし、このまま食うしかないのだろう。だが、今度はどうやって食うのかという問題がまた立ち上がる。


「マンガやラノベだと捕食対象を体内に取り込んで溶かすのがセオリーだが……」


 とりあえず試してみるかと出しっぱなしになっている触手を、ドラゴンの腹へとぴとりと触れさせた。

 途端に流れ込んできたのは強烈な旨味だった。

 そういえば聞いたことがある。タコは吸盤に味覚があるとかなんとか。そういえばさっきから触手はタコのものを参考に生成していた。まさか、味覚を感じる構造まで再現していたのだろうか?


 ──などと落ち着いて考えることができるようになったのは、きっかり十五分経過してからのことだった。


 旨味を感じた瞬間、俺の意識は捕食への本能に支配されていた。身体が瞬時にして変形し、まるで布か何かのように平べったくなる。核の周辺だけが、ぽっこりと盛り上がっているという形だ。。

 重力を無視するようにふわりと浮かび、投網のように広がってドラゴンの死骸を包みこんでしまう。──いやいや、待て待て。結構でかい死骸だったんだが!? 少なくとも俺が十体並んでもなお余りあるくらいの腕の持ち主だ。長い首が大きく反り返って、胴体の上に重なって動かなくなっているのだが、俺程度は一呑みじゃないかな。生きてたら踊り食いされてたかもしれない。それくらいの大きさだ。

 完全にくるんでしまうまでほんの数秒。死骸に接している面からいつもの謎波動を発すると、なんと肉がズルズルと溶け出したのだ。

 溶けた肉はそのままエキスみたいになって体表面の膜を透過して内部に入ってくる。その際に味も感じられた。

 絶品としか言いようがない。文字通りとろけるような味わいってやつだ。赤身と脂身の絶妙なハーモニー。甘みすら感じて、もし焼いたらもっと美味かったんじゃないかと思い、そこでようやく自分が既にドラゴンを食べていることに気づいたというわけだ。

 消化液を出しているわけではなく、肉を溶かしていると言っても液状にしているわけではない。体感ではあるが、アミノ酸とかイノシン酸とかそんな感じの分子状態になるまで分解してからそのまま取り込んでいるみたいだ。だからか溶けていると言っても気持ち悪くドロドロになっているわけではない。次第に希薄になっていると表現したほうが良いだろうか? 骨すら分解されて消えつつある。

 ちなみに骨は骨で、パイタンスープを思わせるような味が楽しめた。正確には骨髄が美味かったのだと思うが。

 ドラゴンがいるということは、オークなんかもいるのかね。オークの骨は豚骨の味なんだろうか、やはり? それ以前にオークの肉は豚肉なのかどうか。それを言ったらミノタウロスの肉は牛肉認定していいんかね。個人的にはタンとかランプとか好きなんだが。

 しかしあれだ。美味いことは美味いんだが、一つ残念なことがあるな。


「噛んで味わいたかった……!」


 どんな歯応えだったのだろう。噛み締めて、溢れる肉汁を舌で受け止めてみたかった。できれば焼いて、熱々のをふうふう冷ましながら、皮と肉の食感の違いを楽しみつつ食いちぎってみたかった!



 ドラゴンを完全に食い尽くし、彼(彼女だったのかもしれない)の存在した痕跡はその重量で沈んだ氷の窪みだけになってしまった。いや、それとは別にもう一つある。

 俺の身体は一回り大きくなり──あれだけデカかったドラゴンを骨まで余さず食い尽くしてそれしか大きくなってないというのも凄い話だが──傍らには、一目で分かるくらいふかふかな土の山がある。

 あのドラゴンの半分くらいはありそうな大きさの小山は、その、何と言うか、まあ、分かっているかもしれないが俺のクソだ。

 俺の身体でもドラゴンの鱗を完全に溶かすことは叶わなかった。骨も一部が溶けずに残っている。そういった溶け残りを一つにまとめ、排泄したのだ。だからクソみたいなものだ。もしかしたら栄養分豊かな土として、この氷が溶けたら新たな命を育む大地になるのかもしれん。

