第8話 対峙

 俺の人生で最も長く、重要な話し合いが始まった。

 屈強な男どもに囲まれずに済んでいるのは幸いなことだったが、男が自分一人だけだけという状況は、それはそれで厳しい場面だと言える。

 まずは相手の出方を伺うことにしよう。


 「要件は軽く聞いているわ。あなた、進学したいらしいわね」


 「はい。三食付きの寮生活、学費も自分だけでどうにかできそうな学校です」


 「結論から言うわ。その学校はダメです」


 「ちょっと待ってください、志望動機どころか学校名すら言ってませんよね?」


 「ええ、そうね。進学希望、とだけしか聞いてないわ」


 多分、昨晩母さんが電話をかけていたのは目の前の人なんだと思う。

 話が本当ならば、母さんからは志望動機や学校名などを聞いていないはずだ。

 では何故、だと言ったのだろうか。

 もし、進学自体がダメなら電話口で一言いえば済むわけで、早朝からわざわざこうして出向く必要はない。


 だとすると、進学は良いがその学校はダメ、もしくはそれ以外の理由となるはず。

 だが、俺はまだ学校名を伝えていない。そう考えると、自ずと一人の女性の顔が浮かび上がってくる。


 「……恋愛感情が原因、ですか?」


 「あなたの周り、随分とうるさい羽虫が飛び回っているらしいじゃないの。さっき聞いたのだけれど、学校関係者らしいじゃないの。羽虫の学校なんて、行く価値がございまして?」


 「羽虫って……それはさすがに言い過ぎだろ!いい加減にして下さい、あの人はそんな人ではありません!」


 「じゃあ、どんな人なのか教えて下さるかしら?そうね、まずは名前に年齢、それから……」


 口では考えるそぶりを見せているが、こちらを試すような表情を浮かべながら視線は真っすぐ俺を捉えている。

 この人、俺が答えられないと知っている上であえてこの質問を投げかけているのだ。かなり手強いと見える。これはかなり苦労しそうだ。

 どうにかしてこの劣勢状態を抜け出さなくては。


 「えっと、椿さん。今は進学希望だという話をしていたと思うのですが、進学すること自体は認めて下さっている。と考えて良いのでしょうか」


 「まあ、そんな話をしていたかもしれないわね。ええ、進学は認めましょう。だけど、今から入学できる学校なんてあるのかしら? それに、高校って中学と同じでできるんでしたっけ? ごめんなさいね、随分と昔のことだったから忘れてしまったわ」


 しまった。今日は2025年3月29日(土)。指摘されて改めて考えてみれば、普通は明後日の4月1日から学校が始まる。

 今から入学手続きをして、指定の制服やら鞄やらを揃えられる学校なんて全国どこを探しても見つかるわけがない。

 そもそも、星ノ山高校だって入学手続きが間に合わないのでは?



 ―――そもそも、俺には最初から選択肢なんてなかったんだ。



 茫然自失。目の前が真っ暗になり、視界がぐるぐると歪んだ。前のめりに倒れそうになる上半身を咄嗟に両手を畳に突っ張ってどうにか堪えた。

 俺は何のためにここへ来て、この人に何の許可を得ようとしていたんだ?最初から全部、無意味じゃないか!


