『春風』
少し頬を膨らませながら、仕切りを外し、馬車の後部に乗り込む。
外から見た時は広いと思っていたが、入ってみると気持ち窮屈だ。
丁寧に積み込まれた予備の車輪や木材が、三割ほど空間を支配しているからだろうか。予備にしては、何処にも使われていないガラス板が数枚あるが……
それでも……この適度な狭さと桜の香りが丁度いい。これなら長旅でも疲れることは無いだろう。
「では、出発しましょうか」
幕の外からお兄様が言うと、一瞬身体が前に引っ張られる。
がらがらがら……
同時に、少し軋むような、車輪の擦れる音がかすかに聞こえると共に、先程まで格納されていた小屋が遠くなっていき、昼頃の眩しい光が入り込んできた。
乗り物に乗る、という体験をしていない私にとって、このような些細な出来事すらも、感動を覚えてしまう。
動くスピード自体は徒歩より少し早い程度の速度ではあるが、私の両手では持ちきれない荷物を抱えたままこの速度で進めるこの乗り物は、確かに旅の必需品であることを痛感させてくれる。
「ふふ、フィリア様。楽しそうですね」
「だって、馬車に乗るのははじめてだから……って、運転しなくていいの?」
「……?そこまで驚きますか?」
そりゃあ、驚くに決まっている。お兄様が、運転席であろう前方の幕から出て、隣で話しかけてきたのだ。
「えっと、こういうのって運転席に乗っておくものじゃないの?」
私の質問に対してお兄様は一瞬顔をかしげるが、直ぐに納得したように軽く頷いた。どうやら私の質問に対する回答は、彼にとっては当たり前すぎてピンと来なかったのだろう。
「あー……多分大丈夫ですよ」
「多分って……」
「この馬車は、目的地まで半自動で到達してくれるように作られた、文字通りの『自動車』なんですから」
「半自動って?」
「ある程度はこちら側で操作できますが、この馬車自体が気分で止まることもあるので、『半自動』です」
この子、やんちゃなだけじゃなくて気分屋なんだ……
しばらく馬車を走らせ、村の外に出たが、景色は屋敷の離れとそこまで変わらない。
屋敷の屋根に上って景色を一望した時、この辺りは木々に囲まれている印象はあったが、こうやって走っていると、本当に森を切り開いて作りられた村だということがよく分かる。
この森のトンネルは、過去に開拓した先人たちの功績は、計り知れないものだろう。
「そろそろいいかな……」
永遠とも思えるような木々を馬車の後部から眺めていると、お兄様が後ろで呟いた。
「もう休憩するの?」
「いいえ、周囲の目もないので、この辺りが妥当かなと。『春風』、止まって」
お兄様が布張りの天井に呼びかけると、馬車は少しづつ速度を抑え、ゆっくりと止まった。当たり前だが、急に止まらなくてよかった。出口で足をゆらゆら揺らしていた状態だったし。
「フィリア様、いったん外に出ていただいても?」
「……?わかった」
ぴょんっと、地面に降りる。意外と日差しを受けるとほんのりと暑い。
そういえば、今はもう夏の時期か。確か、「日光を長時間浴びると日焼けする」ってお姉様が言っていたっけ。
念のため、肌に保護魔術(錬成魔術の一種。物体や物質に薄い被膜を付与する。今回は錬金魔術と掛け合わせて酸化チタンとかも混ぜておこう)を付けておこう。効果時間は確か三時間くらいだし、こまめにかけ直さないと……お姉様が言うには、日焼けって痛いらしいし。
「あれ?馬がいなくなってる」
外に出て改めて馬車の全体を見ると、小屋に格納していた時のように、本来馬が繋がられている場所が空白になっていた。
「あくまで、この馬車の馬は魔力で構成された
「馬の姿を出すのは、錬成魔術?」
「いえ、これは生成魔術(風を起こしたり、火を起こしたりするような自然現象の再現をする魔術。魔術の中では一番消費量が少ない)ですね」
「……納得いかない」
「そうですか?『馬車』が『馬車』をひくためのものを用意するのは極めて自然ですよ」
「それで……どうして下ろしたの?」
「いえ、せっかくなら、もっと景色を見やすくした方がいいかなと」
「でも、今から組み立てるのは時間が……」
「『春風』。『
お兄様が呼びかけた瞬間、張られた幕が外れ、木材ぶつかりある駆動音が森の中にこだまし、一分も経たないうちに数十分乗っていた馬車は姿を大幅に変えた。
天井の曲線美が美しい、開放感のある観光用のような見た目へと、変化したのだ。
なるほど、木材が馬車の中に入っていたのはこういう事だったのか。
「お兄様、これ本当に無償で寄付するつもりだったの?」
「……まぁ、『普通の旅人』には宝の持ち腐れですから」
そんな、さも当然のように言われても困るのだが。
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