 なお、ドラゴンの胃の中には、奴が食ったものがまだ残っていて、消化も進んでいたと見えてガスが大量に溜まっていた。そのガスもまとめてとりこんだので、俺の体の一部がガス溜まりと化している。

 更には、ドラゴンの口の周りの興味深い性質を持つ細胞。それを謎波動で再現できるようになった。


 ──発電だ。


 そう、ドラゴンの口周りには、デンキウナギのそれを何百倍もの威力にしたような、発電細胞が並んでいたのだ。

 恐らくは獲物に噛みついたあと、抵抗を封じるために歯を通じて電気を流すという生態なのだろう。スタンガンを自前で持っているようなものだな。

 しかし、これと胃の中のガスを組み合わせれば、もう一つ凄いことができそうだ。

 試しにガスを勢いよく噴出させる穴をポコン、と開けてその周りに謎波動で電気を発生させ、火花を噴出したガスにぶつける。


 目の前が、一撃で吹っ飛びました。マジで。


 いや、あれだ。ドラゴンと言えば火を吹くのがお約束だろう? 以前読んだラノベだと歯同士を火打ち石よろしく打ち合わせて火花を出し、腹から出したガスに着火するという描写がされていた。

 だが、同じ頃に海外の生物学者が大真面目にドラゴンが火を吹く仕組みを考察して論文を書いたという記事を読んでたんだ。それによれば、ガスまではラノベとかと同様だったんだが、着火はそれこそさっきのドラゴンみたいに口周りに発電細胞を持っていて、電気の力で起こすのではないかと考察してたんだ。

 ならそのやり方が正解だったんじゃないか──少なくともこの世界では──と思って、再現してみたんだが。


「ヤバい。ヤバすぎる。この世界のドラゴン強すぎね?」


 穴の周囲を凍らせた上に逆流を防ぐ弁をつけて良かった。でなけりゃ俺の体内まで爆発が及んで、吹っ飛んでるところだった。

 目の前なんかさっきのドラゴンを包んでいた氷の山を何倍にもしたような分厚さの氷が吹き飛んで、くろぐろとした地面が見えている。熱量も半端なかったようで未だに周囲の氷が溶けて滝みたいに穴の底へと流れ込んでいるくらいだ。

 しかし、それも数分のこと。穴の底に水が半分ほど溜まったかと見えた頃、溶ける速度が目に見えて落ち、程なくして水の流れも止まった。それから溜まった水が凍りつくまではそれこそ数分のことだった。


「ええ……凍るの早すぎね? てことはここ、そんなに寒いってことなのか?」


 相変わらず俺自身は寒さを感じない。が、認めるしかないのだろう。ここは氷点下のとんでもなく寒い所なのだと。

 ドラゴンがいたということは、元々はそれなりに温暖な気候だったのだろう。また、あれだけの巨体に成長、維持するには、相当数の被捕食者──要はエサになる動物──がいたと見るべき。となれば、それらの植物食動物を養えるだけの木々や草が大地いっぱいに広がっていたはずだ。

 しかし見渡す限りの大氷原に、その痕跡を見出すことはできなかった。いや、一応は見つけた。先程爆発を起こしてしまって、氷をえぐった時に、その余波で炭化したのであろう、元は木であったと思われる何かがちらりと見えた。

 何があったのかは分からない。

 かつて多くの生き物が繁栄していたであろう大地が、今や生命の存続を許さない凍えた地獄になっているということしか分からない。俺みたいなのは例外中の例外なんだろう。



 俺が目覚め、洞窟を出てドラゴンを食ってからひと月経った。

 大きな変化はといえば二つ。まず、空の月が3つに増えた。

 最初から見えていたまん丸な二つは、公転軌道の違いと速度の違いとで少しずつ互いに離れつつあり、最初に見たときは重なり合いそうなほど近かったものが今やそれぞれ東西の地平線ギリギリになるほど離れてしまっている。その間に細長い月が現れるようになったのだ。やけにまっすぐな形だ。例えるならロケットとか葉巻型の未確認飛行物体とかそんな感じ。