 「あらあら、土下座するにはまだ早いのではなくて? そんなことでどうにかなると本気で考えてらして?」


 勝負は始まる前から既に決着している。それを分かっていながらそしらぬ態度で俺をリングへ誘い入れ、更に強烈なパンチを打ち込んで叩きのめしてくる。

 この人、間違いなく怪物だ。勝負を挑もうなどと考えてはいけない相手だった。


 何かの報復なのか、女にうつつを抜かしている俺への仕置きなのかは分からないが、どちらにせよで完全に決着がつく。

 母さんも、周囲の女性たちも誰一人として口を開くどころか物音ひとつ立てることすらない。万事休す。


 ダメだ、弱気になるな。思い出せ。まだ、決着はついていない。

 あと一手残っている。必死に考えろ、考えろ、考えろ、思い出せ。

 最後の一手、まだ残っている。何か、方法があるはずだ。




 ―――私、そこの学校で副校長先生、してるの。 肩書きは偉そうだけど、、保健室の先生だったり、おじいちゃんおばあちゃんの相手、とかしてるんだ。


 ――― だから、一日だけなんて言わないで、毎日おいで? 歓迎、するわ。 詳しい内容は書類、見てね。じゃあ、また





 「……星ノ山高校なら、今からでも入学できます」


 「へえ、そうなの。あなたの口ぶりから察するに、それは羽虫の飛び回る学校なんでしょう? 下心が見えますわね。 問題解決とは、言えないのではなくて?」


 「その人は介護施設の職員なので、学校とは関係のない人です。問題ありません」


 真実の中にほんの少しだけ嘘を混ぜた。危険な賭けだが、これを椿さんが見抜けるか、見抜けないか。そこに全てが賭かっている。


 「あら、そうなの。う~ん、どうしようかしらねえ」


 椿さんは右手の人差し指で自分の顎をトン、トン、と軽く叩きながら視線を左斜め上と右斜め上と交互に動かしながら熟考し始めた。

 この場には十人近い人間がいるにも関わらず物音ひとつしない。呼吸の音すら聞こえないほど静寂な空間なので、離れているのに椿さんの顎を叩く音がよく聞こえてくる。


 そのまま五分近く沈黙が続いた。いや、実際には一分にも満たない時間が経過した頃、この部屋から全ての音が消えた。


 「うん、やっぱりダメ、ね」


 「ちょっと……何も問題はないはずですでしょ!それなのに、何故なんですか!」


 「だって『虫』ってすぐに増えるじゃない? 今は一匹でもすぐに十匹、百匹って増えるし。考えただけで私、鳥肌立っちゃうもの。あ~、無理無理。気持ち悪い」


 ダメだ。この人、論理的に話しているようでその実はあの人が気に入らないというだけの感情論で話をしている。

 更にはよく知りもしない相手を虫呼ばわりしてこちらの感情を逆撫でしている。

 よく考えろ。なぜ、そんなことをする?その理由は?目的は?そもそも、話し合うつもりが本当にあるのだろうか?



 ―――そもそも、何でこの人に許可を貰う必要があるんだっけ??



 「あの~、椿さんって実は『俺の本当の母親』だったり、しちゃいます?」


 「―――ッ!?!?」 


 ピキッという音と共に場の空気が一瞬で凍り付いたのを感じた。まるで冷凍庫の中にいるようだ。冷える、という優しいものではなく、一気に氷点下まで急降下。

 時間稼ぎのつもりで適当に放り込んだ一言。どうやら、地雷を踏んでしまったらしい。いや、むしろ禁忌を犯したと言っても過言ではないほどの緊張感だ。

 椿さんも、他の女性たちもみるみるうちに顔面が引き攣っていく。


 「永遠、それはどういう意味かしら」


 「いや、だっておかしいでしょ。そもそも進学するにあたって、なんで椿さんの許可が必要なんですか? 連帯保証人のサインが必要だからお伺いを立てる。ということなら理解できます。でも、連帯保証人って椿さんである必要はないですよね? 正直、名前だけ貸してもらえれば誰だって―――」


 「違う!私が聞いているのはそういうことじゃない!私が聞きたいのは『なぜ私が本当の母親だと思ったのか』ということよ。答えなさいッ!」


 明らかに動揺していることが分かる。先ほどまでの強者の余裕みたいなものが見受けられない。

 他の女性たちもだんだんと下を向き始めたり、拳を強く握ったりして落ち着きがなくなってきている。

 この状況はチャンスなのか?それともピンチなのか?分からない。


 「いや、なんとなく、というか。 正直、だらけなんですよ。母さんは年の離れた姉と言われても不思議じゃないし、過剰なほどに世間体を気にしている。椿さんだっておばあちゃんと呼ぶには若すぎる。ここにいる人たちだって、みんな三十代半ばぐらいですよね?皆さんは一体、どういう関係の、誰なんですか?なぜ、今日ここにいるんですか?それに―――」