 もう一つは俺自身の変化だ。

 あのドラゴンを食ったことで手に入れた発電能力の副産物なのか、宙に浮くことができるようになったのだ。どうやら、超伝導状態になっているらしい。そこから蠕動運動を行うと磁力の流れが生まれるようで、自由自在に動き回れるようになった。

 あれか、フレミングの左手の法則による電磁誘導。おかげで今や俺はあのメタルなあんちくしょう並にすばやく動き回れるようになった。宙に浮いてるってことは地面との摩擦が全くなくなったってことだから、そこに推進力が得られればそりゃ速くもなるわな。

 そのひと月の間にドラゴンだけでも三頭、その他ドラゴン並にでかい鳥やら、大きさはそれなりだけど存在感たっぷりのグリフィンやら、凶悪そうなマンティコアやら、かなりの数の動物の凍った死骸を見つけては食っている。

 中でも美味だったのはヤギと魚の特徴を併せ持つ生き物だった。仮にカプリコーンと名付けたが、前世の世界で山羊座として紹介されている『上半身がヤギで下半身が魚』とはっきり分かれた姿ではなかった。ちゃんとヤギらしい四肢を持ちながら、尾は魚のそれ。四肢も実はヒレの先が変化して陸上を歩けるような形に進化したものだった。

 恐らくは、普段は水底を歩くように移動しながら水草を食べて生活し、食い尽くすと陸上を歩いて別の水場を探すか、陸上の草を食べるかしていたものと思われる。いや、生きているところを見たわけではないからあくまでも想像な?

 そう、今に至るまで生きて動いている存在は俺だけだった。一応俺同様に青いスライムも見つけたが、例外なくカチンコチンに凍ってて、生命活動を止めていた。冬眠ならぬ凍眠だろうかと思い、謎波動で溶かしてみたけど、そのまま崩れ落ちて水たまり状になって動かなかった。


 ──さすがにさみしくなってきたぞ。さみしいウサギは死んでしまうなんていうが、さみしいスライムも死ぬんだろうか。

 そんな益体もないことを考えていたら、不意に音が聞こえてきた。

 風すらなくて音らしい音を久しく聞かないこの世界に、突如として響き渡る、爆音と思われる音。発生源はと注視すると、あの小さくて真っ直ぐな月がゆっくりと降りてくるところだった。


「月じゃないのか、やはり」


 変だとは思っていた。他の二つの月に比べて、組成が違うことは謎波動のお陰で把握できていたからな。妙に硬かったから、おそらくは金属製だ。

 となると、形からしてそれこそロケットや葉巻型U.F.Oの可能性が高いだろう。一体どんな奴が乗っているのか。無人調査機の可能性もあるが。


 リニア移動ですっ飛んでいくと、丁度着陸するところに行き合わせることができた。

 仮称「真っ直ぐ月」は縦に立つように降りてくると、底から何本かの支柱を出してしっかりと立った状態で静止した。しばらくすると底に近いところに不意に穴が空いたようだ。ドアみたいに開閉するのではなく、素材そのものが変形して開いたり閉じたりできるらしい。

 穴から姿を現したのは、宇宙飛行士と聞いてパッと連想するような姿をした人間だった。少なくとも、人間の形をしていることは確かだ。

 その傍らには、明らかにロボットだと見える犬のような形をしたものがいた。


「おう、確かにいるな、アルベルト。さて、どんな生き物なのやら」


 宇宙飛行士が声を発した途端、俺は懐かしさに思わず叫んでしまった。


「日本語だ──!」

「おうッ!?」


 宇宙飛行士が唖然として、甲高い声を上げてのけぞってしまったのは無理もないことだっただろう。



「なるほどなぁ、輪廻転生ってやつか。日本人の端くれとしてあり得るとは思っていたが、実例にこうして巡り合うとは思わなかったなぁ」


 ミヤモトと名乗った宇宙飛行士の男性は、俺をしげしげと眺めたようだった。くろぐろとした強化ガラスのせいで表情は分からなかったが。


「それにしても、太陽系より外に人類が進出してるとは思わなかった」


 ミヤモトにもらった、懐かしの塩にぎり(レンチンすることでふっくらした食感が戻る宇宙食仕様)を味わいながら疑問を口にすると、


「いやいや、聞いた話じゃ多分俺とお前さんの時代は少なくとも百年は離れてると思うぞ」

「え?」

「俺が地球を出た時、地球温暖化は本当に極まってて、極地に氷がもうなく、氷河も全部消失していた。干ばつやら戦争やらで人口は減少し、地球全体で3億人いるかどうかってくらいになっていた。こうして調査に来たのも、もう住みづらくなった地球から移住できる星を探してのことだよ。まあ、この星は一見してダメだと判断されたがね」


 マジかよ、と呟いた。


「地球沸騰化なんて言われて、みんなで脱炭素だ持続可能性だ再生エネルギーだなんだと言ってたのに」

「やっぱり百年前だ。俺の時代は地球煉獄化だと謳われてたぜ」

「そりゃひでぇ」


 それだけではない。


「戦争も地球を捨てる原因のひとつなんすか?」

「そうそう。結局人類は戦争を克服できなかった。領土問題やら様々な恨みつらみ、経済に至るまで要因が積み重なって、出発の数年前まで世界のほぼ全部が血みどろの戦争状態だったよ。第四次世界大戦なんて言われてた。その解決策として、人類すべてが地球を去ること、各国がそれぞれ別々の星を目指すことが決定された。で、日本に割り当てられたのがこちらの方角ってわけだ」

「なるほど」


 色々と納得したところで、先程ミヤモトが言った中で気になることを訊いてみた。


「それで、この星が見た目でもうダメだと判断されたのってどうしてなんすか?」

「そりゃ、見たほうが早い」


 ミヤモトが左手の平を上に向けて俺の前に差し出してみせると、ぽん、と立体映像がその上に表示された。


「これだ。ほら」


 それを見て俺は「何だよこれ」と思わず呟いてしまった。


「いわゆるスノーボール・アースってやつだな。全球凍結ともいう。地球とは真逆で惑星全体が完全に凍りついちまってる。量子通信で移民船団に報告したら、全会一致でここへの移民は却下された。だからお前さんには残念な話だと思うが、日本人がこの星に来ることはまず無くなった。こっち方面に向かっている船団は日本出身のみだから、他の国の連中も来ない」


 表示された真っ白な球体。これがこの星なのだという。氷河期なんてものではない。これでは真っ当な生き物なんてほぼ存在しないだろう。


「何でこんな状態に」

「仮説ではあるが、多分主星の活動が大きく低下しているのが原因だろうな。見てみなよ。太陽よりかなり暗いと思わないかい。あれは本来、もっと明るく活動が活発な橙色矮星だと見られていた。だからこそ俺が送り込まれたんだよ。原因は分からないが、赤色矮星よりもずっと冷え込んでいる。お陰でこの星に十分な熱が与えられず、凍結する事態に陥ったと考えられる」

「主星が原因じゃどうしようもねえじゃねーか。凍りついた星で一人さみしく生きてかなきゃなんねえのか」


 気落ちしてぷしゅう、と平べったくなってしまった俺を見て、ミヤモトは肩をすくめて言葉を続けた。


「実は俺はもうお払い箱でな。お前さんとここで暮らすのも悪くない」

「えっ?」

「俺達先行調査員は、みんなこんなもんなんだよ」


 初めてミヤモトが宇宙服のヘルメットを外した。──そこにはヒトの顔は無かった。無機質な機械の塊だ。例えるなら、ハンディビデオカメラのような形状の。一つ目の、カメラなのかセンサーなのか分からない、青く丸い部品が余計ビデオカメラっぽさを感じさせる。