 黙って聞いている椿さんや他の女性たち。母さんの顔は自分より後ろにいるので分からないが、きっと動揺しているに違いない。

 俺は構わず続ける。


 「ここに来てからというもの、小さな子供どころか、俺以外の男性も誰一人として見かけないんですよ。土曜の昼なのに。一体、どこで何をしてるんですか?」


 「……それは、全てあなたの気のせい、単なる考え過ぎよ」


 「いやいや、そんな簡単な一言で済ませられる話じゃないんですよ!俺の人生に大きく影響している重要な問題なんです!こちとら散々迷惑かけられ続けているんですよ!今まで何回引っ越してきたと思ってるんですか!? そのせいで、ろくに友達作りすら出来なかったし、学生時代の思い出なんて一つもありゃしない。それは全て、の年齢に対する異常なまでの防御反応が原因なんです! ここまで振り回しておいて、ですか? バカにするのもいい加減にして下さいよ!!」


 十秒、三十秒、一分と沈黙が続く。

先ほどまでの緊張感は、いつの間にかお通夜のような空気間へと変わっていた。

みんな、俺のことを哀れに思っているかのような、申し訳ないと思っているかのような表情をしている。


 あえて母さんのことを桜子さんと呼んだことで俺の本気度が伝わったのも影響しているのかもしれない。母さん、今頃どんな表情をしているのだろうか。

 確かめたいような、確かめたくないような気持ち。


 ここまで言い放ったのだから、もう後には退けない。

 こんな状況になってしまったが、それでも俺の人生の分岐点であることは確かだ。

 何かを得るには、何かを捨てる必要がある。代償なくして何かを得ることはできない。

 今まで散々と青春やら何やら捨ててきたんだ。失うものなんてほとんど残っていない。覚悟を決める。


 「ちゃんと、納得する回答を得られるのであれば星ノ山高校への入学は諦めても構いません。あの人と二度と会わないと誓ってもいい。またすぐに別の町に引っ越すでも構わない。いい加減、振り回されるのも、どこかで母さんのことを疑い続けながら生活するのもうんざりなんです。ちゃんと、自分の人生と、母さんと向き合って生きていきたい」


 これは俺の本心だ。


 入学か、家業か。

 それが決定されるはずの場であったが、今はもうそれどころではない。

 それよりももっと重要な問題。


 ―――を取り戻せるか、否か。


 「それでも俺の気のせいだと突っぱねるのであれば、俺は家を出て一人で生きていきます。これ以上、母さんの都合に振り回されたくない」

 

 再び長い沈黙が続く。しかし、今回はポタ、ポタと畳に何かが当たる音が聞こえる。音のする方へと視線を辿っていくと、俺の右斜め後ろに正座している人に辿り着いた。


 母さんは、とても苦しそうな表情で声を殺しながら大粒の涙を次から次へとこぼし続けている。

 その涙は、その表情は何を意味しているのだろうか。


 母であることを疑われたことへの悲しみ?

 散々振り回してしまったことへの罪悪感?

 それとも、何か言えないような本当の理由が、あるの?


 その瞬間、今さらながらやってしまったと思った。

 この部屋に向かう途中、冷静になることに集中していて話半分にしか聞いていなかった内容。母さんの悲痛な想い。

 今になって、思い出した。


 「こうするしかなかったの。こう、せざるを得なかったの」

 「永遠、今までごめんね」

 「これが、私なりの精一杯の罪滅ぼしだったの」

 「今は何も分からなくていい。知らない方がいいことも、あるの」


 後悔してももう遅い。一度投げてしまった賽はもう取り戻せない。

 俺は自分のことばかりだ。

 自分の希望が叶いそうにないからといって感情的になり、これまでの鬱憤を晴らすためだけに母さんのことを安易に傷付けた。

 ちゃんと、謝らないといけない。


 「母さ―――」


 「確かに、私はあなたの母親ではないわ」


 「桜子ッ!! それ以上言ってはなりません!!」


 グラグラと視界が揺れ、だんだんと音が聞こえなくなってくる。

 気持ち悪い。吐きそう。

 足元が崩れ落ち、どこまでも続く奈落の底へと落ちていく感覚。


 代償、デカすぎるだろ。


 視界が真っ暗になる寸前、閉じられていた出入口の襖が勢いよく開くのが見えた。

 視界の端、クラシックなセーラー服の足元が見えたところで、俺は意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る