 さっきからミヤモトの内部から細かい機械音が聞こえていたから、もしかしたら身体の一部を機械で補っているのかもなどと想像していたが、まさかここまでとは思わなかった。


「戦争やテロなどで瀕死の重傷を負ってほぼ全身を機械と入れ替えたような人間が、それこそ無数にいるんだよ。俺も含めてな。今は安価に機械化できるんだ。──差別を解消するための移民のはずなんだが、既に船団内部で機械らしい人間と人間らしい人間とで差別的な構造が生まれている。金を積めばより人間らしい姿になれるんでな。そんな中で命じられた仕事がこれだ。実はあの宙間航行機は片道分しか燃料がない。文字通りの捨て石なんだ。そんな捨て石が、見放されたこの星を、お前さんと一緒に緑あふれる星に変えて、奴らを見返してやるというのも悪くない」


 機械故に表情などないはずだが、ニヤリと笑ったような気がした。俺は彼に応えるために、触手を変形させて人間の手のようにしてから親指を立てて見せた。


「おう、よろしくな相棒」


 ミヤモトもサムズアップしてみせる。俺たちはこうして、滅びの世界を再生するという、気の遠くなるような試みに挑むことになったのだ。



「ところで、俺って一体何なんだろうな? スライムにしては変なんだが」

「どんな風に?」

「ちょっとした衝撃で凍っちまうんだよ。生前やっていた国民的RPGにもこんな奴は出てこなかっただろ」


 そう聞いてふむ、とミヤモトも首を傾げた。


「俺がやったやつはナンバリングが30だったが、確かにそんなスライムは出てこなかったなぁ」

「マジかよ、俺がやったやつは12だった。そんなにたくさん作られたのか」

「おうよ。俺が特に好きだったのは25だったかそれくらいの『七つ角の竜姫と十の王冠』ってやつだ。ドラゴンを探索するんじゃなくてドラゴンが探索するという逆説的な物語が面白くってなぁ。と、それよりお前さんのことだな」


 ミヤモトは俺をぽんぽんと軽く平手で叩いて、本当に叩いたあたりが凍るのを見て「本当だ」と驚いていた。


「凍った姿のスライムってのは出てきたけど、さすがに凍ったり戻ったりするやつは覚えがない」

「百年先でもそうなのか」

「だな。いっそ、新しい種類ってことで何か名前を考えるか」


 そりゃいい考えだと俺も賛同し、二人で考える。ミヤモトは俺をしげしげと眺めながら考え込んでいたが、ややあってふと声に出した。


「お前さん、サーモセンサーで見てみるととんでもない低体温なんだなぁ。マイナス200度ってとんでもないぞ」

「何、そんなに低かったのか」

「ああ。この周囲はマイナス30度だ。それよりこんだけ低かったら寒さなんて感じないのも無理はない」

「それ以前に、そんな低温なら俺はとっくに凍りついて動けなくなって然るべきでは」


 うにょん、とわざわざ縦に長く伸びてから途中で曲げて首をかしげた風に動いてみせると、ミヤモトはいやいやと否定するように左手を振って見せた。


「思ったんだが、過冷却水に似てるんだよなぁお前さん」

「かれいきゃくすい?」

「一定条件下で氷点下まで冷やした時に得られる、液体の状態を保った水のことだ。軽い衝撃で凍ってしまう性質がとても似てないかい? 名付けるとしたらさしずめ、過冷却スライムってところか」


 その命名に、俺は震えた。感動にではない。心底嫌で震えたのだ。


「断る! そんな謎すぎる名前は断固としてお断りだ!」

「んなこと言ってもなぁ。そもそもお前さん謎生物だろうが」

「おおぅ」


 ぐうの音も出ねえとはこのことだ。おおぅ、とは出したが。


「せめて、もう少しマシな名前はないのか?」

「すまんが、意識が完璧に過冷却スライムでお前さんを認識しちまってる。他の名前を思いつけん」

「そんなー」



 いささか締まらない感じだったが、とにもかくにもバディとなった俺たちは、これからどうやって惑星を蘇らせるかの相談に移るのだった。


──────────


「あれ? これって御神像?」


 指さしたのは七つの傾国スキルを持つ美少年、四阿 景です。

 廃墟となった神殿の中、穴だらけの壁を通じて少しずつ入ってきている光の中、振り返る姿は相変わらずの美しさでした。

 その白魚のような指が指し示しているものを見て、新たに仲間になった亡国の王女は「ええ」と微笑みました。金髪の、景と比べても遜色ない可愛らしい少女です。


「カレイキャクスライム様ですわ」

「は? かれいきゃくすらいむ?」


 聞き慣れないというか、訳の分からない名前に、景は聞き返してしまいます。


「ええ。今から何千年も前、この星は氷に包まれて死に絶えていたのだそうです。そこにお生まれになった過冷却スライム様は、天の御遣いミヤモト様と共に、死した先史時代の生き物たちを栄養豊かな土に変え、死にかけていた太陽に再び命を与え、命あふれる大地へと再生されたそうです。わずかに生き残っていた人々は彼に感謝を捧げ、神として奉ることにしたそうです。ただ、彼らの言葉を理解できなかったので、名前であろうものを音だけ拾って神の名としたそうですわ」


 カレイキャクねぇ、と呟いたのは常に景と共に立ち回っている神余 晶です。


「氷点下でも凍らず、液体として振る舞う水のことを過冷却水と言うけれど」

「まあ! 晶様、正解ですわ!」


 王女がぽん、と手を合わせて微笑みました。


「えっ? 正解なの?」

「ええ。台座をご覧なさいな。はっきり書いてありますから」


 景と晶が言われた通りに見てみると、確かに小さくはありますが銘板が取り付けられており、日本語ではっきりと『過冷却スライム』と書かれているのでした。


「日本語!? 何で!?」


 思わず叫ぶ景に、王女は微笑みを崩さずに特大の爆弾を落とすのでした。


「そりゃあ、過冷却スライム様が日本人の転生者だからでしょうね。ミヤモト様が残された書物がありまして、そこにはっきり書かれてましてよ」

「ええええぇぇぇッ!?」


 びっくりし過ぎて叫ぶしかない二人でした。

 ややあって落ち着いたところで、晶が尋ねます。


「そのミヤモト様も転生者なのかな? 名前からして日本人っぽいけど」

「いいえ、違いますわ。ミヤモト様は天を行く船に乗ってこの星まで来られたそうですから、宇宙船で地球から直接来られたようですわね」

「ということは、少なくともこの世界と地球は同じ宇宙に存在するんだ」


 よし、と晶が拳を握りしめます。そこへ待ったをかけたのは景でした。


「人類はまだ月にだって自在に行けるところまで行ってないよ。なのにどうしてそのミヤモト様はここまで来れたの?」

「簡単なことですわ。時間にズレがありましたのよ」

「ズレ?」

「ええ。ニュートン力学では宇宙の全ての場所で一様に時間が流れているとされていましたが、相対性理論によって否定されましたでしょう? 転生や転移の際に、地球から見たら未来の時点に飛ばされたと考えられますわ」


 ここまでくればお分かりでしょう。この王女様は召喚された地球人ではありませんが、地球人、それも景達と同じ日本人からの転生者なのでした。だからこそ景達に協力してくれているのです。この廃墟も、かつて自分が暮らしていた廃都を、景達が暮らすための拠点として提供してくれているのでした。


「なるほどね。転生や転移は時空を超えてしまうんだ。だから女神様も帰すのが難しいと言ってたんだ」


 景が納得して頷きます。対して王女はふんす、と気合を入れて笑みを深くします。


「私のスキルを成長させれば、時空を超えることも可能です! 頑張って、皆さんをお帰ししますね!」



 その後、他の仲間たちと今日のご飯の相談に行った二人を見送り、王女はやおら振り返りました。

 ええ、文字通り時空を超えて、メッセージを寄越してくれようとしているのです。


「次回は私のお話ですわ! タイトルは『殺されて転生したら亡国真っ最中の王女って何の罰ゲームですか?(逃げ上手の蟲喰姫)』ですわよ! 乞う、ご期待! ですわ」

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